帰ったら中日が優勝してた。
一日早いよ!
というわけで、無事に帰国致しました。
月別アーカイブ: 2006年10月
10/7, 8, 9 ラストスパート
10/7
朝、ホテル隣りのコインランドリーで洗濯。その間、向かいのパン屋でほうれん草のキッシュを買い、部屋に帰って食べる。例のごとく美味。
実はもうパリで最低限やらなければならないことは済ませてしまったので、とりあえず新凱旋門グランダルシュに登る。ガラス張りの球体エレベーターで登ると、展望台のあるフロアへ。展望台は遠くしか見えないのでイマイチだったが、旧凱旋門まで一直線に伸びる道を目の当たりにできるので、それはそれで良し。
RERなどで凱旋門まで行く。面白くも何ともないシャンゼリゼ大通りを歩いてルーヴル近辺まで行く。途中でトリュフォー「緑色の部屋」のナタリー・バイが主演の映画「LA CALIFORNIE」の告知を見つける。大御所になってるようだ。
ルーヴル博物館は土曜日のせいかピラミッドの外にも行列。この近辺を歩くと日本人のおじさんおばさんが大挙をなしている。こういう時はなぜか嫌気がさすし、そもそも入る気がなかったので、ルーヴルはパス。
パレ・ロワイヤルを通ってギャルリー・ヴィヴィエンヌへ行き、TCを崩しにオペラまで行く。途中、ラーメン屋を見つけたので試しに入る。その名は「SATOSHI」。店員は案の定日本人ではない。「鴨ラーメン」を頼んで待っていると、日本人のおじさんが3人で入ってきたが、フランス語がわからなくて面食らっていた。ラーメンは割とうまい。近くで沖縄料理屋を見つけたが、看板の「にほんりょうり」が「しこほんりより」になっていた。明らかに日本人ではない。再びギャルリー・ヴィヴィエンヌへ行き、老舗のヴァン・カーヴでお土産のワインを買う。
歩いてサン・ジェルマン・デ・プレ近辺へ行き、映画関係の古本屋で本やポスターを漁るが、めぼしいはなし。その後歩いていると、セーヌ川沿いの古本市(ブキニスト)に出くわす。見れば、ずっと欲しかった博物誌のページがばらして一枚一枚売られている。しかし何しろ店が多いので、しばらく見て歩く。15世紀のマニュスクリプトや楽譜なんかも平気で野ざらしで売られている。1時間程見て回った後、向かいに店舗があるのを発見し、入ってみる。無知でもともと、「ビュフォンはありますか?」と聞くと、「ビュフォンは無いけど19世紀の博物誌ならあるよ」とおばあさんが。「昆虫がほしいです」と言うと、いくつかの束を見せてくれたので、しばしそれを見つめ、興奮する。見上げれば、18世紀の星図や、パリの発展がよくわかる6枚の地図などがある。知的興奮で恍惚し、しばらく見ふけった後、2枚の昆虫を買うことにする。おばあさんは「ほら、あなたの昆虫よ!」と言って渡してくれた。近くには「SHAKESPEARE AND COMPANY」など、やたらと古い本屋がたくさん。パリ楽しい。
夜は「Paris, Je t’aime」というオムニバス映画を見る。パリ20区を20人の監督が5分ずつ撮ったもので、こういうオムニバス系の中ではかなりよかった。太ったジェラール・ドパルデューと、ジーナ・ローランズ、ベン・ギャザラや、ジュリエット・ビノシュ、ファニー・アルダンら老優たちからウィレム・デフォー、ナタリー・ポートマンまで豪華なキャスト。存じ上げなかったが諏訪敦彦という日本人監督も変だが面白いのを撮っていた。有名どころではアサイヤスやガス・ヴァン・サント、コーエン兄弟など。
その後、フォーロム・デ・アールの近くを通りがかると、何やらアフリカ系の人たちが太鼓や笛を持って騒ぎ始めた。だんだんエスカレートして、周りの人もたくさん巻き込んで、盛り上がった。苦情は出ないのか?と一瞬思うが、そんなことよりこんなゲリラ的な祭が起こるなんて、素晴らしい。しばらくの後、彼らはパレード的に観客ともどもどこかへ行進していった。
10/8
ポンピドゥーで「Le Mouvement des Images」展を見た後、ピカソ美術館へ。ピカソは教科書に載っていないような作品がたくさん見られて新鮮だった。
10/9
朝から最後のムンダネウム詣をして、ブリュッセルの駅でお土産のチョコを買い、旅程を終了する。
10/6 ロンシャンのノートルダム・デュ・オー
まだ暗い5時頃に目覚め、シャワーも浴びること無く駅へ向かう。始発、確か6時40分ぐらいだったと思うが、それに該当する、照明もまだ点いていない電車に乗り込む。定時が来ると列車は発車し始める。車掌が改札に来る。僕の記憶では、彼は昨日の特急電車の車掌と同じだったような気がするのだが、彼は全く気にしていなかったので、違うのかもしれない。同じような口ひげを蓄えていた。9時頃にブザンソンに戻り、坂を降りる。昨日泥水を吐き出していた彫刻は、今日はおとなしい。ホテルに向かう途中、広場に市が立っていた。僕はひとまずホテルに戻り、何のおとがめも無く部屋の鍵を貰い、昨日のチェックイン時と何も変わっていない、片隅にスーツケースがただ佇んでいるだけの部屋に戻り、漸く荷物をほどき、風呂に入る。フリーインターネットらしく、なんとか無線でつながったので、日記を書き、すぐに荷造りしてチェックアウトを済ませる。先ほどの市に行き、チーズを売っているところがあったので、コンテチーズをくれ、と言うと、お兄さんがものものしい包丁を取り出して、産地の説明をしながら一部を削ぎ、味見をさせてくれる。