9月、10月はとにかく毎週授業準備に追われ、1つ終われば次の日にはまた来週の準備に追われるという状態が続き、修行のような日々を送っていた。ようやく芸祭休みに入ったと思えば、安らいだのは最初の土日ぐらいのもので、会議と学会発表なんぞが入れ替わり立ち替わりに押し寄せ、気温差と花粉のせいか、体調も悪化。卒業制作展のカタログのためにテキストを書き始めるが完全に迷宮入りし、精神的にも落ち込む。最終的には20以上のテキストファイルが死屍累々と積み重なり、勢いで脱稿するが気づけば翌日は学校。そんなにテキストに時間がかかったのは学生愛ゆえなのだという気は全くなく、ひとえに己の文章力の低下と若さの喪失によるものだというほかない。
ゼミ生に「ブログ書かないんですか?」と言われたので少しWordPressの画面に向かおうという気が起きて今これを書いているのだが、書こうと思っても書けないことが多すぎるというか、ほぼ毎日のように家と大学、最寄駅の駅前という三角形を自転車で往還しているだけだと、風の匂いに気候の変化を感じることも、色づく木の葉に見惚れることもなく、ただ銀杏の臭気を感じるだけで、何かを出力するほど自分の中に感情が蓄積しないのである。唯一あるのは学生とのやりとりだけだが、これは結構繊細な関係なので、無闇に書いて人目に晒すことは躊躇われるのだ。
そんな自分の状態に鑑みてひとつだけ思い出されることは、ブログなどというものを書き始めた学生時代のことである。当時私はTゼミに属していたのだが、確か藤幡正樹先生が特講で紹介されていたことをきっかけに、「Wiki」というWikipediaのベースになっている可塑性のあるエンジンを使い、教員を含むゼミのメンバー全員が日記的なものを書こうということになった。当然LINEなどはなくて、TwitterもFacebookもなく、BBSとmixiぐらいしか「ソーシャル」と言えるようなものはなかった時代に、HTMLエディタではなくブラウザ上から記事が書き込め(確かログインすら不要だった)、簡単な記号(マークダウン)さえ使えば見出しや強調などのスタイリングも容易なこのシステムは、性善説から成り立っている脆弱なものだったけれども、かなり魅力的で革新的なものだった。管理者たる私の知識不足のせいで、卒業後何かのタイミングでデータが吹っ飛んでしまい、今は跡形もなくなってしまったのだが(それに関してお叱りを受けたのを覚えている)、私のように頻繁に書く人も、ほとんど全く書かない人もいたけれども、お互いがお互いの記事に反応してやり取りする様は、今のSNSなんかよりはるかにクリエイティブだったと思う。そんなことを思い出したのはなぜかというと、ある日T先生が「君たちは好き勝手が書けていいね。大人になると書けないことばかりなのだよ」と呟いていたからだ。それでも折に触れて生徒全員に対するコメントだとか、ブライアン・デ・パルマの映画の感想などを書かれていたのを覚えているが、思えばあの頃のウェブ上のコンテンツは、「誰に対して書くか」ということを強く意識していたし、ある程度の熱量が必要だったから、それを読んだ方も多かれ少なかれそれを受け止め、咀嚼した上で反応していたと思う。一応全世界に公開されてはいるが、読むのは数人程度という、ソーシャルメディアというよりはコミュナルメディアというべきような、現実世界の延長にある関係性だったのだと思う(2chなんかは知ったことではないが)。「声の文化(文字を持たない口承文化)」から「文字の文化」へと移行するのに何世紀もかかったとすれば、ウェブ上でのコミュニケーションというのも当時はまだ移行期にあって、リアルなコミュニケーションをウェブ上でやろうとしていただけなのかもしれない(あるいは現在もその延長線上にあるのかもしれない)。それでもテキストをお互い書き合うというのは、和歌を詠み合うとは言わないまでも、幸福な関係性だったのではないかな、と思う。
こんな適当なことを書き連ねていると、木造アパートの部屋でこたつに入り孤独にプログラミングをしながら、頻繁にゼミブログの画面をリロードし、友人たちが新しい記事を書くのを待ち望みしていた様がありありと思い出される。今の人たちは想像できないだろうが、当時インターネットに張り付いていたのはゼミ中でも僕ぐらいのもので、皆(多分)集中して作業をしていたのだと思う。更新がないのは良い知らせなのだと、彼らが黙々と作業をしているのを想像しながら、諦めて自分も作業をしていたのだ。ゼミ生の人たちよ。君たちはこの12月から1月にかけての感覚を一生思い出すだろう。それは一人ではなくて、皆の関係性があってこそなのだ。わかるのは20年後かもしれないけれど、人生で一番幸福な時期なのではないかな。

2024/11/11

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