朝からアール・ヌーヴォー建築巡りの続き。ルイーズ地区からはじめる。なんといっても最初はオトレ邸(Hôtel Otlet 1894–1898)から始める。オクターヴ・ファン・レイセルベルグ(Octave van Rysselberghe)の設計で、インテリアはアンリ・ヴァン・ド・ヴェルド(Henri Van de Velde)。中には遺族か誰かが済んでいるので入れない。余り観光客は来なさそうなこの家を外からパシャパシャと写真を撮る。「AVOCATS / AVOCATEN」と書いてある札が取り付けられていることから、遺族も弁護士なのかもしれないし、ポール・オトレのものが残されているのかもしれない(だとしたら紛らわしいが)。
オトレ邸
ポール・アンカール自邸(Personal House of Paul Hankar, 1893)などを見ながら10分ほど歩くと、もうひとつのT. v. RysselbergheとH. V. d. Veldeによる建物、ドゥ・ブルッケール邸(Hôtel De Brouckère, 1896)に出くわす。外見は似ている。
アンカール自邸
ドゥ・ブルッケール自邸
ルイーズ通りを渡り、公園のようなものに行き当たる。しばらく歩くと市が立っていた。まだこの頃はフランス語に自信が無く、当たって砕けろ的な勇気も無かったのでじろじろと見ながら3往復する。
再びルイーズ通りに戻り、オルタのソルヴェイ邸(Hôtel Solvay, 1895–1898)へ。オトレとも関係があった化学者エルネスト・ソルヴェイの、甥アルマン・ソルヴェイの家。この辺りでは一番豪華。
ソルヴェイ邸
途中で通った、シェフらしき人が店頭で赤子と戯れていたレストランで昼食。手巻きピタみたいなランチ。その後、ヴィクトル・ブルジョワの世界都市計画の資料を貰おうと思ってアポなしで近代建築アルシーヴ(Archive d’Architecture Moderne, 以下aam)に行ってみる。とりあえずはミュゼがあるので入ってみると、ナポレオンのエジプト記が置いてあるし、それに影響を受けたかどうか、エジプトの建築や、太陽と月を配置した会議場などの展示がされている。何かと思えば、フリーメーソン建築の歴史展らしい。フリーメーソンが実態として何だったのかは知らず、それがエジプト信仰にある起源をもち、それが形としてこうやってまとまって提示されていることに、大きな衝撃を受けた。このミュゼの建物も関係あるらしい。
フリーメーソンのシンボル?
フリーメーソンの寺院
隣にBibliothèqueがあるみたいなので行ってみる。本屋があるので入ってみると、建築関係の本屋。安藤忠雄のごっつい本と、アルバースとモホイ・ナジを比較した本なんかが売っていた。玄関ホールに受付があるので「Libraryはどこか」と聞いてみると、本屋を差した。Library(Librairie)とBibliothèqueは違うものを指すらしい。で、「Bibliothèqueはどこか」と聞いてみると、今日は休みだから明日来い、と言われる。
まあしょうがないかと思って再びアール・ヌーヴォー巡りをしようとステファニー広場まで戻り、クノップフのアトリエの前を通ってミュゼ・オルタ(Musèe Horta, 1898–1901)へ。また吹き抜けの螺旋階段から天窓にかけてが美しい。非常に豪華な建物。内部の写真撮影は禁止。やはりこの人はジャポニズムの人なのか、中には日本趣味のものが置かれていたりした。
ミュゼ・オルタ
ミュゼ・オルタを出てステファニー広場から伸びているChausèe de Charleroiへ戻る。夕焼けに黒く映えるトラムの電線の網が美しい。アノン邸(Hôtel Hannon)という建物が近くにあり、見学可能な様なので呼び鈴を慣らすと気の良さそうなマダムが入れてくれた。全く期待していなかったがいい建物だった。中はギャラリーにもなっていて、写真展がやっていた。
アノン邸(外観をデジカメで撮るのを忘れた)
アノン邸ホール
日も暮れてきたので駆け足でこの近辺の建築を廻る。昨日行ったHenri JacobsのMunicipal School No.4やアンカールの建物などを見て回る。途中で色々話しかけられるが基本的にはコミュニケーション遮断。
メトロでホテルに帰って夕食のサラダを食べて、復元作業をしながら寝る。スプーンなどを貰うのを忘れて、めんどくさいので手で掴んで食べた。
Worker’s dwellings by Henri Jacobs
夕食