光の想い出

私の住むマンションの一室は、玄関の覗き穴から光が入って、ピンホールカメラよろしく、その向かい側の壁に小さく景色が映る。そんなに大きくないので「景色」とは言い過ぎなのだけれど、トイレに行く時などに通りかかると、なんともそれが美しく思える。うちには悲しいほど実用的なものしかなくて、光を美しいと感じる瞬間などほとんどないのだが、ふと思えば、子供の頃はマンション住まいだったにも関わらず夜中寝そべって天井に映る街灯の光などを眺めながら、その日にあったことや覚えたことを振り返ったものだった。あの時間の贅沢さは今の生活からは失われてしまっているが、パリの寮でもカーテンの隙間から差し込む光が妙に美しく思えたことがあって、少年の頃を思い出しながら眠りに落ちるまで見つめていた。
スイスの友達の住む伝統家屋風の家には、窓際に風鈴のような形状のオブジェが吊るしてあって、模様こそないものの、そこから差し込んだ光が机の上などに色のスペクトルを作り出して、心洗われる気持ちがする。パリの友人宅には、天井から手作りのモビールがぶら下がり、壁には同じく手作りのシェードがついた照明が取り付けられていて、至るところに光と影の楽しみがあった。こんなことを思い出したのも、『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』の趣味の物に溢れたインテリア・セットを見たからであろう。どうして我が家にはそのような楽しみがないのだろう。趣味より実用を優先してしまう私の性格が悪いのだろうか。何かを置きたくなるような家に住んでいないのがいけないのかもしれないが、いまだに「雑貨」なるカテゴリーが理解できない私がきっと悪いのだろう。光を楽しむ余裕がいつかできればよいなと思いながら、今日もパソコンに向かい続けるのであった。