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5月映画日記1

5月某日
悪癖がぶり返してステイサム映画を4本立て続けに見る。暇なのかって?暇だよ。
未見だった『メカニック:ワールドミッション』は前作とあまりに変わりすぎていて本当に見たのか不安になり、つい再見する羽目に。前はそこそこストイックな路線でやっていたのに、普通のできの悪いステイサム映画になってしまったじゃないか!コンセプトは大事にしてくれ。「ジェニファー・ロペスの出てるやつ」(『パーカー』)に続き、「ジェシカ・アルバの出てるやつ」として記憶にしまわれるだろう。
一方、フランスにいた時にポスターを見かけて悪い予感しかしなかった『SPY/スパイ』は意外に良作だった。太っちょのCIA分析官メリッサ・マッカーシー(きっとアメリカでは有名なコメディエンヌなのでしょう)が、パートナーの調査官でイケメンプレイボーイのジュード・ロウに代わって現場の調査任務を行うことになるが、意外な身体能力を発揮して、というコメディ映画。007のパロディとマッカーシーの自虐ネタが散りばめられ、合間にステイサムがステイサムのパロディをする。今までしっくり来たことのなかったジュード・ロウもチャラ男役がハマっている。あんなにデブネタやってもいいのかとアメリカのポリコレ像が歪むが、自虐だからいいのかしら。

5月某日
友人とステイサム情報を交換していたら、昨日キアヌ・リーヴス主演の『コンスタンティン』を見たと言われたので早速見てみることに。造形美と衒学的な台詞で2時間。シリアスなシャマランというか、エヴァンゲリオンというか…。ティルダ・スウィントンにあの格好させたかっただけじゃないのか!というぐらいハマっていた。レイチェル・ワイズがここでも堅実な仕事をしている。
その勢いで最近やたらとネット上で見かける『ジョン・ウィック』に手を出す。犬を殺された元殺し屋のキアヌ様が、ロシア系富豪のどら息子に復讐するため、拳銃を拳法みたいに使って何十人も殺しまくる。中学生が考えたような殺し屋世界の設定の中で、ユーモアもサスペンスもなくただただ血しぶきが飛ぶ。惰性で『チャプター2』も見始めたが、20分でギブアップ。本当に具合が悪くなる。今まで『ダークナイト』ほど退屈な映画を観たことはなかったが、それと並ぶかもしれない。『サムライ』の爪の垢でも煎じて飲めとは言わないけど、ジョン・ウーぐらいの爽快な馬鹿馬鹿しさは欲しい。

5月某日
お薦めアルゴリズムに促されるままに、見逃していた『ジャック・リーチャー:Never go back』を。やはりトム様が出るとそれなりに映画になるが、トム様の朦朧とした演技はもういいよ、とは言いたくなる。果たして前作が良かったわけではないが、マッカリー色が抜け、ロザムンド・パイクみたいな強烈なヒロインもいないので、こちらもコンセプトが希薄になってしまった。

5月某日
友人Kがテレ東でデンゼル主演の『イコライザー』を観たというので、公開当初見送っていた私も見る。ホームセンターの商品で戦うというゲームの規則は好きだけれど、意外と簡単に撃たれたり格闘で瀕死になって助けられたり、こういう映画には手際が必要なんだよ!と言いたくなる。せっかくの設定にもかかわらず道具の使い方にアイデアが感じられないのがなんとも残念。そもそも初老で腹の出たデンゼルにアクションやらせるのはどうなの?という懸念は最後まで払拭されない。世の中にはデンゼル映画というジャンルがいつしかできていたのだろうか。アントニオ・バンデラスを濃縮したみたいなロシアの刺客は、ひたすら気持ち悪いだけで強いのか弱いのか全くわからないまま終わった。メリッサ・レオが唐突に出てくる。
もう予想できるだろうがしょうもない私はその勢いで『イコライザー2』に手を出す。『1』で調子に乗ったデンゼルがほんとに水戸黄門みたいな世直しを始めてしまって、これはまた身内が痛い目を見るパターンではないかと心配していたところ、やはりデンゼルと心通わせた人は皆不幸になることに。CIA時代のチームメイトの前にひょっこり顔を出すところから少し面白くなってきて、ラストの嵐はなかなか見ものだったけれども、1のホームセンターみたいな路線ではなくなってしまってやたら残虐な復讐鬼に。今のアメリカではこういうのがウケるの?戦争ゲームのやりすぎじゃない?

5月某日
『ジョン・ウィック』に足らんのは『リミッツ・オブ・コントロール』なんだよと思ったか思わないでか、ジム・ジャームッシュ『パターソン』。どちらかというと苦手なほうのジャームッシュだし、朗読される詩の良さが全然わからなかったが(ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの詩を知らないのが問題なのか)、あれだけシンプルな撮影でこれだけ魅せられるのは流石と思った。毎日郵便受けの傾きを直すところがリズムを作っていて良い。悪夢みたいな嫁の趣味に文句一つ言わないアダム・ドライバー、いい人すぎでしょ。

5月某日
友人からネトフリのドラマがどうとかアマプラのオリジナルがどうとか言われるが全く見る気になれず、時代劇専門チャンネルに入って『御家人斬九郎』の第1シリーズを見る。あれ、昔のテレビドラマなのに4:3じゃなくて16:9だ、というのが不思議でしょうがなかったが、リマスターの際にもとのキャメラマンの人が監修してフィルムからトリミングし直したらしい。いやあもう霧雨やら雪やら反射光やら撮影が素晴らしいし、演劇集団 円を中心としているであろう達者な俳優陣、よく練られた脚本、全くテレビとは思えない。6話や7話も良いが2話の丹波哲郎の回が最高である。私は子供の頃、両親が店で働いていたため学校から帰ると隣に住んでいる祖母の家に直行し、夕飯が供されるまでの間一緒に雪の宿や味ごのみなど食いながら夕方の時代劇の再放送を見ていたのだが(そのあとは相撲に流れる)、『水戸黄門』『大岡越前』『銭形平次』のループばかりで夜の時間帯の『鬼平』や『斬九郎』などは通ってこなかった。今と変わらずおバカだったので見てもわからなかっただろうが、妻は私の遥かに及ばない時代劇教養の中で育っており、隣で見ながら「ああ、この回覚えてる」とか、往年の時代劇俳優を見つけたりして喜んでいる。他の友人に時代劇の話を振ってみても思ってもほぼ全くと言っていいほど手応えがないので、我々は少々稀代な環境で育ったのであろうか。しかし高校には二言目には司馬遼がどうだとか隆慶一郎がどうだとかいう友達もいたし、そういう人は巷のどこに潜んでいるのだろうか…。

