1/28-30

1/28(木)
朝、フラ語。ドイツのAとアイルランドのGは最後の講座。
終了後、古株の生徒4人と先生でお茶。動物大好きの先生がついに犬を飼えることとなり、犬の話になるがみんな「あのソーセージが」「このソーセージが」などと言っていて、動物好きなのに犬のことを「ソーセージ」なんて呼んでもいいのか、と思ってたら、ダックスフントのことを「ソーセージ・ドッグ」と言うらしい。帰って調べてようやく話が繋がった。
アイルランドのGとお別れする。彼はベルファストを中心に活動する現代音楽のグループのリーダーで、武満徹の大ファンだと言う。いつもジョークで笑わせてくれるビールとウィスキーの国のヒーロー。ジョイス、フィッシュ・アンド・チップス、ゲール語のことなど教わる。

1/29(金)
朝、カフェでドイツのAと待ち合わせし、羊羹と茶をプレゼントする。また色々な調味料をもらってしまったが、使いきれる気が全くしない。彼女はケルン出身の彫刻系美術家で、今度ボン近郊のアルプ美術館でのグループ展に出品するそうだ。これは行くしかない。ダグラス・サークの話、『アメリカの友人』の話、芋の話など色々なことを話す。本当はとらやの和菓子などあげたかったが買いに行く時間がなく、羊羹を渡すこととなったがあれは海外の人はどう思うのだろうか。
国立図書館の検索システムが刷新され、ろくに動かないためあまり仕事にならず。さもありなん、ごくフランス的である。途方に暮れてDVDで『ミルドレッド・ピアース』の1話を見る。
夜、ひさしぶりにサン・マルタン運河の方で夕食。掃除中の運河を横目に歩くと、思いがけず昨秋のテロの現場を通りすがる。このあたりに来る時どうにも気になって緊張してしまうのだが、いつも避けているわけにもいかないので、逆に通ってしまって良かったのかもしれない。交差点にはそれを横断するように何色もの布が建物の間にかけられていた。

1/30(土)
起きると雨で、部屋にあまり光が入らず気持ちが重い日が続く。友人が去ったせいもあるのだろう。飯を作るのも面倒だし、だらだらとしながらゆっくりと作業を再開する。
夜、買い物をしてベーコンで肉じゃがを作る。こちらのジャガイモは本当にバリエーション豊かで、煮込み用のものは全く煮くずれしない。なんだかソリッドな肉じゃがになった。満腹になって『ミルドレッド・ピアース』の2話を見、夜中に少し散歩しながら今後のことを話す。

1/25-27

1/25(月)
朝から図書館新館貴重書室へ。
帰りに座布団を忘れたのに気付き、急いで引き返すが既に誰もおらず、回収ならず。この国は帰り際だけは見事。
しかし営業時間14時から18時ってもはや休館にしたらいいのでは……。

1/26(火)
フラ語。
夕方から図書館へ。座布団は無事回収。
それにしても国立図書館の司書は毎日人が入れ替わるのだが、どういう雇用体系なのか。
夜、今週寮を発ってしまうドイツのAとイスラエルのSが共同でプチお別れ会をしていたので顔を出す。Aとはフラ語で7ヶ月も一緒で、ケルンのことやイモのこと、映画のことなどよく話した仲だった。パリからケルンは近いので帰るまでに訪ねられたらと思うが叶うかどうか。ルーマニアのMやオーストリアのJも来ていて、話に花が咲く。

1/27(水)
夜、毎度おなじみT家にお呼ばれ。土手煮を作って持って行き、T家自家製鶏ガラスープの鍋をつつきながら、実に10ヶ月ぶりに日本酒をいただく。ああ、こういうほんわかした酔い方は久しぶりだとついつい飲みすぎる。牛スジらしきものがなかなか見つからず、ようやく見つけたのが Osso Bucco という牛の骨つきスネ肉(輪切り)だけ。確かにスジっぽいがかなり肉肉しいしちょっとスジ肉にしては高すぎる。まあしょうがないが。

