8月某日 見知らぬ町の景色

朝方、プランパレのマルシェへ行く。バカンスだからか数軒しかテントが建っていない。 ピカピカに磨いたような均一の野菜が並ぶ店がほとんどだったが、一軒だけ明らかに違う店があった。香りを放つバジルの山と、トマト、茄子、ズッキーニ、じゃがいもが並び、店のもう半分には花がわんさかと並んでいる。旅行中なので沢山は買えないが、種類の異なるトマトを一つずつと、生でも食べられるであろう茄子だけを買った。バジルが2、3枚あればなあ、と思っていたら、「これつけるわね」と言ってバジルをつけてくれた。これだけで素晴らしい生産者だとわかる。
4年かぶりのジュネーヴ自然史博物館。以前は地形レリーフを見にきただけなので、まともに展示を見るのは初めて。今回は特にアポ無しだが学芸員の人は元気だろうか。
剥製の倫理。生きた生き物と死んだ生き物の圧倒的な違い。les animaux empaillés=藁の詰められた動物。実物の直接的展示と表象(模型)の展示による頭の働きの違い。気が滅入る。
比喩的な名付けの美しさ。Punaise nébuleuse(星雲カメムシ/ヨーロッパ原産)とPunaise diabolique(悪魔カメムシ/アジア)。Poisson crapaud(ヒキガエル魚)。Poisson lumineux(光る魚). Requin taureau(雄牛鮫). Requin tigre(虎鮫). Scarabée tunnelier(トンネル掘りスカラベ). 科に属する種の数に従って、その代表的生物(提喩)の模型サイズを大小させる優れた展示。三中さんが見せていた生態系視覚化の立体版だ。我らが哺乳類代表である象の模型は、なんと転げていた。ペロン作の地形レリーフ(のコピー)が展示されている部屋は4年前と変わらず閉まっていて残念。Blashkaというポーランド風の名前の人物が作ったガラス製のクラゲ模型のコレクションも見られなかった。向こう4年以内に新館が建つらしい。ブティックも閉まっていて、少し物悲しかった。
バスに乗ると、整理されているであろうスイスの交通体系をもってしても非常に複雑なルートを通っていくのを感じる。氷河や川の働きでできたのであろうなだらかなスロープや唐突に切り立つ崖がこの街を形作っていることがわかる。そして、そのような複雑な地形の上に石を積んで高層建築を作り、積雪にも耐えうるような屋根の勾配と低層部の処理を施しつつ、美しさをも追求しようというジュネーヴ人の、知恵の成果を見ることができる。例えるなら綺麗なフランス。しかしながらあくまでもスイス。
湖の反対側にあるジュネーヴ植物園へ。個人的に、花の咲いている季節に植物園に来られることは滅多にない。いつも荒地と化した花壇を見て回るのが常なので、旅行はこういう季節にするものなのだな、と思う。野生植物、有毒植物、フィトテラピーや薬用の植物、織物になる植物、染色できる植物など様々なカテゴリーに分けられて植物が植えられている。植物の名前と実体とその利用方法が結びつく展示こそが良い展示なのかはわからないが、少なくとも教育的ではあった。むせかえるような匂いを放つペパーミントとフェンネルに虫が集まっていたのが印象的だった。スイス人の植物愛と山岳愛を感じる。
バスで旧市街に移動し、昨日休みだった古書店、Julienを再訪するが、なぜかまた休みだった。夏季休暇だろうか。歩いてホテルの方まで戻り、坂を登ってアナーキズムの本屋に行く。レジのある主室までは一般的な文学や科学分野の本が並ぶが、レジの後ろにある後室にはアナーキズムの本がずらりと並ぶ。ルクリュのコレクションもあり、しばしチェックする。これだけアナーキズム関連の本が出ている(しかもその中の思想は細かく分類されている)ということは、アナーキズムがヨーロッパ人社会に深く根付いているということだろう。日本では最近少し流行り始めているけれども、それでも数えられるほどの本しかない。過去の弾圧の影響もあるだろうが、意識の違いを感じる。
Coopで夕飯の買い物をし、ケバブ屋でファラフェルサンドも買ってホテルで食べる。ファラフェルはひもじくも二等分するしかなかったが、朝買ったトマトは非常に美味しくて、心が洗われる。
夜中に起きてしまったので、窓の外をしばし見つめる。レマン湖から流れ出すローヌ川の流れ。街灯が浮かび上がらせる街並み。橋の上を無人のトラムが走っていく。眠った車。時折徒歩や自転車で走っていく人々。風にたなびく樹々。私は知らない街の窓の外で人々が働くのを見るのが好きである。初めてヨーロッパに来た時、ウィーンのホテルの窓の外から見た、看板の言葉もわからない夜の街の雰囲気を思い出す。知らない街に引っ越した時の最初の夜もそうである。慣れるうちにいつしかこの感覚は無くなってしまうが、もう少し大切にしていきたい。

