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5月 映画以外日記

5月某日
『ペスト』には、人々はやがて未来について考えるのをやめたというようなことが書いてあった。前向きに生きようとしないと希望を持てないとはいえ、いつやってくるのかわからない未来を前提とするのは辛いものである。未来が無ければ過去しかない。ペストの街の映画館では同じフィルムが繰り返し上映され、劇場でも同じ戯曲が上演され続けた。それでも観客はいっぱいだったのである。確かにこれは過去のものを見直すのに最適な時間である。むしろこれまでは何をあんなに新しさを求めていたのだろうかとすら思わされる。ある種のヨーロッパ人のように古典を至上としてそれを反芻し続けるのもそれはそれとして理のあることであろう。しかし積極的に未来を描かなくても、過去と現在を蹂躙し私腹を肥やそうとする奴がいるのだから人はやはり戦わなければならないのだ。

5月某日
当初は海外の友人にも積極的に連絡を取っていたが、常に自粛を迫られて内向きになっているからなのか、あるいはそれぞれが疫病の流行曲線の異なる時期を生き、それぞれのドメスティックな状況を戦っているのだからそっとしておくべきだと思うからなのか、あるいは何かしらの嫉妬や憐れみの感情からなのか、いつしか連絡をするのも億劫になった。フランスは外出禁止令が解除になったそうで、それが本当にコロナ終息を意味しているのなら喜ぶべきことだろうが、未だに1日400人も新規感染者がいるし気軽におめでとうとは言えない。寧ろ疑念しか湧かない。個人の自由を徹底的に奪うのが疫病であるなら、自由について希望を持つことを不謹慎だと思うように人はいつしか飼いならされていく。日本も外出自粛「要請」しかなく経済的支援もいまだろくに行き渡っていないにも関わらず、自己防衛のおかげでかなり感染者が減ってきたし、マスクや除菌グッズも市場に出回ってきて、医療現場が今どうなっているかはわからないけれども、懐疑的な私ですらもう外に出ても良いのではと思うようになってきた。しかし外に出てみれば世の中は思った以上に停止していて、そういう気持ちになった自分を反省してみたくもなるし、果たしてこのまま新規感染者が0になったところで諸手を挙げて祝おうという気にはなれないだろう(友人とコーヒーを飲んだりはするだろうが)。むしろ『ペスト』のコタールのようにこの状況が止むのを恐れてすらいる。この不思議な感情はなんだろうか。それに何か本当に社会のシステムが変わろうとしているとすら感じられる。それは「コロナ後の新しい社会秩序」とかではない、得体の知れないもののような気がする。私には大企業の空気など想像すらできないが、毎日終電が当たり前だった会社ですら数ヶ月先のテレワークの連絡が聞こえてきているし、大学も今のところ前期はオンライン授業で突き通すようである。私には日本社会がもっとどうしようもなく変わりそうにないものだと思われていた。しかし本当に根本的なものが変わろうとしているのか。そしてそれに自分自身が置き去りにされようとしているという感覚もある。果たしてどうなるのか、想像がつかない。

5月某日
家にいるのがあまり好きではないのだが、家にいなくてはならないのであれば少しでも快適にするしかない。引っ越して以来放置してあった本やCDを処分し、本棚を移動、ストレスフルだった場所を機能的に改善する。シンクの錆や鍋の焦げ付きを掃除し始めたら何かと気になり始め、ハイターや金属磨きなどを買って磨き始める。良い労働になったが妻には狂気を感じると言われた。

5月某日
朝から近所の地主のジジイの怒声が聞こえてくる。ベランダから見れば誰にというわけでもなく怒って回っている。ある日突然嬉々として大木を切り倒したり、道行く人にガン飛ばしている親爺で、私も何度か因縁をつけられたことがある。なんともない時もあるから単に虫の居所が悪いのか発作的なものなのかよくわからない。あとで近所を歩いてみれば、その大木を切り倒していたところに新しい家が建つらしい。朝8時きっかりから草刈機の音が響く日々が始まる。