1/24 風に書かれた

夕方、ダグラス・サーク『Écrit sur du Vent(風と共に散る)』。階段から転げ落ちて亡くなる富豪の父、それに気づかず階上で踊り狂う放蕩娘。愚かな振る舞いをし続ける人間にも彼らをそうさせる何らかの問題があり、ふとした瞬間に彼らが弱さをさらけ出し、根っからの善人達に餞を送る。最も冷酷な仕打ちと最も寛容な許容が共存する。善人のロック・ハドソンとローレン・バコールの物語のように見せかけて、富豪の息子の女好きロバート・スタックと娘で男遊びの酷いドロシー・マローンが抱える複雑な感情のほうが遥かに豊かに描かれる。オープニング、暴風吹き荒れる中の車の爆走、それを運転していた酩酊した男が瓶をレンガの壁に叩きつけ、それを豪邸の二階のベッドから立ち上がって見る男と女、そして立ち上がる別の部屋の女、建物に男が入っていき、落ち葉が豪邸の中に吹き込み、白いドレスを着た階段を女性が降りていく、そして銃声が聞こえ、男が再び玄関に現れ、倒れこむ。それを窓から見ていた女性が倒れ、その窓から吹き込んだ暴風で日めくりカレンダーが勢いよくめくれ、日付が数ヶ月遡ったところで物語が始まる。なんと完璧なオープニングシークエンスだろうか。

帰り、キオスクに献花がされていて、何かと思ったらどうやらキオスクの店員が亡くなったとのこと。子供の描いた絵もあり、とても暖かい人物だった様が偲ばれる。観光客向けのガサガサしたこの界隈で隣人愛を見た思いになる。

1/23 クリュニー探検

友人が行ったというクリュニーの探検ツアーに参加。これに参加しないと入れないローマ風呂の地下に潜入。給排水の仕組みや一部だけ残っている外壁の釉、古代ローマの石・煉瓦の土台にゴシックのヴォールトの混ざった部分など、非常に興奮する。本当にここはパリか、と思うが、これが元々のパリなのだ。

夜、スイスの彫刻家の友人Cの家に招かれ、スイス料理をごちそうになる。彼は私とほぼ同世代で、なんとなく気が合う存在である。彼はなんでも一から自分で作らないと気が済まないタチで、この時点で信用できる。卵と小麦粉で作ったパスタのようなものにほぼ同量のチーズを混ぜたやつがモチモチしてうまかったが、とにかく腹がいっぱいになって苦しかった。デザートはメレンゲに生クリーム、マロンのペーストを乗せたもの。ヨーロッパでは飲みすぎたらコーラとクラッカーでケアするとのことで、韓国のMと日本の我々は魚や貝のスープを飲むんだ、と言ったら「えっ!飲みすぎた後に魚臭いものなんて見たくないよ!」と言われた。コーラ……なんで?

最後、我々だけ残ってCと朝方まで話す。M崎じゃなくてT畑を、M上じゃなくてN目を、と勧めておいた。

1/18-22

1/18(月)
数日遅れで妻の誕生日会を開く。語学で長いこと一緒のドイツのA、スイスのC、そして先日パリに帰ってきたアイルランドのGを招き、魚臭くなった部屋で手巻き寿司を食べる。皆が地元のお菓子を持ってきてくれて、お互いの国のことを話す。『静かなる男』を見たよ、とGに言うと、先日パリのアイルランド文化施設からフラ語に顔を出しに来た方がまさにあの舞台となった辺りの出身らしく、あんな場所、あんな暮らしが地上にまだ残っているのかとアイルランドへの憧憬を強くする。ビール飲んで、フィッシュ・アンド・チップス食べて、ウィスキー飲んで……。
ケーキだけは買いに行ったのだが、買いに行った時にちょっとした事件があった。というのも値段に怯えながら私が思い切って注文したタルトが、店員さんがそれを箱に入れた拍子に箱ごと落っことしてしまい、替えを探してくれたのだが在庫が一つしかなかったのだ。別の店員さんが「他に欲しいものはある?」と店員の決まり文句で笑わせてくれたのだが、本当に他のを選ぼうとしていたら、なんと落としたケーキを無料で私にくれたのだ(箱ごと落ちたので少し壊れてはいるが汚くはない)。なんという幸運!でもだったらもっと高いのを頼んでおけば良かった……。そしてスーパーで適当に買ったロウソクが、消してもまた復活するタイプのやつだったらしく(そんなのあるのかよ!)、みんなで全力で吹いても消えず、結局Cが指で消していた。珍妙な誕生日会であった。