8月某日 不在のジュネーヴ

朝5時のRERに乗ってGare de Lyonに行き、6時発のTGV Lyriaでジュネーヴに向かう。Cité universitaireの駅が開く瞬間を初めて見た。
本当はリヨン経由でそこからローヌ川沿いに渓谷を進む路線が好きなのだが、今回はBourg en Bresse経由の路線で、あまり川は見えない。代わりに別の段丘を見ることができた。向かいに座っている猫と一緒に旅行をしている女性はBourg en Bresseで降り、その後にやたらとうるさいスイス・アルマンドの家族が乗ってきて、顔を顰めているうちにジュネーヴに着いた。
ダメ元でホテルに行ってみるともうチェックインできるとのことで、決して広くはないが川の見える綺麗な部屋に通してくれた。相場からすれば安いホテルだが、トラムも見えるし人に勧めたいところである。フロントには友人が最近出したニコラ・ブーヴィエについての本が届いていて、ありがたく拝受する。私にとってジュネーヴは特別な街だ。
スイスの物価は毎回高いと思ってはいても、月日が経つうちにその印象は少しずつ弱まっていつしか良い思い出となり、再びスイスに足を踏み入れた途端に現実が想像を打ち壊す。早くこの国を出ないと破産する、という焦燥感が向こう一週間ついて回ることとなる。
ジュネーヴに来るのはこれで三度目だが、毎回朝から晩まで研究に明け暮れるので、これまで碌に街を歩く余裕がなかった。今回も調査をしたり友人に会うのが目的だったが、司書はバカンスでいないし、友人もアルプスの方に行ってしまったりで、はっきりいうと無駄足である。しかし開き直れば初めて余裕を持ってジュネーヴを楽しむことができるということなので、頭を切り替えて羽根を伸ばすこととする。観光といっても、デザイン科の人間にとって最たる観光は本屋巡りにほかならない。以下、備忘録的に書いておく。

– Librairie Fahrenheit 451(定休日)
アナーキズムの本を中心とした本屋らしい。明日にでも来てみよう。

– Librairie l’exemplaire
美術系の古書店。nrfの特装本、ブルトンの毎ページ判型が変わる本や、ブーヴィエの『Comment va l’écriture ce matin?』という肉筆の原稿を抜粋した本、ミショー、ミロ/シャガールの雑誌「Verve」など。オラス=ベネディクト・ドゥ・ソシュールの『アルプス旅行記』があり興奮したが、9,500 CHF(160万円) だった。

– Illibrairie
以前訪ねたことのある旅行記の品揃えの良い本屋で、ルクリュの『新普遍地理学』やオネジム・ルクリュの『Géographie : La Terre à vol d’oiseau』のあったところだが、今回「アトラスはないですか」と聞いたら、いきなりオルテリウスの小型本(8,500 CHF=140万円)なんかを出されて面食らう。他にA. Vuilleminの絡んだ『Atlas-Migeon』(2巻本)を見せてくれたが買えず。なんでこういう店名なんだろう(フランス語で「本屋は」「librairie」なのだが、それに「il」がついている)と思っていたら、ショップカードにオーナーの名前が「Illi」さんだと書いてあった。

