2022年4月

というわけで(何がだ)4月から専任になることとなった。色々ここに書けないことも多くなるだろうが、これまでも頻繁に書いていたわけではないので大して変わらないだろう。思えば若い頃はなんでもかんでも書き記していたもんじゃが、あんまり書きすぎると現実世界で人に会った時に話題がなくなるし、自分で書いているくせに人に監視されている感じが強くなるので、自然と減ってきた。全てを書いているわけではないのに「お前のことは全部知っているぞ」的なマウントを取ってくる人も稀にいて、嫌になったこともある。そもそも仕事が忙しくなると1日家でパソコンをいじっていることも多くなり、家での雑談もままならないほど話題に事欠くのである。まあ唯一続いていることだから適当に続けようと思うが。

某日
いよいよ入学式。天気は予報通り雨。私の中にある最強の雨女のDNAが覚醒し始めている。
式典では学科を代表して「若い衆」3人がスピーチ。N先生に「専任になるとこういう『晒され仕事』が増えるよ」と言われる。
初勤務日にして既にポストに書類がパンパンに入っていた。紙地獄にまみれる予感。

某日
丸一日オリエン。久しぶりに対面する喜びからか、異常に温まる会場。同じ空気を吸うという行為には、言いようのない一体感があるのだな。
楽しみにしていた個人研究室というものに初めて入るが、第一印象は「寒い」であった。他の先生に聞くと、皆同じ悩みを抱えていると言う。おまけに物がなくて心も寒いので、早く備品を揃えたい。

某日
丸一日オリエン。学生の自己紹介で出てくる固有名詞が全くわからず、時の流れを感じる。「フォーロック」ってなんだと思ってたら「邦ロック」だったらしい。じゃあ「邦ポップ」とか「邦ノイズ」とか言うんだろうか。「J SOUL BROTHERS」は……?そんな発想が既におっさん。
自分が学生だった時の自己紹介で覚えているのは、「グリーンマイル!」と叫びながらマイケル・クラーク・ダンカンのモノマネをしたやつのことぐらい。

某日
朝からZoomで2本打ち合わせをし、そのまま夕方に大学院生向けオリエン。院部屋でアットホームに茶飲み話でもするイメージだったが、大部屋で総勢30名近くの学生たちと自己紹介をし合う、というちゃんとした会だった。「院生は金もないし、なかなか理解もされないし大変だよね」みたいな話をしたが、よく考えてみると金はあるのかもしれない、と後から思う。だとしたら全く刺さってないな……。

某日
いよいよ授業が始まる。週間天気予報を見ると、私の出校日だけ見事に雨マークばかり。申し訳ない。「お祓いに行け」と言われる。

某日
昨日大学の自販機で清涼飲料水を買ったのだが、今日会った旧知の学生に「先生、昨日○○飲んでましたよね?」と言われる(銘柄は私の名誉のために隠す)。専任になるとそんな些細な事柄までもが光の速さで伝わるらしい。

某日
オムニバス形式の座学の授業で「自分のやっていることについて」話す。作品を次々見せるよりも、その時の状況や、作品の所与の条件に対してどう考えたを話す方が重要だと思い、「疑うこと」というテーマを立てる。自分語りをする気はないけれども、「自分の周りにはこういう人やこういう物があった」ということも含めて話してみた。授業後に書いてもらったレポートを見ると、こちらの思った以上のことを汲み取ってくれたようでホッとする。

不安と過ごした90日間

1月某日
代官山蔦屋書店での鼎談イベント。その一週間ぐらい前から腹部に筋肉痛のような痛みがあり、歩くと響いていた。腹痛かと思い、消化器内科に行ってエコーまでやったが全く胃腸は綺麗とのこと(いつものパターン)。気のせいかと思ったが、ついでに腰も痛いのでカイロに行ったところ、「背中にブツブツが出ているよ。帯状疱疹かもしれないから早く皮膚科に行った方が良い。」と言われる。その足で皮膚科に行ったら、もう治りかけてはいるがやはり帯状疱疹だろうとのこと。念の為薬をもらう。高い。思えば脇にも変な痛みがあったし、それもこれもウイルスの仕業だったのか。ずっといたんだね、君は。
そんなこんなで病院をたらい回しになりながらイベント当日に雪崩れ込んだため非常に緊張感ある配信となったが、三中・中野両先生の素晴らしいフォローのおかげでなんとか乗り切れた。私はどうしてもスライドを作るのが好きになれないのだけれど、これからこういう場面を幾度となく乗り越えていかないことを考えると、なんとかして折り合いをつけないといけないのだろうなと思う。

2月某日
4月から生活が大きく変わるので、どうにも不安な日々を過ごす。フランスに行く時だって全くプレッシャーなんて感じなかったけれども、言いようのない漠とした不安に襲われる。おまけにその原因を人に言えないと来ているからタチが悪い。
クライアントワークと研究のバランスを大きく変えないといけないし、これまで学びたいことしか学んでこなかったという我儘な研究姿勢も変えざるをえないだろう。案じても始まらないのではあるが、けじめはつけておかなければならない。

2月某日
日常的に私と「濃厚接触」している友人がコロナに感染したとのこと。私はたまたまその時期会っていなかったというだけで接触を免れたが、突然身近な問題となったことに驚きは隠せない。
それにしても1日数万人の感染者が出ていると、どこかに旅行に行く気も起きない。行きたいところに行けない、やりたいことが進められないというのはストレス以外の何ものでもなく、鬱々とした日々が続く。

3月某日
パリでも日本でもお世話になっているK島さんの紹介で、ほぼ同世代の写真家の方、デザイン史家の方とお会いする。出会いの少ない日々の中で、こういう出来事は嬉しい。全員海外在住経験者で、呑助。ひたすらビールを飲み続ける。

3月某日
日本生態心理学会第9回大会で招待講演。主に拙著の話をしてほしいという依頼だったのだが、せっかく生態心理学会という場でお話しするので、拙著の内容をもう少しアカデミックに整理しつつ、「エコロジー」概念の発展と絡めた発表にした。
特定質問者の染谷昌義先生からはヴィジュアライゼーションの効果と危険性の両側面について鋭いご指摘をいただき、またギブソンがヴィジュアライゼーションについてどう捉えていたかについて、示唆に富むご教示をいただいた。
そのほか、以前お世話になった方々に(オンラインではあるが)お会いしたり、初めての方から積極的な質問をいただいたりして、私にとっても非常に刺激的な機会となった。この発表のためにギブソンの画像知覚論を読み込んだり、パース記号学との補助線を引こうとも考えたが、所詮付け焼き刃だと認識するに至ったので、最終的には引っ込め、寝かせることとした。
翌日の大会2日目には私もオーディエンスとして参加する。久しぶりに全くわからない言葉をシャワーのように浴びる経験をし、何やら清々しい気持ちになる。人生においてこういう経験は絶対に必要なのだ。また、その日の午後に開かれたシンポジウムでは、近年出版されたアンソロジーについての激しい討議が繰り広げられ、健全な言論空間というのはかくあるべしだということを実感させられた。特に「depiction」の問題は私の研究テーマとも重なるところであり、これからも考えていきたい問題だと思っている。