1/19(火)
パジャマも着ずに寝ていたらしく、朝、半裸の自分に気づく。そして既にフラ語の時間が迫っており、急いで風呂に入って講座に出かける。アキオ、赤ワインはあなた向けじゃないのよ!と言われ、苦笑しながら席に着く。妻によるとなんと4人で8本を空けたらしい。けろっとした顔で授業に来ていた飲酒のプロ、アイルランドのGも、流石に苦笑いしていた。後でGに「ドイツ語圏の人たちはダメだな。君には名誉アイリッシュ・マンの称号をあげよう」と言われ、嬉しいやら恥ずかしいやら。
夜、妻と2人でカフェに出向いて手紙を書きまくり、帰って私は作業をする。フランス語を InDesign で組んでいたら、Sabon Next のアクサン・グラーヴ(è)とアクサン・テギュ(é)の位置が気になりはじめ、オリジナルの Garamont(d) のアクサンは前寄り/後ろ寄りなのか中央なのか調べているうちに深夜に。感覚的にはアクサンが中央にある方が「jusqu’à」なんて組んだ時に読みやすいのだが、でも Sabon Next 設計したのはフランス人だし、確かに気にしてフランスの印刷物を見てみるとアクサンは前後に寄っているのと真ん中にあるものと2種類ある。日本だとアルファベと約物の設計ばかり議論しがちだけど、それ以外のエレメントについては疎いし、「欧文」と一括りに言っても結構そこには各国間で慣習的な差があるような気がするのだがなあ。これは図書館案件だ。

1/20(水)
夕方、国立図書館新館に行くが予約の日にちをなんと1日間違えていたので、見られず帰る。別にまた来ればいい話なのだが、フランスに来てからこういう凡ミスが増えたので、ちょっとショック。
夜、出し巻き卵を作っていたら火災報知器が作動する。多少煙が出ていたのでその可能性もあるなと思ったが止め方が分からず、試しに妻が真ん中のボタンを押してみたら止んだ。しかし夜中の5時、寝ていたらまた火災報知器が作動する。煙なんかどこにもない。だいたい鳴ったところで誰も電話してこないし、ノックも無い。ついてる意味ないだろ、これ。今年の夏から法令によって設置が義務付けられ、突然寮の従業員がやってきて設置していったのだが、別にスプリンクラーの一つもついていないし、どこかに連絡が行くわけでもなく、ただピーピー鳴るだけ。馬鹿なの?

1/21(木)
朝、フラ語。火災報知器の話の流れで「フランスの機械なんか大嫌いだ」と言ったら「なんで?」と言っていた。フランス人的には自覚ないのかな。かつてスイス人に「あらゆるものがちゃんとデザインされてるね」と言ったら、「そう?」と言っていたし。そんなものなのか。消防隊員が火災元を見つけられるように設置が義務付けられたそうだが、えーと、消防隊員が来る頃には我々は死んでいるし、だいたい彼らは入り口のゲートとか開けられるんでしょうか?
フラ語終わりで急いでシネマテークに行き、短編3つを見る。オランダのJoris Ivens / Mannus Frankenの『La Pluie  Regen』、ジャン・エプシュタインの『Le Tempestaire / テンペスト』、ジャン・ルノワールの『Une partie de campagne / ピクニック』。ルノワール、撮影が途中で頓挫してしまったため短いものの、非常に美しかった。ふざけた人ばかり出てくるのに途端に人生の真髄に触れ、美しい自然が描き出される。結婚前の田舎での一時に自らを解放させた地元の男に結婚後再会し、あの頃に戻りたい気持ちをこらえて別れ際にやる一瞬のシルヴィア・バタイユの目の動き、打ちのめされる。