5月某日
時代劇で思い出したわけではないが山中貞雄『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』をDVDで。流石に丹下左膳が周りから浮きすぎだろと笑ってしまうが、いやはやそこがそうなってつながりますかという脚本がまず素晴らしいし、小津につながるような笑いもあり、飛ぶようなとんでもないチャンバラもあり、何より唄があるのがいい。子供と一緒に行った賭場で負けた帰りに左膳が刺客に襲われ、「坊主、目つぶって10秒数えてな」と数えさせているうちに相手を一刀のもとに切り捨て、目を開けた子供が唸る暴漢を見つけて「なんであのおっちゃん唸ってるの?」と左膳に聞いたところ、「博打に負けたのさ」と言うシーンがなんとも最高である。ジャンク映画を100本見るより1本見るだけで救われる映画があるのだ。

5月某日
疲れて早めに寝てしまい、深夜に起き出してヴィスコンティ『若者のすべて』を見る。父を亡くして南伊からミラノへと越してきた母と5人兄弟の家族が、ふとした娼婦との出会いから崩壊への一途を辿る。二時間で終わっても十分悲劇的なのに、残り一時間でさらに決定的な破滅へと追い詰めていくヴィスコンティの残酷さ。しかしこれがイタリア家族の愛でありまた宿命であるということか。ようやく見つけた半地下のアパート、アラン・ドロンの働くクリーニング屋、家族が引っ越す中庭のあるアパート、トラムが走るミラノの街。どれも忘れられない情景である。何と言っても次男シモーネを演じたレナート・シルヴァトーリが良く、ボクシングのシーンまで驚くほどリアル。湖畔での殺しのシーンは本当に素晴らしい。クラウディア・カルディナーレも『山猫』より断然良い。どうしてボクシング映画というのは切ない結末に陥ってしまうのだろうか。原題の『ロッコとその兄弟』の方がすっと腑に落ちる。
翌日同じくヴィスコンティの『家族の肖像』を。まさかヴィスコンティをオンラインで見る日が来るとは思わなかった。絵画に囲まれて静かに余生を過ごしたい「教授」のところに富豪夫人と2人の子供がやってきていきなり「上の階に住まわせろ」とゴリ押しし、渋々了解したものの実はその愛人のための隠れ家で勝手に改装を始めるやら事件に巻き込まれるやらという、見ているだけでも悪夢みたいな状況。しかし散々な迷惑をかけられても実はまんざらでもない教授は「老人というのは難しい生き物なのだ」とかなんとか言いながら、間借りを許してしまう。車椅子生活のヴィスコンティが移動できる範囲で撮られた室内劇として有名で、今更何を付け加えることもないだろうが、富豪夫人のファーだらけの俗悪な服、夫人と娘の愛人の共有、娘と息子と愛人との乱交趣味、夫がファシスト政治家であるにも関わらず左翼活動家を愛人に囲っているところなど、富裕階級の奇妙さ、エグさを描かせたら右に出るものはいない。人間の孤独さやその埋め合わせとしての愛、ないし性愛を建前なく曝け出させるところはほとんどファスビンダーと言ったら順序が逆だろうか。タイトルバックで延々と積み重なっていく心拍計の記録テープが教授が病床に就いているラストを既に予兆しているところとか、それに続くショットで教授が吟味している貴族の肖像画(=カンバセーション・ピース)が映画を貫くキーとなっているなど、至極古典的に映画的である。誰でもいいようで誰でもよくない一瞬のドミニク・ザンダとクラウディア・カルディナーレの使い方も良かった。これがなぜ日本でのヴィスコンティ・ブームを引き起こしたのかは想像だにできないが、昔の映画観客の方が今より遥かに寛大で教養があったのだろうと思わされる。

当然ながらフィルムはフィルム上映の方がいいし、映画館の方がスクリーンが大きくて音響も良いのだが、このように映画館に行けない状況になると、不特定多数の他人と一緒に多少の欠点など許容しながら笑ったり泣いたりするということが、映画体験のかけがえのない要素なのだと気づかされる。初めて落語を寄席で聴いた時のあの暖かさに似たようなものが、それほどではないにせよ映画にもあるのかもしれない。もちろん観客が1人という時もままあるのだが、それはそれで緊張感があって良いものである。言うても詮無きことだが。

停止の4月

4月上旬
仕事が延期になり、大学の開講も延期、前期の授業はオンラインで行うことに決定する。やるとなれば最善を尽くすしかないが、この際だから授業のやり方を一新したいところ。一番の障壁は自分の中の保守性である。
依然時差ボケは続き、夕方朦朧と起きて深夜に調子が出るような日々を過ごす。いっそのこと徹夜を試みた翌日に「治った」と喜んでみたものの、またすぐ元どおりに。10日を過ぎる頃ようやく復調する。あっちに行くときは数日で適応するのに、こっちに戻った時は長くて1ヶ月も引きずるのは一体なんなのか。
仕事と確定申告をしながら大瀧・山下(・萩原)の「新春放談」を片っ端から聴く。植木等の『スーダラ伝説』には「地球温暖化進行曲」という傑作が入っていると聞いて即発注。また、毎年この番組のたびに「新作はまだか」といじられる大瀧仙人がある年「実はもう録音したものがあるんだ」と発言して山下・萩原両氏を驚かせ、戸惑う2人を前に「それでは」と音源を流してみたら、最初のカウントの部分だけで終わり、という伝説の回を初めて聞いた。しかもそのカウントも使い回しではなくちゃんと新録である。山下氏の「Born to be wild」のカラオケを含め、その年は所謂「神回」である。
数日後、件の『スーダラ伝説』が届く。噂に違わぬ傑作の「地球温暖化進行曲」だけでなく、『植木等的音楽』に収録された「新・二十一世紀音頭」の前身「二十一世紀音頭」も入っている。眼福ならぬ耳福。現代にはスーダラが足りない。

