10月某日 台湾日記2

朝8時頃に起きて身支度を済ませ、チェックアウトをする。時差のおかげで1時間余計に寝られた気分になる。出発ロビーまで降りると当たり前のことだが人でごった返しており、昨夜の静けさが嘘のようであった。
台湾版Suicaと言えるEasyCardを購入。MRTで台北車站に移動する。車窓に見える南国の植生をヨーロッパのそれと比較しながらフンボルトの言っていたことの意味を考えたり、点在する溜池のようなものが何であるのかを推測したり、妙に勾配のある高速道路や日本名がつけられた高層マンションなどを眺めているうちに台北に着いた。
民権西路駅のホテルに荷物を預けに行く。小雨が降っているので交差点にある歩道橋の軒下や、ポルティコ状の歩道が大変ありがたい。後者は日差しや降雨を避けるために意図的に作られたのだろうが、前者のような何気ない雨宿りアフォーダンスも見逃してはならないと思う。歩道のレベルが一様でないのはご愛嬌であるが。
「とりあえず腹拵え」と隣駅双連にある朝市に向かう。朝からかなりの盛況で、肉を捌くエキゾチックな匂いと喧騒に慄きながら、自分の食べられそうなものを探す。昔、台湾素食店のマダムが「日本は野菜の種類が少ない」と言っていて、その時は「そうか?」と思っていたが、確かにかなりの種類の青果が並んでいる。青菜など、同じようなものが無数にあり、興味深い。ほぼ唯一と言っていい素食の屋台で粽を買って、隣の公園で食べる。
腹も膨れたので、いざ出陣、と士林に移動し、台北市立美術館に向かう。言わずもがな、目的は「一一重構 楊徳昌 / A One & A Two Edward Yang Retrospective」展である。途中、『ヤンヤン 夏の想い出』の舞台である圓山大飯店が見え、否が応でも気分は上がる。
ここで見たことを書き始めるとノート数十ページ分にもなるので圧縮するが、展示は卒業アルバムなどの実物を埋め込んだ年表から始まり、映像インスタレーションの部屋を抜けると、いきなり『牯嶺街少年殺人事件』の展示へ。目の前にあるのは撮影風景を収めたスチール写真帖。近づいてみると、制服姿のリサ・ヤンがカメラに向かって微笑む写真が貼られている。これを見た瞬間、台湾まで来て良かったと思う。さらに、その写真帖を全ページスキャンしたスライドショーが設置されており、オフショットでくつろぐ撮影クルーの姿が次々と開示される。こんなものはまず日本では拝めなかったので、至福に包まれる。
張震演じる小四の3人の姉妹まで細かく服装の指示を入れたスケッチ。『牯嶺街』の原案となった映画・演劇の脚本。人物相関図や「順場表」などの設定資料。小道具やヤンのレコード・コレクション。『牯嶺街』だけでもこれだけの密度の展示が展開される。全仕事を網羅し、映画遺作となった『ヤンヤン』、3Dアニメーション『追風』まで濃密な展示を見ていくと、4、5時間は経っていた。日本なら多分クロサワが死んだ時だってこんな規模の展示はしなかっただろう。
白眉だったのは、魏徳聖(『海角七号』『セデック・バレ』監督)による37分にもわたるヤンのインタビュー映像である。『指望』から『台北ストーリー』までの作品について語り下ろしたものだが、台北の社会地理、商業主義が支配的になりつつある現代の経済、儒教社会の脆弱さなどについて鋭い分析をしていく彼の姿は、まるで社会学者のようであった。ここまで理知的でありながら、人間を信じ続けた芸術家はいただろうか。何十年分かの宿題をもらった一日であった。

10月某日 台湾日記1

午前中まで毎日型授業の最終講評を行い、午後に貴重書閲覧会を行なったその足で成田空港に向かって台北行きの飛行機に乗る。台湾桃園国際空港に到着したのは現地時間の深夜3時だった。peachという航空会社は機内持込手荷物まできっちり計量するがめつさで、チェックイン時だけでなく搭乗時まで係員が計量をしており、保安検査場通過後の免税品店でお土産を買い込んだ台湾人観光客が苛められていた。そのような光景はヨーロッパでは見たことがないので、同胞人の融通の利かない正確さに気の滅入る思いがする。
そのこととは関係がないが、学校を出て台湾に着くまではひたすら気持ちが沈んでいた。また言葉の通じない国に行くことに気が進まないからなのか、前回の渡航で感じた言いようのない虚しさが蘇るからなのか、自分で航空券を取っておきながら「家に帰って寝たいな」という思いが募る。20代の頃は「行ってみたい」「行ってみれば何とかなるでしょう」という無謀な楽観視だけで旅行していたのだなと改めて思う。そんな感傷に浸りつつも、残務処理をしているうちに機体は台湾に到着してしまった。
異国に着いてしまえば乗り越えなければならない障害が次々に襲ってくるし、できるだけ旅行に来た価値を高めなければならないという貧乏性も持ち合わせているので、すぐに現実主義モードに切り替わる。我が身の凡庸さを嘆く。現に、深夜3時の空港で、カプセルホテルのあるターミナル2に移動するためにシャトルバスを待っていたら、小型のバンに乗ったおっちゃんがやってきて、「ターミナル2だろ?乗れ!」(雰囲気訳)と手招きしてきて、乗るかどうか決断を迫られる。どうみてもぼったくりとしか思えないので躊躇していたら、後ろに並んでいた日本人女性3人組の1人が中国語を流暢に話し、同行者に「お金は取らないから乗れってさ」と言っているので、ままよ、と思ってバンに乗り込む。彼女と運ちゃんの話を聞いていると、どうやら今日は利用客が異常に多いらしく、正規のバスでは間に合わないのでおっちゃんが動員され、小型のバンで一日中ターミナル間を往復する羽目になっているらしい。疑って悪かったよ、おっちゃん。台湾はそういう熱い国だった。
ターミナル2に着き、無人の空港をさらに無人の方向へと歩いていくと、ビバーク組が横たわっている5階フードコートの一角に、件のカプセルホテルはあった。騒音を立てないよう慎重に動いて着替えをし、眠りに就く。

20231202

AIがすごいのではなくて、人間の目が衰えているだけだと思います。