1/22(金)
朝9時、再び火災報知器が作動。ふざけやがって。こんなもの意味ないから取り外してやる、と椅子に上って弄っていたらポロっと剥がれた。ただ糊で貼り付けてあるだけで電池式らしい。このまま倉庫に放り込んでやろうとも思ったが、留守中にまた鳴られても迷惑なので、レセプションにたたき返す。
朝飯がてらカフェのカウンターでコーヒーを飲んでたらドイツの友人Aがやってきた。「昔うちの火災報知器は電池がなくなって鳴ったことがあるわ。彼らにはそれしかコミュニケーションの方法がないのよ。」と言っていた。赤ん坊か、お前は。
国立図書館新館に出直し、調べ物。50年代のフランスの書体見本帳を読む。
夕方終わったので、隣の映画館で『CAROL』2回目。1回目よくわからなかったややこしい撮り方が2回目にして理解でき、脱帽。子どもの頃親の本棚で見つけた本を開いてみるなんとも言えない感じに近いというか、ミニチュアの世界の中で行われている劇に入ってみている感じというか。観客はいつもガラス越しや隣の席、柱の影や階段の下など2人の登場人物の外から覗かされいて、重要なシーンだけポンと登場人物の前に置かれる。伏線もきちんと画面に収められているが強くほのめかされることもなく、50年代初頭の赤狩りの時代にいつもお互いが監視し合っている感覚がしっかり画面に定着されている。屋外のシーンになると映り込むものがこれで大丈夫かと思うシーンもあったりしたし、現代の街の中に古い車が走ってるだけのように見えなくもなかったが、衣装や室内は非常に凝っていて、窓の無数の擦り傷が印象的である。あとはこのどこか変な色調、粒子感で、デジタルで粒子をつけた感じには見えないよなと思い、帰って調べてみたらなんと Super 16 で撮ってるらしい。デジタル化に争いながら大判の 65 mm で撮るタランティーノやP. T. アンダーソンらの選択とは逆を行って、高精細性(という言葉はあるのか?)を捨てて粒子感を強調しているようだ。上映はデジタルだったが、稀に 35 mm で上映されるそうで、是非見てみたい。

 

1/15-17

1/15(金)
昼から図書館。行きがけに雹が降ってきた。まあ私が外出したから降ったのですが。今年はまだ雪が降らない。降ったらヴェルサイユに行こうと待ち構えているのに、なかなか降らず。チャンスはあるのか。

図書館で書き物をしていたら館内が冷えてきたので早めに外に出て久しぶりに日を浴びる。パレ・ロワイヤルからパンテオンあたりを通ってリュクサンブール公園まで歩き、書き物の続きをしようと思って公園内のカフェなんてものに腰掛けたら10分で閉園の時間になってしまい、追い出された。しょうがなく家に帰る。

晩飯は二日連続お好み焼き。キャベツが異常な弾力を見せる。二日でお好み焼きソース使い尽くす。もうしばらくいい。

1/16(土)
病床でずっと読んでいたブヴィエ『L’usage du monde(世界の使い方)』をとりあえず邦訳で読み切る。私にはこんな根性はないのは言うまでもないが、故障した車をエンジンまでバラバラに解体して再び組み立て直しながら悪路を進むということは自分の車によく親しんでいなければ不可能だし、ここまで自分が見たもの・体験したことを客観的に描写しつつ、読者に想像力を動員させる言葉でほのめかしたりするなんていう芸当は、余程の能力がないとできないことだ。私の知り合ったスイス人逹も皆落ち着いていて、洞察力が高く、独立していて、自らで何かを組み立てようとする意思に満ちている。自分を含めた全体を客観的な視点で見ていて、しかし決して冷たいわけではなく懐に飛び込むと親しく話してくれる。個人的にはそんなスイス人への思いさえ抱かせる。スイスはまた(金のある時に)訪ねたい。ところでタイトルの「usage」というのはやはり翻訳不能で含みの多い言葉である。本文を読んでもはっきりはしない。使い方、説明書、活用法、活用すること……フラ語の先生が「タイトルも天才的!」とか言っていた気がするが、なぜだったかは忘れてしまった。今度ニュアンスを聞いてみよう。