4月中旬
ある日、何を思い立ってかコッポラの『ゴッドファーザー』三部作を見始める。恐らくマーロン・ブランドとアル・パチーノが見たかったからなのだが、コンシリエーレ役のロバート・デュヴァルが義理の父に似ていることに気づき、すっかり見入ってしまう(パートIII最大の欠点は彼の不在だ)。何はともあれとにかく俳優が素晴らしい。ジョン・カザールはこの映画デビューから6年でこの世を去ってしまったのか。儚い。

4月下旬
カミュ『ペスト』読了。カミュはフランス語の先生が「『星の王子様』なんか読むより『異邦人』を読んだ方がよっぽど勉強になる。」と折に触れて言っていたのだが、結局読まずじまいでここまで来てしまっていた。しかし『ペスト』は原文が今手に入らず翻訳で読んだわけでどこまで味わえたかわからないけれども、感染症流行という現象の刻々とした描写として十分に驚くべきものである上に、より抽象的に読めば「ペスト」という名を借りた群集による個人の抹殺、社会に潜在する全体主義に対する痛烈な批判になるというものだった。社会のために誰かを死刑になることを黙認する。そのような社会に我々は参加している。感染症流行という状況においてはそれが明確に現れる。
そんなものを読んだ直後に見るべきものではないと知りつつも、つい勢いでソダーバーグ『コンテイジョン』を見てしまう。いかにもソダーバーグらしい中途半端さだが、ローレンス・フィッシュバーンが見れたのはよかった。

Quarantaine

3月19日(木)自主待機2日目。
起きたら夕方。窓から外を見ると桜らしきものが満開。あんなところに桜はあっただろうか?しかし確かめにいくのも憚られる。同時期に帰国した日本の友人たち、逆に現地に残ることを決めた日本の友人たちに連絡を取る。またフランス、スイス、ドイツの友人たちにも消息を知らせ、状況を聞く。日本にいる友人にも帰国を知らせ、自宅待機をする旨報告をする。とにかく食欲がすごい。
朝方ジム・シェリダンの『ドリーム・ハウス』と『イン・アメリカ』を見る。前者はダニエル・クレイグ映画を見ようと検索したらシェリダンの映画が引っかかったという経緯だったが、アメリカ映画によくあるような郊外住宅のスプラッターものかと思いきや、心理学的な主題へと急変し、そこからはもう釘付け。『父の祈りを』もそうだったが、「間違えられた者」が誤解を解き、自らを解放する過程に寄り添って描いていく。燃えさかる家の中に残された妻の幽霊を救いに行くところで涙腺決壊。打ちのめされるようなショットの連続などどこにもないが、練り込まれた脚本と細かい演出、俳優の演技を正確に捉えることにによって、見るものの感情を確かに揺さぶっていく。この人はどのくらい評価されているのだろうか。
監督の半自伝でもある『イン・アメリカ』は何しろ長女が素晴らしい。主人公家族がようやく定住先を見つけたニューヨークのジャンキー・スクアットで、ハロウィンの子供たちの訪問をきっかけに開かずの間である「叫ぶ男」の部屋の扉が開き、その住人マテオとの交流を通して失くした長男に別れを告げるところで再び滂沱の涙。清き涙を流して朝方床に着く。

3月20日(金)自主待機3日目。
起きたら夕方。朝食を食べた後また睡魔に襲われる。深夜に焼ビーフンを食べ、荷物の整理とメールなどする。ベルギー在住の日本人の友人Kも帰国したとのこと。あちらはオランダまで国境を超えての買い占めが発生したらしい。しかしまだ人々は楽天的に近所を出歩いているとのこと。
衛生上の配慮で炊事洗濯ゴミ出しなどは妻がやってくれるので、私はあれが食べたいとかこれが飲みたいとか言っていればいいが、調子に乗っていると「軟禁が明けたら全部お前がやれ」と通告される。今から恐ろしい。

3月21日(土)自主待機4日目。
まんまと夕方起床。帰国報告のメールをしておいたTさんから朝方心配の電話があったものの、全く起きられなかった。寝てばかりもいられないので緩々と仕事再開。今日も焼ビーフン。明らかに機内食のベジタリアンオリエンタルミールの影響である。妻が買っておいてくれた蓮實さんの連載を読むなど。

3月23日(月)自主待機6日目。
小池百合子の緊急会見を見る。すっかり影を潜めていたこの人にとってこの状況はチャンス以外の何物でもないであろう。ここからショーが始まるのは目に見えている。この差別主義の歴史修正主義者に騙されるつもりはない。しかし「よどみなくスピーチができる」「記者の質問に答えられる」というあたりまえのことだけで真っ当な統治者に見えてしまう状況は一体なんなのか。そこまで評価基準が低下してしまっていることに絶望混じりの苦笑を禁じえない。これでは若者が希望を持てないのも無理ない。

3月24日(火)自主待機7日目。
オリンピックの延期決定の報道。誰の目にも明らかだったのにここまで引き延ばしたのは罪としか言いようがない。

3月25日〜28日
日付を思い出そうとするが覚えていない。時差ボケが全く治らず、朦朧としながら仕事を進めた。治そうとすると体調が悪くなるのでもう抗うのをやめ、そのうち治るのに任せることにする。突然中断されてしまったことに対して消化も切り替えもできず、そのせいか精神も身体も調子が優れない。しかし目前に積み重なった火急の課題を粛々とこなしていかなければ次の一手は見えてこない。
いずれ日本も感染が広がることは目に見えているので備蓄を貯えるためにネットで買い物をする。2度目なので心の準備だけは万端だ。そんな頃義理の親から精米機を贈ってもらった。古くなった玄米を精米してみたら驚くほど美味しかった。これは良い。
ヴェルコール『海の沈黙』を読み、フォード『リバティ・バランスを撃った男』『リオ・グランデの砦』を見たはず。オーソン・ウェルズの『フォルスタッフ』を観るためにMUBIという映画配信サービスに加入したが、見始めてみると素材が悪く、断念。
政府が和牛の「消費」を促す和牛券の配布を検討しているという。欧米各国が現金配布による支援を打ち出しているのに対し、伝染病多発の理由の一つであろう家畜の飼育を全く反省せず、単に商品としてダブついているからという理由で殺戮することを促す、呆れるほど愚かな案。さらに少なからぬ菜食主義者がいることを想像すらできないとは。人類は、狂牛病で、鳥インフルエンザで、豚コレラで何百万の家畜を殺傷しようがやめることはない。その上今回のパンデミックで人間を「家畜扱い」することに対しては警鐘を鳴らす。今更「科学者はこの事態を予言していた」とか「あの映画はコロナウイルス流行を既に描いていた」とか言われても、そんなこと何百年と前からわかっていたことで、全く耳を貸そうとしなかっただけだ。少しでも状況が変わることを祈るが、人類は果たしてそこまで「賢い」かどうか。ポジティブな未来の方に賭けるしかない。

