5月映画日記-2

5月某日
まさかオンラインにあると思わなかったロッセリーニ『ロベレ将軍』。デ・シーカ演じるしがない詐欺師がゲシュタポに逮捕されるが、パルチザンの指導者的存在「ロベレ将軍」の望まれざる射殺を隠蔽したい当局の申し出によって、将軍の身代わりとして刑務所に入ることを持ちかけられる。元来人を騙すことが得意な詐欺師はいかにも将軍然として振る舞いはじめ、同じ刑務所に幽閉された民衆たちに受け入れられていく。しかし一斉検挙された新規囚人のグループの中に紛れたパルチザンのリーダーを見つけ出すというミッションを与えられ、私益と良心との間で葛藤した詐欺師は、無実の解放か、将軍として銃殺されるか究極の選択を迫られる。
状況はかなり滑稽なはずで、やりようによってはヒッチコックのようなサスペンスにもルビッチのようなコメディにもなるだろうが、どちらにも転ばないのは節度であるのか、世論が許さなかったのか、「現実」に固執したためなのかはわからない。今更言ったところで始まらないが、思い切りフィクションに振ってしまった方が真なることを伝えられるのではないかと思う。

5月某日
ホン・サンス『よく知りもしないくせに』。これはさすがに画を捨てすぎだろうとは思ったが、済州島で先輩の画家とその奥さんである自分の元カノが出てくるところから引き込まれてしまった。画家の家の脇に干上がった川底を見つけた「監督」が、自分のために料理をしてもらっている最中であるにも関わらず嬉々として海に向かって駈け出してしまうという、ほとんど無意味に近い逸走が、近年見かけることのなくなった優雅な振る舞いとしてやにわに感動的である。非常に個人的なことだがこの「監督」演じる俳優の髪型だか顔だか姿勢だかが自分を思わせるところがあり(動きは八嶋智人だけど)、自分の写しのような人間がふらふらと女に棚引いたり、未練がましく元カノの影を追い求めたりするのがなんともむず痒い。
同日、ホン・サンス『ハハハ』。同じ町に里帰りした男2人が飲みながら思い出話を語り合うが、お互い同じ場所、同じ友人、同じ女について話しているのに全く気づかない、という仕掛け。思い出の部分がカラーの動画であるのに対し、その思い出話をしている「現在」の部分がモノクロ静止画で示し出され、それがどうにもボラギノールのCMを想起させて笑えてしまう。監督のあずかり知らぬところで日本人だけがクスクス笑って申し訳ない。それにしても『よく知りも』から1年でこの画面の変わりばえはいったいなんなのか。俳優も抜群にいいし(名前を覚えられる気がしないが)、往年のホウ・シャオシェン映画を思わせるような情感ある画面が続く。統営と呼ばれる、湾を山が囲んだ形の街が何よりすばらしい。ここまで政治性も社会性も皆無で、純粋に惚れた腫れたの話しかないのは爽快なぐらいで、むしろ映画にそのようなものを乗せようとするほうが不純なのではないかと反省させられるぐらいである。この人はおそらく世界中どこに行っても映画一本ひねり出してしまうのだろうな。

5月某日
ホン・サンス『次の朝は他人』。地方に引っ越した「監督」が久しぶりにソウルを訪ね、最小限の場所に行くだけで人に会わないようにしようと冒頭で宣言するものの、案の定というべきか、酔っ払って元カノの家に押しかけて泣き出したり、その元カノに瓜二つのバーのママに会って靡いてしまったりで、結局色々やらかしてしまうという話。冒頭、酒場で飲み交わした見ず知らずの3人の映画学生に「いいところに連れて行ってやる」と言ってタクシーで遠方に連れ出すものの、急に「俺の真似をするな!俺につきまとうんじゃない!」と言って逸走してしまう監督。劇中の学生たちと一緒に完全に呆気にとられる観客。いきなり「監督」の信憑性は不確かさの方に振り切られる。毎日同じ通りで出くわす女性。昨日いきなりキスされておきながら覚えがないと言うバーのママ。懐かしげに話しかけてくる見覚えのない男。ファンだと言って写真を撮らせてくれと言う女性。知ってること/知られてることという主題を巡って「監督」はソウルを歩き回る。

5月某日
DVDも持っているのにオンラインでトニー・スコットの『マイ・ボディガード』をつい見始める。トニー・スコットは偉い。現代アメリカでこんなに人間を信じた映画監督がいただろうか。挫折した人間が、ふとした相手と知り合うことで再び輝き奇跡をものにする。ノーベル賞ものではないかと一人で思う。

5月某日
J・P・メルヴィル『恐るべき子供たち』。非常にオリジナルなスタイルだなとは思うが、原作者コクトーによるナレーションがバシバシ入るのが原因か、入り込めず。母国語ではない言葉の映画を見ることは想像以上に難しいことなのではないか。ベッドに横たわる弟に話しかける姉を、仰瞰で捉えるショットが非常に鮮烈。

5月 映画以外日記

5月某日
『ペスト』には、人々はやがて未来について考えるのをやめたというようなことが書いてあった。前向きに生きようとしないと希望を持てないとはいえ、いつやってくるのかわからない未来を前提とするのは辛いものである。未来が無ければ過去しかない。ペストの街の映画館では同じフィルムが繰り返し上映され、劇場でも同じ戯曲が上演され続けた。それでも観客はいっぱいだったのである。確かにこれは過去のものを見直すのに最適な時間である。むしろこれまでは何をあんなに新しさを求めていたのだろうかとすら思わされる。ある種のヨーロッパ人のように古典を至上としてそれを反芻し続けるのもそれはそれとして理のあることであろう。しかし積極的に未来を描かなくても、過去と現在を蹂躙し私腹を肥やそうとする奴がいるのだから人はやはり戦わなければならないのだ。

5月某日
当初は海外の友人にも積極的に連絡を取っていたが、常に自粛を迫られて内向きになっているからなのか、あるいはそれぞれが疫病の流行曲線の異なる時期を生き、それぞれのドメスティックな状況を戦っているのだからそっとしておくべきだと思うからなのか、あるいは何かしらの嫉妬や憐れみの感情からなのか、いつしか連絡をするのも億劫になった。フランスは外出禁止令が解除になったそうで、それが本当にコロナ終息を意味しているのなら喜ぶべきことだろうが、未だに1日400人も新規感染者がいるし気軽におめでとうとは言えない。寧ろ疑念しか湧かない。個人の自由を徹底的に奪うのが疫病であるなら、自由について希望を持つことを不謹慎だと思うように人はいつしか飼いならされていく。日本も外出自粛「要請」しかなく経済的支援もいまだろくに行き渡っていないにも関わらず、自己防衛のおかげでかなり感染者が減ってきたし、マスクや除菌グッズも市場に出回ってきて、医療現場が今どうなっているかはわからないけれども、懐疑的な私ですらもう外に出ても良いのではと思うようになってきた。しかし外に出てみれば世の中は思った以上に停止していて、そういう気持ちになった自分を反省してみたくもなるし、果たしてこのまま新規感染者が0になったところで諸手を挙げて祝おうという気にはなれないだろう(友人とコーヒーを飲んだりはするだろうが)。むしろ『ペスト』のコタールのようにこの状況が止むのを恐れてすらいる。この不思議な感情はなんだろうか。それに何か本当に社会のシステムが変わろうとしているとすら感じられる。それは「コロナ後の新しい社会秩序」とかではない、得体の知れないもののような気がする。私には大企業の空気など想像すらできないが、毎日終電が当たり前だった会社ですら数ヶ月先のテレワークの連絡が聞こえてきているし、大学も今のところ前期はオンライン授業で突き通すようである。私には日本社会がもっとどうしようもなく変わりそうにないものだと思われていた。しかし本当に根本的なものが変わろうとしているのか。そしてそれに自分自身が置き去りにされようとしているという感覚もある。果たしてどうなるのか、想像がつかない。