昼は最近友人に教えてもらった、トイレが有名な近所のビストロで昼飯。仔牛のマレンゴ風ソテー、アンディーブとリングイネ添え。ささっと出てきてささっと食べられ、立地の割には値段もそこそこ。リングイネはなぜか普通のスパゲティも混入していて、作り置きののびのびだったが付け合わせなのでまあ許す。特別ではないが、飯作るの面倒な時とかパリっぽいもの求めてくる友人連れてく時なんかに重宝しそう。何しろこの辺にはうまいものなんか皆無なので、マルシェで質の良い食材買ってきて自分で作ったほうが値段も味も良いし何より創造的なのだ。だから私のところに訪ねてきて「近所でおいしいところどこ?」と聞くのはやめてください。近所には無い。皆無。尚ビストロなんてものはもう存在せず、「ビストロ」と名乗っているのは過去にあったビストロというものを冠したカフェかレストランであるとのこと。ここもまあビストロっぽい飯が出てくるだけで、あとは雰囲気である。

その後、ソルド(セール)で自分の靴を買いに行ったつもりが妻が靴を買い、自分はなぜかワインをぶらさげて帰ってきた。おかしい。

晩飯はポティマロンをくり抜いてベーコンとか玉ねぎとかチーズとか放り込んでオーブンで焼いた謎の料理。いつも買ってはどうしたらいいか思いつかず一週間ぐらい放置されるのだが、なぜか買ってしまうこの形。嫌いじゃない。

1/17(日)
午前中、マルシェ。異常に寒い。0度近い。ここ数ヶ月ホタテがうまそうだなあと思いつつ、高くつきそうなのでいつも躊躇していたが、今回も。次回こそ勇気を出して買ってみよう(まあ、でもホタテだろうが)。それにしてもホタテがサン・ジャックと呼ばれるのはサン・ジャック・ド・コンポステル巡礼に使われるようになってからだというのはまあそんなもんかと思って理解できるが、今日は見かけたサン・ピエールという名の魚はシャクレていて背から角のようなトゲのようなヒレが出ている。こんな魚に聖人の名前つけていいんかい、とフランス人を問い詰めたくなる見た目であった。日本ではマトウダイというらしく、脇腹にある的のような大きな斑点がサン・ピエールの指紋に見立てられたとか。ゼウス属に属していて(フランス語ではズース)、こちらはなぜだか知らないがなんだか大層な名前の魚である。あまり食べてみようとも思わないが……。

昼過ぎからプティパレに最終日の「ファンタスティック!国芳」展と「ファンタスティック!幻視的版画 ゴヤからルドンまで」展へ。何がファンタスティック!なのか知らないが、国芳は凄かった。どこのコレクションなのか大部分は明記されていなかったが、主に日本からの巡回パッケージで、それにモネとロダンの所蔵品、パリ市立系文化施設の所蔵品等を足したものではなかったかと思う(混みすぎてて全ては確認できず)。悪いけどこの絵のダイナミズムと刷りの技術の後ではゴヤもルドンもドレもメリヨンも霞んでしまって……。いやデューラーの『メランコリー』は見入ってしまったけど。国芳の圧倒的勝利でございます。個人的には達磨が蕎麦を食ってるやつの本物が観れて嬉しかった。いつもトイレに貼ってあった蕎麦錦絵カレンダーで観ていたので。

晩飯は明日の食事会用に買ったタイのアラで潮汁。といってももちろんマダイではない。今までタイの代用品として買っていた「Daurade Royale =王様鯛」(ヨーロッパヘダイ。黒いやつ)ではなく、最近見つけた赤い「Daurade Rose =バラ色鯛」(または Pageot)というのを買ってみた。日本ではスペインダイというらしい。見た目はかなりマダイっぽいがやはり形も色も少し違う。そして狂気を感じるぐらい骨が硬い。それでも潮汁は美味しかった。あとは顔が尖り気味の「Daurade grise =灰色鯛」というのも売っていた。