5月某日
前日朝まで起きてたため昼過ぎに目が覚めると、3度程ガラスを激しく叩く音がした後に割れる音がし、子供の泣き声と共に大家さんを呼ぶ声が。ベランダから見ると、外に子供2人が飛び出してきていて、1人が手から血を流し叫んでいる。妻が先に救急箱を持って降りていって、完全に寝起きだった私は後から掃除道具を携えていったところ、真下の家の3兄弟の子が手当てをしてもらいながらふさぎこんでいる。親も不在の模様。隣の家の奥さんも駆けつけて手当てをし、私は家に上げてもらってガラスの掃除。遊んでいて窓をぶち破ったらしいが、そこそこ丈夫なガラスなんだけどな。大家さんが車で公立病院まで連れていったが大事なかった模様。あとで妻と「下のお家、物が全然なかったね…。うちはなんでこんなに多いんだろう…。」と嘆息する。

5月某日
カミュ『異邦人』読了。遅読なのでこんな薄い本を読むのでさえ3日かかる。原文は読んでないが複合過去ばかりで書かれているらしく、確かに他人の日記を読んでいるような、回顧的で単純な一人称の文章が続く。カミュが果たして文体で評価されるような作家なのか、説話で評価されるような作家なのか、あるいはその精神や問題意識によって評価されるのかは私にはわからない。ただ日記としての感想を記す。母親が死んでも大して動揺せず、翌日偶々再会した同僚の女と関係を結び、フェルナンデルのコメディ映画を見たり女衒の知人の諍いに首を突っ込んでみたのちに、行きずりで人を殺してしまったというだけの話だが、生に不必要に意味を与えずただ自分に正直でいただけなのに、検事や弁護士によって自分が不在のまま自分の物語が作り出され、特に脈絡のなかった行動の全てが動機あるものとしてつむぎ直され、ギロチン刑を宣告される。前半の地中海の太陽溢れる欲望の世界が、衝動的な、しかも憎しみや逆上ではなく「太陽のせい」という理由だけで行われてしまった殺人を機に一転し、全てが巻き戻されてネガティヴなものとして語り直されていくところは衝撃的である。死刑を宣告されたムルソー氏にあくまで超越的な神を前にした悔悛を迫る神父を執拗に拒絶し、最終的には胸ぐらを掴んでキリスト教の誤謬を問いただすところは『ペスト』にもつながる主題である。思えば泣くという行為は人間の根源的な表現欲求でもあるし、後から社会的に学習した慣習的行動であるとも言える。子供の頃、いつものようにマンションの駐車場で遊んでいると、螺旋の非常階段を降りてきたいとこのお姉ちゃんに祖父が死んだと告げられた。この時私は特に泣いたりはしなかったし、悲しかったかどうかもわからない。それは死ぬということがどういうことかわかっていなかったからかもしれないし、祖父とそんなに親しく遊んだわけでもなかったからかもしれない。しかし長く一緒の時間を過ごした祖母が高校の時に他界した際も、喪失感はあったがその場で号泣したりはしなかった。人が死んだら悲しくて泣くものだというのはよく知っていたにも関わらず、そのような感情に要約できたものではなかった。私はずっと泣き虫で保育園時代はずっと泣いていたが、なぜか昔から死ぬことについては達観していて(手塚の『火の鳥』を読んたからか?)、縁起でもないけれど今近しい人が死んだとしても果たして泣く自信はない。映画を見て泣くことはやがて憶えたにも関わらずだ。他人から見れば冷血なのかもしれないが、私は私なりに受け止めていて、未だに忘れられない死を日々思い出しては考え込む時もある。『異邦人』のムルソーも母を養老院にやることが最善であったし、母はそこでかつてなく幸せだったのだから悲しむことはないと考えていた。現代社会で生きていくにはある程度自分の人生を物語化して語らなければいけない。私はここでこう考えてこうしたのだと論理立てなければいけない局面が多々ある。あるいは論理立てて行動した方が効率が良いだろう。しかし人間の行動などその場任せのものではないのか。人生で起こるハプニングにその場その場で思いついて行動したことの集積に過ぎない。その人生全体に意味を持たせられる人間などそうはいないだろう。ムルソーは恋人に「私を愛しているか」と問われ、「それはわからないが、君が結婚したいというのならそうしたいと思う」と返した。しかしそのようなことを口にする勇気が私にはないだろう。なんという率直で自由な男だろうか。『ペスト』のタルーが死刑を目撃した時の嫌悪感をきっかけに検事の親父と社会を憎み始めたと語り始めた時も、最初は「それを言ってしまってはおしまいじゃないか」と思った。しかし早急に死刑に対する賛否だとか自然法と実定法とかいう話になるのではなく、人間本来の生というものはそのように奪われて良いものなのか、そして社会という名の下に、しかも代理人の手を持って、人の生を抹殺しても良いのかという地点にまで戻してくれる。少なくともカミュの2作品は私にとってこのようなことを考えさせた。