5月某日
家にいるのがあまり好きではないのだが、家にいなくてはならないのであれば少しでも快適にするしかない。引っ越して以来放置してあった本やCDを処分し、本棚を移動、ストレスフルだった場所を機能的に改善する。シンクの錆や鍋の焦げ付きを掃除し始めたら何かと気になり始め、ハイターや金属磨きなどを買って磨き始める。良い労働になったが妻には狂気を感じると言われた。

5月某日
朝から近所の地主のジジイの怒声が聞こえてくる。ベランダから見れば誰にというわけでもなく怒って回っている。ある日突然嬉々として大木を切り倒したり、道行く人にガン飛ばしている親爺で、私も何度か因縁をつけられたことがある。なんともない時もあるから単に虫の居所が悪いのか発作的なものなのかよくわからない。あとで近所を歩いてみれば、その大木を切り倒していたところに新しい家が建つらしい。朝8時きっかりから草刈機の音が響く日々が始まる。

5月某日
前日朝まで起きてたため昼過ぎに目が覚めると、3度程ガラスを激しく叩く音がした後に割れる音がし、子供の泣き声と共に大家さんを呼ぶ声が。ベランダから見ると、外に子供2人が飛び出してきていて、1人が手から血を流し叫んでいる。妻が先に救急箱を持って降りていって、完全に寝起きだった私は後から掃除道具を携えていったところ、真下の家の3兄弟の子が手当てをしてもらいながらふさぎこんでいる。親も不在の模様。隣の家の奥さんも駆けつけて手当てをし、私は家に上げてもらってガラスの掃除。遊んでいて窓をぶち破ったらしいが、そこそこ丈夫なガラスなんだけどな。大家さんが車で公立病院まで連れていったが大事なかった模様。あとで妻と「下のお家、物が全然なかったね…。うちはなんでこんなに多いんだろう…。」と嘆息する。

5月某日
カミュ『異邦人』読了。遅読なのでこんな薄い本を読むのでさえ3日かかる。原文は読んでないが複合過去ばかりで書かれているらしく、確かに他人の日記を読んでいるような、回顧的で単純な一人称の文章が続く。カミュが果たして文体で評価されるような作家なのか、説話で評価されるような作家なのか、あるいはその精神や問題意識によって評価されるのかは私にはわからない。ただ日記としての感想を記す。母親が死んでも大して動揺せず、翌日偶々再会した同僚の女と関係を結び、フェルナンデルのコメディ映画を見たり女衒の知人の諍いに首を突っ込んでみたのちに、行きずりで人を殺してしまったというだけの話だが、生に不必要に意味を与えずただ自分に正直でいただけなのに、検事や弁護士によって自分が不在のまま自分の物語が作り出され、特に脈絡のなかった行動の全てが動機あるものとしてつむぎ直され、ギロチン刑を宣告される。前半の地中海の太陽溢れる欲望の世界が、衝動的な、しかも憎しみや逆上ではなく「太陽のせい」という理由だけで行われてしまった殺人を機に一転し、全てが巻き戻されてネガティヴなものとして語り直されていくところは衝撃的である。死刑を宣告されたムルソー氏にあくまで超越的な神を前にした悔悛を迫る神父を執拗に拒絶し、最終的には胸ぐらを掴んでキリスト教の誤謬を問いただすところは『ペスト』にもつながる主題である。思えば泣くという行為は人間の根源的な表現欲求でもあるし、後から社会的に学習した慣習的行動であるとも言える。子供の頃、いつものようにマンションの駐車場で遊んでいると、螺旋の非常階段を降りてきたいとこのお姉ちゃんに祖父が死んだと告げられた。この時私は特に泣いたりはしなかったし、悲しかったかどうかもわからない。それは死ぬということがどういうことかわかっていなかったからかもしれないし、祖父とそんなに親しく遊んだわけでもなかったからかもしれない。しかし長く一緒の時間を過ごした祖母が高校の時に他界した際も、喪失感はあったがその場で号泣したりはしなかった。人が死んだら悲しくて泣くものだというのはよく知っていたにも関わらず、そのような感情に要約できたものではなかった。私はずっと泣き虫で保育園時代はずっと泣いていたが、なぜか昔から死ぬことについては達観していて(手塚の『火の鳥』を読んたからか?)、縁起でもないけれど今近しい人が死んだとしても果たして泣く自信はない。映画を見て泣くことはやがて憶えたにも関わらずだ。他人から見れば冷血なのかもしれないが、私は私なりに受け止めていて、未だに忘れられない死を日々思い出しては考え込む時もある。『異邦人』のムルソーも母を養老院にやることが最善であったし、母はそこでかつてなく幸せだったのだから悲しむことはないと考えていた。現代社会で生きていくにはある程度自分の人生を物語化して語らなければいけない。私はここでこう考えてこうしたのだと論理立てなければいけない局面が多々ある。あるいは論理立てて行動した方が効率が良いだろう。しかし人間の行動などその場任せのものではないのか。人生で起こるハプニングにその場その場で思いついて行動したことの集積に過ぎない。その人生全体に意味を持たせられる人間などそうはいないだろう。ムルソーは恋人に「私を愛しているか」と問われ、「それはわからないが、君が結婚したいというのならそうしたいと思う」と返した。しかしそのようなことを口にする勇気が私にはないだろう。なんという率直で自由な男だろうか。『ペスト』のタルーが死刑を目撃した時の嫌悪感をきっかけに検事の親父と社会を憎み始めたと語り始めた時も、最初は「それを言ってしまってはおしまいじゃないか」と思った。しかし早急に死刑に対する賛否だとか自然法と実定法とかいう話になるのではなく、人間本来の生というものはそのように奪われて良いものなのか、そして社会という名の下に、しかも代理人の手を持って、人の生を抹殺しても良いのかという地点にまで戻してくれる。少なくともカミュの2作品は私にとってこのようなことを考えさせた。

5月映画日記1

5月某日
悪癖がぶり返してステイサム映画を4本立て続けに見る。暇なのかって?暇だよ。
未見だった『メカニック:ワールドミッション』は前作とあまりに変わりすぎていて本当に見たのか不安になり、つい再見する羽目に。前はそこそこストイックな路線でやっていたのに、普通のできの悪いステイサム映画になってしまったじゃないか!コンセプトは大事にしてくれ。「ジェニファー・ロペスの出てるやつ」(『パーカー』)に続き、「ジェシカ・アルバの出てるやつ」として記憶にしまわれるだろう。
一方、フランスにいた時にポスターを見かけて悪い予感しかしなかった『SPY/スパイ』は意外に良作だった。太っちょのCIA分析官メリッサ・マッカーシー(きっとアメリカでは有名なコメディエンヌなのでしょう)が、パートナーの調査官でイケメンプレイボーイのジュード・ロウに代わって現場の調査任務を行うことになるが、意外な身体能力を発揮して、というコメディ映画。007のパロディとマッカーシーの自虐ネタが散りばめられ、合間にステイサムがステイサムのパロディをする。今までしっくり来たことのなかったジュード・ロウもチャラ男役がハマっている。あんなにデブネタやってもいいのかとアメリカのポリコレ像が歪むが、自虐だからいいのかしら。

5月某日
友人とステイサム情報を交換していたら、昨日キアヌ・リーヴス主演の『コンスタンティン』を見たと言われたので早速見てみることに。造形美と衒学的な台詞で2時間。シリアスなシャマランというか、エヴァンゲリオンというか…。ティルダ・スウィントンにあの格好させたかっただけじゃないのか!というぐらいハマっていた。レイチェル・ワイズがここでも堅実な仕事をしている。
その勢いで最近やたらとネット上で見かける『ジョン・ウィック』に手を出す。犬を殺された元殺し屋のキアヌ様が、ロシア系富豪のどら息子に復讐するため、拳銃を拳法みたいに使って何十人も殺しまくる。中学生が考えたような殺し屋世界の設定の中で、ユーモアもサスペンスもなくただただ血しぶきが飛ぶ。惰性で『チャプター2』も見始めたが、20分でギブアップ。本当に具合が悪くなる。今まで『ダークナイト』ほど退屈な映画を観たことはなかったが、それと並ぶかもしれない。『サムライ』の爪の垢でも煎じて飲めとは言わないけど、ジョン・ウーぐらいの爽快な馬鹿馬鹿しさは欲しい。

