振り返り

仕事の合間に少し自分のためのことを書いておきたい気持ちになってこれを書いているが、昨年を振り返ると映画館に行った記憶などはほとんどなく、昨年観たと思っている映画もほとんど一昨年のものだという体たらくで、渋谷方面から下高井戸方面に流れてきた映画をなんとか滑り込むように観ていた記憶がおぼろげにあるぐらいだ。仕事終わりに映画を観るという生活が私の夢ではあるが、そんな環境に住めたためしはないし、映画館の方がどんどん居住地から遠ざかっていくばかりで、一向に実現する見込みはない。なにしろ、大学と概ね反対方向にある「映画館」という存在に息せき切って向かい、深夜に這々の体で帰ってくるというのは流石に年齢的に堪える。都心に引っ越す、という最終手段があるにはあるが、日々の利便性を考えると多摩地区に住み続けるのが論理的解答として揺るぎそうにない。大学が引っ越してくれれば全て解決するのだが、そんな夢のようなことを考えるよりは、アキ・カウリスマキのように片田舎に映画館を建ててしまうほうが現実的な思いがする。
そんなわけで昨年はエリセとワン・ビンの新作、それにケリー・ライカートの回顧上映ぐらいしか観に行った記憶がないのだけれど、PCのモニタ上で観たものはいくつかあった。一つ目は濱口竜介・酒井耕監督の『なみのおと』である。東日本大震災の被災者へのインタビューを中心に構成された映画であるが、いわゆるドキュメンタリーであるにも関わらず、向かい合って話す人々を正面から撮り、そのショットの切り返しで語りを展開していく様は、さながら小津映画のようである。震災時の想像を絶するような状況を、一瞬の判断の違いで幸運にも生存した人たちの語る言葉は、「被災者の語る言葉」という枠組みから想起されるものをはるかに超えていく。津波に巻き込まれた地域であるにもかかわらず、自分の意見は受け入れられないだろうけれども、巨大な堤防を作ることで生活と「海」が分断されるのは嫌だ、と勇気を持って語る若い女性の姿を本編に収めることができたのは、この映画の大きな功績ではないだろうか。
次に、小森はるか監督の『息の跡』である。津波で店舗を跡形もなく流された種苗店の店主が、再び店舗をセルフビルドし仕事を切り盛りする姿を追った映画であるが、店主は店舗の再建に飽き足らず、散逸した地誌をかき集め、切り株の年輪の太さを測って現地の津波の歴史を研究したり、独学で覚えた英語でもって津波の体験についての著作を執筆し、ついには中国語まで憶えて発表してしまったりと、なんでも自分でやって乗り越えてしまう。そんな店主の姿からは、人間その気になれば何でもできるのではないかという勇気が湧いてくる。藝大を出て将来の不安を抱えながらも東北に移住し、バイトをしながら映画を撮ろうとしている監督との関係もよく写っていて、「こんなことをやっていないで映像制作会社に就職した方がいいんじゃねえのか」というやりとりにはハッとさせられてしまう。
人間は日々、関係性の中で生きている。そこには良い関係性も悪い関係性もある。ただ、それを一度に喪失すると、何かをイチから一人で作っていかなければならない。そこから何かを生み出すには時間がかかるが、その時初めて自分の生き方が生まれるのかもしれない。見知らぬ土地でよそ者として映画を撮ることも、津波で店舗や知人を失った後に再び生き直すことも、程度の差こそあれ同様に困難であるが、そのような境遇の他者同士が出会うことによって奇跡のような映画が生まれたのかもしれない。人間はいつだって何かを始められる。無数のしがらみに囚われていても、本当の関係性はほんの一部である。それを見極めて自分の生き方を見つけていかなければならないと思わされる映画であった。