何種類かくれたので、その中で一番おいしかったやつを頼むと、包丁をホールのチーズにあてがい、それに書かれた目盛りの上で、何目盛り分かを訊いて来る。これぞフランスと思いながら、一人なので一目盛り分を貰う。一目盛りでもかなり多いが、これで三百円とかだから、チーズ好きなら夢の国であろう。別の店でもうひとつジュラのチーズを買い、今度は酒屋でお土産のヴァン・ジョーヌ(vin jaune、サヴァニャン種という葡萄を使って6年以上熟成させた黄色いワイン)を探す。「ヴァン・ジョーヌはありますか?」と訊くと、おばさんが棚のひとつを指し、三種類あるがどれがいいかと訊いて来る。僕はよくわからないでその表示を読んでいたら、もうひとりのおじさんが来て、「こっちのほうがいいよ。この表示わかる?飲んだことある?初めてこっちのほうがいいな」と薦めてくれる。「これおいしい?」と訊くと、「もちろんだよ」と言うので、そっちにする。確かそっちの方が生産年が古かったと思う。
そのまま坂を登って駅に行き、切符売り場へ。「ブザンソンからリュール(Lure)までと、ロンシャンからパリまでをください」と言うと、「あなたはル・コルビュジエを見に行くのね」と。「そうそう」と談笑しながら切符を買い、列車に乗り込む。リュールへはベルフォールで乗り換えて行く。この辺りの山々の岩は白く、まさに恐竜が出てきそうな場所。「岩にアウラがある」(今回の口癖)と思いながら列車に揺られる。ブザンソンからは2時間ぐらい。列車はやたらと旅行客でごった返していた。しかしリュールに着くと、降りるのはほんの数名。
駅を出て、タクシーは無いかと探すと、駐車待ちをしているタクシーが近づいてくるので、まわりこんでそのおじさんに「ノートルダム・デュ・オーまで行きたいんですが」というと、「ちょっと待って」と駐車スペースの空きを待って、車を駐車する。荷物をトランクに入れてくれて、「ノートルダム・デュ・オーか?」と訊くのでそうだと言うと、「ノートルダム・デュ・オー!ル・コルビュジエー!」と言うので笑う。「いくらですか?」と訊くと、「21ユーロかな」と言うので、大体聞いていたような値段なのでボッタクリではないと思いOKし、乗せてもらう。5分ほど走ると運転手のおじさんが「あれだよ!」と山の上を指差す。「あの白いやつさ!」と言うので見てみると、山のてっぺんとは行かないまでも、ほぼ頭頂部に近いところに真っ白い建物がある。あんな高地にあるとは知らなかった。その後5分ほど山道を登ると、教会の入口に着く。おじさんは名刺をくれて、「ここにはタクシーは来ないから、帰るときは受付のおばさんにこれを渡しな。そうしたらおばさんが俺に電話をしてくれるから。」と言う。ありがとうと言い、おじさんと別れる。
受付に行ったが誰もいなくて、「すいませーん」と2回ぐらい叫ぶとおばさんが出てきた。入場料を払い、荷物をおばさんの控え室に置かせてもらって、いざ参拝。坂道を登るとすぐにあの屋根が垣越しに見える。さらに登ると、かの窓々が並ぶ面に。右に歩くと正面に出る。ふと後ろを振り返れば、別の棟の向こう、遥か遠くに町並みが。その小ささからここの高さがよくわかる。教会の右側に回り込むと、十字架や演説台?のある面に。知らなかったのだが、背後にはジッグラト風のものがある。建物の裏側に行くと、内部に入る入口がある。中に入ると、たくさんの蝋燭が灯った祭壇が左手にあり、正面には長椅子が並んでおり、その上には色とりどりの窓が。向かって右側に歩くと、一本の蝋燭が灯った台に、天窓から間接的に光が。後ろにはもう一つ。懺悔室のようなものも二つ。祭壇の左手の階段の後ろには同様に蝋燭が一本灯った台に、天窓から赤い窓を通った赤い光が。入って正面の窓々には「La Mer」や「Marie」などの文字や月などの絵が。ちなみに中は撮影禁止。しばらく堪能した後建物の外に出て、来た方と反対側に回り込むと、半分に割れた円錐や、斜めに切れた円筒状のものが。何かと思えば、上部に雨水などを落とす口が。その背後には三つの鐘があり、その近くには墓のようなものがひとつ。その後はもう1週建物を廻り、管理棟に戻る。中にはコルビュジエが再建する前の教会の写真や現教会の模型、コルビュジエの本などがあり、セルフサービスのショコラを飲みながらそれらをしばらく眺める。そろそろ帰ろうかと、タクシーを呼ぶ電話をしてもらうと、17時まではタクシー会社に人がいないらしい。歩いてロンシャン駅まで行けるかと聞くと、来た山道を歩いて降り、降りきったら右に曲がれば駅があるという。しょうがないので重たいスーツケースを転がしながら山道を降りる。途中には放棄された教会らしき建物と家が数件ある以外は何も無い。