アルドリッチ祭

巷ではアルドリッチ祭が行われているようなのだが、金もないし時間もないので家でDVDアルドリッチ祭。
初見の『ふるえて眠れ』。様々な角度から捉えられた邸宅のショットの連続に冒頭から痺れるが、『何がジェーンに』よりも感情の機微溢れる演技で演じるベティ・デイヴィスと彼女に優るとも劣らぬ演技の名優たち、セットの明快かつ豪華な衣裳に魅せられ続け、虐げ続けられた女の解放がさらなる悲劇という形でしか実現されないという冷酷な結末に感情移入とはまた別のところで圧倒されていたところ、彼女に唯一の理解を寄せた保険会社の老紳士との視線のやりとりを完璧きわまりない編集でたたみかけるラストシーンに打ちのめされ、さらに追い討ちをかけるように主題曲が被せられる。その瞬間、唐突に涙が流れる。傑作には言葉が要らないとはこのことである。
それにしても『北国の帝王』の異端さといったら…。どこが「究極の男のロマン」なんだよ!

どうせならステイサム映画が見たい

ジュラシック・パークの新しいやつ。
2018年新作恐竜CGお披露目会。確かにCGはよくできていて、デザイナーなんかバカバカしくてやめようか、とは思った。ジェフ・ゴールドブラム再登場は笑えるけどさ。まあでも人間と動物との付き合い方を考えさせる希少な映画ではあった。恐竜で金儲けしようとするやつらは全員喰われるべし。しかし猿の惑星ジェネシスみたい展開になっちゃったけど、本気で回収する気はあるのか。

ミッション・インポッシブルの新しいやつ。
全然よくわからなかったし、会話のシーンになると途端に苦笑してしまうんだけど、まあ、パリは意外と地理的に正しく撮っていたし、住んでいたところの近所も通ったから、千円分は楽しんだかな。なんで凶悪犯を財務省のヘリポートに降ろさないかんのかはわからんけど。それからフランスの警察はトム・クルーズを包囲できるほど有能じゃないと思ふ。莫大な予算を投入したジェイソン・ステイサム映画と言ってしまえばおしまいな気が。次回、デパルマに回帰!とかはさすがにないか。金をかけてる割に優雅さが無い。

貸本版の『河童の三平』を読了。鬼太郎より、悪魔くんより恐ろしいのはこれだと思う。何が怖いって、御大そのものが。常軌を逸している。

2/11-2/14

2日かけてフォンテーヌブロー城、シャンティイ城を再訪。よりにもよって極寒の2日間。翌日には嘘のように暖かくなる。

ル・ノートルは素晴らしいというより狂っている。この規模で庭園を設計しようなどと誰が考えるのか。

シャンティイ城の図書室。小さな部屋だが珠玉の書物史の展示が行われている。これは前回特別展がやっていたため見られなかったものだ。ルリュールの名品が並ぶ。ファクシミリしか展示されていない『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』はしかるべき手続きを踏めば見られるのだろうか。ここの蔵書はもっと古い当主のものだと思っていたが、フランス最後の王ルイ=フィリップの息子、オマール公アンリのものであった。つまり19世紀のものである。

