20221126

12月の香りがする……。

20221125

久しぶりに料理でもするかと思って鍋を作り、さあ味見するかと思ったら謎の酸味がする。一瞬頭がパニックになり、よく考えてみると味醂と間違えて酢を投入していたことに気づく。軌道修正しないとと思って砂糖を入れ「甘酢風だ!」と意気込んだが後の祭り。「味は栄養のおまけだ」と頭に言い聞かせながら無言でかきこんだ。
味醂と酢を間違えたのはこれで3回目で、シャンプー無限ループ問題よりこっちのほうが深刻かもしれない。でも、千鳥酢って瓶の形も色も味醂と似てるんだよ……。

Tomber par terre

パリにいた頃から、私の目の前で人が転ぶ現象に苛まれている。道を歩いていて「あ、この人転ぶなあ」と思うと見事に転ぶのである。躓いて転ぶというよりもふらふらーっとして倒れる感じに近く、ひどい時は毎日のようにそういうことがあった。わかる時はこちらも身構えて助けようとするのだけれど、一度リヨンの地下鉄のホームですぐ前を歩いていた巨漢のマダムがこちらに倒れてきた時は、支えようとして右腕の腱が伸びてしまった。
日本に帰ってきてもそれが続いている。早朝に赤ら顔で自転車を押しながら生垣に突っ込むおじさん、大量のビール瓶を運ぶ自転車をこぎながらそのままゆっくり藪に倒れるおじさん、テニス帰りのスポーティーな格好をしているのに自転車をバランスよく漕ぎ出せず倒れ込むおじいさん。ほとんどシャマランの映画みたいなのだが、身近な人も倒れることがあって、流石に心配になってくる。
世の中倒れる人が増えているのか、私の周りだけなのか、それとも念獣とかスタンド攻撃とかそういうやつだろうか。お祓いでも行った方が良さそうだが、神主になんと伝えればいいのか……。

YUMEGIWA LAST OJISAN

私は寝言を言わない方だと思っていたのだけれど(なぜなら一度も自分の寝言を聞いたことがないから)、最近夢の中ですごく嫌な人物がいたので「オイ!」って怒ろうとしたらその声で起きた。夢と現実の境目をくぐり抜けた自分の声をはっきりと耳で聞いたのである。頭の中に視知覚というものがあるとしたら、それが夢の中の光景に実際に反応し、身体的な行動を促したということなのだろうか。
私は普段話している現場で即座に感情を表明できないことにジレンマを感じていて、後から怒りや悲しみ(主に前者だが)が込み上げてきて「あの時怒れていれば」(やっぱり前者じゃないか)と思うことも度々なのだが、現実世界でのそのようなコンプレックスが夢の中で現れているのだろうと思う。最近は夢の中で号泣することもあり、そこでは枕が腐るほど泣いていて「よかった、泣けた」と喜んでいる自分がいるのだけれど、果たして本当に寝ながら涙を流しているのかどうかはまだ確認できていない。少なくとも枕は腐っていないから号泣しているわけではないようだ。

前頭葉の機能低下についての断章

先日勉強会をやっている時、古代エジプトの星図についての発表をしていた私より10歳ぐらい下の後輩が、「本当にこんなに星が見えたんですかね?それとも目が良かったんでしょうか?」と言っていたので、「目が良かったのかもね。アフリカにもすごく目がいい人がいたりするから。ほら、オスマン・サンコンとか……。」と応えると、怪訝な顔をされた。サンコンさんはもう少し普遍的だと思っていたが、10の年齢差も超えられなかった。
去年、学生の作ってきたダイアグラムのタイトルが「雲と標高と都市」という3つの単語を繋げた構造だった。さすがに通じないだろうとは思ったが、一縷の望みを託して「これだと平松絵里の歌みたいじゃない?」と言ってしまった。1人だけ「クスッ」としていたが、あとの人は怪訝な顔をしていた。悪いのが私だということはわかる。逆に笑ったやつはどうして知っているのか問い詰めたいところである。
困るのは譬え話すら通じないことだ。私のマグカップには「スイスイスーダラダッタ」と書いてあるのだが、学生にそれを見咎められたので、「植木等だよ」と言うと、「誰ですか」と来る。「クレージーキャッツっていうのがいてさ、まあドリフの元祖みたいなもので」と言うと、「ドリフって何ですか」と。「志村けん、知らない?」と言ったら、「ああ、名前は知ってますけど…」と来た。他に喩えるものがないかと頭をフル回転したが、「モンティパイソン」は当然のごとく通じないし、不本意ながらも「ごっつ」や「笑う犬」やウッチャンがNHKでやってるコント番組などを挙げてみても全く響く気配がない。結局この問答は「ニセ明(星野源が布施明を演じてやるコント)」の喩えが一番よく通じた。忸怩たる思いである。
男性は歳をとると前頭葉が衰えてきて自分の制御が効かなくなり、駄洒落を連発してしまうという話を聞いた。私はあまり駄洒落を言わない方だと思うが(でも言っているらしい)、通じない話をしてしまうのもきっと前頭葉の衰えのせいだろう。
これを書いているうちに、「あれ、この話どこかで書いたっけ」という気がしてきた。一応過去の記事を読み直したが書いていなかったので多分大丈夫だ。その話で言うと、風呂に入っている時にシャンプーをし終わってさあ次はコンディショナーだぞ、というタイミングで「あれ、シャンプーしたっけ?」という疑念に駆られることがしばしばある。シャンプーした方に賭けてコンディショナーに移行しても良いのだが、万が一シャンプーしないまま出かけるのは嫌だから念の為もう一度シャンプーしてしまう。このまま行くと延々とシャンプーし続けることになりはしないかと、老後が不安である。

余談だが、同僚の1つ上の先輩に「先日こんな話があって、『目が良かった人もいるかもしれないね』って言っていて……」と話し始めたら、食い気味に「オスマン・サンコン」と返ってきた。その後はCDTVのモノマネで盛り上がった。同世代はいいな、と思った。