3月29日(日)自主待機12日目。
志村けんが死んだ。つい先日の陽性の報道からの速さにまず驚く。私が志村けんを好きだったかどうかはわからない。私が見ていたドリフは再放送だったので—昔音響スタッフをやっていた父が現場でのいかりやの厳しさについていつも語っていたが—、リアルタイムでやっていたのは『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』や『バカ殿様』、『だいじょうぶだぁ』だった。人並みに、あるいはそれ以上に好んで見ていたし、私が保育園で描いた自画像は志村けんそっくりだったから(私は意識的にそうしたのだ)、影響を受けていたのだと思う。今思えば「マッタケマン」などはしょうもなさすぎるし、クレージーキャッツの「ウンジャラゲ」をあんな形にしたのはいかがなものかと思う。その下品さ、下半身性はあるいは視聴者が求めたものだったのかもしれない。いずれ彼と肩を並べ、あるいは制御する人はいなくなってしまい、深夜枠でコント番組を始めた頃は流石に見ていられなくなった。私はそこで追うのをやめてしまった。ただ、こんな形で亡くなるとは思わなかった。いつまでもしょうがないコントをやっているんだと思った。入院する前はコロナでお客が減った馴染みの店に出かけていってお金を落とそうとしていたらしい。「一番いい人たちが行っちまうんだ」ってやつだ。言葉を失う。いまわの時に再会することも許されず、火葬されて骨さえ拾えない。あまりにも、あまりにもだ。

3月30日(水)自主待機13日目。
再び小池百合子の緊急会見。都知事はさておき、周りの専門家から定量的で論理的な話が出る。なぜ国からはこういう話し方をする人が出てこないのか。精神論とごまかしだけであとは自己責任というのか。

4月1日(水)
暦は四月になりようやく自主待機が明ける。しかし東京も感染が進んでおり遊ぶどころではない。それにもかかわらず駅前の雰囲気はさほど変わらなかった。スーパーでお籠り用品を揃えて帰る。

フランス生活とその打ち切り

2月4日(火)
友人たちがスイスへと帰国した翌日、ようやく寮に入居する。5年前に1年滞在したところだ。顔見知りの受付係が通してくれた部屋は、入り口を入って階段を登り、建物同士をつなぐスイングドアを押し開けてからまた階段を降りなければたどり着けない。大型旅客船のように広いこの寮の端の端ではないだろうかと思わされる。しかし去年滞在していた別の寮の、風呂・トイレ・キッチン共同で暖房も効かない部屋に比べたら天国のような快適さ。もっとサバイバルな生活を想定した備蓄を持ってきたが、だいぶん気持ちが緩む。
さて入居して初めてやることといえば日本の仕事。「パリにいるのに」と考えると精神衛生上良くないことはわかっているので、カーテンを閉めきって引きこもる。少なくとも日本で一人になれることはほとんどないのだから貴重な時間である。それにしても外を見なければ日本とさして変わらない錯覚に陥るから不思議だ。徹夜明けの無駄に美しい空はどこでも嫌なものだが。

2月中旬
とはいえ引きこもりすぎて鬱々としてきたので、昔よく行っていた歩いて20分の小屋に映画を観に行く。チャールズ・ロートン目当てでヒッチコック『巌窟の野獣』である。そこでふと私はモーリン・オハラを好きなのではないかと気づく。思えば彼女が出たジョン・フォードの映画は好きなものばかりである。『わが谷は緑なりき』、『静かなる男』、『リオ・グランデの砦』。いずれも特異な存在として輝きを放っている。
帰りがけにプログラムをもらうとJ・P・メルヴィル特集もやっている。メルヴィルはフランスの友人が日頃から薦めていたが、1本も見る機会がなかったのでこの際にと5本を見る。『モラン神父』『海の沈黙』『マンハッタンの二人の男』『サムライ』『いぬ』。フランス産フィルム・ノワールよりも初期の文芸もの、レジスタンスもののほうがストイックで凄みがある。アンリ・デュカエの撮るモノクロームの美しさは忘れがたい。特に『海の沈黙』のラストで、小さな窓をバックに、逆光で全く顔の見えない父娘が食事を取るショットは映画史に残る美しさである。それに、立ち居振る舞いだけで空気を一変させるベルモンドの素晴らしさ。もちろんそれに連動するキャメラの動きもあるだろうが、唯一無二の存在である。

2月20日(木)
ルーヴル美術館のレオナルド・ダ・ヴィンチ展が閉幕間際なので予約しようとするが、既に満員御礼。ストで休みになったことの補填か、残りの数日間を24時間営業にし、さらに夜間は連日無料というとんでもない方針を打ち出したらしい。しかしそれでも満員なのだ。私にはダ・ヴィンチ運がないのかと悔やむ。

2月21日(金)
北イタリアのいくつかの街で外出禁止・移動制限が発せられたとのこと。アジア人のマスクを笑っていたフランス人もようやく心配し始める。一応マスクを探すが当然のごとく売っていない。代わりに手指消毒ジェルを見つけたので買っておく。マスクは帰国便でつけるために日本から送ってもらうことに。

2月23日(日)
インテリア・デザイナーのM君とシャルロット・ペリアン展@ルイ・ヴィトン財団。最終日前日の日曜ということもあり、朝イチで行ったが行列している。ネットで予約をするべきだったようだ。しかし入ってみればなぜか無料。何かの日だったのだろうか。展示はペリアンの関わったインテリアデザインのいくつかを再現し、その余白をレジェ、コルビュジェ、ピカソ、カルダーなど、お友達の作品で埋める方式。やたらとピカピカなレプリカが多いし、お友達のものが多すぎるが、それでもこの規模でペリアン展ができるのは流石という他ないか。日本での『選択/伝統/創造』展の作品は初めて観たが、フランス人の頭で日本の素材と技術を解釈した軽妙洒脱なものだった。これが当時の人に与えたであろう衝撃は想像に難くない。M君は「学生が考えそうなアイデアですけどね」と言っていたけど、その思いつきをまさに着地させるのがうまい。私にとっての白眉は海岸で拾った流木や奇石から発想を得た家具やオブジェである。こんなの落ちてるんですか。ゲーリー設計の奇抜な建物の地階から上の階まで全て使い、屋外には低所得者向けの休暇小屋を復原するなど、いろんな意味でLV財団じゃないとできない展示であった。
夕方、ブザンソンから来た後輩のYさんと合流して3人で飲む。まだこの頃はコロナウイルスの心配は限定的で、「心配してるんですか?」と笑われたが、既に街の中に侵入しているという確信はあった。

