8月某日 3年半ぶりの匂い

朝も9時発のパリ行きの飛行機に乗る。前日まで面談・採点・会議に追われ、その後急いでカイロに行き、体の捩れを整えて家に帰ったのは21時過ぎ。そこから身支度を始めたので、不思議と旅行感覚がない。機内に乗り込んで指定された席に腰を下ろすと、隣の40代らしき日本の婦人が、前の座席の背面につけられたタッチパネルを長い爪でカツカツとせわしなくタップし始める。まだ滑走路に向けて移動すらしてないのに、何をそんなに急いでいるのかと思っていたら、「『ダ・ヴィンチ・コード』はどこにあるの?」と、席の離れた息子らしき人物に叫ぶ。そちらを見やれば、白いTシャツに黒いハーフパンツの、日焼けした筋肉質の息子3人と一緒らしい。我が意を得たりといった気分で眠りについたが、数時間後に目を覚ますと、前方のトイレの前で婦人が四苦八苦している。どうやら直前に使用したラテン系男性の「物」がまだそこにどっしりと腰を据えていたようで、婦人は手を伸ばして「流す」ボタンを押す羽目になった。その苦悩の表情には、同情せざるを得なかった。
飛行機の映画プログラムはひたすらマーベルとディズニーばかりで、見たいと思うものなどほとんどない。しかし何度もスクロールするうちに「嗚呼、こんなものを大好きだと公言して憚らない連中に忖度しなくてもいい国に行くのだ」という気持ちがどこからかが込み上げてくる。いかにマジョリティがエンタメと拝金主義に毒されようが、「それのどこが芸術なのか」で済ませられる文化的厚みと個の強度。少なくとも私の中ではそうであり続けている。実情がそうでなくなったとしても、私の中ではそうでありつづけるだろう。
14時間も寝続けるのは流石に無理だったので、猶に100は超えるだろう機内映画のリストを何往復かスクロールする。そのうちデンゼル・ワシントンの顔が目に留まり、『アメリカン・ギャングスター』なる映画を何の気なしに見始める。私の英語の聞き取り能力に加え、ヘッドホンの音の悪さと機内の轟音も相まってセリフはほとんど聞き取れなかったが、それでも画面を見続けていれば話は入ってくるというところにリドリー・スコットの底力を感じる。これまで感服したことなど一度もないが、その辺のスーパーヒーロー映画の監督には比べるべくもない映画的教養がある。
シャルル・ド・ゴール空港に着き、日本人観光客相手にはなんの留保もない入国審査を数秒で通過し、RER乗り場までのひたすらに長い通路を歩き続ける。前回空港に来たのはコロナ禍最初期にフランスを脱出しようとした時だったから、その悲壮さに比べれば明るさを感じずにはいられない。噂通り人々は全くマスクをしておらず、こちらもマスクをするのを憚られるほどだが、コロナにかかっては旅程が台無しなので、電車では口元を隠すこととする。
車内では移民系の子供二人が前に座り、妻と「いないいないばあ」をして遊んでいた。私のスーツケースには台湾のバス会社が貼り付けたシールが貼ってあって、自分の荷物を識別するのに重宝していたが、その子供の唾だらけの手によってあえなく剥がされてしまった。まあやむなし。ホテルのあるシテ・ユニヴェルシテール駅まではありがたくも一本で着き、駅前で焼きとうもろこしを売る移民たちを懐かしく眺めながら、ホテルに到着する。気候は涼しく、すでに19時頃なのにまだ陽は高い。軍艦島と奈良で強烈な陽射しを浴びてきた者からすれば、控えめに言っても最高である。3年半ぶりのパリはあの頃から地続きで、この、誰に何を強制されるでもなく、ただ並木の木漏れ日とそよぐ風に身を委ねていればいいような時間感覚が、ひたすらに懐かしい。もちろんそれは路上の植栽と排泄物の入り混じった得も言われぬ匂いと、時間の矢の先にあった漠とした暗闇とが同居した感覚である。パリに来たら再訪しようと思っていたピザ屋はバカンスで休み。しょうがなくスーパーのFranprixで、出来合いのファラフェルサラダとボックスパスタを買い、部屋で食べて寝る。長い一日だった。