1/12-14

1/12(火)
本格的に具合が悪くなり、1日寝る。本も読めず、映画も見れず、携帯をいじるぐらいしかできることもなし。ところが妻に風邪が伝染し、世話をしてくれる人もいなくなった。

1/13(水)
寒気がほとんど無くなったので、少し微熱は残っていたものの外の空気を吸いたくてたまらなくなり、夕方トッド・ヘインズ監督『CAROL』を見に行く。なんだか歪な作りの映画であった。時代劇としてコテコテに美術に走るわけでもなく、かといって物には異様な拘りを感じさせ、主演二人の女性のベッドシーンを長めに撮りながら、かといってそこまで露出に走るわけでもなく。抑制が効いているといえば抑制が効いているが、2015年になぜこの話をこの撮り方で撮るのか、いまいちわからないまま見終わった。話もゆっくりとしていて贅沢というか文学的というか。もう一度見てみよう。
しかし見ている間に具合が悪くなってきたので、帰りに中華を買って食べて即寝る。

1/14(木)
朝起きると風邪は治っていたので、図書館に出かける。あちこちから聞き覚えのある咳が聞こえるので、どうやら流感らしい。楕円形の空間の中心にいる自分のところにウィルスが集まってきてはいないかと不安になる。
帰ってお好み焼き作る。キャベツ切って材料混ぜて焼くだけだから割と楽チンであるが、いかんせん調味料は高い。こちらの材料でいろいろごまかす。Kマートのチャンジャがうまい。

1/11

風邪、またもはっきりせず、ブヴィエ読んで、ジョン・フォード/マーヴィン・ルロイ『ミスタア・ロバーツ』、フォード『モガンボ』見る。『ロバーツ』はどうもフォードっぽくないが、いつヤシの木をぶん投げるかと楽しみに見ていて、投げた時は思わずガッツポーズをしたくなる。クラーク・ゲーブルのスケベ顔はゴリラにやられればよい。なんであんな奴のところにエヴァ・ガードナーが行くのか、許せぬ。
夜中、少し熱が出る。シャバの空気が吸いたい。

1/10

朝イチで喉スプレー。これは本当によく効く。
西アジア・中東のど真ん中で立ち往生しているブヴィエの本を読みながら氷雨降る中庭の風景を眺め、「感受性を犠牲にして精神を発達させた」自分たちの世界とは全く別の世界を思う。
夕方には読書にも疲れ、PCでアルトマン『MASH』、ジョン・フォード『三人の名付親 3 Godfathers』見る。フォードはいつだって私達を驚かせるが、これもまたウェスタン・アクションだと思いきや荒野で出産に立ち会ってしまう強盗達の話で、『ハリケーン』並の強風に幽霊まで現れ、あらゆる点でフォードの懐の広さ、寛容さを感じる。人類にはフォードがいて良かった。思わずまたクリスマス映画だった。

1/9

昼頃から図書館。帰り道、ソルド一色の街の中、ネットで調べたレタープレス屋に寄ってみると、悪くない。あるところにはあるのだ。しかし工芸品扱いなのか、高い。さすが、おパリ。
帰って飯食ってスティーブン・ザイリアン監督『ボビー・フィッシャーを探して Searching for Bobby Fischer』を見る。チェス的にどうなのかは全くわからないが、タイマーを押す音でリズムを出していて、盛り上がりだけは伝わる。何しろこんなに良いローレンス・フィッシュバーンを見たのは初めて見た。アカデミー賞あげたい。ライバルの少年が意外とチョロかったのが残念だけど。
しかし見てるとだんだん寒気がしたので終わったら急遽寝る。酷い喉の痛みで、喉スプレーをする夢を何度も見るが、結局朝まで喉スプレーをすることはなかった。