– Julien(定休日)
以前来た時は割と気軽に買える本屋だったが、休みだった。

– le Rameau d’Or(閉店)
以前訪問してhéros limiteの本を買い求めた場所だが、店内の棚という棚が空になっていた。ウェブサイトを訪ねると最後の挨拶が長々と書かれており、胸を突いた。

– Librairie Delphica
占星術やタロットのコーナーがある。

– La Trocante – Nicolas Barone(夏季休暇)
友人の勧めで訪問しようとした。スクワットみたいな建物に「← 古本」とだけ書いてある目印を頼りに入っていくと、ジャングルみたいなところにまた「← 古本」と書いてある。しかしそちらに行ってみてもキャンプファイヤーをするような施設だけがあり、本屋らしきものはない。電話をし続ける女の子の前を何周も通り過ぎながら探すが、全く見つからない。諦めた頃に見つけたのは、その施設の隣にあるグラフィティだらけの建物に貼られた、小さな名刺。近寄って見てみると「古本 Nicolas Barone」と書いてあった。しかし7日から14日まで夏季休暇とのこと。夏にヨーロッパに来るべきではない。

– Bouquinerie La Grotte aux Fées
全てを諦めてGoogle Mapsの示すままに向かった古本屋だが、古い子供向けのSFや推理小説などがずらっと揃った店で、白鬚のおじいさんが優しく説明してくれる。Maraboutというベルギーの出版社の本がよく揃っていて、冊子を作る際に端切れになる部分をもう一冊の本(「Marabout Flash」)にしてしまい、おまけとして売っていたそうだ。本当に妖精が出てきそうな、おじいさんの楽園だった。
それにしてもスイスは動植物や山についての本が多い。造本も美しく、自然愛が伝わってくる。色々後ろ髪を引かれたが、植物辞典を一冊買って店を後にする。

本屋の他にも街中を歩き回ったので、ホテルに戻る頃にはヘトヘトであった。街の中央に湖があり、至る所に泉が湧いて、縦横無尽にトラムが走る。美しい街である。物価さえ高くなければいつまでもいられるのであるが。

ポスターが街頭に貼ってあるところがスイスらしい。フランスの巨大な塔状のポスター貼りとはまた違う。

サン・ピエール大聖堂。右手にあるのはマキャベ礼拝堂。

15世紀の聖職者席。

座席下の浮き彫りが興味深い。

マキャベ礼拝堂。フランボワイヤン・ゴシックの走りだという。

ベルヴェデール

ここが古本屋らしい

旅行者用マヨネーズ

8月某日 ギメ博物館再訪 その2

パリ滞在も一旦最終日である。といっても昨夜遅かったので昼頃動き出し、適当な店でパン・オ・ショコラを買ってシェ・ヒザワでカフェを飲み、再びギメ博物館に向かう。先日買ったチケットでもう一度入れるからなのだが、今日は第一日曜日で国立系の博物館が全て無料になっていることに気づき、大して興味もない客でごった返す会場にわざわざ来たことになる。といっても常設展はそこまで混んでいないので、「ここには一日いられるなあ」と思いながら3時間ほどじっくり見たが、「アジアの医学」と題された特別展にはなんと行列ができていた。博士課程で中医学の図像を研究している学生がいるので非常にタイムリーな展示で、内景図や経絡図もいくつか展示されていた。面白かったのは、瞑想や占星術も医学に入れられていて、惑星を擬人化した日本の小さな像(「九曜」)がとても良かった。しかし本当にコロナにかかりそうなぐらい密だったので、飛ばした部分も多く、落ち着いて二周目を見ようかなと思ったら係員に止められて、「人が多すぎるのでもう閉館だ!」と言われる。
夕方、妻のコースター集めに付き合ってクラフトビール屋まで行き、宿に戻ってインスタントのクスクスを食べて早めに床に着く。明日は早い。

