2021年

昨年後半は急に忙しくなり、映画も1本を除いては全く見る気力もなかったけれども、ほかでもないその1本であるオリヴェイラの『繻子の靴』は、前作『フランシスカ』のコンセプトを7時間に渡って展開させたまさに「やりすぎ」の極致であり、1本だけで下半期を充溢させるに十分な映画であった。ここで振り切ったことではじめて『ノン』『アブラハム渓谷』『階段通りの人々』といった傑作群が生まれたのかと思われる。苛立つ劇場主が劇場の扉を開いたと同時に客席へと雪崩れ込む現代の観客たちの様子をトラックバックで捉え続けたのち、舞台上で口上を打つ狂言回しにキャメラを振って、壇上に設けられたスクリーン内の「映画」へと入り込む、という冒頭の流れはまさにオリヴェイラ。その後も場面転換を「画面」に向かって説明しながら他の役者たちにコスチュームや立ち位置を指示し続ける登場人物が現れるなど、上演された舞台、映画、さらにそれを見る観客、という構造の隙間を抉り続ける。彼の映画を見るたびに大文字の「映画」に対する挑戦はもはや生まれえないのかと喪失感に失われるけれども、E/Mブックスのオリヴェイラ本で彼のフィルモグラフィーを見返してみれば、未見の作品がいまだ数多くあることに気付かされ、そこに希望を見出す。

授業が終わって年も越し、ようやく映画でも見るかという気になったので、山中貞雄『河内山宗俊』で映画初め。なんと空間づくりのうまいことか。身売りを決めた原節子が弟の元を黙って去るところで降る雪の美しさよ。笑って泣いてチャンバラで、最後は散り際の美学で締める。日本人でよかったなどと戯けた台詞を言いたくなる正月であった。最近の流行にあまり、というかほとんど興味が持てないので、昔のものばっかり見てる偏屈おじさんとして生きていきたいと思った次第。

「これが挑戦であることは分かっていました。クローデルは難解で、万人受けするものではないものの、潜在的には、人がそう思いたがるほど不人気なわけではないと考えています。観客の審美眼を涵養しなければならない。難しいことですが、そうすることが必要なのです。ルーヴル美術館に行く人は大勢います。いろいろと優れたものがありますから。そうした人たちはまだ食い物にされていない。彼らを悪い方向ではなく良い方向に開拓しなければなりません。」
—マノエル・ド・オリヴェイラ監督『繻子の靴』上映記念カタログ 16頁(2020年11月)