不安と過ごした90日間

1月某日
代官山蔦屋書店での鼎談イベント。その一週間ぐらい前から腹部に筋肉痛のような痛みがあり、歩くと響いていた。腹痛かと思い、消化器内科に行ってエコーまでやったが全く胃腸は綺麗とのこと(いつものパターン)。気のせいかと思ったが、ついでに腰も痛いのでカイロに行ったところ、「背中にブツブツが出ているよ。帯状疱疹かもしれないから早く皮膚科に行った方が良い。」と言われる。その足で皮膚科に行ったら、もう治りかけてはいるがやはり帯状疱疹だろうとのこと。念の為薬をもらう。高い。思えば脇にも変な痛みがあったし、それもこれもウイルスの仕業だったのか。ずっといたんだね、君は。
そんなこんなで病院をたらい回しになりながらイベント当日に雪崩れ込んだため非常に緊張感ある配信となったが、三中・中野両先生の素晴らしいフォローのおかげでなんとか乗り切れた。私はどうしてもスライドを作るのが好きになれないのだけれど、これからこういう場面を幾度となく乗り越えていかないことを考えると、なんとかして折り合いをつけないといけないのだろうなと思う。

2月某日
4月から生活が大きく変わるので、どうにも不安な日々を過ごす。フランスに行く時だって全くプレッシャーなんて感じなかったけれども、言いようのない漠とした不安に襲われる。おまけにその原因を人に言えないと来ているからタチが悪い。
クライアントワークと研究のバランスを大きく変えないといけないし、これまで学びたいことしか学んでこなかったという我儘な研究姿勢も変えざるをえないだろう。案じても始まらないのではあるが、けじめはつけておかなければならない。

2月某日
日常的に私と「濃厚接触」している友人がコロナに感染したとのこと。私はたまたまその時期会っていなかったというだけで接触を免れたが、突然身近な問題となったことに驚きは隠せない。
それにしても1日数万人の感染者が出ていると、どこかに旅行に行く気も起きない。行きたいところに行けない、やりたいことが進められないというのはストレス以外の何ものでもなく、鬱々とした日々が続く。

3月某日
パリでも日本でもお世話になっているK島さんの紹介で、ほぼ同世代の写真家の方、デザイン史家の方とお会いする。出会いの少ない日々の中で、こういう出来事は嬉しい。全員海外在住経験者で、呑助。ひたすらビールを飲み続ける。

3月某日
日本生態心理学会第9回大会で招待講演。主に拙著の話をしてほしいという依頼だったのだが、せっかく生態心理学会という場でお話しするので、拙著の内容をもう少しアカデミックに整理しつつ、「エコロジー」概念の発展と絡めた発表にした。
特定質問者の染谷昌義先生からはヴィジュアライゼーションの効果と危険性の両側面について鋭いご指摘をいただき、またギブソンがヴィジュアライゼーションについてどう捉えていたかについて、示唆に富むご教示をいただいた。
そのほか、以前お世話になった方々に(オンラインではあるが)お会いしたり、初めての方から積極的な質問をいただいたりして、私にとっても非常に刺激的な機会となった。この発表のためにギブソンの画像知覚論を読み込んだり、パース記号学との補助線を引こうとも考えたが、所詮付け焼き刃だと認識するに至ったので、最終的には引っ込め、寝かせることとした。
翌日の大会2日目には私もオーディエンスとして参加する。久しぶりに全くわからない言葉をシャワーのように浴びる経験をし、何やら清々しい気持ちになる。人生においてこういう経験は絶対に必要なのだ。また、その日の午後に開かれたシンポジウムでは、近年出版されたアンソロジーについての激しい討議が繰り広げられ、健全な言論空間というのはかくあるべしだということを実感させられた。特に「depiction」の問題は私の研究テーマとも重なるところであり、これからも考えていきたい問題だと思っている。