10/4 コルビュジエ地帯とカルチェ・ラタン

快晴。コリッシモを出すため朝9時ぐらいに郵便局に行く。朝早いからすいているかと思いきや、先々日と同様の長蛇の列。しかも今日は何やらおばさんが騒いでいる。職員控え室のようなところのドアを激しい勢いで叩き、「局長出てきなさいよ!あなた、職員が足らないのがわかっているくせにどうしてもっと雇わないのよ!頭おかしいんじゃないの!?」(少し聞き取れた単語+雰囲気訳)などとわめいている。ゆったりと作業を進める職員は何やらおばさんに冷静な口喧嘩をしかけ、うまく手綱を取っている。しばらくわめくとおばさんも怒るのをやめ、苛立たしく貧乏揺すりをしながら順番を待っている。30分ほどすると僕の番が来て、「何キロですか?」と測ってもらうと、制限ギリギリの7kg。オーバーした分を持って帰ること無く済んだ。
ホテルに一旦戻り、荷物を整理し、近くのカフェでエスプレッソを一杯やり、RERとメトロを乗り継いでBoulogne Jean Jaurès駅へ行く。コルビュジエのリプシッツ・ミスチャニノフ邸、テルニジアン邸、クック邸、ナンジュセール・エ・コリのアパートへ行くためである。駅の地図が全く無力なので、書店を探す。適当に歩くとおいしそうなパティスリー、ブーランジェリーなどが並んだ通りに出る。朝食がまだだったのでブーランジェリーに入り、長くてつぶれたチョコパンを買う。うまい。パリのパン屋最高。はす向かいぐらいに書店を見つけたので、入ってブーローニュの地図を買う。リプシッツ〜邸などを探すと、近くにあるようだ。10分ほど歩くと付近の通りに着く。実はそれらの外観を知らずに行ったので、目印は「コルビュジエっぽいか」である。すると、白無垢のアパートを見つける。最初、コルビュジエかと思ったが「ピンギュッソン」という人の建物だという立て看板があった。看板をよく見ると、地図があり、この近辺は近代建築が集まった地区のようだ。結局、目的のリプシッツ〜邸は私道に囲まれていて、ちらっと見えるだけであった。クック邸はR.FischerとMallet-Stevensの建物に挟まれていた。テルニジアン邸は見つからなかった。再び10分ほど歩いてナンジュセール・エ・コリのアパートを探す。近年完全修復が終わったらしく、ピカピカだった。はす向かいの古い建物の前で子供が4人ぐらいで遊んでおり、僕に話しかけてきて、「ムッシュー、こっちの建物はギュスタヴ某の建物だよ!!見てよ!!」と言い、聞き取れなかったが何か本を読みながら解説をしてくれた。まあいいやと思って「ありがとう。さようなら」と言うと、「さようなら!」と4人揃って挨拶してくれた。パリの子供は感じがいいな。
Michel Ange Molitor駅まで歩き、メトロに乗り、RERに乗り換えてシテ・ユニヴェルシテール駅へ。駅の目の前に国際大学都市がある。ここは財団の徳井さんが住んでいたところで、贅沢な敷地にイギリス館、メキシコ館などと国別に建物があり、その中のブラジル館とスイス館がコルビュジエによるもの。中を歩くと日本人らしき人を多く見かける。それはいいのだが、日本館のデザインが、いわゆるフランスのアパルトマンのような建物に無理矢理に瓦屋根風の屋根を乗せたような、ひどいもの。スイス館の周りをぐるっと廻った後、ブラジル館へ行き、ホールを見て、スイス館に戻り、0階と105号室を見る。中は6畳あるかないかぐらいで結構狭い。トイレが個室になっていないのは彼らは何とも思わないのか?
RERでリュクサンブール駅に行き、ブリュッセルにもパリにもいっぱいある「Quick」というハンバーガー・チェーンで「デモニアック・バーガー」なるものを食べて休憩した後、パンテオンへ。何やら睾丸のような布のアートが天井からぶらさがっている。かの有名なフーコーの振り子もある。地下に行くと共同墓地や特別展がやっていたりする。特別展はキュリー夫人の夫の展示。写真を撮っていたら「ここは写真を撮っちゃダメだ!消せ!消せ!全部消せ!」と白髪の黒人に怒られた。だったらヴィジュアル・サインぐらい作れ馬鹿。
その後は歩いて自然史博物館の進化大陳列館へ行く。新しいがここも展示の仕方がものすごい。進化の順(?)に動物が並んでいたり、剥製をピンスポで美しく照らしたり、フランスの文化力を見せつけられる。地べたに座ってデッサンをしている若者がやたらといた。
閉館までそこにいた後、歩く。アラブ世界研究所を通り、セーヌ川を渡ってバスティーユ近辺へ行き、そこから川沿いに西に歩く。
夜のセーヌ川あたりを散歩し、時間のあった映画館で「un journal de suicide」とかいう名前の映画を見て、気分を害し、メトロに乗ってホテルに帰って寝る。次の日は例のブザンソン行き、リヨンの悲劇である。