2月26日(水)
Yさんに、私の1つ後輩でパリ生活の大先輩であるMさんを紹介するべく、3人で昼食。高級ジュエリーブランドで働いているMさんの職場はなんとヴァンドーム広場なので、なるべく穏便な店を探そうとしたら雨が降ってきたのでチェーンのパン屋カフェに落ち着いてしまった。Yさんはその後出発まで時間があるとのことだったので図書館を案内し、そこで別れて私は地下で調査に入る。

2月29日(土)
閉所で5,000人以上の集まりが禁止される。ポンピドゥーで働いている友人に聞いたら「うちは4,500人ぐらいだから開けるらしい」とのこと。国立図書館もさすがに5,000人はいないだろう。
またこの感染症対策会議に乗じ、首相は憲法49.3条という決議無しで法案を通過させることのできる条項を使い、年金改革法案を強制的に通過させた。あれだけずっとデモをやっていたのに、集まりづらい、抵抗しづらい状況を利用して、暴力的に法案を通す。ちょっと許しがたい。

3月1日(日)
コロナウイルス流行に対する従業員が「撤退権」を行使したことによってルーヴル美術館が臨時閉館。数日続くことに。労働者の権利を主張し続けてきたからできることである。

3月2日(月)
国立図書館アルスナル館で製本素材についての講演会に参加。シリーズもので、今回はテキスタイルについて。歴史的書物に使われている素材の分類、特定、修復についてなど。後ろの人の咳が気にかかった。

3月6日(金)
左岸でマノエル・ド・オリヴェイラ『フランシスカ』。ほとんど切り返しを使わない、俳優が目を合わせないどころかキャメラに向かってすら話す、同じセリフを2度繰り返す。「自然らしさ」など全くの幻想だと言わんばかりの、演じられた劇とそれを捉えるキャメラとの緊張関係。ほとんど動かない一つ一つのショットが忘れられないが、キャメラが動いた時、あるいは切り返さないはずのキャメラが切り返した時、「自然らしい」映画の何十倍もの動揺が観客の心に生まれる。『リバティ・バランスを撃った男』顔負けの、アパルトマンの室内に馬で入ってくるシーンも衝撃である。バイロンに自らを重ねる凋落期ポルトガルのヴァガボンドたちが愛だの恋だのを詩のような台詞で語るのに乗れたわけではないし(そもそも私には字幕が難解であった)、英国人の娘を演じた女優などあれでよかったのかは甚だ疑問だが、ポルトガルの民主化後、優れた長編を連発していくオリヴェイラの過激な前衛ぶりが迸っている。しかし既に70歳を超えているのだから驚くほかない。

3月7日(土)
このまま感染が進行すると美術館が全部閉まりそうなので、始まったばかりのマルモッタンのセザンヌ展に駆け込む。土曜だが朝イチで行けば大丈夫であろうと思ったら超満員。狭い空間にガイドつきのグループ4組が輪になって喋り続け、身動きできず。感染予防には全くよろしくない状況であった。空いているところから見たが、一周しても団体がまだ居座っていた。
よくタイトルを見ていなかったが「セザンヌと巨匠たち。イタリアの夢」と題してセザンヌの絵画とイタリア絵画やプッサンの絵なんかを交互に展示している。そりゃまあ影響は受けたし下敷きにしているであろうが、完全に手本にしているわけではないのだからそこまで押し付けがましく並べて展示する必然性もあるまい。作品はルーヴル、オルセー、南仏のいくつかの美術館、それに箱根のポーラなどから来ているので、セザンヌ作品をまとめて見るにはいい機会であるけれども。

3月8日(日)
1,000人以上の集まりが禁止に。再びポンピドゥー従業員の友人に聞くと、「ボルタンスキー展に1,000人、コレクションに1,000人と数えれば問題ない、と言って開けるらしい」とのこと。

3月9日(月)
再び製本素材についての講演会。今日は貴重な素材(貴金属、宝石等)について。フランスのルリュールがゴテゴテしてる理由が歴史的にわかった気がする。

3月12日(木)
ドイツより友人Aが来る。時間があったので北駅まで歩いて迎えに行ったが、周辺の荒れ具合に萎える。彼女は昼頃無事に到着した。同様に感染症が広がっているドイツでは今、肘を付き合わせて挨拶するんだと言って肘で挨拶。フランスでは冗談交じりに足をこついていたが、どこも考えることは同じである。しかし初っ端からメトロで若い女2人組のスリに彼女が囲まれる。乗る前から明らかに挙動不審で、私は気づいたので車両を2度変えようとしたが機敏についてきた。無理やり引き離すと「お前は頭おかしいのか」と因縁をつけてくる。無事だったが疲弊。パリ荒れすぎ。

3月13日(金)
Aとジャックマール・アンドレ美術館のターナー展初日に駆け込む。今回は水彩が中心。イギリスでろくに美術館に行ったことのない私は、まとまった作品を見るのは初めてであった。
夕方、Aが家に居候させてもらっているルーマニアのMと合流し、建築散歩。夜飲んでいたら、なんと翌日から国立図書館閉鎖の知らせ。100人以上の集会が禁止されたらしい。資料を予約していたが、それも見ることができなくなった。フランスでやることがなくなる。夜道はさながら『ベニスに死す』のようであった。

3月14日(土)
朝、近所の市立図書館に本を返しに行くが前日の政令を受けて閉鎖。返本ポストもないので本が返せなくなる。ペナルティはないらしいが、しょうがなく友人に託す。
夕方、Aが帰国。帰ってニュースを見ると今晩0時を境にバー、レストラン、映画館が閉鎖になるとのこと。美術館も当然閉鎖。さらには3日後から行くはずだったジュネーヴの図書館も閉鎖。急激に感染が進んでいるらしい。世話になっている司書からも私信が来ていて、「来るんじゃない!」という言葉に下線まで引いてあった。しょうがなく列車や宿泊施設を全てキャンセルする。もう全て諦めてジェイソン・ステイサムの映画を見始める。『ローグ・アサシン』。まさかステイサムが日本語を話すとは…(何言ってるかわからないけど)。

