逍遥

前期が終わる。授業期間中は負債がどんどん溜まっていくもので、授業が終わってようやく負債を返し切る頃にはすでに長期休暇の終わりが見えている。いや、正確に言えば負債を返し終わる日など決して来ない。一応息ができるぐらいになったら、あとはなんとか息継ぎしながらやりくりするしかない。
七月の終わりにU-Nextで小津『小早川家の秋』を見直す。小津が東宝に招かれて撮った晩年の作品だが、音声を消して見ると、座って立って振り向いて、家中歩いてまた振り返り、別の人がやってきては喋って切り返し……ということだけを律儀に、しかし過剰にやっていることがわかる。画面内にいる人物が次のショットに切り替わった時に画面内のどの位置に現れるかを正確に計算し、会話をしている複数人の人物同士のどこにキャメラが回り込むかについてはいつも以上に定石を破り、また動作のどのタイミングでどう次のカットにつなぐかという点においては超絶な職人芸を見せる。ほとんどが旧知のスタッフではないにも関わらず、細部にまで監督の意思が行き渡っている。小津は知れば知るほどおそろしい。尾行の撮り方もサイレント的な繰り返しの面白さで笑いを誘う。『浮草』に続いて昔の愛人宅に通う旦那役の中村鴈治郎も素晴らしいが、父親に嫌味を言う新珠美千代が以前から小津映画に出ていたとしか思えないほど素晴らしい。ここまで形式性を高めているのに逆に身体性が生き生きと感じられるという不思議。この映画を思い出すだけであと10年ぐらいは生きていける。そう思わされる映画だった。
採点・残務処理などを終え、青森と雲仙への旅行から帰り、卒業生たちと歌舞伎を観て、東京と残暑にうんざりしているうちに一週間が過ぎる。少なくとも東京にいないうちはインターネットやスマートフォンが無意識レベルで引き込もうとしてくる資本主義への依存サイクルに乗らなくて済んだし、AIがどうのとか万博がどうのみたいな意思の無い伝言ゲームを聞かなくて済んだ。東京に着いた途端に電車で今にも嘔吐しそうな酩酊した人たちに挟まれ、誰彼構わず無差別に訴えかけてくる広告に見つめられながら、心を殺して電車に乗る。今更かもしれないが、改めて経験するとうんざりする。
そうこうしているうちにお盆が過ぎ、9月になりそうなので、前期中に溜まった積読本を消化しつつ後期の授業準備に向かおうと決意する。しかし、いかに読まなければならなかろうとも、気の合わない本はどうしても気が合わないもので、何ページ読んでも1フレーズも刺さらない。お勉強でしかない本を読むよりも、映画の1本でも見に行った方が人生を前に進めるだろうと考え(いつもの口実)、ダニエル・シュミットの『書かれた顔』を見に行く。全てを描こうとして何も描けなかったあの惨憺たる歌舞伎映画の3時間よりも、坂東玉三郎が白粉を塗る様を手鏡越しに撮っているだけのこの映画のシーン数十秒の方が何億倍も面白いという事実。それは本物の歌舞伎役者を撮っているということに依存しているのではなく、映画にとっては「何」を「どう」撮るかという選択が全てであり、どの距離からどの角度でどこに焦点を当てて撮るのか、どこに照明を当て、どのようにフレーミングするか等々の映画的決断が、鑑賞者に何が伝えられるかを決定的に左右するという当たり前の事実に依るものである。別にこれが完璧な映画だと言うつもりはないし、むしろ歪で変な映画であると思うが、侯孝賢が言うように、映画は「部分」しか語ることはできず、しかしながらその部分から滲み出るものによって、行間を想起させることはできるという決意が、既に冒頭の数分から感じられるのである。そのような決意なしにいくらシーンを重ねたとしても、伝わるのは「話」だけであろう。
次いで、その侯孝賢がまだ37歳そこそこで監督した『冬冬の夏休み』のリマスター版を新宿まで見に行く。キャメラがまだ完璧とは言えないものの、「あの」というほかはない、誰もが知っている夏休みの時間が、子供の残酷さと大人の穢れ、そしていつでも隣り合わせの死の匂いと共に描かれる。永遠に続くような無駄な時間のように思えながら、それぞれのシーンが連鎖し合って紛れも無い映画的な体系へと昇華されていくところが見事である。それに、障害のある寒子(ハンズ)のような人間と、純真無垢な子供だけが生き物の死や人の苦しみを最も良く感じることができ、村社会の中では非常に弱い存在でありながらも連帯を結び、心を通わせていくというふうに描いたことが、何より素晴らしい。
8月の終わりに、日本地図学会の定期大会で小田原近くの入生田という場所へ。次の日から学校が始まるというにもかかわらず、夏休み的というしかない山、川、太陽、青い空、といった風景である。分科会もなく参加者全員が同じ発表を聞くというのを丸2日続けるスタイルで、全くわからない発表も多かったが、未知の領域の話を聞くというのも非常に新鮮であるし、何より分野の分け隔てなく「地図」というメディアだけをめぐってこれだけの人々が意見を交わし合う環境が存在するという事実が、今日貴重だと感じられた。これも横断的な視野を持った懐の広い先生方と、故・野村正七先生のおかげだろう。個人的には、日本の地図教育のあり方について抱いていた疑問を共有できたり、新しい知り合いもできたりして、非常に有意義であった(翌々日の授業準備のために懇親会にも行かずドトールに籠る羽目にはなったが)。
その他、4月から観た映画、展覧会を備忘録的に(既に書いたものを除く)。
佐藤そのみ『スリーピングスワン』/ジョン・フォード『月の出の脱出』/小田香『GAMA』/アニエル・ヴァルダ『冬の旅』/井口奈巳『犬猫(8mm版)』『だれかが歌ってる』『左手に気をつけろ』/サタジット・レイ『音楽サロン』『エレファント・ゴッド』/ペドロ・コスタ『骨』/アントニオ・レイス『トラス・オス・モンテス』(以上、映画館)
小森はるか+瀬尾夏美『二重のまち/交代地のうたを編む』/『機動戦士ガンダムジークアクス』シリーズ/佐藤真『花子』『まひるのほし』/黒沢清『CURE』『回路』/侯孝賢『ナイルの娘』(以上、DVD・配信)
『デザインあ展 neo』(TOKYO NODE)、『極上の仮名』展(五島美術館)、『レオ・レオーニの絵本づくり』展(ヒカリエホール)、『ペドロ・コスタ インナーヴィジョンズ』展、『ルイジ・ギッリ 終わらない風景』展、『TOPコレクション トランスフィジカル』展(以上、東京都写真美術館)、青森県立美術館、十和田市現代美術館、三内丸山遺跡、是川縄文館。