下の道に降り、右に曲がって5分ほど歩くと駅の標識を確認したので、山道の出口付近にあった店に戻って昼食をとることにする。さびれたホテルに付属したレストランで、入っておばさんに何か食べたいのだが、というと今はタルトしか無いと言う。周りには何も無いし、背に腹は代えられないのでタルトとカフェを注文する。しばらくすると持ってきてくれて、食べると結構うまかった。おばさんは何やら若い女の子とカウンターで喋っていて、たまに地元のお客さんが来ていた。何しろ電車の時間まで1時間半近くあるので、ガイドブックでも読みながら時を過ごしていると、おばさんがこっちに来て「あなた英語はわかる?」と(フランス語で)言う。まあ少しは、と言うと、こっちに来てと言うので行ってみると、どうやらさっきの若い女の子の英語の宿題を二人でやっていたらしい。プリントを見ると、英語で求人情報みたいなものが5件ほど並んでおり、職種、給金、場所、会社名などを答えるというものだった。簡単なので最初は彼女が何が分からないかが分からず、「何が分からないの?」とフランス語で言ってみるが通じなかったみたい。しばらく沈黙が続いたが、まず問題の意味がわかってないみたいだ。「これは職種を訊いているんだよ」とフランス語で言うと、「ああ、そうなの!」と二人は納得したらしく、「で、この文のどれが職種なの?」と言うので「これが職種で、フランス語で言ったらこれは某だ」と言うと、「そうなの!」とわかったみたい。そうすると彼女は答えを英語でノートに書き始めるが、すぐに「これでいい?」と訊いてくるので結局全部僕が答えを言う羽目になった。こんなところでフランス人に英語をフランス語で教えるなんて変だけど、まあいい暇つぶしだからいいかと思ってしばらくつきあう。面白かったのは、おばさんが「週に30ドルなんて安いわよ!おかしくない?」と言うので「これは夏期休暇にアメリカのリゾートでやる仕事で、食事と宿泊つきだからだよ」と言ったら「ああ、それならいいわね」と納得したことだ。そのプリントを仕上げると、「今度はマット!」と笑いながら言うのでマットって何かなと思い、彼女が取り出した別のプリントを見ると、数学だった。ああ、「マット」かと見ると、またかなり簡単な、正負の不等号をつけるとか(x,y)座標を座標平面に置き直すと言った問題なので「moins」だの「plus」だのを駆使しながらそれも結局全部答える。「ありがとう!あなたやさしいわ!」なんて言うが、お前自分でやらなきゃ意味ないだろと思いながら、まあいいかと思う。おばさんが言うにはこの辺りには英語ができる人は皆無らしく、女の子が言うには働きながら勉強をしに行っているらしい。高校生にしては老けていたので、道理で、と納得する。「あなたは建築家?」と訊かれ、「デザイナーです」とか話している間に電車の時間になり、お金を払おうとすると女の子がカフェ代を出してくれた。
店を出てゴロゴロ転がしながら駅に行くと、本当に何も無い駅で、掘建て小屋が向こうとこっちのホームに一つずつと歩道橋があるだけである。フランスの国鉄では基本的に乗る前に刻印機で切符に刻印しなければならないのだが、例の黄色い刻印機が見当たらない。掘建て小屋に教会でも見かけた日本人らしき男の人がいるので「すみません、日本の方ですか?」と訊いてみると、やっぱりそうだった。話をしてみると関西弁で、神戸芸工大で建築を学んだ後、今は施工管理をしているらしいのだが、休みを取って電車旅行をしに来ているらしい。刻印しなくてもまあいいんじゃないですか、とのこと。話しているうちに2両編成のへんてこな電車がやってきたので二人で乗り込む。彼はこの後バーゼルに抜けるらしく、次の駅で降りていった。僕はVesol駅で乗り換え、パリ行きの電車に乗る。また夕焼けが美しい。日本とは空気が違うのか、雲のレイヤーが3段階ぐらいあった。かれこれ4時間ぐらいでパリのリヨン駅に着いた。
今日からパリのホテルが変わり、新凱旋門「グランド・アルシュ」があるラ・デファンス駅で降りる。オフィス街だとは聞いていたが、着いたのが23時近かったこともあり、ホテルまでの道がほぼ無人。パリに人がいないなんて信じられない(正確にはパリではない)と思い、ろくにサインも無い中、心細いながらも15分ほど歩くとホテルに着いた。夕食がまだだったのでホテルを出て周辺を見るが、そもそも人気が無い。唯一開いていたケバブ屋に入ると「チキンとラムしかないよ!」とおじさんが言うので「じゃあチキン!」と言うと、また山盛りのフレンチフライと一緒につめてくれた。「この辺にスーパーはない?」と訊くと「あるけど明日だな〜」と言う。しょうがないのでペットボトルの水を一緒に買って、ホテルに帰る。ホテルの隣にはコインランドリーがあったので、次の日にまたやってみようと思う。部屋は予期せずキチネットだった。リヨンで買った悪臭を放つチーズとワインと共に、さっきのチキンサンドをたいらげて、寝た。長い2日間だった。
10/5 悲劇その2・ルドゥーの製塩所を横目に
昨日の話になるが、朝早くパリを出て、フランシュ・コンテのブザンソンに昼頃に着き、チェックインした後、近くのアルケスナンにある、幻想建築家(?)ルドゥーの王立製塩所を見に行こうとした。すると、車掌が何やらいぶかしげに僕の切符を見ながら「パスポートを見せろ」だとか聞いてくる。何かと思えばその電車はアルケスナンには停まらず、遥か彼方のリヨンまで2時間半の直行便だと言う。呆然としていたら車掌はそのまま行ってしまった。罰金でも取られるだろうなーと思いながら、まあどうせだからリヨンを楽しむか、と思って乗っていると、晴天のリヨンに到着するまで結局車掌は帰ってこなかった。彼らは手厳しいと聞いていたが、見逃してくれたのだろうか。