日本ではあまりお目にかかることがない北斎のエスキース。

唐三彩

百鹿図

橋口五葉

チベットの立体曼荼羅。曼荼羅は無数にあってとてもここには載せられない。

北インドの九曜図

日本の九曜像

また会いに来ます

8月某日 国立図書館の「ミュゼ」

パリもあと2日なのだが、全く観光的なエンジンがかからない。長く住んでいると、なかなか「次はここ、次はここ」とならない。実家に帰った状態である。
国立図書館の旧館の方まで行って、スープとパンの昼食をとり、旧館に入ってみる。ずっと工事用のプレハブがあった前庭には花壇ができていて、植物園のように小分けして花が植えられていた。新しくできた「ミュゼ」を見に来たのだが、どうやらそれ以外にも展示スペースがあるらしく、「白と黒のドガ」という展覧会がやっている。セット券を買ってまずミュゼを見てみると、グレコローマンの陶器や彫刻(小さめの)、メダイユ、エトルリアのブロンズ甲冑などが飾られており、思ったよりも広い。面白いのは展示の什器で、かなり古いキャビネを使っているのだろう。これを見るだけでも来る価値がある。ギリシャ美術を見るうちに、ギリシャに呼ばれている気がしてくる。オリエントが先にあるとしても、あの時代にここまで洗練された線描や彫刻が完成したのは驚くべきことだ。何を今更だろうが、改めて敬服する。やはり行くべきなのだろうか。
展示会場を出るともう一つ会場があり、遠くにグローブが見える。ここはどうやら世界の記述と印刷についての展示らしく、書物や楽譜、地図、天球儀などが置かれていて、本気でやればライティングスペースの歴史が全て展示できるんだぞ、という凄みを感じる。
「白と黒のドガ」を見なければならないが、夕方に待ち合わせをしているため、残り10分ほどしかない。しかしチケットの有効期限は今日限りなので、かなり急ぎ足で見る。「もう一度人生をやり直せるなら、白と黒だけで作品を作るだろう」という言葉で始まるこの展覧会は、その名の通り、白黒のドローイングと版画だけで構成されている。ドガといえば否が応でも踊り子の絵を思い浮かべるが、ここには風景画も多く、エッチング(eau-forte)やモノタイプ(1回限りの絵画転写)で様々な白黒のニュアンスを出している。もちろん踊り子を描いた習作も多く、いずれも目の覚めるような作品ばかりである。時間があればもう一度来たいところだ。
サントル・ポンピドゥーで友人と待ち合わせし、ノーマン・フォスター展に入れてもらう。ロンドンのどんぐりみたいなビルや香港の建物以外ほとんど知らなかったのだが、バックミンスター・フラーと協働したりもしていて、かなり未来志向が強いというか、発明的発想をするのが好きなようだ。コルビュジエ味もあるし、プルーヴェ味もある。時代のせいか「durable(フランス語でサステナブルをこう言うらしい)」を前面に押し出していた。大量のスケッチと建築的ドローイングが敷き詰められた第一会場を抜けると、模型が鮨詰めになった第二会場に至る。この模型、百万じゃきかないよな、と呟きながら、模型のクオリティばかりに感心する私。昔、自分が建築家だったら空港のデザインを一番やってみたいな、思っていたが、考えてみると制限ばかりで意外とやりようがなさそうで、まあアプローチに気を衒うか、搭乗口を棒状に並べるか円状に並べるかぐらいしかないのかな、と思った。
夜、友人宅での食事によばれる。ロックダウン中にレバノン惣菜屋で段ボールに隠れてお菓子を食べた話とか、キュレーターがアホばっかりになったという話とか。終電がなくなるまで話し込んで、小雨が降る中帰宅する。

アンリ・ラブルーストによるエトルリア遺跡のスケッチ。オトレ関係でエルネスト・エブラールのことをかじったおかげで、この時代のローマ賞受賞者の仕事には弱い。ちなみにラブルーストは国立図書館の閲覧室の設計者。