8/1-9

国立図書館通い。新館に移ってしまった地図部門の使い勝手が悪い。前は本を頼んだらすぐ出してくれたのに、今後は1日3、4回決まった時間にしか出してくれない。しかも昼休みがあるからうっかり11時過ぎに行くと3時間半近く待たされる。あの旧館の地図閲覧専用の傾斜がついた机も好きだったし、部屋の片隅に象徴的に置いてある地球儀も、周りの本棚に何気なく置いてあるレベルの高い二次文献も、職員の暖かく落ち着いた雰囲気も好きだった。知性、教養というものを体現していた。失われつつあるフランスの香りが嗅げる数少ない場所だった。これを言い始めると止まらなくなるが、10年ほど前に初めて来た時パリはもっとグロテスクで(いい意味で)、観光客に阿る悪しき拝金主義はそこまで蔓延っていなかった(それでももうEUだったしスターバックスの1、2店はあったから、私の知っているパリなど微々たるものだが)。今ではお馬鹿なパリ市長のおかげで政府ぐるみのパリ白痴化。サッカーのユーロ杯の時にはエッフェル塔に巨大サッカーボールを吊るし、シャン・ド・マルスでサッカー観戦。クリスマスにはコンコルド広場に観覧車を設置し、シャンゼリゼ通りでクリスマス市という名の大お土産市。夏にはセーヌ河岸に何トンもの砂を持ち込んでパラソルを設置し、泳げない川辺で似非海水浴場気分(今年は写真も飾ってる)。文化財はどこもかしこも馬鹿みたいに修復してしまって(それも酷く)、シテ島の周りは真っ白。次はシャンゼリゼでドローン祭りだそうだ。市長の面子を保つためにイベント会場に軍隊と警察を集中させて、メトロも空港もセキュリティなし。バカバカしくてやってられない。

週末にフォンテーヌブロー城へ。言葉にすると陳腐だが、これは衝撃的。フランスにおける建築様式の歴史が部屋ごとに追って見られるような、建築様式美術館であり、状態もよりよく維持されていて、観光客がそこまで多くないこともあって個人的にはヴェルサイユより断然好み(ル・ノートル設計の庭園はまだかなり単純で、ヴェルサイユのそれの豪壮さには程遠いが)。しかしここも数年後には現代アートを投入されてヴェルサイユみたいになってしまうらしく、想像するだけで気分が滅入る。次回は森に行ってみたい。

フェリーニ『Felini Roma(フェリーニのローマ)』『Les Vitelloni(青春群像)』。最初に見たのが『8 1/2』と『道』だったおかげで今までフェリーニは苦手だったのだが、ようやく楽しめるようになった。祝祭、熱狂、下衆な見世物取らせたら天下一品。会場終始笑い続ける。この映画を見る時の温度のようなものが今の日本にはあまり無いなあ。編集の切り方がせっかちなのは少し苦手だが。あとこちらで見ると日本でいる時と感じ方は変わってくるとは思う。

5/6-13

5/6
仕事。

5/7(土)
朝、テレビにてアフガニスタンの美術についてのドキュメンタリーを見る。中東の美術については全然無知で、関心はインドやチベット止まりだったのだが、ヨーロッパ人が中東について話すときのある種神秘めいた熱意のこまった表情や、ブーヴィエの旅における記述などを読んでから自分の中の興味が高まっていた。フランスにはいい人も悪い人もどちらかわからない人も含めて色々な中東の人がいた。だが興味を持った頃にはその文化は急速に失われつつあり、略奪されたアフガニスタン国立博物館の人が語るように自国の歴史を失ったという感覚はどのようなものなのか、想像すら容易くない。
昼から仕事し、夕方名古屋駅まで行く。

5/8(日)
朝、桜天神社へ。「名古屋三天神」なるものがあるらしく、そのひとつは我が家から至近にあって初詣に行ったりした天満宮だったらしいのだが、それらで「鷽(うそ)」という木彫り(または陶器)の鳥の置物(?)を毎年交換して縁起を担ぐならわしがあるらしい。全然知らなかった。ここはその一つで陶器の鷽。もちろん私が集めているわけではない。
夜、Skypeフラ語講座。今日は主に文法の説明をしてもらったが、我々の用意しておいたクロワッサンマフィンとフィナンシェドーナツを食べてみるコーナーを設けた。向こうは「そんなもん食えるか!」と言っていたが、日本人的にこういう珍料理を生み出す精神は理解できなくもない。よくも自国に全くなかったような食べ物を想像力と少ない情報だけで作り上げ、それを本物だと思い込んで食べ、挙句にはそれら同士を組み合わせて新しいものをでっち上げてしまう。とりあえずその努力は世界でも珍奇なものではないかと。でもちょっとフィナンシェドーナツは食えたもんじゃなかった。

5/9(月)
フランスからの食生活がたたり、今日、初めて胃カメラを飲むことに。辛い。聞いてたのと違う。
昼、ここぞとばかりに寿司ランチを食いに行き、雪辱を果たす。

5/10(火)–5/11(水)
書類書き及び仕事。

5/12(木)
父を除く家族全員で三重の祖母の家。正月以外に行くのは何年ぶりか。何もない田舎の村だが、この季節は良かった。花も咲いているし麦が実っている。昔石を放り込んで遊んだ穴で姪・甥も遊ばせる。
夜は弟のそっくりさんが店長をやっている居酒屋で魚を食いまくる。