3月15日(日)
不要不急の外出は控えろとのことだが、食料品店はやっているということなので買い物に行く。しかしセーヌ川沿いはいつも以上の人だかり。日曜だし急に暖かくなったのでしょうがない。
このぐらいの状態なら予定の26日までいるつもりだったが、フランス人に「早期帰国を考えたほうがいいぞ」と言われたので、急ぐ風でもなくチケット変更について調べはじめる。しかし、電話が繋がらない。

3月16日(月)
朝方、航空会社にようやく電話がつながり、今週木曜の便に変更できた。安心して残り数日の生活のために人参など買いに行くと、スーパーの前に1mおきに列ができていたり、一部買い占めがおきていたりする。帰って撤収のためにゆるゆると掃除をしはじめ、日本人の友人に「大変なことになったね。木曜に帰ることにしたよ」とメッセージを打つと、「え、今晩から全土封鎖って聞いたけど」と言われる。ずっとニュースサイトは追っていたがそんなこと一言も書いていなかった。確かに今晩20時からマクロンが「より厳しい要請」を発表すると言っていたが、問題が始まって以来マクロンなんて蚊帳の外で、糞忙しい病院に出かけては迷惑かけてるだけだったし、多少厳しくなるぐらいのことだと思っていた。試みにSNSなどを見ると、軍部やら○○省やらから流出した「メールの写し」が飛び交っており、そこには今晩から封鎖だとか、明日から封鎖だとか書いてある。インテリアデザイナーの友人Mも「明日から48時間以内に居場所を決めないと移動禁止になるそうです。うちの会社も秘密情報が入って、フランス人は全員逃げ出しました」と言う。おまけに日本の父親からもメッセージが来るし、日本のニュースサイトにまで「関係者」の話として同じようなことが書いてある。その情報の真偽はさておき、街はパニック状態である。しかし流石に外国人は帰すだろう、と思いつつも、一応撤収準備を進める。こちらで買ったプリンターをいつも友人に預けていたが、どうも行きづらくなったので、同じ寮でうちの大学の部屋に住んでいる人に初めて連絡を取る。聞くと彼女も明日帰ることにして荷造り中らしい。「旦那さんが○○省で働いている日本人の人から聞いたんですが……。」と言われ、流石にそこまで言われると自分が情報弱者だったのかと思わざるをえない。しかしそれが本当だとして、そんな身内びいきをしていいのか?
そうこうしているうちに20時になったので大統領発表の中継を聞くと、小童が自分の言うことを誰も聞かないので憤慨しているような様子で説教をし始め—昨日まで選挙で投票所に行こうと外出を呼びかけていたくせに—、翌日正午からの移動禁止・外出自粛とシェンゲン国境封鎖が発表される。外国人の扱いについては何も言わないし空港閉鎖は発表されなかったが、続く発表でオルリー2は閉鎖、漸次的にCDG空港も閉鎖していくとのこと。道路のコントロールには機動隊が動員され、移動の理由を示す書類を持っていなければ通れない。事前の「噂」とは多かれ少なかれ異なるが、厳格な要請であることは確かである。
数時間のうちに自分の身の振り方を決断しなければならない。このままここに留まり続けるという選択肢もあるだろうが、納めなければならない仕事や4月からの授業もあるし、帰れなくなれば迷惑をかける上に収入の道も絶たれる。街は絶望とパニックの最中で(私の印象であるが、自由を奪われることに対する絶望と死への恐怖は日本人より強いと思う)この先どんな混沌が待ち受けているかわからない。自分の状況把握が甘かったことに対する後悔もあって気だけが焦り、冷静さを保つので精一杯である。私が「確かな」情報を追うよう努めていたことは間違いではないが、「不確かな」情報とそれに踊らされる社会の動きというのものに気を配っていなかったことは間違いであった。帰れるか帰れないかわからないこの状況にあと数日晒されるよりも、翌日封鎖前に空港に行き、帰国するという確実な手段を取るのが最良であろう。そう決断し、すぐに飛行機を翌日の便に変更する。日本に感染を広げるという懸念もあったが、パリの感染者はまだ多くなかったし、旅客船対応で大失態した挙句ろくな検査体制も敷かずオリンピックを強行しようとする日本の方が私には余程恐ろしい状況に見えたから、細心の注意を払って帰国することにリスクはそれほど伴わないだろうと判断した。
再び同じ大学の滞在者に会いにいくともう1人の滞在者も来ていて、2人ともここ数日で電車内での強盗を目撃したとのこと。治安が急激に悪化し、アジア人が狙われている様子。軍隊も周辺道路の警備に回されるから治安はより悪くなるであろう。

3月17日(火)
朝方に準備を終え、受付に鍵を返す。外で物憂げにタバコを吸っていた職員の人と「悲しいよな」と一言だけ言葉を交わす。待ち望んでいた春がこれから訪れ、陽光を全身で楽しむはずだったのに、それを突然奪われることの悲しみは日本人の想像以上だろう。そして既に大部分の滞在者が去り、上層部の人々がテレワークに移行したこの寮でも、誰かが現場で働き続けなければならない。「また会えますよ」と声をかけたかったが、どうしても言葉が出なかった。
タクシーは渋滞が起きているかと思いきや30分もせずにCDG空港に着く。空港のパニックも想定したが、半分以上がアジア人で至極平穏である。しかし徹夜なのでとにかく眠い。私の飛行機までは12時間ある。店もすべて閉まっていて行くところもないし、怪しい人物もうろうろしている。生憎こむずかしい本しか手元になく、睡眠導入剤にしかならない。なんとか眠気に耐えていると昼頃、昨日知り合った大学の友人と、同じ寮にいたというF大の人が合流する。同胞人の連帯感と安心感たるや並並ならぬもので、おかげで眠気を覚えずに5時間ほど過ごすことができた。彼女は年末からのストを体験してからのこのパニックで、「フランスが嫌になりそうです」と言っていた。
夕方彼女たちは搭乗口に向かう。安堵しきった様子。私はさらに2時間ほど待機し、19時頃ようやく手荷物を預けることができた。余計なところに触らないように注意し、頻繁にジェルで手を洗いながら3時間を過ごし、ついに搭乗。幸い飛行機は空いていて、1人おきに離れて座れる状況であった。機内ではほぼ爆睡。窓が南向きだったので眩しすぎて開けられない。唯一リドリー・スコットの映画を見る。火星に取り残されたマット・デイモンがじゃがいもを育てる話。微笑ましいことは確かだが、初めから助かることありきの思考実験にすぎない。よゐこのバラエティー番組を見ているような気分だった。無人島に漂流したFedExの職員が一緒に漂着したバレーボールを友達にする話の方が全然面白かったし、火星の方が全く快適そうだった。