左足に文字が彫られている。

ヴィンツェンゾ・コロネリによる天球儀。彼は新館にある巨大な「ルイ14世の天球儀・地球儀」の作者として有名。

ノーマン・フォスター展

アップル本社

8月某日 地図と皿

せっかくだからフランスらしいものをと思い、フォンテーヌブローへ。3度目ぐらいだと思うが、馬蹄型の階段が高圧洗浄機で綺麗になってしまっていて風情も何もない。時間の厚みをなぜ消したがるのか。新品みたいな街に住むよりも圧倒的な豊かさを与えてくれると考えないのだろうか。ケルヒャー症候群。
今まで気に留めなかったが、宮殿併設のナポレオン博物館には地図の描かれた皿やテーブルがあったり、また彼が地図上の距離を測っている肖像彫刻がある。彼がいかに地図的イメージを政治的に利用していたか、また地勢をよく研究していたであろうことが推測される。アンリ4世が建設した長い廊下にもナポレオン所有と言われる地球儀が置かれていて、それが単に彼の政治的視野の遠大さを示しているのか、それとも彼の地理学的知見を物語っているのかはわからないが、象徴的である。
それにしても、皿に風景画を描く風習は奇妙である。それで食事を摂るわけでもあるまいに(摂るのか?)。領地の風景や建物、あるいは歴史的出来事の情景を、皿を通じて語り、教育することの意義とは何なのだろうか。
外に出て庭園を見ようとしたら、真っ黒な雲。フランス式庭園を見始めた途端に降り始め、小一時間雨宿りする羽目になった。雨女の遺伝子が私の中で目覚めている。小降りになった頃に外に出て、雨の上がりかけた風景を眺める。地面は川のようだが、パースペクティブの向こうは日が差していて、これはこれで悪くない。グロッタ風の装飾と、森の入口だけ見て街に戻る。
夜は工デ卒の友人と中華料理屋で飲むが、途中で寒くなって帰る。

アウステルリッツの戦いを描いたソーサー

ナポレオン像の手元

これはちょっと欲しい。

近くで見られないが、この地球儀もナポレオンの持ち物らしい。

グロッタ風で私の好きなダンスホール。

8月某日 3年前の後始末

まだテキパキと動く感覚がないが、考えてみればもう木曜日で、休館日のことを考えると今のうちに一度図書館に行っておかなければならない。旧市壁沿いを走るトラムで図書館に向かうが、途中で「終点だ」といって降ろされる。どうやら工事中でポルト・ディタリーからアヴニュー・ドゥ・フランスまでは振替輸送のバスに乗らなければいけないらしい。あたりをうろついているRATPの職員にバスの場所を聞いて乗り込んだはいいが、車内で調べ物をしていたらうっかり乗り過ごして工業地帯まで来てしまった。逆向きのバスに乗ってようやくアヴニュー・ドゥ・フランスに到着し、イギリス系のチェーン店「プレ・タ・マンジェ」でコーヒーとサンドイッチを買うが、飲めないほど渋く、残してしまう。しかしWi-Fiが使えるだけありがたい。
図書館の手前には、旧館に「ミュゼ(博物館)」ができたという広告がかかっていた。どうやら長年のリノベーションが終わったらしく、後日行ってみようと思う。新館で臨時営業をしていた地図部門も、ようやく古巣に戻ったらしい。閉架フロアでフンボルト関係のファクシミリ本の書誌を確認し、諸々雑多な作業を済ませ、図書館を出る。ついこの間まで印刷についての展覧会がやっていたそうで、逃したのが悔やまれる。どうせ来れなかったが。
その足で古巣のシテ・デザールを訪問する。コロナ騒動でフランスを脱出した時に預けておいた荷物を処分するためだ。パリ賞で来ている大学のレジデントの方に連絡を取って、倉庫の段ボール箱を出してもらう。何か大事なものが入っているだろうと思って箱を開けたが、結果的に必要なものはタオルと箸と包丁ぐらいで、あとはサバイバルに必要だった安物の鍋やら水筒やらだった。ここの住人はなんでも欲しがるので、「Take Free」と書いて外に置いてもらった。きっとすぐに捌けるだろう。
その後、フランス人の友人2人と喫茶店で久々の再会。とりあえずあまり深いことは聞かず、お互いの近況報告に終始する。最愛の犬ウメは少し色が白くなっていた。
部屋に戻ってインスタントのクスクスを作って食べる。テレビではナチュリスト(ヌーディスト)がバカンスでキャンプをするのを追ったドキュメンタリー番組がやっていた。体じゃなくて顔にぼかしがかかっているのが新鮮である。虫に刺されないのかね、と思いながら眠りについた。

