「神の使い」は私にやって来るか

フランスの正月はどうしたって正月感に欠けるので、大晦日の夜にYouTubeで適当にお笑いを見ただけで仕事を始めてしまった。年末からのひどい嵐で外にも出たくないし本読みをして過ごす。おかげでポテチが進んでしまった。2日にはフラ語の授業に顔を出してみたが、妻とセルビア人(正教徒だから正月はまだ)と私の3人だけしかいなかった。街は観光客だらけだし、市場もないし、図書館も開いてないし、なんというかもう、早く過ぎろとしか思わない。

年末、スイスの友達カップルがやってくる。イギリスに石灰の砂丘を見に行く途中でパリに寄ってくれた。またもや色々お土産を持ってきてくれて、私には地元の伝説的な古本屋さんについての本をくれた。彼女の働いてる事務所でデザインしたものだが、ずっと探していたので非常にありがたい。

何ヶ月かぶりに、そして年明け一発目に見に行った映画はモンテイロの『神の結婚』。トランクに札束を詰めた「神の使い」の出現によって一夜にして大富豪になった元アイスクリーム売りの老人のビュルレスク。セリフが古典の引用と淫語ばかりなので字幕が読めずに困ったが(あとで調べたら「陰毛」とかそんなのばっかり)、それでも美しすぎる光と滑稽な言動、惜しげもなく見せられる乳房とじいさんの裸体で、滅入りがちだった気分も一気に晴れる。ひょっとしたらモンテイロと一緒に映画は死んでしまったのかもしれないと思わされるほど美しかった。少なくともモンテイロは映画と一緒に心中したのだろう。やってることは高尚なバカ殿みたいなものなのだけれど。絶望から救うことができるのは諧謔精神だけである。