3月18日(水)
羽田空港着。「検疫」とでかでかと書かれていたが、サーモグラフィーで見られるだけで、ミラノに行った人の自己申告を促している以外は何の問診も指示もなく通過。自宅待機の通達もなし。予想はしていたが呆気にとられる。
深夜に自宅着。ゴミ出ししている妻に家の前で遭遇。私は自主的に2週間自宅待機するので妻は実家に帰ることも考えたが、色々あって残ることに決めた。同じ空間で触るものを分けたり消毒したり、ややこしい生活の始まり。

スイスの蕎麦

1月下旬
地形レリーフを見るためスイスに移動。物価が高い、早く出ないと殺される、と毎回逃げるように出国してきたが、縁あってもう6度目ぐらいか。色々裏技も覚えたので多少は節約できるようになった。いつも乗り換えをするチューリヒ駅のキッチュなカフェに親しみを覚え始めた。電車とそれを待つ人々を見ながら珈琲をすするというのはいいものである。
地形レリーフのことをスイス・ドイツ語圏の彫刻家の友人Cに話すと、技術的にも地質学的にも興味があるとのことで、調査に付き合ってくれることに。非常にありがたい。予定していたベルンとリュツェルンには行けなかったが(色々やってきたがメールの返信をくれない博物館というのは初めてだ)、ETH、ヴィンタートゥール自然史博物館、ザンクト・ガーレン自然博物館を訪問。
ETHでは学芸員の方に地形レリーフ・コレクションを案内してもらい、現代のレリーフ作家の話も聞く。19世紀後半から脈々と受け継がれた大地の表象への情熱に頭が下がる。改装中の場所も特別に見せてくれた。友人は附属図書館で古い地質学書を見つけた様子で、詳しいシステムは知らないが地元の図書館と同じカードで借りれるらしい。こういう内向きだが堅固でシステマティックな利便性はいかにもスイスらしい。スイス連邦の公開地図システムなんか日本が追いつくのに何十年かかることやら。私にも地図学の本を見つけてくれて、ついでに借りてくれた。
ヴィンタートゥールの自然史博物館は子供向けの仕掛けが豊富で、さながらディズニーランドの様相を呈している。小さめの地形レリーフが立体駐車場のように下から上へ、上から下へと運ばれているのには流石に笑う。併設の美術館で図らずもA・ジャコメッティ(『家をなす2つの箱の間の1つの箱の中にいる小像』)、ゾフィー・トイバー(円と半円のコンポジションから成るレリーフ)、マックス・ビルの作品を見ることができた。ビルはここヴィンタートゥールの生まれらしく、ミュージアム・ショップにも分厚い図録が置いてあった。それにしてもこの美術館には監視員がほとんどいない。あるのは監視カメラだけ。本当に大丈夫なのか。
ザンクト・ガーレンの新しい自然博物館は巨大な地形レリーフが呼び物だが、CのパートナーAが仕事で関わっていて、「最後のレリーフ職人」とも呼ばれるレリーフ作家の方とも関わりがあったという。地元のことなら彼らに聞けば大体つながるというのがなんとも恐ろしい。全く何から何まで世話になった。
今年はヨーロッパも暖冬で、ここ東スイスも普段は雪景色だが今回はほとんど雪がない。「まったく春みたいだ」と言っていたところ、ある日暴風とともに吹雪がやってきて、あっという間に一面真っ白に。風で庭の椅子が吹き飛ばされ坂を転げ落ちていってしまい、私が驚いていると、よくあることなのか友人は笑っていた。雪の止んだ頃外に出てみれば膝まで埋まるような積もり方。しかし「雪よりも風の方がこの家には致命的なんだよ」とC。200年以上前に建てられたこの家は確かに隙間風がすごい。
スイスを発つ間際、別の友人Fがピッツォッケリ(Pizzoccheri)というスイス・イタリア語圏の蕎麦パスタを作ってくれた。ヨーロッパで蕎麦の麺を食べたのは初めてだ。蕎麦粉は挽きぐるみで随分黒く、きしめん状の平打ちだが麺は短い。スイス・チャード、にんじん、玉ねぎやらと一緒にりんごを和えるのが典型的だそう。
最終日、一人で先に街に出て古本屋を覗くことにするが、隣の酪農家が飼っている犬に吠え立てられる。いつも100mも先から吠えて近寄ってくるこの犬のことを忘れていた。しかしまあ噛まれることはないだろうと高をくくりつつも若干小走りで切り抜けたが、後から聞いたところでは何度か通行人を噛んだらしく、それ以来誰もこの道を通らなくなったという。小走りしておいてよかった。古本屋ではまさにETHで借りた本が売っていたので、これも縁だとご購入。もうこの街で最後の古本屋になってしまったらしいが、お金があったら買い占めたい本がずらっと並んでいる。

1月末日
友人CとAと一緒にパリに戻る。彼らはそもそも私に会いにパリに来る筈だったのだが、私が予定を前倒しして逆にスイスに来てしまったので、結局ただの休暇になった。パリはいつの間にかストライキが終わっている。彼らのリクエストでグラン・パレのエル・グレコ展、マイヨール美術館の素朴派展などを一緒に見る。最終日は共通のフランス語の先生であり私がフランスで間借りしているBBとその友人BPと一緒に5人でお茶。Aがプレゼントにミモザをあげていて、BBが非常に喜んでいた。この時期南仏でよく咲くらしい。