5/13(金)
昼頃、高速バスで千葉へ。バスがダブルデッカーのため、高速の外の景色がよく見えるが、新緑が美しく、よくもまあこんな渓谷に集落を作ったものだとか、よくもまあこんな河口堰を作ったものだとか、関心しきり。この時期の日本は意外と(ではないかもしれないが)素晴らしいのかもしれない。

4/28-5/5

4/28(木)
昨日泊まっていった姪・甥と一緒に雨の中モーニングへ。朝からゆで卵を2つ食べる姪。
区役所まで車で送ってもらって保険証を受け取り、既に診てもらった病院と薬局をまわって診療代の払い戻しを受ける。栄で買い物をして帰り、夜はまた姪と甥に無茶苦茶にされる。ゆで卵を2つ食べた後で、人の顔の前に尻を持ってきて放屁するのはやめなさい。

4/29(金)
昼、蕎麦を食べてから松坂屋創業者の伊藤次郎左衛門の別荘を見に行く。軽井沢の帝国ホテルの意匠を模した玄関があったり、修学院離宮の橋を模した橋があったり、様々な種の竹が生えていたり、地下にインド風の意匠のダンスホールがあったり、謎の地下トンネルがあったり……。不思議な場所であった。
その近所にある、幼いころ遠日でよく連れられていった日泰寺に再訪。タイから寄贈された仏舎利を納める寺院だったらしく、日本唯一の超宗派の寺院とのこと。なつかしいみたらしを食べるが、これはみたらしというより醤油だんごだ。
その後、七尾天神で嫁が「うそ」をもらい、そのまま名古屋城見学に付き合う。初めて見た「おもてなし武将隊」は、かなりKOEIと『花の慶次』入っている気がする。同級生とか近所の人がやってそうでちょっとハラハラするが。その後、改装した大名古屋ビルヂングを冷やかす。
夕方、Fさんと会って沖縄料理。帰って深夜にSkypeでフランス語講座。疲れて寝る。

4/30(土)
朝、妻が東京に帰り、私は仕事する。

5/1(日)
終日、仕事。

5/2(月)
終日、仕事。

5/3(火)
書類書き、調べ物。夜読み始めたサミュエル・フラーの本が面白くて止まらなくなり、深夜まで読みふける。

5/4(水)
仕事。

5/5(木)
仕事。
夜、焼き鳥食って帰ってきて、Skypeでフランス語講座。主にサミュエル・フラーの話とクロワッサンマフィンの話。

12/23-25 クリスマス

12/23(水)
朝、寿司の仕入れ。
昼、ポルトガルの友人Aの部屋にお別れの挨拶に行く。ちょっとお茶するつもりがバカリャウのリゾットまでいただいてしまい、出発直前なのに非常に恐縮。しかしうまかった。スイスの友人Sやアルゼンチンの友人Fも来て一緒に食事する。アルプス出身というSの旦那さんの料理の話も興味深い。それにしても飛行機間に合ったのだろうか。
夜、モン・ドールをフォンデュ状にして食べる。まあまあうまい。

12/24(木)
今年いっぱいのフラ語の予定回数がすでに終わっていたため、今日は先生Bとお茶の会。動物愛護の話とユーロ圏特有の話になると私にはどうにも話すことがない。
ドイツの友人Lの家でクリスマスディナー会。ドイツ、イスラエル、アルゼンチン、オーストラリア、ルーマニア等々、手作り料理が持ち寄られる。我々は手巻き寿司とちらし寿司と饅頭。「スーシー」「アンコ」「モチー」が飛び交う。ルーマニアの人のロールキャベツが異常にうまく、余りをいただく。ここでしかできないようなクリスマスであった。つい日本には裸まつりがあるとか、正月にはモチを食べるが老人が喉に詰まらせて死ぬとか、そういう話をしてしまう。