 

8月某日 ギメ博物館再訪 その1

朝起きて、昔住んでいた界隈を散策する。夜半に嵐があったが、起きてみるとよく晴れていて、気温も20度ぐらいと涼しい。
毎日のように通っていた通りを歩き、毎日のように通っていた界隈に出る。街を見る限り、思ったよりも変わっていない。といってもそもそもが酷い界隈だから、変わっていたとしてもたかが知れているのだが。
印刷の講義を担当されていたヒザワ先生に似た人物がいつも客にいることから我々が勝手に「シェ・ヒザワ」と呼んでいたカフェで、軽い朝食を取る。見覚えのある男性がカウンターに立ち、見覚えのあるオーナーらしき高齢の女性が客席に座り、新聞を読みながら店員に指示を出している。このカフェは若い外国人女性がセルヴーズ(給仕)をやるのが常で、今日もどこかの訛りのある白人女性がオーダーを取りに来た。長くいると不味く感じるRichardのエスプレッソも、久しぶりだと悪くない。
昨日ピザ屋がバカンスで休みだったのと同じく、馴染みのパン屋、通称「おじパン」も休みだった。そのままポール・ロワイヤルからソルボンヌ大を通り、ノートルダム大聖堂まで北上する。数年前火事で尖塔を焼失したノートルダムの周辺では「ベトンの女王」イダルゴの主導する再開発が始まっていて、大聖堂前広場に新設された、トマソンとしか思えない階段の上に観光客たちが腰を下ろしていた。ジャック・タチ的な戯画の世界である。大聖堂に張り巡らされた工事用仮囲いには、この再建工事がいかに優れたものであるかが図説されていたが、そもそも焼失させたことに対する謝罪の念などどこにもない。聞けば、教会の裏にあった小さな公園も潰して、駐車場に変えてしまったらしい。ノートルダムはテーマパークのアトラクションではない。
マレ地区を歩けば、3車線道路のうち2車線が自転車専用道に変えられていて、渡るのが非常に困難である。歩けば自転車屋がいくつも新設されており、これもイダルゴのエコ・ファシズムの成果なのだろう。本人は車で通勤しているそうだが。
サントル・ポンピドゥーの脇を通り、レ・アルを横目に北上して、モントルグイユ、ボン・ヌーヴェル、ギャルリー・ラファイエットまで歩く。ハワイの「ポケ(ポキ)」の店と肉まんの店がやたらと目に入ったので、きっと新しい流行なのだろう。
地下鉄でイエナに移動し、ギメ博物館を見る。ここは19世紀以降、ギメ他の人々がアジアに行って収集したコレクションによって形成された、国立の東洋美術館だ。7年ぶりの再訪となるが、この間アジア美術への興味が募り、仏像や宗教的図像を積極的に見に行ったり、院生と図像の勉強会をしたこともあり、昔よりも楽しめるようになった。ここの美術館は、うまく言語化できないが、日本と提示の仕方が少し違うというか、ライティングや置き方が異なっていて、同じ仏像があっても違った見方をさせられる。しかも、これだけアジアを横断して仏像や図像を比較できる場所はアジアにもそうそうない。夢中になってインド、ネパール、チベット、アフガニスタンの部屋を見ていると、閉館のアナウンスが聞こえてきてしまった。ここなら気軽に見られるだろうと見積もったのが間違いだった。まだ5フロア中2フロアしか見られていない。後日再訪することにする。
その後、散歩がてら宿まで歩こうとしたが、途中で雨に降られて地下鉄とバスを乗り継ぎ、変なルートで戻ってきた。夕飯は昔よく行っていたタイ料理屋に向かう。我々とほぼ同世代の、異常に人懐っこいタイ人女性が一人でフロアを回しているのだが、近くに住んでいた時にはよくお世話になった。コロナの時も妻と一緒に潰れていないか心配していたので、今回一番再訪したかったのは実はここかもしれない。お姉さんは我々のことをすぐに認識し、お互いの近況を話した。カカユエットが盛り盛りのパッタイ・ヴェジェタリアンと、ネム(春巻きのようなもの)を頼んで平らげた。前は「今これを食べているのよー!」と行って、お徳用のどら焼きの袋を見せてくれたが、今回はスーパーのレジ横に売っているような栗羊羹を見せてくれた。タイの人は甘いものが好きなのだろうか。お土産でも持ってくればよかったと後悔する。