まあいいや、と思って次の電車で帰ろうと思い、リヨンを観光することにする。制限時間は二時間で、その後の電車になるとブザンソンに戻るのが夜中になってしまうので、できるだけ次の電車に乗る意向。パル・デュー駅から旧市街の方まで歩き、ブションがひしめきあう中を歩き、やたらと古そうな古本屋や地図屋、リュミエール時代の映画キャメラなんてものまで売っている店などを見物しつつ、早足で観光した。電車の30分ぐらい前に駅に帰ればいいだろうと思って、予定通り着いたのだが、窓口の前にはフランス名物の長蛇の列。僕としては信じられないのだが、郵便局でも切符売り場でも、長蛇の列ができているにもかかわらず、その人数に対して開いている窓口の少なさ。窓口は多いにも関わらず、その大半はfermé(閉まっている)である。「もっと人を雇いなさいよ!あの局長はいかれてるわ!」などと叫ぶマダムがいるにもかかわらず、局員たちは雑談をしながらゆったりと、一人当たり10分ほどかけて処理をしている。僕はその電車に乗ることを諦め、まあ終電でもいいか、と思って順番を待っていたが、ようやく順番が廻ってきて、次の電車の切符をくれ、というと、「もう今日は電車はない」、と言われる。まさか、と思って時刻表を見せると、「この電車は金曜日だけだわ」とのたまう。とりあえず落ち着こうと思って駅のブラッスリーに入ってパナシェを飲みながら戦略を立てる。もう既にルドゥーなどどこかへ行ってしまっている。適当に宿を探し、始発で帰るしか道はない。この際doucheだのsalle de bainsだのは必要ないので、安宿を手元のガイドブックで探す。生憎その日はミス・リヨンみたいなイベントをやっていて、一つ目のホテルは満室であったが、なんとか二つ目のホテルに部屋を取れた。うす壁の向こうでサッカーか何かを見ながら騒ぐ声を子守唄に、23時頃眠りについた。
この行列だけは、理解できないと思った一日だった。
10/4 コルビュジエ地帯とカルチェ・ラタン
快晴。コリッシモを出すため朝9時ぐらいに郵便局に行く。朝早いからすいているかと思いきや、先々日と同様の長蛇の列。しかも今日は何やらおばさんが騒いでいる。職員控え室のようなところのドアを激しい勢いで叩き、「局長出てきなさいよ!あなた、職員が足らないのがわかっているくせにどうしてもっと雇わないのよ!頭おかしいんじゃないの!?」(少し聞き取れた単語+雰囲気訳)などとわめいている。ゆったりと作業を進める職員は何やらおばさんに冷静な口喧嘩をしかけ、うまく手綱を取っている。しばらくわめくとおばさんも怒るのをやめ、苛立たしく貧乏揺すりをしながら順番を待っている。30分ほどすると僕の番が来て、「何キロですか?」と測ってもらうと、制限ギリギリの7kg。オーバーした分を持って帰ること無く済んだ。
ホテルに一旦戻り、荷物を整理し、近くのカフェでエスプレッソを一杯やり、RERとメトロを乗り継いでBoulogne Jean Jaurès駅へ行く。コルビュジエのリプシッツ・ミスチャニノフ邸、テルニジアン邸、クック邸、ナンジュセール・エ・コリのアパートへ行くためである。駅の地図が全く無力なので、書店を探す。適当に歩くとおいしそうなパティスリー、ブーランジェリーなどが並んだ通りに出る。朝食がまだだったのでブーランジェリーに入り、長くてつぶれたチョコパンを買う。うまい。パリのパン屋最高。はす向かいぐらいに書店を見つけたので、入ってブーローニュの地図を買う。リプシッツ〜邸などを探すと、近くにあるようだ。10分ほど歩くと付近の通りに着く。実はそれらの外観を知らずに行ったので、目印は「コルビュジエっぽいか」である。すると、白無垢のアパートを見つける。最初、コルビュジエかと思ったが「ピンギュッソン」という人の建物だという立て看板があった。看板をよく見ると、地図があり、この近辺は近代建築が集まった地区のようだ。結局、目的のリプシッツ〜邸は私道に囲まれていて、ちらっと見えるだけであった。クック邸はR.FischerとMallet-Stevensの建物に挟まれていた。テルニジアン邸は見つからなかった。再び10分ほど歩いてナンジュセール・エ・コリのアパートを探す。近年完全修復が終わったらしく、ピカピカだった。はす向かいの古い建物の前で子供が4人ぐらいで遊んでおり、僕に話しかけてきて、「ムッシュー、こっちの建物はギュスタヴ某の建物だよ!!見てよ!!」と言い、聞き取れなかったが何か本を読みながら解説をしてくれた。まあいいやと思って「ありがとう。さようなら」と言うと、「さようなら!」と4人揃って挨拶してくれた。パリの子供は感じがいいな。
Michel Ange Molitor駅まで歩き、メトロに乗り、RERに乗り換えてシテ・ユニヴェルシテール駅へ。駅の目の前に国際大学都市がある。ここは財団の徳井さんが住んでいたところで、贅沢な敷地にイギリス館、メキシコ館などと国別に建物があり、その中のブラジル館とスイス館がコルビュジエによるもの。中を歩くと日本人らしき人を多く見かける。それはいいのだが、日本館のデザインが、いわゆるフランスのアパルトマンのような建物に無理矢理に瓦屋根風の屋根を乗せたような、ひどいもの。スイス館の周りをぐるっと廻った後、ブラジル館へ行き、ホールを見て、スイス館に戻り、0階と105号室を見る。中は6畳あるかないかぐらいで結構狭い。トイレが個室になっていないのは彼らは何とも思わないのか?
