サントル・ポンピドゥーのマグリット展、ロシア現代美術展を見る。
マグリットは8年ほど前にミランでの回顧展に出くわしたのだが、それがとてもよく構成されていたことが印象に残っている。彼の方法論を分類してひとつひとつの方法ごとにセクションを区切り、そこに作品を組織して配置していた。初めてまとまった作品群を見たこともありとても刺激的だったのだが、ベルギーのマグリット美術館(王立美術館の一部)で見ても、今回の展示で見てもどうもしっくりこない。いつも通りここの展示は建物といい照明といい配置といい観客の多さといいよろしくないのだが、構成のせいなのか、環境のせいなのか、はたまた8年前の自分が若かったせいなのか、あまり琴線に触れるものがなかった。シュルレアリストの中では一番軽さがあって唯一好きだと思っている、あるいは思っていたのだが(アルプは除く)。なんだか偉大な画家として扱われる風潮も少し可哀想だと思うし、絵が上手い/下手みたいな観点で見られて批判されているのを目にすると、それもお門違いだなと思う。なぜかシュルレアリストはフランスでは過剰に持ち上げられていて、人気があるのか知らないが、古本屋や古本サロンでも特別扱いされている。しかし価値をちゃんと理解されているともあまり思えず(まあ本屋はビジネスなのだからしょうがないが)、誰かがちゃんと擁護するべきだと思うが私もそこまで熱狂的ではないので手は出さない。
ロシア現代美術展は「政治と芸術」というタイトルもしくは宣伝文句がつけられていて、説明書きを読むとロトチェンコやリシツキーの名前があったから覗いてみたのだが、いわゆる「現代美術」しかなかった。「政治的困難」がひとつの特産品、専売特許である現代の彼の国の美術は、中国のそれと同じように陳腐な常套句化してしまっており面白いものは見出せなかった。フランス人の友人はひとつだけ面白い作家がいたとは言っていたが。
シネマテーク病を治さなければと思いながらジョゼフ・フォン・スタンバーグの回顧上映に断続的に通ってしまう。彼の黒白の画面の作り方、とりわけ祝祭を撮るときの手腕は心洗われるものがあり、なかでも『上海ジェスチャー』はグリフィスばりの賭場の舞台美術、エキストラの動かし方、ウォルター・ヒューストンとオナ・マンソンへの演出など素晴らしかったのだが、その後に見たジョン・フォードの1本で完全に頬を殴られたかのように正気に戻る。川辺で釣りをする黒人とその横に佇む白人老人、その冒頭の1ショットから既にジョン・フォード。他の幾多の映画ももちろん素晴らしいのだがフォード、ルノワール、小津の3人の映画を繰り返し見ているだけで人生満ち足りるとふと口走りたい衝動に駆られる。
ジャック・ターナー『Griffe du passé(過去を逃れて)』
成瀬巳喜男『Frère et sœur(あにいもうと)』
フォン・スタンバーグ『La femme et le pantin(西班牙協奏曲)』
フォン・スタンバーグ『Le Calvaire de Lena』断片
フォン・スタンバーグ『The Salvation Hunters(救ひを求むる人々』
フォン・スタンバーグ『I Claudius』未完
フォン・スタンバーグ『Shanghai Gesture(上海ジェスチャー)』
ジョン・フォード『Le soleil brille pour tout le monde(太陽は光輝く)』
9日、マレ=ステヴァン(ス)設計の集合住宅(14区)の特別公開に参加する。本当は欧州文化財の日に見られるはずだったのだが、情報の不行き届きのためインターネット予約が必要なことが周知されず、見られないことを知った訪問客が半暴動状態になったため、仕方なく現在の住人の方が特別に再訪問の機会を作ってくれた。2部屋見せてもらったが、その一つは家具がかなり良い状態で残されていて、やはりラ・クロワのカヴロワ邸の修復は考古学的水準にあったと言えどもオリジナルとして見ることは不可能だったと悟る。マレ=ステヴァンス通りの彫刻家のアトリエは素晴らしかっただけに、残されている建物が少ないのは我々にとって残念だと言うほかない。おそらくル・コルビュジエ礼賛一辺倒の言説は少なからず覆されたと思えるのだが。