年末年始と渡仏前後

年末・正月
実家で下手な雑煮やら太巻きやら作って過ごす。母親の手際に感心。そういえば昔、店で寿司を出していたんだった。
リクライニング・チェアに座り、ほとんどゼロ距離に置かれた4Kテレビでジョン・ウーの『マンハント』とチェン・カイコーの『空海–Ku-Kai–』を半目で見る。内容はどうあれ、中国の勢いだけは見せつけられた。社会勉強になります。『空海』は腐ってもチェン・カイコーだなとは思ったが、もう少し火野正平を出してほしい。
年始早々東京に戻り、ほぼその足で長野。北向観音、小布施、善光寺に赴く。千曲川の別所線の鉄橋が落ちていたのが痛々しい。2ヶ月前のこととはいえ既に復興に向けたキャンペーンが各所で打たれていたのには、さすが日本だと愛国じみた台詞も言いたくなる。
午前3時に始まる善光寺の七草会に参加。それなりの覚悟はしていたものの堂内はやはり寒く、宿坊の方が気を利かせて貸してくれた膝掛けや羽織ものがなかったらギブアップしていたかもしれない。しかしこれでも暖冬とのこと。もう一度やる自信はあまりない。
明けて最終日、余った時間で渡欧のための買い物をする。しょうゆ豆やら高野豆腐やら、正直な物作りが大変ありがたい。そういえば「おやき」って私の数少ない苦手な食べ物だったのだが、久しぶりに食べてみると、美味しい。食べた場所が悪かったのか、それともおやきがよそ行きになったのかどっちなのだろう。

残り2日間で残務処理と買い物を済ませ、深夜の便で渡仏。いまだ滞在先が決まらず、直前までメールを打ちまくる。羽田はカルロス・ゴーンの影響か、心なしチェックが厳しかったように思える。今回選んだカタール航空はこれでもかというくらい設備が最新で、眩しいほど高輝度のテレビ端末に映画が100本ほど入っていたが、寝るか機窓を眺めて過ごす。特にドーハ=パリの路程はクルディスタンやアルプスの山々が見え、さながら展望路線。テレビに入っている地図アプリで現在位置を確認しながら3Dで回転・拡大することができ(ついでに「メッカまで何km」がわかる)、機窓に見える山々がどこなのか対応づけることができた。普段はロシア上空ばかりを飛んでいるので、わざと航路を変えてみるのも一興かもしれない。なにせこの眺めは数万円払わないと味わえない。
CDG空港に着くと、入国審査に長蛇の列ができている。それでもゲートが半分ぐらいしか開いていないことに懐かしさすら覚える。空港のWi-Fiでメールをチェックしても滞在希望先からは断りの報せしか来ていない(来るだけマシなほうなのだが)。止むを得ず友人宅に転がり込むことに。

1月中旬
ストが思ったより酷く、朝と夕方の時間以外は有人の公共交通機関が全く動かない。動いている時間帯も間引き運転のため、歩くのが一番確実な移動方法である。聞けば、これでも動くようになったほうらしい。おかげで自転車やトロティネットの人口が増えて、道を渡るのにも一苦労だ。図書館に行っても開館時間が制限されていて、作業は遅々として進まず。思えば2015年以来、デモはあってもここまで大々的なストはなかった。滞在先も決まらず時間ばかり取られる日々が続き、苛々も募る。しかし焦らずやるしかない。
そんなこんなで1週間経ったころ、2月-3月の滞在先がようやく決まる。一安心といったところだがまだ入居まで3週間近くあるので、後にしようと思っていた調査旅行を前倒しすることにする。
渡航の前に、マルモッタン美術館でモンドリアンの具象画に焦点を当てた特別展。デン・ハーグの市立美術館に収められているSalomon Slijperのコレクションから来ていて、まとめて展示されるのは非常に珍しいそう。オランダの片田舎で薄暮の時間の風景画を描いていた時代から既に色彩に対する並々ならぬアプローチが見てとれる。デン・ハーグの美術館には既に3度ほど見に行っていたが、モンドリアンが神智学に走り、リュミニズムやキュビズムの影響を受けて実験的な作品へと傾いていく過程については初見の作品が大半であった。同じ構図の風車の絵を時間を変えて連作として描いているのが印象に残る。しかし特別展を見終え、階段を降りてみればそこにはモネが待ち構えており、モンドリアンでさえも飲み込むような器の違いを見せつけられる。いけずというかなんというか。
こんなに長期に居候するのは初めてで非常に申し訳ないが(私にタモリみたいな居候の才能はない)、友人は無二の米好きなので、何度か日本米(イタリア産だけど)を炊いて乾物の味噌汁を作った。お返しになったとは思えないけれども喜んでもらえるので料理をしていてよかったなと初めて思う。日本式の米の炊き方とおにぎりの作り方を覚えたいというので一緒にやったが、おにぎりの形がへろへろ。外国人には意外と難しいらしい。あと、熱いって。