スイスの蕎麦

1月下旬
地形レリーフを見るためスイスに移動。物価が高い、早く出ないと殺される、と毎回逃げるように出国してきたが、縁あってもう6度目ぐらいか。色々裏技も覚えたので多少は節約できるようになった。いつも乗り換えをするチューリヒ駅のキッチュなカフェに親しみを覚え始めた。電車とそれを待つ人々を見ながら珈琲をすするというのはいいものである。
地形レリーフのことをスイス・ドイツ語圏の彫刻家の友人Cに話すと、技術的にも地質学的にも興味があるとのことで、調査に付き合ってくれることに。非常にありがたい。予定していたベルンとリュツェルンには行けなかったが(色々やってきたがメールの返信をくれない博物館というのは初めてだ)、ETH、ヴィンタートゥール自然史博物館、ザンクト・ガーレン自然博物館を訪問。
ETHでは学芸員の方に地形レリーフ・コレクションを案内してもらい、現代のレリーフ作家の話も聞く。19世紀後半から脈々と受け継がれた大地の表象への情熱に頭が下がる。改装中の場所も特別に見せてくれた。友人は附属図書館で古い地質学書を見つけた様子で、詳しいシステムは知らないが地元の図書館と同じカードで借りれるらしい。こういう内向きだが堅固でシステマティックな利便性はいかにもスイスらしい。スイス連邦の公開地図システムなんか日本が追いつくのに何十年かかることやら。私にも地図学の本を見つけてくれて、ついでに借りてくれた。
ヴィンタートゥールの自然史博物館は子供向けの仕掛けが豊富で、さながらディズニーランドの様相を呈している。小さめの地形レリーフが立体駐車場のように下から上へ、上から下へと運ばれているのには流石に笑う。併設の美術館で図らずもA・ジャコメッティ(『家をなす2つの箱の間の1つの箱の中にいる小像』)、ゾフィー・トイバー(円と半円のコンポジションから成るレリーフ)、マックス・ビルの作品を見ることができた。ビルはここヴィンタートゥールの生まれらしく、ミュージアム・ショップにも分厚い図録が置いてあった。それにしてもこの美術館には監視員がほとんどいない。あるのは監視カメラだけ。本当に大丈夫なのか。
ザンクト・ガーレンの新しい自然博物館は巨大な地形レリーフが呼び物だが、CのパートナーAが仕事で関わっていて、「最後のレリーフ職人」とも呼ばれるレリーフ作家の方とも関わりがあったという。地元のことなら彼らに聞けば大体つながるというのがなんとも恐ろしい。全く何から何まで世話になった。
今年はヨーロッパも暖冬で、ここ東スイスも普段は雪景色だが今回はほとんど雪がない。「まったく春みたいだ」と言っていたところ、ある日暴風とともに吹雪がやってきて、あっという間に一面真っ白に。風で庭の椅子が吹き飛ばされ坂を転げ落ちていってしまい、私が驚いていると、よくあることなのか友人は笑っていた。雪の止んだ頃外に出てみれば膝まで埋まるような積もり方。しかし「雪よりも風の方がこの家には致命的なんだよ」とC。200年以上前に建てられたこの家は確かに隙間風がすごい。
スイスを発つ間際、別の友人Fがピッツォッケリ(Pizzoccheri)というスイス・イタリア語圏の蕎麦パスタを作ってくれた。ヨーロッパで蕎麦の麺を食べたのは初めてだ。蕎麦粉は挽きぐるみで随分黒く、きしめん状の平打ちだが麺は短い。スイス・チャード、にんじん、玉ねぎやらと一緒にりんごを和えるのが典型的だそう。
最終日、一人で先に街に出て古本屋を覗くことにするが、隣の酪農家が飼っている犬に吠え立てられる。いつも100mも先から吠えて近寄ってくるこの犬のことを忘れていた。しかしまあ噛まれることはないだろうと高をくくりつつも若干小走りで切り抜けたが、後から聞いたところでは何度か通行人を噛んだらしく、それ以来誰もこの道を通らなくなったという。小走りしておいてよかった。古本屋ではまさにETHで借りた本が売っていたので、これも縁だとご購入。もうこの街で最後の古本屋になってしまったらしいが、お金があったら買い占めたい本がずらっと並んでいる。

1月末日
友人CとAと一緒にパリに戻る。彼らはそもそも私に会いにパリに来る筈だったのだが、私が予定を前倒しして逆にスイスに来てしまったので、結局ただの休暇になった。パリはいつの間にかストライキが終わっている。彼らのリクエストでグラン・パレのエル・グレコ展、マイヨール美術館の素朴派展などを一緒に見る。最終日は共通のフランス語の先生であり私がフランスで間借りしているBBとその友人BPと一緒に5人でお茶。Aがプレゼントにミモザをあげていて、BBが非常に喜んでいた。この時期南仏でよく咲くらしい。

Cは近所の大工の友人に手伝ってもらって、自分で床下の梁を張り替えるらしい。

スーパーに置いてある、パイナップルを入れると20秒で剥いてくれる機械。

ザンクト・ガーレン自然博物館。