5月某日
お薦めアルゴリズムに促されるままに、見逃していた『ジャック・リーチャー:Never go back』を。やはりトム様が出るとそれなりに映画になるが、トム様の朦朧とした演技はもういいよ、とは言いたくなる。果たして前作が良かったわけではないが、マッカリー色が抜け、ロザムンド・パイクみたいな強烈なヒロインもいないので、こちらもコンセプトが希薄になってしまった。

5月某日
友人Kがテレ東でデンゼル主演の『イコライザー』を観たというので、公開当初見送っていた私も見る。ホームセンターの商品で戦うというゲームの規則は好きだけれど、意外と簡単に撃たれたり格闘で瀕死になって助けられたり、こういう映画には手際が必要なんだよ!と言いたくなる。せっかくの設定にもかかわらず道具の使い方にアイデアが感じられないのがなんとも残念。そもそも初老で腹の出たデンゼルにアクションやらせるのはどうなの?という懸念は最後まで払拭されない。世の中にはデンゼル映画というジャンルがいつしかできていたのだろうか。アントニオ・バンデラスを濃縮したみたいなロシアの刺客は、ひたすら気持ち悪いだけで強いのか弱いのか全くわからないまま終わった。メリッサ・レオが唐突に出てくる。
もう予想できるだろうがしょうもない私はその勢いで『イコライザー2』に手を出す。『1』で調子に乗ったデンゼルがほんとに水戸黄門みたいな世直しを始めてしまって、これはまた身内が痛い目を見るパターンではないかと心配していたところ、やはりデンゼルと心通わせた人は皆不幸になることに。CIA時代のチームメイトの前にひょっこり顔を出すところから少し面白くなってきて、ラストの嵐はなかなか見ものだったけれども、1のホームセンターみたいな路線ではなくなってしまってやたら残虐な復讐鬼に。今のアメリカではこういうのがウケるの?戦争ゲームのやりすぎじゃない?

5月某日
『ジョン・ウィック』に足らんのは『リミッツ・オブ・コントロール』なんだよと思ったか思わないでか、ジム・ジャームッシュ『パターソン』。どちらかというと苦手なほうのジャームッシュだし、朗読される詩の良さが全然わからなかったが(ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの詩を知らないのが問題なのか)、あれだけシンプルな撮影でこれだけ魅せられるのは流石と思った。毎日郵便受けの傾きを直すところがリズムを作っていて良い。悪夢みたいな嫁の趣味に文句一つ言わないアダム・ドライバー、いい人すぎでしょ。

5月某日
友人からネトフリのドラマがどうとかアマプラのオリジナルがどうとか言われるが全く見る気になれず、時代劇専門チャンネルに入って『御家人斬九郎』の第1シリーズを見る。あれ、昔のテレビドラマなのに4:3じゃなくて16:9だ、というのが不思議でしょうがなかったが、リマスターの際にもとのキャメラマンの人が監修してフィルムからトリミングし直したらしい。いやあもう霧雨やら雪やら反射光やら撮影が素晴らしいし、演劇集団 円を中心としているであろう達者な俳優陣、よく練られた脚本、全くテレビとは思えない。6話や7話も良いが2話の丹波哲郎の回が最高である。私は子供の頃、両親が店で働いていたため学校から帰ると隣に住んでいる祖母の家に直行し、夕飯が供されるまでの間一緒に雪の宿や味ごのみなど食いながら夕方の時代劇の再放送を見ていたのだが(そのあとは相撲に流れる)、『水戸黄門』『大岡越前』『銭形平次』のループばかりで夜の時間帯の『鬼平』や『斬九郎』などは通ってこなかった。今と変わらずおバカだったので見てもわからなかっただろうが、妻は私の遥かに及ばない時代劇教養の中で育っており、隣で見ながら「ああ、この回覚えてる」とか、往年の時代劇俳優を見つけたりして喜んでいる。他の友人に時代劇の話を振ってみても思ってもほぼ全くと言っていいほど手応えがないので、我々は少々稀代な環境で育ったのであろうか。しかし高校には二言目には司馬遼がどうだとか隆慶一郎がどうだとかいう友達もいたし、そういう人は巷のどこに潜んでいるのだろうか…。

5月某日
時代劇で思い出したわけではないが山中貞雄『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』をDVDで。流石に丹下左膳が周りから浮きすぎだろと笑ってしまうが、いやはやそこがそうなってつながりますかという脚本がまず素晴らしいし、小津につながるような笑いもあり、飛ぶようなとんでもないチャンバラもあり、何より唄があるのがいい。子供と一緒に行った賭場で負けた帰りに左膳が刺客に襲われ、「坊主、目つぶって10秒数えてな」と数えさせているうちに相手を一刀のもとに切り捨て、目を開けた子供が唸る暴漢を見つけて「なんであのおっちゃん唸ってるの?」と左膳に聞いたところ、「博打に負けたのさ」と言うシーンがなんとも最高である。ジャンク映画を100本見るより1本見るだけで救われる映画があるのだ。

5月某日
疲れて早めに寝てしまい、深夜に起き出してヴィスコンティ『若者のすべて』を見る。父を亡くして南伊からミラノへと越してきた母と5人兄弟の家族が、ふとした娼婦との出会いから崩壊への一途を辿る。二時間で終わっても十分悲劇的なのに、残り一時間でさらに決定的な破滅へと追い詰めていくヴィスコンティの残酷さ。しかしこれがイタリア家族の愛でありまた宿命であるということか。ようやく見つけた半地下のアパート、アラン・ドロンの働くクリーニング屋、家族が引っ越す中庭のあるアパート、トラムが走るミラノの街。どれも忘れられない情景である。何と言っても次男シモーネを演じたレナート・シルヴァトーリが良く、ボクシングのシーンまで驚くほどリアル。湖畔での殺しのシーンは本当に素晴らしい。クラウディア・カルディナーレも『山猫』より断然良い。どうしてボクシング映画というのは切ない結末に陥ってしまうのだろうか。原題の『ロッコとその兄弟』の方がすっと腑に落ちる。
翌日同じくヴィスコンティの『家族の肖像』を。まさかヴィスコンティをオンラインで見る日が来るとは思わなかった。絵画に囲まれて静かに余生を過ごしたい「教授」のところに富豪夫人と2人の子供がやってきていきなり「上の階に住まわせろ」とゴリ押しし、渋々了解したものの実はその愛人のための隠れ家で勝手に改装を始めるやら事件に巻き込まれるやらという、見ているだけでも悪夢みたいな状況。しかし散々な迷惑をかけられても実はまんざらでもない教授は「老人というのは難しい生き物なのだ」とかなんとか言いながら、間借りを許してしまう。車椅子生活のヴィスコンティが移動できる範囲で撮られた室内劇として有名で、今更何を付け加えることもないだろうが、富豪夫人のファーだらけの俗悪な服、夫人と娘の愛人の共有、娘と息子と愛人との乱交趣味、夫がファシスト政治家であるにも関わらず左翼活動家を愛人に囲っているところなど、富裕階級の奇妙さ、エグさを描かせたら右に出るものはいない。人間の孤独さやその埋め合わせとしての愛、ないし性愛を建前なく曝け出させるところはほとんどファスビンダーと言ったら順序が逆だろうか。タイトルバックで延々と積み重なっていく心拍計の記録テープが教授が病床に就いているラストを既に予兆しているところとか、それに続くショットで教授が吟味している貴族の肖像画(=カンバセーション・ピース)が映画を貫くキーとなっているなど、至極古典的に映画的である。誰でもいいようで誰でもよくない一瞬のドミニク・ザンダとクラウディア・カルディナーレの使い方も良かった。これがなぜ日本でのヴィスコンティ・ブームを引き起こしたのかは想像だにできないが、昔の映画観客の方が今より遥かに寛大で教養があったのだろうと思わされる。