RERでリュクサンブール駅に行き、ブリュッセルにもパリにもいっぱいある「Quick」というハンバーガー・チェーンで「デモニアック・バーガー」なるものを食べて休憩した後、パンテオンへ。何やら睾丸のような布のアートが天井からぶらさがっている。かの有名なフーコーの振り子もある。地下に行くと共同墓地や特別展がやっていたりする。特別展はキュリー夫人の夫の展示。写真を撮っていたら「ここは写真を撮っちゃダメだ!消せ!消せ!全部消せ!」と白髪の黒人に怒られた。だったらヴィジュアル・サインぐらい作れ馬鹿。
その後は歩いて自然史博物館の進化大陳列館へ行く。新しいがここも展示の仕方がものすごい。進化の順(?)に動物が並んでいたり、剥製をピンスポで美しく照らしたり、フランスの文化力を見せつけられる。地べたに座ってデッサンをしている若者がやたらといた。
閉館までそこにいた後、歩く。アラブ世界研究所を通り、セーヌ川を渡ってバスティーユ近辺へ行き、そこから川沿いに西に歩く。
夜のセーヌ川あたりを散歩し、時間のあった映画館で「un journal de suicide」とかいう名前の映画を見て、気分を害し、メトロに乗ってホテルに帰って寝る。次の日は例のブザンソン行き、リヨンの悲劇である。
10/3 悲劇その1・リール
今日はパリからモンス・ムンダネウムに行かなければならないので、7時にホテルを出る。メトロの駅のホームに着くと、「あと何分で来る」の電光表示が消えており、ホームには人があふれている。どうやら遅延しているらしい。20分待ってようやく来たが、満員で乗れなくなり、また15分乗るのも嫌なので、RERに乗ることにする。出発から1時間ほどしてようやく北駅に着き、窓口に20分ほど並んでリール経由の切符を買おうとするが、「TGVはここじゃない」と言われる。TGVやタリスの発着するホームに行って、国際線の切符売り場じゃないとだめらしい。しょうがないのでそっちに行き、切符を頼むと「1時間後の出発で、リールにて1時間半の乗り換え待ち」だという。計算すると、モンスに着くのは13時半である。じゃあブリュッセル経由はないのか、と聞くと、ないらしい。しばし考えたがしょうがないのでそれを買う。メトロが遅れていなければちゃんと乗れたのに、と思いつつ、ショコラを飲みながら電車を待つ。
初TGVは何やら車体がきしむ音がして危うげだった。
リールはリール・ウーロップ(Europe つまり ヨーロッパ)とリール・フランドルの2つの駅があり、徒歩10分ほどで乗り換えられる。乗り換え時間が1時間半もあるので、軽く観光してついでに昼食でもとろうと歩き始める。ウーロップ駅からフランドル駅まで行くと、なにやらピストルの音が。見ると、消防士風の出で立ちをした人たちが大群でこちらに行進して来る。何かの式典のようだ。しばらくそれを見つめた後、ド・ゴール将軍広場へ。近辺を適当に見た後、あと40分ぐらいあるので昼食をとることにしてカフェに入る。また「日替わり定食」を注文し、出てくるのを待つ。しかし待てども待てども料理は来ない。まあ発車15分前に来れば何とかなるか、ぐらいの気持ちで待っていたが、それを過ぎても来ない。ようやく来たのは発車12分前である。確か牛肉のフレミッシュ・カルボナードだったと思うが、5分でかきこみ全速力でフランドル駅に戻る。電光掲示板を見ると、まだ発車前のようで、11番ホームからということを確認し、僕は確か5番か6番ホームぐらいを見て、左に残っているホームはあと5つぐらいだから、一番端のホームに停まっているあの電車に乗れば良かろうとさしてホーム番号を確認せずに電車に飛び乗った。すると、まったく人気が無い。まあ1等だからいないのだろう、2等ならいるはずだと思い、次の号車に移動してみるが、また無人である。まさか、と思ってもうひとつ次の号車に移動してみるが、やはり無人である。「あ、これはまちがえた!」と思い、急いで電車から出るドアを開けるボタンを押す。しかし、うんともすんともいわない。僕は焦って前の号車に戻り、そのドアのボタンも押してみるが同様である。気は焦る一方で、最初に入ったドアのボタンも押してみるがまた同様。1. もしかして発車する→ 2. どこか知らないところに連れて行かれる→ 3. 車掌なりなんなりに見つかる。 → 4. ろくに言葉も喋れない日本人がなぜか乗っている → 5. 罰金 or 逮捕? ここまで約1秒かからないで思考が進む。とりあえず、やばい。ボタンを連打してもまったく何も変わらない。どこかに何かは無いか、誰かいないか、と思って走って探してみると、何か貨物のようなものを載せる部屋があり、そこにガッチャンと開ける方式の手動ドアがあるのを発見した。半信半疑、神にもすがる思いでそのレバーを上にガッチャンと引き上げてみた。すると、外の光と空気が流れ込んだ。なんとか出ることができたのである。後は野となれで目的の電車のホームを探してみると、よく見えないが隣に発車位置のずれたホームが4つほどあり、その一番手前に目的の11番線があった。電車が止まっているので僕の乗りたかった電車か見てみると、もう既にその電車は行ってしまったようである。僕は肩を落として窓口まで歩き、「別の電車にしてくれ」と片言で聞くと「prochain(次の)ね」と言われる。僕はそこで「prochain」という単語を覚えた。これだけは決して忘れないだろう。
