6月

授業が近づく。新しいドメインをとって、サーバ内に乱立した十近いウェブサイトを整理して、心機一転、未来に向かって歩きだすぜ!と思っていたが、ドメイン名を何日も考え込んだり、最適なディレクトリ構成を考えたりしているうちに授業日になってしまった。結局何もできていない。授業のウェブサイトを新装開店しただけでも良しとするしかない。

強制力も責任もない「宣言」が明確な根拠もなく解除されて、根拠ないままに世の中が動き始める。いやまだ全然ダメでしょ、と真面目に自宅待機していたら馬鹿を見たような気になる。個人や企業としてそれぞれ事情はあるが、「社会」という全体として何の反省もなく目先の利益に向かって突進するのはちょっとないだろう。ウィルスを流通させたのは誰か特定の個人のせいだけでなく、まさに自分の利益しか追求しない「社会」そのものなのだから。とはいえ国のトップがあれでは勝手にやるしかないが。

あまり重い映画も見る気がせず、ちょうどいいと思ったのかジム・ジャームッシュを回顧。未見だった『デッドマン』だが、ジョン・ハートに続いてロバート・ミッチャム登場でいきなりやられる。ドがつく傑作。続いて『ダウン・バイ・ロー』。撮影がロビー・ミューラーであろうと、処女作から途切れなく続く終わりなき閉塞感と無頼の心得が、ベニーニ登場で一気に内側から崩壊し、大文字の「映画」へと躍動し始める。人間関係における人数の意味を問い返すような一品。『ミステリー・トレイン』を経て『ナイト・オン・ザ・プラネット』へ。オープニングの地球儀回転から素晴らしく、徹底的に贅沢に役者と会話の魅力を楽しませてくれる。東独から来たタクシー・ドライバーの役で出ている『ベロニカ・フォスのあこがれ』のアーミン・ミューラー=スタールが素晴らしい。それにしてもここには「時代」が刻印されている。

何かのはずみで『さらば愛しきアウトロー』を見たら、久しぶりにアメリカ映画に心弾む。テンポのよさ、底抜けの明るさ、疾走の叙情。事実と異なってもいいから最後もうひと旗上げてくれれば最高だったけれども、それでもフィクションには振り切れないのか。一方で過去作『セインツ』は、多分ケイシー・アフレックが苦手だからだろうが、どうも乗り切れず。ステイサムの『メカニック』を見たものとしてベン・フォスターには思い入れがあるんだが…。

あとは『エヴァンゲリヲン新劇場版』の『破』と『Q』を見直して童心に返ったり、『ゼロ・ダーク・サーティ』を見て陰惨な気分になったり、なんでか『インフェルノ』を見たり(ベン・フォスター!)しているうちにモニタで映画を見るのにも飽きて、授業準備に時間を費やす。

今年もカブトムシ・シーズン到来。廊下に毎日十数匹はいて統計でも取ろうかと思ったが、多すぎてやめた。