当然ながらフィルムはフィルム上映の方がいいし、映画館の方がスクリーンが大きくて音響も良いのだが、このように映画館に行けない状況になると、不特定多数の他人と一緒に多少の欠点など許容しながら笑ったり泣いたりするということが、映画体験のかけがえのない要素なのだと気づかされる。初めて落語を寄席で聴いた時のあの暖かさに似たようなものが、それほどではないにせよ映画にもあるのかもしれない。もちろん観客が1人という時もままあるのだが、それはそれで緊張感があって良いものである。言うても詮無きことだが。

停止の4月

4月上旬
仕事が延期になり、大学の開講も延期、前期の授業はオンラインで行うことに決定する。やるとなれば最善を尽くすしかないが、この際だから授業のやり方を一新したいところ。一番の障壁は自分の中の保守性である。
依然時差ボケは続き、夕方朦朧と起きて深夜に調子が出るような日々を過ごす。いっそのこと徹夜を試みた翌日に「治った」と喜んでみたものの、またすぐ元どおりに。10日を過ぎる頃ようやく復調する。あっちに行くときは数日で適応するのに、こっちに戻った時は長くて1ヶ月も引きずるのは一体なんなのか。
仕事と確定申告をしながら大瀧・山下(・萩原)の「新春放談」を片っ端から聴く。植木等の『スーダラ伝説』には「地球温暖化進行曲」という傑作が入っていると聞いて即発注。また、毎年この番組のたびに「新作はまだか」といじられる大瀧仙人がある年「実はもう録音したものがあるんだ」と発言して山下・萩原両氏を驚かせ、戸惑う2人を前に「それでは」と音源を流してみたら、最初のカウントの部分だけで終わり、という伝説の回を初めて聞いた。しかもそのカウントも使い回しではなくちゃんと新録である。山下氏の「Born to be wild」のカラオケを含め、その年は所謂「神回」である。
数日後、件の『スーダラ伝説』が届く。噂に違わぬ傑作の「地球温暖化進行曲」だけでなく、『植木等的音楽』に収録された「新・二十一世紀音頭」の前身「二十一世紀音頭」も入っている。眼福ならぬ耳福。現代にはスーダラが足りない。

4月中旬
ある日、何を思い立ってかコッポラの『ゴッドファーザー』三部作を見始める。恐らくマーロン・ブランドとアル・パチーノが見たかったからなのだが、コンシリエーレ役のロバート・デュヴァルが義理の父に似ていることに気づき、すっかり見入ってしまう(パートIII最大の欠点は彼の不在だ)。何はともあれとにかく俳優が素晴らしい。ジョン・カザールはこの映画デビューから6年でこの世を去ってしまったのか。儚い。

4月下旬
カミュ『ペスト』読了。カミュはフランス語の先生が「『星の王子様』なんか読むより『異邦人』を読んだ方がよっぽど勉強になる。」と折に触れて言っていたのだが、結局読まずじまいでここまで来てしまっていた。しかし『ペスト』は原文が今手に入らず翻訳で読んだわけでどこまで味わえたかわからないけれども、感染症流行という現象の刻々とした描写として十分に驚くべきものである上に、より抽象的に読めば「ペスト」という名を借りた群集による個人の抹殺、社会に潜在する全体主義に対する痛烈な批判になるというものだった。社会のために誰かを死刑になることを黙認する。そのような社会に我々は参加している。感染症流行という状況においてはそれが明確に現れる。
そんなものを読んだ直後に見るべきものではないと知りつつも、つい勢いでソダーバーグ『コンテイジョン』を見てしまう。いかにもソダーバーグらしい中途半端さだが、ローレンス・フィッシュバーンが見れたのはよかった。

Quarantaine

3月19日(木)自主待機2日目。
起きたら夕方。窓から外を見ると桜らしきものが満開。あんなところに桜はあっただろうか?しかし確かめにいくのも憚られる。同時期に帰国した日本の友人たち、逆に現地に残ることを決めた日本の友人たちに連絡を取る。またフランス、スイス、ドイツの友人たちにも消息を知らせ、状況を聞く。日本にいる友人にも帰国を知らせ、自宅待機をする旨報告をする。とにかく食欲がすごい。
朝方ジム・シェリダンの『ドリーム・ハウス』と『イン・アメリカ』を見る。前者はダニエル・クレイグ映画を見ようと検索したらシェリダンの映画が引っかかったという経緯だったが、アメリカ映画によくあるような郊外住宅のスプラッターものかと思いきや、心理学的な主題へと急変し、そこからはもう釘付け。『父の祈りを』もそうだったが、「間違えられた者」が誤解を解き、自らを解放する過程に寄り添って描いていく。燃えさかる家の中に残された妻の幽霊を救いに行くところで涙腺決壊。打ちのめされるようなショットの連続などどこにもないが、練り込まれた脚本と細かい演出、俳優の演技を正確に捉えることにによって、見るものの感情を確かに揺さぶっていく。この人はどのくらい評価されているのだろうか。
監督の半自伝でもある『イン・アメリカ』は何しろ長女が素晴らしい。主人公家族がようやく定住先を見つけたニューヨークのジャンキー・スクアットで、ハロウィンの子供たちの訪問をきっかけに開かずの間である「叫ぶ男」の部屋の扉が開き、その住人マテオとの交流を通して失くした長男に別れを告げるところで再び滂沱の涙。清き涙を流して朝方床に着く。

3月20日(金)自主待機3日目。
起きたら夕方。朝食を食べた後また睡魔に襲われる。深夜に焼ビーフンを食べ、荷物の整理とメールなどする。ベルギー在住の日本人の友人Kも帰国したとのこと。あちらはオランダまで国境を超えての買い占めが発生したらしい。しかしまだ人々は楽天的に近所を出歩いているとのこと。
衛生上の配慮で炊事洗濯ゴミ出しなどは妻がやってくれるので、私はあれが食べたいとかこれが飲みたいとか言っていればいいが、調子に乗っていると「軟禁が明けたら全部お前がやれ」と通告される。今から恐ろしい。

3月21日(土)自主待機4日目。
まんまと夕方起床。帰国報告のメールをしておいたTさんから朝方心配の電話があったものの、全く起きられなかった。寝てばかりもいられないので緩々と仕事再開。今日も焼ビーフン。明らかに機内食のベジタリアンオリエンタルミールの影響である。妻が買っておいてくれた蓮實さんの連載を読むなど。

3月23日(月)自主待機6日目。
小池百合子の緊急会見を見る。すっかり影を潜めていたこの人にとってこの状況はチャンス以外の何物でもないであろう。ここからショーが始まるのは目に見えている。この差別主義の歴史修正主義者に騙されるつもりはない。しかし「よどみなくスピーチができる」「記者の質問に答えられる」というあたりまえのことだけで真っ当な統治者に見えてしまう状況は一体なんなのか。そこまで評価基準が低下してしまっていることに絶望混じりの苦笑を禁じえない。これでは若者が希望を持てないのも無理ない。