で、モンスに着いたのは結局14時30分。走ってアルシーヴに行ったが15時ちょっと前。急いで2時間調べ物とコピーをし、17時にアルシーヴは閉まり、また来た道を戻り、モンス駅からリール駅に行き、キオスクで買った、映画や演劇などのスケジュール誌(要するに「ぴあ」)「パリスコープ」を読みながら、TGVに揺られて帰るのであった。車窓から見た夕焼けが異常に綺麗だったことだけが救いであった。
夕食はテイクアウト(à emporter)の中華屋で買った焼きそばと、鶏肉のカシューナッツ炒めのようなやつ。焼きそばは日本と味が違う。
10/2 中世美術館とラ・ロシュ邸
おそらく8時頃に起きたのだと思うが、シャツが二巡して少々香ばしくなってきたので、海外で初のコインランドリーをやってみることにする。まずはコインランドリー(laverne automatique)を探すところから始めなければいけないが、小雨降る中、ハーグのスーパー「Albert Heijn」で買った買い物袋に洗濯物を山ほど詰めてAvenue de Clichyを上る。10分ほど歩くと発見した。すいていたので6.6kg用の洗濯機に荷物を入れる。フランスのコインランドリーは中央一括制御型で、洗濯機に洗濯物を入れ、洗剤を投入した後、全部の洗濯機・乾燥機をまとめて統括する機械のところにいき、お金を入れて洗濯機の番号を押すと洗濯が始まる。洗剤も同様に、中央制御装置でお金を入れてから洗剤販売機の番号を押すと、コロンと固形タイプのものがでてきた。しかし「下洗い」と「本洗い」で別々の投入口がある。洗剤は2個でてきたので、よくわからないから一個ずつ入れてみる。お金を入れて洗濯を開始する。ちなみにパリでは洗濯物を屋外に干すのが禁止らしい。
洗濯の間にとりあえず朝飯を食べることにし、近くを散歩し、パン屋を見つけ、パン・オ・ショコラとクロワッサンを買って食べる。パリのパン屋のレベル非常に高し。その後、ムンダネウムでコピーをしまくったせいでもう荷物がパンパンだったので、日本に送ろうと思い、途中で見かけた郵便局に行ってみる。郵便局に入ると、20人ぐらいが並んでいた。まあいいだろうと思って僕も列に加わるが、4つ窓口があるのに2つしか開いていない。郵便局に収まりきらないぐらい人が並んでいるのに、どうして2つは開いていないのだろうか。しかも談笑をしている。稀代な熱心な読者の方はお気づきだろうが、これは3日後の悲劇を既に予見している。フランスはうまくいっているのかいっていないのかよくわからないなあと思いながら30分ほど待つと、僕の番が来る。片言のフランス語で「コリッシモ(小包)、日本まで、XLサイズ(7kg)、ください」と言うとおばさんが赤いコリッシモの箱を持ってきてくれた。送料込みで38ユーロ。ベルギーに比べればかなり良心的。並んだ以外は思ったより苦労無く買うことができ、僕はコインランドリーに戻って洗濯物を20分乾燥機でかけ、右手に洗濯物、左手に段ボールをかかえてホテルまで帰った。
今日は寺さんおすすめの中世美術館(クリュニー)に行くことにする。RERとメトロを乗り継いでサンジェルマン・デ・プレ近辺に行き、歩いてクリュニーへ。3世紀のリュテティア共同浴場の後の建物らしく、既に建物がアウラがある。ウィリアム・モリスがパリで一番愛した美術館らしい。そう思うと感慨深いが、まず入口で切符を買い、荷物検査をした後、中に入る。部屋に入ると、ぐっと息が詰まる。暗闇の中に12世紀やら13世紀やらのキリスト、聖職者の像や首の無い石の彫刻、紋章、布切れ、タペストリーなどがピンスポットで浮かび上がっている。確かにここは「アウラがある」。何しろ凄いのが、棚の上に物を載せ、棚の両サイド下から光を真上に照らし、物の大きさと位置によって大きさと角度を調整した鏡によってその光を反射させ、物に当てているのだ。なんという原始的かつ高度な技術。後に行ったポンピドゥーなんか単なる倉庫に感じられる。美しいとはこういうことかと思う。他にもマニュスクリプトを一枚ずつばらし、一枚ずつガラスケースに入れ、その一端を蝶番によって留めることで観客が自分でめくって見られるようにした展示方法など。