デジカメを持っていくのを忘れ、iPhoneで写真を撮ったのだが、印象とあまりにも違うので、わざわざアップするのはやめる。

8月某日 3年半ぶりの匂い

朝も9時発のパリ行きの飛行機に乗る。前日まで面談・採点・会議に追われ、その後急いでカイロに行き、体の捩れを整えて家に帰ったのは21時過ぎ。そこから身支度を始めたので、不思議と旅行感覚がない。機内に乗り込んで指定された席に腰を下ろすと、隣の40代らしき日本の婦人が、前の座席の背面につけられたタッチパネルを長い爪でカツカツとせわしなくタップし始める。まだ滑走路に向けて移動すらしてないのに、何をそんなに急いでいるのかと思っていたら、「『ダ・ヴィンチ・コード』はどこにあるの?」と、席の離れた息子らしき人物に叫ぶ。そちらを見やれば、白いTシャツに黒いハーフパンツの、日焼けした筋肉質の息子3人と一緒らしい。我が意を得たりといった気分で眠りについたが、数時間後に目を覚ますと、前方のトイレの前で婦人が四苦八苦している。どうやら直前に使用したラテン系男性の「物」がまだそこにどっしりと腰を据えていたようで、婦人は手を伸ばして「流す」ボタンを押す羽目になった。その苦悩の表情には、同情せざるを得なかった。
飛行機の映画プログラムはひたすらマーベルとディズニーばかりで、見たいと思うものなどほとんどない。しかし何度もスクロールするうちに「嗚呼、こんなものを大好きだと公言して憚らない連中に忖度しなくてもいい国に行くのだ」という気持ちがどこからかが込み上げてくる。いかにマジョリティがエンタメと拝金主義に毒されようが、「それのどこが芸術なのか」で済ませられる文化的厚みと個の強度。少なくとも私の中ではそうであり続けている。実情がそうでなくなったとしても、私の中ではそうでありつづけるだろう。
14時間も寝続けるのは流石に無理だったので、猶に100は超えるだろう機内映画のリストを何往復かスクロールする。そのうちデンゼル・ワシントンの顔が目に留まり、『アメリカン・ギャングスター』なる映画を何の気なしに見始める。私の英語の聞き取り能力に加え、ヘッドホンの音の悪さと機内の轟音も相まってセリフはほとんど聞き取れなかったが、それでも画面を見続けていれば話は入ってくるというところにリドリー・スコットの底力を感じる。これまで感服したことなど一度もないが、その辺のスーパーヒーロー映画の監督には比べるべくもない映画的教養がある。
シャルル・ド・ゴール空港に着き、日本人観光客相手にはなんの留保もない入国審査を数秒で通過し、RER乗り場までのひたすらに長い通路を歩き続ける。前回空港に来たのはコロナ禍最初期にフランスを脱出しようとした時だったから、その悲壮さに比べれば明るさを感じずにはいられない。噂通り人々は全くマスクをしておらず、こちらもマスクをするのを憚られるほどだが、コロナにかかっては旅程が台無しなので、電車では口元を隠すこととする。
車内では移民系の子供二人が前に座り、妻と「いないいないばあ」をして遊んでいた。私のスーツケースには台湾のバス会社が貼り付けたシールが貼ってあって、自分の荷物を識別するのに重宝していたが、その子供の唾だらけの手によってあえなく剥がされてしまった。まあやむなし。ホテルのあるシテ・ユニヴェルシテール駅まではありがたくも一本で着き、駅前で焼きとうもろこしを売る移民たちを懐かしく眺めながら、ホテルに到着する。気候は涼しく、すでに19時頃なのにまだ陽は高い。軍艦島と奈良で強烈な陽射しを浴びてきた者からすれば、控えめに言っても最高である。3年半ぶりのパリはあの頃から地続きで、この、誰に何を強制されるでもなく、ただ並木の木漏れ日とそよぐ風に身を委ねていればいいような時間感覚が、ひたすらに懐かしい。もちろんそれは路上の植栽と排泄物の入り混じった得も言われぬ匂いと、時間の矢の先にあった漠とした暗闇とが同居した感覚である。パリに来たら再訪しようと思っていたピザ屋はバカンスで休み。しょうがなくスーパーのFranprixで、出来合いのファラフェルサラダとボックスパスタを買い、部屋で食べて寝る。長い一日だった。