3月24日(火)自主待機7日目。
オリンピックの延期決定の報道。誰の目にも明らかだったのにここまで引き延ばしたのは罪としか言いようがない。

3月25日〜28日
日付を思い出そうとするが覚えていない。時差ボケが全く治らず、朦朧としながら仕事を進めた。治そうとすると体調が悪くなるのでもう抗うのをやめ、そのうち治るのに任せることにする。突然中断されてしまったことに対して消化も切り替えもできず、そのせいか精神も身体も調子が優れない。しかし目前に積み重なった火急の課題を粛々とこなしていかなければ次の一手は見えてこない。
いずれ日本も感染が広がることは目に見えているので備蓄を貯えるためにネットで買い物をする。2度目なので心の準備だけは万端だ。そんな頃義理の親から精米機を贈ってもらった。古くなった玄米を精米してみたら驚くほど美味しかった。これは良い。
ヴェルコール『海の沈黙』を読み、フォード『リバティ・バランスを撃った男』『リオ・グランデの砦』を見たはず。オーソン・ウェルズの『フォルスタッフ』を観るためにMUBIという映画配信サービスに加入したが、見始めてみると素材が悪く、断念。
政府が和牛の「消費」を促す和牛券の配布を検討しているという。欧米各国が現金配布による支援を打ち出しているのに対し、伝染病多発の理由の一つであろう家畜の飼育を全く反省せず、単に商品としてダブついているからという理由で殺戮することを促す、呆れるほど愚かな案。さらに少なからぬ菜食主義者がいることを想像すらできないとは。人類は、狂牛病で、鳥インフルエンザで、豚コレラで何百万の家畜を殺傷しようがやめることはない。その上今回のパンデミックで人間を「家畜扱い」することに対しては警鐘を鳴らす。今更「科学者はこの事態を予言していた」とか「あの映画はコロナウイルス流行を既に描いていた」とか言われても、そんなこと何百年と前からわかっていたことで、全く耳を貸そうとしなかっただけだ。少しでも状況が変わることを祈るが、人類は果たしてそこまで「賢い」かどうか。ポジティブな未来の方に賭けるしかない。

3月29日(日)自主待機12日目。
志村けんが死んだ。つい先日の陽性の報道からの速さにまず驚く。私が志村けんを好きだったかどうかはわからない。私が見ていたドリフは再放送だったので—昔音響スタッフをやっていた父が現場でのいかりやの厳しさについていつも語っていたが—、リアルタイムでやっていたのは『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』や『バカ殿様』、『だいじょうぶだぁ』だった。人並みに、あるいはそれ以上に好んで見ていたし、私が保育園で描いた自画像は志村けんそっくりだったから(私は意識的にそうしたのだ)、影響を受けていたのだと思う。今思えば「マッタケマン」などはしょうもなさすぎるし、クレージーキャッツの「ウンジャラゲ」をあんな形にしたのはいかがなものかと思う。その下品さ、下半身性はあるいは視聴者が求めたものだったのかもしれない。いずれ彼と肩を並べ、あるいは制御する人はいなくなってしまい、深夜枠でコント番組を始めた頃は流石に見ていられなくなった。私はそこで追うのをやめてしまった。ただ、こんな形で亡くなるとは思わなかった。いつまでもしょうがないコントをやっているんだと思った。入院する前はコロナでお客が減った馴染みの店に出かけていってお金を落とそうとしていたらしい。「一番いい人たちが行っちまうんだ」ってやつだ。言葉を失う。いまわの時に再会することも許されず、火葬されて骨さえ拾えない。あまりにも、あまりにもだ。

3月30日(水)自主待機13日目。
再び小池百合子の緊急会見。都知事はさておき、周りの専門家から定量的で論理的な話が出る。なぜ国からはこういう話し方をする人が出てこないのか。精神論とごまかしだけであとは自己責任というのか。

4月1日(水)
暦は四月になりようやく自主待機が明ける。しかし東京も感染が進んでおり遊ぶどころではない。それにもかかわらず駅前の雰囲気はさほど変わらなかった。スーパーでお籠り用品を揃えて帰る。

フランス生活とその打ち切り

2月4日(火)
友人たちがスイスへと帰国した翌日、ようやく寮に入居する。5年前に1年滞在したところだ。顔見知りの受付係が通してくれた部屋は、入り口を入って階段を登り、建物同士をつなぐスイングドアを押し開けてからまた階段を降りなければたどり着けない。大型旅客船のように広いこの寮の端の端ではないだろうかと思わされる。しかし去年滞在していた別の寮の、風呂・トイレ・キッチン共同で暖房も効かない部屋に比べたら天国のような快適さ。もっとサバイバルな生活を想定した備蓄を持ってきたが、だいぶん気持ちが緩む。
さて入居して初めてやることといえば日本の仕事。「パリにいるのに」と考えると精神衛生上良くないことはわかっているので、カーテンを閉めきって引きこもる。少なくとも日本で一人になれることはほとんどないのだから貴重な時間である。それにしても外を見なければ日本とさして変わらない錯覚に陥るから不思議だ。徹夜明けの無駄に美しい空はどこでも嫌なものだが。

2月中旬
とはいえ引きこもりすぎて鬱々としてきたので、昔よく行っていた歩いて20分の小屋に映画を観に行く。チャールズ・ロートン目当てでヒッチコック『巌窟の野獣』である。そこでふと私はモーリン・オハラを好きなのではないかと気づく。思えば彼女が出たジョン・フォードの映画は好きなものばかりである。『わが谷は緑なりき』、『静かなる男』、『リオ・グランデの砦』。いずれも特異な存在として輝きを放っている。
帰りがけにプログラムをもらうとJ・P・メルヴィル特集もやっている。メルヴィルはフランスの友人が日頃から薦めていたが、1本も見る機会がなかったのでこの際にと5本を見る。『モラン神父』『海の沈黙』『マンハッタンの二人の男』『サムライ』『いぬ』。フランス産フィルム・ノワールよりも初期の文芸もの、レジスタンスもののほうがストイックで凄みがある。アンリ・デュカエの撮るモノクロームの美しさは忘れがたい。特に『海の沈黙』のラストで、小さな窓をバックに、逆光で全く顔の見えない父娘が食事を取るショットは映画史に残る美しさである。それに、立ち居振る舞いだけで空気を一変させるベルモンドの素晴らしさ。もちろんそれに連動するキャメラの動きもあるだろうが、唯一無二の存在である。

2月20日(木)
ルーヴル美術館のレオナルド・ダ・ヴィンチ展が閉幕間際なので予約しようとするが、既に満員御礼。ストで休みになったことの補填か、残りの数日間を24時間営業にし、さらに夜間は連日無料というとんでもない方針を打ち出したらしい。しかしそれでも満員なのだ。私にはダ・ヴィンチ運がないのかと悔やむ。

2月21日(金)
北イタリアのいくつかの街で外出禁止・移動制限が発せられたとのこと。アジア人のマスクを笑っていたフランス人もようやく心配し始める。一応マスクを探すが当然のごとく売っていない。代わりに手指消毒ジェルを見つけたので買っておく。マスクは帰国便でつけるために日本から送ってもらうことに。

2月23日(日)
インテリア・デザイナーのM君とシャルロット・ペリアン展@ルイ・ヴィトン財団。最終日前日の日曜ということもあり、朝イチで行ったが行列している。ネットで予約をするべきだったようだ。しかし入ってみればなぜか無料。何かの日だったのだろうか。展示はペリアンの関わったインテリアデザインのいくつかを再現し、その余白をレジェ、コルビュジェ、ピカソ、カルダーなど、お友達の作品で埋める方式。やたらとピカピカなレプリカが多いし、お友達のものが多すぎるが、それでもこの規模でペリアン展ができるのは流石という他ないか。日本での『選択/伝統/創造』展の作品は初めて観たが、フランス人の頭で日本の素材と技術を解釈した軽妙洒脱なものだった。これが当時の人に与えたであろう衝撃は想像に難くない。M君は「学生が考えそうなアイデアですけどね」と言っていたけど、その思いつきをまさに着地させるのがうまい。私にとっての白眉は海岸で拾った流木や奇石から発想を得た家具やオブジェである。こんなの落ちてるんですか。ゲーリー設計の奇抜な建物の地階から上の階まで全て使い、屋外には低所得者向けの休暇小屋を復原するなど、いろんな意味でLV財団じゃないとできない展示であった。
夕方、ブザンソンから来た後輩のYさんと合流して3人で飲む。まだこの頃はコロナウイルスの心配は限定的で、「心配してるんですか?」と笑われたが、既に街の中に侵入しているという確信はあった。