クリュニーで胸いっぱいになった後、昼食を食べた(は何を食べたか覚えていないが多分食べたのだろう)後、メトロでMichel-Ange Auteilへ行き、歩いてコルビュジエのラ・ロシュ=ジャンヌレ邸を探しまわる。小雨が降っていたが傘をもっていないので結構濡れた。パリのサインは最後まで案内してくれないことが多々あり、あきらめかけたころに見つけた。開放しているのはラ・ロシュのみ。閉館時間まで見て回った。近くの総菜屋みたいなところがおいしそうだったので、思わずドライトマトのキッシュを買って食べたらうまかった。パリはうまい。日本で女の子が食べるキッシュを「おしゃれぶって」と馬鹿にしていたが、うまい。
日が暮れたので再びサンジェルマン・デ・プレ近辺に戻り、オタール・イオセリアーニ監督の「jardin en automne」を見た。言葉はあんまりわからなくても笑えた。パリの映画館は学生だと6.5ユーロ(1000円)ぐらいで、最終上映の開始時刻も22時頃、名画座もそこらじゅうにあり、犬も歩けば映画館にぶつかる状態。こんなところに住んだら仕事にならない。
10/1 初めてのパリと、サヴォア邸。
[10/22記]昨日発表が終わり、0時頃まで飲んで、先生とラーメンを食べ、帰って寝たが、暑苦しいのと「寝ているのがつまらない」という非常に希有な感情とともに4時頃目覚め、「10+1」の第1号や蓮實重彦のアジを読みながら時を過ごし、まだ社会が動き出すまでに数時間あるので旅行の日記を書いてしまおうという次第。(でかける時間になったので写真は夜アップする。)
もはやこれを書いている時点で、20日前の記憶となっているので、深い霧の中から思い出を探り当てなければならないのだが、その日は確かまだ暗い7時頃にブリュッセルはステファニー広場のホテルを出発した。ガラガラとスーツケースを引き摺りながらルイーズ駅まで行き、メトロで南駅へ。かの有名な高速鉄道タリスのチケットを買い、乗り込んだ。初めてスーツケースを車内の荷物置き場に置く機会だったので、盗まれないかと気が気ではなかったのだが、まわりの人たちも同様にしているのでまあ大丈夫なのだろうととりあえず安堵する。確かその日はボックス席で、となりにマダムと向かいに青年が座っていた記憶がある。1時間半ほどせせこましいボックス席で窓の外の豊かだが単調な田園風景を見ていると、パリ北駅に着く。H先生に「北駅は雰囲気が怖いよ」と脅されていたのだが、とりあえずホテルに行って荷物を預けるためにメトロに乗りたいのだが、北駅につながっているラ・シャペル駅への行き方が分からないし、そもそもパリの地下鉄の作法がわからない。「メトロ」と書いてある方向へ歩き、エスカレーターを降りるとそこにはGuichet(切符の窓口)があり、長蛇の列。思えばこれがフランス・長蛇の悲劇のはじまりだったが、まず並びたくないので、誰も並んでいない自動券売機がある。これで変えるか試してみようとやってみると、どうやら国鉄用のものらしく、メトロのものではないことがわかる。おそらく、窓口の隣にある、旅行者らしき人々が列をなしている別の種類の自動券売機がそうなのだろうと思って並ぼうとすると、イスラム系の女の子が「英語話せますか」と尋ねてくる。「少しは」と答えると、何やら小さな紙切れを僕に見せる。何かと思えば、「親が死んだからお金が欲しい」というような内容。要するに、物乞いのようだ。ふと周りを見れば、頭にスカーフをかぶった女性がそこここで人々に話しかけている。こういった人々に何か感じぬわけではないが、1人にあげると皆が群がってくるという体験談を聞いていたので、「ごめんなさい」と言うと、彼女は素っ気なく「何だよ、くれないなら時間を取らせるなよ」といった表情をしてまた、道行く旅行者に声をかけていた。気を取り直して列に並び、クレジットカードで10枚綴りの「カルネ」を買う。またガラガラと転がしながらメトロのホームに行く。改札のドアがものものしい。メトロのホームには「あと何分で来る」という表示板がある。数分待つとメトロがやってくる。僕は荷物が大きいので皆が乗り込んだ後に乗ろうと、最後に乗り込もうとすると、誰も僕が入るスペースを空けてくれず、おばさんの尻にはじかれてる間に、なんとドアが閉まってしまった。なんだよパリは冷たい街だなクソッと思い、虚しく次の電車を待ち、今度は先頭で乗り込む。おそらくこのエゴイズムに似た、グイグイと行く、というのがパリの生き方のようだ。
メトロを乗り換えると、目の前の席にひもがない靴を履いた足が見える。ふと見上げると、浮浪者風のおじさんがニターッとして不揃いに並んだ歯を見せながらその手のひらをこちらに差し出し、「くれ」という仕草をする。不意を突かれた僕は、反射的に歯を食いしばりブルブルッと首を横に振った。そうするとおじさんは立ち上がり、別の人にまたお金を求めながら歩いていった。
