リヨン。約10日ぶりのフランス。遂にスイスを脱出し、念願のユーロ通貨圏。そこまで安くないはずの物価がとてつもなく安く感じられる(金のことばかり言っている)。リヨンは私にとって苦い記憶が払拭できない場所で、最初に来た時はブザンソンからアルケスナンに行こうとして電車を間違え、引き返すこともできずここまで来てしまったからなのだが、帰りの電車の切符を買おうとも長蛇の列で間に合わず(フランスを旅行した方ならわかっていただけるであろう)、それが終電であったため急遽宿を探して隣の声が丸聞こえの安宿で一泊せざるを得なかったのである。二度目はTさん夫妻と来たがそれはコルビュジエのラ・トゥーレット修道院を訪ねるためだったので街はほとんど見ることはできなかった。それ自体はもちろん苦い記憶ではないが、ラ・トゥーレット最寄駅への電車のチケットを買ったと思っていたところ掲示板を見ると「autocar」と書いてあり、電子辞書で調べると「バス」だということがわかり、慌てて3人で全力疾走した思い出があり、トラブルが付きまとう街である。それはそれとして今回はリヨン自体をしっかり味わいたい(色んな意味で)と思って来たのである。
前回から7、8年経ち、その間に大学同期の友人がフランス人と結婚しここに定住していたので連絡を取り、美術館やレストランなど教えてもらった。まずはベルクール広場からメルシエ通りへと歩き、観光する前からリヨン風サラダとアンドゥイェット(臓物ソーセージ)を食べ、それからようやくリヨンに来た主たる目的である印刷博物館(Musée de l’Imprimerie de Lyon)へ。フランスでパリに続く第二の印刷の街だったリヨンで、ルネサンス期の市役所(Hôtel de Ville)の建物の中に収容されている。いつも思うがパリは印刷の街だったにもかかわらずまともな印刷博物館が無い。Arts et Métiers の博物館に印刷機や活字が雑に置いてあるだけだ。あきらかな欠落だと思う。それはさておき、ここは古今東西の木版印刷と木活字から始まる。バーゼルが記述全体の歴史から始まったのに対して、もう少し実際的で印刷に絞った話になっている。また、リヨンもバーゼルと同じく、書物だけでなくトランプやタロットの主要な生産地だったらしく、それが展示されているのが印象的だが、日中韓の印刷史も抑えていることに目を見張る。北尾政美の『魚貝略画式』(1830)、光悦本の『伊勢物語』(1608)、BnFが所蔵しているという現存最古の金属活字本の白雲和尚『直指心体要節』(Jikji, 1377)のファクシミリ等々。そこにマニュスクリプト、インキュナビュラが入ってきて、ローマン体の成立やイタリック体の試み、パリとリヨンにおける印刷物、多色刷りを含めた印刷の発展、諸科学や地図探検への貢献、フルニエ、ディド、ペイニョ、カッサンドル、マクシミリアン・ヴォクス(ヴォス?)等々フランス印刷史の chef-d’oeuvres。書誌を書き上げたらきりが無いのでやめておくが、調べ始めたらいつまででもここにいられるラインナップ。おそらく空間の関係で簡素な説明にとどまっていて、それが残念といえば残念であるが、いちいち説明していったら終わらないだろうし、説明することができたら相当なデザイン史家だろう。
印刷博物館を見終わったらすでに夕方で(ディズニーランドだから仕方がないのだが)、今日はもう美術館関係は諦め、フルヴィエールの丘に登る。19世紀に建てられた比較的新しいノートルダム大聖堂がそのてっぺんにあるのだが、これが今まで見たことのないタイプの壮麗で明るい聖堂だった。教会に行くたびにいつも建築史の本をちゃんと読んでおけばよかったと思う。沖に出てしまった船なのでもう岬には引き返せないのだが。