日本にいると日付ベースで書くことは特に無い。
コメダと実家を往復しながら仕事と渡仏の準備を進める。
以下、この間に見た映画。
エルンスト・ルビッチ『モンテカルロ Monte Carlo』(1930)
合唱で始まる結婚セレモニー、城から一人一人出てきて橋を渡っているうちに土砂降りになり、つるつる滑りながら橋を渡り始めるところから含み笑いを積み上げていく流石のルビッチ。時の経過を見せるためにただ時計を移せばいいところを、時刻ごとに違う楽器を持った人形が出てきてテーマ曲を演奏する。脱帽。
サミュエル・フラー『殺人地帯U・S・A Underworld U.S.A.』(1961)
フラーが自分は嫌いだという復讐ものだが、父親を殺したマフィアの人間を一人一人血祭りに上げるためにマフィアに潜入しのし上がっていくところまでは一息もつかせない。こんな説得力のあるマフィア像を書けるのは少年の頃から新聞社で働いていたからか。マフィアの使いっ走りが子供を平気で轢き殺すところには何の感傷も無く、ただマフィアとはそういうものだと言うばかりだ。
サミュエル・フラー『クリムゾン・キモノ The Crimson Kimono』(1959)
ある事件の関係者である白人女性を白人刑事が好きになるが、彼の友人であり相棒であるところの日系二世の青年もその女性を好きになってしまい、あろうことか日系二世の青年のほうが彼女をものにしてしまうという話。差別に対するフラーの一撃。日本語の演技とその編集がうまくいっていないので会話の間がぶち切られていたり、日本人的にはちょっと微妙な気持ちになる映画なのだが、日系二世の刑事が弾く「赤とんぼ」には心揺さぶられるものがあった。
サシャ・ギトリ『夢を見ましょう Faison un rêve』(1936)
サシャ・ギトリ『デジレ Désiré』(1937)
サシャ・ギトリ『あなたの目になりたい Donne-moi tes yeux』(1943)
アンスティチュ・フランセでの特集で、3本立て続けに。トリュフォーが真似したのがよくわかるが、感傷的なところは全く無いし俳優としても作家としても女好きとしてもタマが違いすぎる。
他に、
ロバート・ロッセン『ジョニー・オクロック Johnny O’Clock』(1947)
ドン・シーゲル『突破口! Charley Varrick』(1973)
ドン・シーゲル『ボディー・スナッチャー/恐怖の街』(1956)
鈴木清順『殺しの烙印』(1967)