2月26日(水)
Yさんに、私の1つ後輩でパリ生活の大先輩であるMさんを紹介するべく、3人で昼食。高級ジュエリーブランドで働いているMさんの職場はなんとヴァンドーム広場なので、なるべく穏便な店を探そうとしたら雨が降ってきたのでチェーンのパン屋カフェに落ち着いてしまった。Yさんはその後出発まで時間があるとのことだったので図書館を案内し、そこで別れて私は地下で調査に入る。

2月29日(土)
閉所で5,000人以上の集まりが禁止される。ポンピドゥーで働いている友人に聞いたら「うちは4,500人ぐらいだから開けるらしい」とのこと。国立図書館もさすがに5,000人はいないだろう。
またこの感染症対策会議に乗じ、首相は憲法49.3条という決議無しで法案を通過させることのできる条項を使い、年金改革法案を強制的に通過させた。あれだけずっとデモをやっていたのに、集まりづらい、抵抗しづらい状況を利用して、暴力的に法案を通す。ちょっと許しがたい。

3月1日(日)
コロナウイルス流行に対する従業員が「撤退権」を行使したことによってルーヴル美術館が臨時閉館。数日続くことに。労働者の権利を主張し続けてきたからできることである。

3月2日(月)
国立図書館アルスナル館で製本素材についての講演会に参加。シリーズもので、今回はテキスタイルについて。歴史的書物に使われている素材の分類、特定、修復についてなど。後ろの人の咳が気にかかった。

3月6日(金)
左岸でマノエル・ド・オリヴェイラ『フランシスカ』。ほとんど切り返しを使わない、俳優が目を合わせないどころかキャメラに向かってすら話す、同じセリフを2度繰り返す。「自然らしさ」など全くの幻想だと言わんばかりの、演じられた劇とそれを捉えるキャメラとの緊張関係。ほとんど動かない一つ一つのショットが忘れられないが、キャメラが動いた時、あるいは切り返さないはずのキャメラが切り返した時、「自然らしい」映画の何十倍もの動揺が観客の心に生まれる。『リバティ・バランスを撃った男』顔負けの、アパルトマンの室内に馬で入ってくるシーンも衝撃である。バイロンに自らを重ねる凋落期ポルトガルのヴァガボンドたちが愛だの恋だのを詩のような台詞で語るのに乗れたわけではないし(そもそも私には字幕が難解であった)、英国人の娘を演じた女優などあれでよかったのかは甚だ疑問だが、ポルトガルの民主化後、優れた長編を連発していくオリヴェイラの過激な前衛ぶりが迸っている。しかし既に70歳を超えているのだから驚くほかない。

3月7日(土)
このまま感染が進行すると美術館が全部閉まりそうなので、始まったばかりのマルモッタンのセザンヌ展に駆け込む。土曜だが朝イチで行けば大丈夫であろうと思ったら超満員。狭い空間にガイドつきのグループ4組が輪になって喋り続け、身動きできず。感染予防には全くよろしくない状況であった。空いているところから見たが、一周しても団体がまだ居座っていた。
よくタイトルを見ていなかったが「セザンヌと巨匠たち。イタリアの夢」と題してセザンヌの絵画とイタリア絵画やプッサンの絵なんかを交互に展示している。そりゃまあ影響は受けたし下敷きにしているであろうが、完全に手本にしているわけではないのだからそこまで押し付けがましく並べて展示する必然性もあるまい。作品はルーヴル、オルセー、南仏のいくつかの美術館、それに箱根のポーラなどから来ているので、セザンヌ作品をまとめて見るにはいい機会であるけれども。

3月8日(日)
1,000人以上の集まりが禁止に。再びポンピドゥー従業員の友人に聞くと、「ボルタンスキー展に1,000人、コレクションに1,000人と数えれば問題ない、と言って開けるらしい」とのこと。

3月9日(月)
再び製本素材についての講演会。今日は貴重な素材(貴金属、宝石等)について。フランスのルリュールがゴテゴテしてる理由が歴史的にわかった気がする。

3月12日(木)
ドイツより友人Aが来る。時間があったので北駅まで歩いて迎えに行ったが、周辺の荒れ具合に萎える。彼女は昼頃無事に到着した。同様に感染症が広がっているドイツでは今、肘を付き合わせて挨拶するんだと言って肘で挨拶。フランスでは冗談交じりに足をこついていたが、どこも考えることは同じである。しかし初っ端からメトロで若い女2人組のスリに彼女が囲まれる。乗る前から明らかに挙動不審で、私は気づいたので車両を2度変えようとしたが機敏についてきた。無理やり引き離すと「お前は頭おかしいのか」と因縁をつけてくる。無事だったが疲弊。パリ荒れすぎ。

3月13日(金)
Aとジャックマール・アンドレ美術館のターナー展初日に駆け込む。今回は水彩が中心。イギリスでろくに美術館に行ったことのない私は、まとまった作品を見るのは初めてであった。
夕方、Aが家に居候させてもらっているルーマニアのMと合流し、建築散歩。夜飲んでいたら、なんと翌日から国立図書館閉鎖の知らせ。100人以上の集会が禁止されたらしい。資料を予約していたが、それも見ることができなくなった。フランスでやることがなくなる。夜道はさながら『ベニスに死す』のようであった。

3月14日(土)
朝、近所の市立図書館に本を返しに行くが前日の政令を受けて閉鎖。返本ポストもないので本が返せなくなる。ペナルティはないらしいが、しょうがなく友人に託す。
夕方、Aが帰国。帰ってニュースを見ると今晩0時を境にバー、レストラン、映画館が閉鎖になるとのこと。美術館も当然閉鎖。さらには3日後から行くはずだったジュネーヴの図書館も閉鎖。急激に感染が進んでいるらしい。世話になっている司書からも私信が来ていて、「来るんじゃない!」という言葉に下線まで引いてあった。しょうがなく列車や宿泊施設を全てキャンセルする。もう全て諦めてジェイソン・ステイサムの映画を見始める。『ローグ・アサシン』。まさかステイサムが日本語を話すとは…(何言ってるかわからないけど)。

3月15日(日)
不要不急の外出は控えろとのことだが、食料品店はやっているということなので買い物に行く。しかしセーヌ川沿いはいつも以上の人だかり。日曜だし急に暖かくなったのでしょうがない。
このぐらいの状態なら予定の26日までいるつもりだったが、フランス人に「早期帰国を考えたほうがいいぞ」と言われたので、急ぐ風でもなくチケット変更について調べはじめる。しかし、電話が繋がらない。