このペースで書くといつまでたっても本題が始まらないが、とりあえず荷物をPorte de Clichy駅のホテルのレセプスィオンに預け、まずはサヴォア邸を目指すことにして軽装で出発。RER(パリ近郊鉄道)のC線に乗り、2度ほど乗り換えてA線の終点Poissy駅へ。おなかがすいていたので駅前にあったケバブ系の店に行き、「Grec Frites」を頼む。パン生地に挟んだ山ほどの肉のサンドと、それと同量の体積を誇るフレンチフライ。恐ろしい量だ。駅前の地図でサヴォア邸の位置を確認し、歩き出す。古い教会の前を通り、ビュンビュン走る車達を横目に見ながら坂を上って15分ほど歩くとサヴォア邸と書いた入口の前に着く。チャイムを押してくれと書いてあるので押すと、扉が開いているので勝手に入っていいよとのこと。敷地内に入ると右手に管理者棟があり、左に樹木に囲まれた道がある。そこを歩いていくと斜め右前方に、かの有名な白い家がある。最初は思ったよりオモチャっぽいなという印象。写真を撮っていると日本人らしき男性が出てきた。彼の出てきた方(建物の裏正面)に回り込むと入口があり、入ると受付がある。なぜか受付の若い黒人女性は笑いながら受付をしてくれた。なぜ笑っていたのかは分からないが、日本人ばっかり連続して来るからじゃないだろうか。まずは正面のスロープを上がり、2階へ行くと、ガラス張りのリビング。ペリアンの椅子がこれ見よがしに。続いてキッチン、客用の寝室。青い廊下の天窓が美しい。そして浴室も。2階のベランダに出て、スロープを上ると、茂った木々に遮蔽され絶景とは言えないが彼方には家々が並んでいる展望が見渡せる屋上展望台(?)。2階にまたスロープで降りようとすると、屋上に柱が一本突き出ているのに気づく。これは何か。その後しばらく室内を歩き回り、かれこれ40分ぐらい見てから外に出る。敷地の外に出て隣の建物を見ると、リセ・ル・コルビュジエがある。
展望台から見えた場所が何やら海か河の近くの町並みのような雰囲気だったので、折角だから近くまで行ってみようと思い、来た道をまた下り、おばあさんと「ボンジュール」などと挨拶を交わしながら駅まで戻り、駅の裏側に回り込むとそこには大河が流れていた。取り壊された古い橋の跡があり、橋桁だけが3つ4つ残っている。支流化された川(駅側)にはアヒルやカモが。土手には数組のカップルや老夫婦が座っていて、川沿いに立つ建物も歴史がありそうで、いいところだなあと思いながらしばらく散策する。歩き疲れた頃に駅に戻り、窓口で切符を買ってRERに乗り、ホテルに戻る。チェックインして部屋に入り、そういえば今日は凱旋門賞だったと思ってテレビをつけるとまさにその中継番組がやっており、まもなく発走のよう。ディープインパクトの人気などは知らなかったが、リポーターの口から発せられる馬名の頻度と観客席に群がる日本人の多さからして結構な人気の様。結果は3着で、日本とは違い、勝った馬はしばらく騎手が乗ったまま周囲を凱旋していた。「武豊」の「タケ」がうまくいえないらしく、「タケ」「タカ」「タキ」などと騎手達がコメントしていた。
まだ夕方なのでサン・ジェルマン・デ・プレ駅周辺に行く。パリで映画を観る、というのがミーハーな夢だったが、犬も歩けば映画館にぶつかる状態。イオセリアーニの「jardins en automne(秋の庭)」がやっていたが、時間が合わなかったので、パリ滞在中に見る機会があるだろうと時間をメモり、近辺を散策。暗闇の中照らされる中世美術館(クリュニー)を見て、思わず「アウラがある」と思う。夕食に財団のTさんに教えてもらったおいしい唐揚げ屋に行こうと思い、ずんどこ歩いてパンテオン近くのムフタール通りに行き、唐揚げ屋に入ってみると満員らしい。しょうがないので近くの広場にあるカフェの外の席に腰を据えると、ギャルソンがやってきた。ベルギーやハーグでも困惑したが、言葉よりも一番分からないのがこういった飲食店での作法。まず入って座ればいいのか、カウンターまで行って注文をすればいいのかが隣の国になるだけで全く違ったりする。ブリュッセルではよくわからずテラスの席に座っていると「あなたがなぜここに座ってるかがわからないわ!何がしたいの!?食べたいの!?食べたいならここじゃだめよ、テントの下の席か屋内じゃないとだめよ!」と若い女の子の店員にまくしたてられたりもした。実はこのコミュニケーションが一番ことばの修行になったので、おもしろ半分で結構カフェに飛び込んでいた。パリの作法はガイドブックなどで読んでいたが、何か訊きに来たギャルソンに「Manger」(食べる)と言うと、オーケー、わかりましたといった感じ。メニューをくれたので、日替わりのメニューは何かと聞くと、今日は牛肉のワイン煮込みみたいなものらしいので、それを注文。かなり快い接客だった。パッと入った店にしてはかなりおいしかったし。
その後ムフタール通りを下って、メトロに乗り、ホテルに帰って寝る。