バーフ

以下、4月に書きかけた日記。

各方面から『バーフバリ』を勧められるので密林で観てみるも、タイムリミットを設定することも資源的限界を設定することもなく、最強の人がただ最強であり続けるだけで、何の葛藤もない。何も感じないから怒りさえ覚えない。「実写版『ドラゴンボール』の方がマシ」と思う日が来るとは思わなかった。さすがにこれを面白いと思うのはインドを馬鹿にしすぎではなかろうか。よかったのは建築のCGと父バリ雄の奥さんかな。無能な統治者による民主制よりも、有能な王による君主制のほうがマシ、とはよくいうが、21世紀の現在、このように非の打ちどころのない君主が腐敗した王権を打ち倒すという物語を多くの人がありがたがっているという現象を、どのように捉えるべきだろうか。

光の想い出

私の住むマンションの一室は、玄関の覗き穴から光が入って、ピンホールカメラよろしく、その向かい側の壁に小さく景色が映る。そんなに大きくないので「景色」とは言い過ぎなのだけれど、トイレに行く時などに通りかかると、なんともそれが美しく思える。うちには悲しいほど実用的なものしかなくて、光を美しいと感じる瞬間などほとんどないのだが、ふと思えば、子供の頃はマンション住まいだったにも関わらず夜中寝そべって天井に映る街灯の光などを眺めながら、その日にあったことや覚えたことを振り返ったものだった。あの時間の贅沢さは今の生活からは失われてしまっているが、パリの寮でもカーテンの隙間から差し込む光が妙に美しく思えたことがあって、少年の頃を思い出しながら眠りに落ちるまで見つめていた。
スイスの友達の住む伝統家屋風の家には、窓際に風鈴のような形状のオブジェが吊るしてあって、模様こそないものの、そこから差し込んだ光が机の上などに色のスペクトルを作り出して、心洗われる気持ちがする。パリの友人宅には、天井から手作りのモビールがぶら下がり、壁には同じく手作りのシェードがついた照明が取り付けられていて、至るところに光と影の楽しみがあった。こんなことを思い出したのも、『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』の趣味の物に溢れたインテリア・セットを見たからであろう。どうして我が家にはそのような楽しみがないのだろう。趣味より実用を優先してしまう私の性格が悪いのだろうか。何かを置きたくなるような家に住んでいないのがいけないのかもしれないが、いまだに「雑貨」なるカテゴリーが理解できない私がきっと悪いのだろう。光を楽しむ余裕がいつかできればよいなと思いながら、今日もパソコンに向かい続けるのであった。

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