3月16日(月)
朝方、航空会社にようやく電話がつながり、今週木曜の便に変更できた。安心して残り数日の生活のために人参など買いに行くと、スーパーの前に1mおきに列ができていたり、一部買い占めがおきていたりする。帰って撤収のためにゆるゆると掃除をしはじめ、日本人の友人に「大変なことになったね。木曜に帰ることにしたよ」とメッセージを打つと、「え、今晩から全土封鎖って聞いたけど」と言われる。ずっとニュースサイトは追っていたがそんなこと一言も書いていなかった。確かに今晩20時からマクロンが「より厳しい要請」を発表すると言っていたが、問題が始まって以来マクロンなんて蚊帳の外で、糞忙しい病院に出かけては迷惑かけてるだけだったし、多少厳しくなるぐらいのことだと思っていた。試みにSNSなどを見ると、軍部やら○○省やらから流出した「メールの写し」が飛び交っており、そこには今晩から封鎖だとか、明日から封鎖だとか書いてある。インテリアデザイナーの友人Mも「明日から48時間以内に居場所を決めないと移動禁止になるそうです。うちの会社も秘密情報が入って、フランス人は全員逃げ出しました」と言う。おまけに日本の父親からもメッセージが来るし、日本のニュースサイトにまで「関係者」の話として同じようなことが書いてある。その情報の真偽はさておき、街はパニック状態である。しかし流石に外国人は帰すだろう、と思いつつも、一応撤収準備を進める。こちらで買ったプリンターをいつも友人に預けていたが、どうも行きづらくなったので、同じ寮でうちの大学の部屋に住んでいる人に初めて連絡を取る。聞くと彼女も明日帰ることにして荷造り中らしい。「旦那さんが○○省で働いている日本人の人から聞いたんですが……。」と言われ、流石にそこまで言われると自分が情報弱者だったのかと思わざるをえない。しかしそれが本当だとして、そんな身内びいきをしていいのか?
そうこうしているうちに20時になったので大統領発表の中継を聞くと、小童が自分の言うことを誰も聞かないので憤慨しているような様子で説教をし始め—昨日まで選挙で投票所に行こうと外出を呼びかけていたくせに—、翌日正午からの移動禁止・外出自粛とシェンゲン国境封鎖が発表される。外国人の扱いについては何も言わないし空港閉鎖は発表されなかったが、続く発表でオルリー2は閉鎖、漸次的にCDG空港も閉鎖していくとのこと。道路のコントロールには機動隊が動員され、移動の理由を示す書類を持っていなければ通れない。事前の「噂」とは多かれ少なかれ異なるが、厳格な要請であることは確かである。
数時間のうちに自分の身の振り方を決断しなければならない。このままここに留まり続けるという選択肢もあるだろうが、納めなければならない仕事や4月からの授業もあるし、帰れなくなれば迷惑をかける上に収入の道も絶たれる。街は絶望とパニックの最中で(私の印象であるが、自由を奪われることに対する絶望と死への恐怖は日本人より強いと思う)この先どんな混沌が待ち受けているかわからない。自分の状況把握が甘かったことに対する後悔もあって気だけが焦り、冷静さを保つので精一杯である。私が「確かな」情報を追うよう努めていたことは間違いではないが、「不確かな」情報とそれに踊らされる社会の動きというのものに気を配っていなかったことは間違いであった。帰れるか帰れないかわからないこの状況にあと数日晒されるよりも、翌日封鎖前に空港に行き、帰国するという確実な手段を取るのが最良であろう。そう決断し、すぐに飛行機を翌日の便に変更する。日本に感染を広げるという懸念もあったが、パリの感染者はまだ多くなかったし、旅客船対応で大失態した挙句ろくな検査体制も敷かずオリンピックを強行しようとする日本の方が私には余程恐ろしい状況に見えたから、細心の注意を払って帰国することにリスクはそれほど伴わないだろうと判断した。
再び同じ大学の滞在者に会いにいくともう1人の滞在者も来ていて、2人ともここ数日で電車内での強盗を目撃したとのこと。治安が急激に悪化し、アジア人が狙われている様子。軍隊も周辺道路の警備に回されるから治安はより悪くなるであろう。

3月17日(火)
朝方に準備を終え、受付に鍵を返す。外で物憂げにタバコを吸っていた職員の人と「悲しいよな」と一言だけ言葉を交わす。待ち望んでいた春がこれから訪れ、陽光を全身で楽しむはずだったのに、それを突然奪われることの悲しみは日本人の想像以上だろう。そして既に大部分の滞在者が去り、上層部の人々がテレワークに移行したこの寮でも、誰かが現場で働き続けなければならない。「また会えますよ」と声をかけたかったが、どうしても言葉が出なかった。
タクシーは渋滞が起きているかと思いきや30分もせずにCDG空港に着く。空港のパニックも想定したが、半分以上がアジア人で至極平穏である。しかし徹夜なのでとにかく眠い。私の飛行機までは12時間ある。店もすべて閉まっていて行くところもないし、怪しい人物もうろうろしている。生憎こむずかしい本しか手元になく、睡眠導入剤にしかならない。なんとか眠気に耐えていると昼頃、昨日知り合った大学の友人と、同じ寮にいたというF大の人が合流する。同胞人の連帯感と安心感たるや並並ならぬもので、おかげで眠気を覚えずに5時間ほど過ごすことができた。彼女は年末からのストを体験してからのこのパニックで、「フランスが嫌になりそうです」と言っていた。
夕方彼女たちは搭乗口に向かう。安堵しきった様子。私はさらに2時間ほど待機し、19時頃ようやく手荷物を預けることができた。余計なところに触らないように注意し、頻繁にジェルで手を洗いながら3時間を過ごし、ついに搭乗。幸い飛行機は空いていて、1人おきに離れて座れる状況であった。機内ではほぼ爆睡。窓が南向きだったので眩しすぎて開けられない。唯一リドリー・スコットの映画を見る。火星に取り残されたマット・デイモンがじゃがいもを育てる話。微笑ましいことは確かだが、初めから助かることありきの思考実験にすぎない。よゐこのバラエティー番組を見ているような気分だった。無人島に漂流したFedExの職員が一緒に漂着したバレーボールを友達にする話の方が全然面白かったし、火星の方が全く快適そうだった。

3月18日(水)
羽田空港着。「検疫」とでかでかと書かれていたが、サーモグラフィーで見られるだけで、ミラノに行った人の自己申告を促している以外は何の問診も指示もなく通過。自宅待機の通達もなし。予想はしていたが呆気にとられる。
深夜に自宅着。ゴミ出ししている妻に家の前で遭遇。私は自主的に2週間自宅待機するので妻は実家に帰ることも考えたが、色々あって残ることに決めた。同じ空間で触るものを分けたり消毒したり、ややこしい生活の始まり。

スイスの蕎麦

1月下旬
地形レリーフを見るためスイスに移動。物価が高い、早く出ないと殺される、と毎回逃げるように出国してきたが、縁あってもう6度目ぐらいか。色々裏技も覚えたので多少は節約できるようになった。いつも乗り換えをするチューリヒ駅のキッチュなカフェに親しみを覚え始めた。電車とそれを待つ人々を見ながら珈琲をすするというのはいいものである。
地形レリーフのことをスイス・ドイツ語圏の彫刻家の友人Cに話すと、技術的にも地質学的にも興味があるとのことで、調査に付き合ってくれることに。非常にありがたい。予定していたベルンとリュツェルンには行けなかったが(色々やってきたがメールの返信をくれない博物館というのは初めてだ)、ETH、ヴィンタートゥール自然史博物館、ザンクト・ガーレン自然博物館を訪問。
ETHでは学芸員の方に地形レリーフ・コレクションを案内してもらい、現代のレリーフ作家の話も聞く。19世紀後半から脈々と受け継がれた大地の表象への情熱に頭が下がる。改装中の場所も特別に見せてくれた。友人は附属図書館で古い地質学書を見つけた様子で、詳しいシステムは知らないが地元の図書館と同じカードで借りれるらしい。こういう内向きだが堅固でシステマティックな利便性はいかにもスイスらしい。スイス連邦の公開地図システムなんか日本が追いつくのに何十年かかることやら。私にも地図学の本を見つけてくれて、ついでに借りてくれた。
ヴィンタートゥールの自然史博物館は子供向けの仕掛けが豊富で、さながらディズニーランドの様相を呈している。小さめの地形レリーフが立体駐車場のように下から上へ、上から下へと運ばれているのには流石に笑う。併設の美術館で図らずもA・ジャコメッティ(『家をなす2つの箱の間の1つの箱の中にいる小像』)、ゾフィー・トイバー(円と半円のコンポジションから成るレリーフ)、マックス・ビルの作品を見ることができた。ビルはここヴィンタートゥールの生まれらしく、ミュージアム・ショップにも分厚い図録が置いてあった。それにしてもこの美術館には監視員がほとんどいない。あるのは監視カメラだけ。本当に大丈夫なのか。
ザンクト・ガーレンの新しい自然博物館は巨大な地形レリーフが呼び物だが、CのパートナーAが仕事で関わっていて、「最後のレリーフ職人」とも呼ばれるレリーフ作家の方とも関わりがあったという。地元のことなら彼らに聞けば大体つながるというのがなんとも恐ろしい。全く何から何まで世話になった。
今年はヨーロッパも暖冬で、ここ東スイスも普段は雪景色だが今回はほとんど雪がない。「まったく春みたいだ」と言っていたところ、ある日暴風とともに吹雪がやってきて、あっという間に一面真っ白に。風で庭の椅子が吹き飛ばされ坂を転げ落ちていってしまい、私が驚いていると、よくあることなのか友人は笑っていた。雪の止んだ頃外に出てみれば膝まで埋まるような積もり方。しかし「雪よりも風の方がこの家には致命的なんだよ」とC。200年以上前に建てられたこの家は確かに隙間風がすごい。
スイスを発つ間際、別の友人Fがピッツォッケリ(Pizzoccheri)というスイス・イタリア語圏の蕎麦パスタを作ってくれた。ヨーロッパで蕎麦の麺を食べたのは初めてだ。蕎麦粉は挽きぐるみで随分黒く、きしめん状の平打ちだが麺は短い。スイス・チャード、にんじん、玉ねぎやらと一緒にりんごを和えるのが典型的だそう。
最終日、一人で先に街に出て古本屋を覗くことにするが、隣の酪農家が飼っている犬に吠え立てられる。いつも100mも先から吠えて近寄ってくるこの犬のことを忘れていた。しかしまあ噛まれることはないだろうと高をくくりつつも若干小走りで切り抜けたが、後から聞いたところでは何度か通行人を噛んだらしく、それ以来誰もこの道を通らなくなったという。小走りしておいてよかった。古本屋ではまさにETHで借りた本が売っていたので、これも縁だとご購入。もうこの街で最後の古本屋になってしまったらしいが、お金があったら買い占めたい本がずらっと並んでいる。