Cは近所の大工の友人に手伝ってもらって、自分で床下の梁を張り替えるらしい。

スーパーに置いてある、パイナップルを入れると20秒で剥いてくれる機械。

ザンクト・ガーレン自然博物館。

年末年始と渡仏前後

年末・正月
実家で下手な雑煮やら太巻きやら作って過ごす。母親の手際に感心。そういえば昔、店で寿司を出していたんだった。
リクライニング・チェアに座り、ほとんどゼロ距離に置かれた4Kテレビでジョン・ウーの『マンハント』とチェン・カイコーの『空海–Ku-Kai–』を半目で見る。内容はどうあれ、中国の勢いだけは見せつけられた。社会勉強になります。『空海』は腐ってもチェン・カイコーだなとは思ったが、もう少し火野正平を出してほしい。
年始早々東京に戻り、ほぼその足で長野。北向観音、小布施、善光寺に赴く。千曲川の別所線の鉄橋が落ちていたのが痛々しい。2ヶ月前のこととはいえ既に復興に向けたキャンペーンが各所で打たれていたのには、さすが日本だと愛国じみた台詞も言いたくなる。
午前3時に始まる善光寺の七草会に参加。それなりの覚悟はしていたものの堂内はやはり寒く、宿坊の方が気を利かせて貸してくれた膝掛けや羽織ものがなかったらギブアップしていたかもしれない。しかしこれでも暖冬とのこと。もう一度やる自信はあまりない。
明けて最終日、余った時間で渡欧のための買い物をする。しょうゆ豆やら高野豆腐やら、正直な物作りが大変ありがたい。そういえば「おやき」って私の数少ない苦手な食べ物だったのだが、久しぶりに食べてみると、美味しい。食べた場所が悪かったのか、それともおやきがよそ行きになったのかどっちなのだろう。

残り2日間で残務処理と買い物を済ませ、深夜の便で渡仏。いまだ滞在先が決まらず、直前までメールを打ちまくる。羽田はカルロス・ゴーンの影響か、心なしチェックが厳しかったように思える。今回選んだカタール航空はこれでもかというくらい設備が最新で、眩しいほど高輝度のテレビ端末に映画が100本ほど入っていたが、寝るか機窓を眺めて過ごす。特にドーハ=パリの路程はクルディスタンやアルプスの山々が見え、さながら展望路線。テレビに入っている地図アプリで現在位置を確認しながら3Dで回転・拡大することができ(ついでに「メッカまで何km」がわかる)、機窓に見える山々がどこなのか対応づけることができた。普段はロシア上空ばかりを飛んでいるので、わざと航路を変えてみるのも一興かもしれない。なにせこの眺めは数万円払わないと味わえない。
CDG空港に着くと、入国審査に長蛇の列ができている。それでもゲートが半分ぐらいしか開いていないことに懐かしさすら覚える。空港のWi-Fiでメールをチェックしても滞在希望先からは断りの報せしか来ていない(来るだけマシなほうなのだが)。止むを得ず友人宅に転がり込むことに。

1月中旬
ストが思ったより酷く、朝と夕方の時間以外は有人の公共交通機関が全く動かない。動いている時間帯も間引き運転のため、歩くのが一番確実な移動方法である。聞けば、これでも動くようになったほうらしい。おかげで自転車やトロティネットの人口が増えて、道を渡るのにも一苦労だ。図書館に行っても開館時間が制限されていて、作業は遅々として進まず。思えば2015年以来、デモはあってもここまで大々的なストはなかった。滞在先も決まらず時間ばかり取られる日々が続き、苛々も募る。しかし焦らずやるしかない。
そんなこんなで1週間経ったころ、2月-3月の滞在先がようやく決まる。一安心といったところだがまだ入居まで3週間近くあるので、後にしようと思っていた調査旅行を前倒しすることにする。
渡航の前に、マルモッタン美術館でモンドリアンの具象画に焦点を当てた特別展。デン・ハーグの市立美術館に収められているSalomon Slijperのコレクションから来ていて、まとめて展示されるのは非常に珍しいそう。オランダの片田舎で薄暮の時間の風景画を描いていた時代から既に色彩に対する並々ならぬアプローチが見てとれる。デン・ハーグの美術館には既に3度ほど見に行っていたが、モンドリアンが神智学に走り、リュミニズムやキュビズムの影響を受けて実験的な作品へと傾いていく過程については初見の作品が大半であった。同じ構図の風車の絵を時間を変えて連作として描いているのが印象に残る。しかし特別展を見終え、階段を降りてみればそこにはモネが待ち構えており、モンドリアンでさえも飲み込むような器の違いを見せつけられる。いけずというかなんというか。
こんなに長期に居候するのは初めてで非常に申し訳ないが(私にタモリみたいな居候の才能はない)、友人は無二の米好きなので、何度か日本米(イタリア産だけど)を炊いて乾物の味噌汁を作った。お返しになったとは思えないけれども喜んでもらえるので料理をしていてよかったなと初めて思う。日本式の米の炊き方とおにぎりの作り方を覚えたいというので一緒にやったが、おにぎりの形がへろへろ。外国人には意外と難しいらしい。あと、熱いって。

 

11月のつぶやき

今年も『ナイアガラ・カレンダー』を聴きながら1年を振り返る時期がやってきた…。「クリスマス」音頭から「お正月」に横滑りし、先頭に戻って「みなさん!あけまして おめでとうございます」してまた1年を繰り返す脳内年越しシミュレーションを、現実界で正月気分が薄れる頃まで繰り返すのだ…。まあいつ聴いてもいいのじゃがこの時期はとりわけ良いものじゃ…。

10月のつぶやき

ようやく『パシフィック・リム』を見たのじゃが、わしには良さはわからんかった…。ステイサム映画を見るようなノリで見ればよいのじゃろうか…。それならステイサム映画のほうがいいのじゃが…。

6月の下書き

フランスでカザンの『波止場』を見た時に知人と話をして以来再見したくなっていた『我が谷は緑なりき』をようやくDVDで。地上にこれ以上美しい映画があるのか。ジョン・フォードは天使である(ヴェンダース主義者だと思われると困るが)。

その後なぜかシャマランの『アンブレイカブル』『スプリット』『ミスター・ガラス』を一息に見る。現代にこれほど悠長に映画を撮る監督もそういまい。その気になればいつでも続編が撮れるのだというように、説話のエコノミーから遠ざかり、たっぷりとカメラを回し続ける。それは観客を惹きつけるのに十分だが、しかし本気で怖いわけでも、納得いくオチが待っているわけでもない。ミュータント映画を撮るには派手なSFXや特殊なスーツなど必要でなく、ただレインコートのフードをかぶらせ、「常人」の信念を揺らがせるだけで十分である。

….とここまで書いて、シャマラン映画について書くことに時間を使ってるのがバカバカしくなり、放置したのだった…。