12/25(金)
昼からサン・ジェルヴェ、サン・トゥスターシュを回る。朝来ればクリスマスのミサがあったらしい。夕方、日本の友人の働く某パン屋のカフェにひょっこり遊びに行く。おすすめのモンブランなどいただく。
その後、帰り道でペレ設計のベンジャミン・フランクリン通りのアパルトマンとイエナ宮/公共事業博物館(Palais d’Iéna/Musée des Travaux)、マレ=ステヴァンスの消防署を見る。
夜、デヴィッド・O・ラッセル『世界にひとつのプレイブック Silver Linings Playbook』を観る。『ザ・ファイター』も『アメリカン・ハッスル』もそれなりに良かったけど、これはちょっと奇跡的に良かった。ドキュメンタリーチックな撮り方をしてるくせに、ジェニファー・ローレンスが家に乗り込んでくるあたりで急に映画になるところがなんとも図々しい。賭けの相手になるじいさん、ずっとアラン・アーキンだと思ってたら違った。

11/29-12/5

11/29(日)
午前中、マルシェ。
夜、『M:i-III』。全く打ちのめされることのないJJA映画を「面白い」と表現していいかどうかはわからないが、トム様活劇としてやっぱり見入ってしまう。初見と同じく、フィリップ・シーモア・ホフマンがあまり活かされていないと思う。誰でもいいのでは。

11/30(月)
図書館地図部門にて作業。パリ地図の続き。今日も一人。
ファスビンダー『デスペア』。いつものファス組のドイツ人俳優の中にダーク・ボガードを放り込んで、英語劇。似ても似つかない赤の他人をそっくりだと思い込んで替え玉自殺しようとするチョコレート会社社長の錯乱模様を鏡だらけの部屋で演出。スイスの宿屋に警察が踏み込むところが途端に映画らしい。
その後トニー・スコット『トップガン』で不意に号泣。でもトム様はなんですぐ現役引退して教官になっちゃうの?

12/1(火)
風邪かアレルギーかわからないが喉が痛い。
しかし寝るほどでもないのでフランス語に行き、後は深夜まで仕事。

12/2(水)
風邪気味続く。30を超えてから風邪もしゃっきりしない。引くなら引けよ、という感じ。午前中から図書館にてパリ地図の続き。夜、『M:i ゴースト・プロトコル』。レア・セドゥーもっと出せ。

12/3(木)
昼、フランス語。夕方、チュリルリー庭園まで散歩。落葉しているとル・ノートルもなんだかわからない。
夜、私がこの世で最も影響を受けたであろう作品のひとつである『18h39(18:39)』の作者達に会いに行く。素晴らしい人たちであった。

12/4(金)
図書館にて仕事および大学に出す滞在記を書く。
夜、トニー・スコット初長編監督作『ハンガー』。全く違う場所で同時に起こっていることを次々につなぎ合わせる彼の編集的野心がよく見える。そのままジョエル・コーエン『バートン・フィンク』。そのまま変な人ばかりに囲まれる映画としてやりつづければよかったのに(でもそれに頼りきるほど変だとも思わない)、途中で殺人とか戦争とか持ち出してきてそれに対した説得力もなく、怖くもないし面白くもない。私には食えない。

12/5(土)
図書館にて少し作業。
大学に出す滞在記を書き上げる。

7/3-7/5

7/3
暑い。他に言うことがないぐらい暑い。日中部屋にいられないので買い物に行き、ついでに植物求めてMadeleine寺院の花マルシェまで行ってみるが規模が小さいし欲しいものが売ってない。

7/4
午前中、いつものマルシェ。食材のついでに植物を買う。
本日も猛暑により各地を転々とするが、ついにBnF新館が空調が効いてることを発見する。唯一のいいところだ。
寮を去った友人Hにもらったブレンダーでタイカレーをペーストから作る。エビを捌いてる時に一番蕎麦屋の息子だということを感じる。蕎麦打てないので(多分)。

7/5
天気予報が変わって急に涼しくなる。ああいい気候だと思って仕事していると突然後ろのドアが開いて若い男性が入ってきた。びっくりしつつ「何?」と言ったら「扇風機もう一個いる?」と言われ、「タダならくれ」と言ったら「ちょっと待ってて」って言って出て行ったが帰ってこなかった。よく考えたら日曜日なのにスタッフが働いているなんて変だ。本当にスタッフだったのだろうか。
昼、手伝いでバスティーユのマルシェについて行く。質はピンキリだが安さで言えばこれまでで最安。歩いてこれるし乗り換えも考える。
昼過ぎからカフェにて粛々と仕事する。涼しいうちにやっちゃわないと暑い日は無理。夜はE夫妻と飲む。