1月末日
友人CとAと一緒にパリに戻る。彼らはそもそも私に会いにパリに来る筈だったのだが、私が予定を前倒しして逆にスイスに来てしまったので、結局ただの休暇になった。パリはいつの間にかストライキが終わっている。彼らのリクエストでグラン・パレのエル・グレコ展、マイヨール美術館の素朴派展などを一緒に見る。最終日は共通のフランス語の先生であり私がフランスで間借りしているBBとその友人BPと一緒に5人でお茶。Aがプレゼントにミモザをあげていて、BBが非常に喜んでいた。この時期南仏でよく咲くらしい。

Cは近所の大工の友人に手伝ってもらって、自分で床下の梁を張り替えるらしい。

スーパーに置いてある、パイナップルを入れると20秒で剥いてくれる機械。

ザンクト・ガーレン自然博物館。

年末年始と渡仏前後

年末・正月
実家で下手な雑煮やら太巻きやら作って過ごす。母親の手際に感心。そういえば昔、店で寿司を出していたんだった。
リクライニング・チェアに座り、ほとんどゼロ距離に置かれた4Kテレビでジョン・ウーの『マンハント』とチェン・カイコーの『空海–Ku-Kai–』を半目で見る。内容はどうあれ、中国の勢いだけは見せつけられた。社会勉強になります。『空海』は腐ってもチェン・カイコーだなとは思ったが、もう少し火野正平を出してほしい。
年始早々東京に戻り、ほぼその足で長野。北向観音、小布施、善光寺に赴く。千曲川の別所線の鉄橋が落ちていたのが痛々しい。2ヶ月前のこととはいえ既に復興に向けたキャンペーンが各所で打たれていたのには、さすが日本だと愛国じみた台詞も言いたくなる。
午前3時に始まる善光寺の七草会に参加。それなりの覚悟はしていたものの堂内はやはり寒く、宿坊の方が気を利かせて貸してくれた膝掛けや羽織ものがなかったらギブアップしていたかもしれない。しかしこれでも暖冬とのこと。もう一度やる自信はあまりない。
明けて最終日、余った時間で渡欧のための買い物をする。しょうゆ豆やら高野豆腐やら、正直な物作りが大変ありがたい。そういえば「おやき」って私の数少ない苦手な食べ物だったのだが、久しぶりに食べてみると、美味しい。食べた場所が悪かったのか、それともおやきがよそ行きになったのかどっちなのだろう。

残り2日間で残務処理と買い物を済ませ、深夜の便で渡仏。いまだ滞在先が決まらず、直前までメールを打ちまくる。羽田はカルロス・ゴーンの影響か、心なしチェックが厳しかったように思える。今回選んだカタール航空はこれでもかというくらい設備が最新で、眩しいほど高輝度のテレビ端末に映画が100本ほど入っていたが、寝るか機窓を眺めて過ごす。特にドーハ=パリの路程はクルディスタンやアルプスの山々が見え、さながら展望路線。テレビに入っている地図アプリで現在位置を確認しながら3Dで回転・拡大することができ(ついでに「メッカまで何km」がわかる)、機窓に見える山々がどこなのか対応づけることができた。普段はロシア上空ばかりを飛んでいるので、わざと航路を変えてみるのも一興かもしれない。なにせこの眺めは数万円払わないと味わえない。
CDG空港に着くと、入国審査に長蛇の列ができている。それでもゲートが半分ぐらいしか開いていないことに懐かしさすら覚える。空港のWi-Fiでメールをチェックしても滞在希望先からは断りの報せしか来ていない(来るだけマシなほうなのだが)。止むを得ず友人宅に転がり込むことに。

1月中旬
ストが思ったより酷く、朝と夕方の時間以外は有人の公共交通機関が全く動かない。動いている時間帯も間引き運転のため、歩くのが一番確実な移動方法である。聞けば、これでも動くようになったほうらしい。おかげで自転車やトロティネットの人口が増えて、道を渡るのにも一苦労だ。図書館に行っても開館時間が制限されていて、作業は遅々として進まず。思えば2015年以来、デモはあってもここまで大々的なストはなかった。滞在先も決まらず時間ばかり取られる日々が続き、苛々も募る。しかし焦らずやるしかない。
そんなこんなで1週間経ったころ、2月-3月の滞在先がようやく決まる。一安心といったところだがまだ入居まで3週間近くあるので、後にしようと思っていた調査旅行を前倒しすることにする。
渡航の前に、マルモッタン美術館でモンドリアンの具象画に焦点を当てた特別展。デン・ハーグの市立美術館に収められているSalomon Slijperのコレクションから来ていて、まとめて展示されるのは非常に珍しいそう。オランダの片田舎で薄暮の時間の風景画を描いていた時代から既に色彩に対する並々ならぬアプローチが見てとれる。デン・ハーグの美術館には既に3度ほど見に行っていたが、モンドリアンが神智学に走り、リュミニズムやキュビズムの影響を受けて実験的な作品へと傾いていく過程については初見の作品が大半であった。同じ構図の風車の絵を時間を変えて連作として描いているのが印象に残る。しかし特別展を見終え、階段を降りてみればそこにはモネが待ち構えており、モンドリアンでさえも飲み込むような器の違いを見せつけられる。いけずというかなんというか。
こんなに長期に居候するのは初めてで非常に申し訳ないが(私にタモリみたいな居候の才能はない)、友人は無二の米好きなので、何度か日本米(イタリア産だけど)を炊いて乾物の味噌汁を作った。お返しになったとは思えないけれども喜んでもらえるので料理をしていてよかったなと初めて思う。日本式の米の炊き方とおにぎりの作り方を覚えたいというので一緒にやったが、おにぎりの形がへろへろ。外国人には意外と難しいらしい。あと、熱いって。

 

11月のつぶやき

今年も『ナイアガラ・カレンダー』を聴きながら1年を振り返る時期がやってきた…。「クリスマス」音頭から「お正月」に横滑りし、先頭に戻って「みなさん!あけまして おめでとうございます」してまた1年を繰り返す脳内年越しシミュレーションを、現実界で正月気分が薄れる頃まで繰り返すのだ…。まあいつ聴いてもいいのじゃがこの時期はとりわけ良いものじゃ…。

10月のつぶやき

ようやく『パシフィック・リム』を見たのじゃが、わしには良さはわからんかった…。ステイサム映画を見るようなノリで見ればよいのじゃろうか…。それならステイサム映画のほうがいいのじゃが…。