黄金週間、その後。

「ジョン・フォード特集ぐらい行かせてほしい。」と書いたまま終わっていた黄金週間のブログだが、連休の最後に仕事を仕上げた私はその足で渋谷に向かい、フォードの『河上の別荘』なる作品にありつくことができ、素材の関係でところどころコマが飛んで感情が寸断されたりはするものの、囚人が友人の恋路を助けるためだけに脱走したり、刑務所で行われる野球の試合に勝つために所長が脱走を大目に見たり、いかにもフォード的な説話的展開が繰り広げられ、若きスペンサー・トレイシーとハンフリー・ボガードの姿もさることながら、多くの性格俳優たちの作り出す連帯に、心洗われる気持ちになった。社会的なルールとか、大人として生きていくのに考慮が必要なあれこれはあろうが、最終的に人間はそれらを無視してでも「人間らしくあること」を選ぶべきである。私が映画に学ぶのはそこであって、それを理解せずに「うまくやっていくこと」ばかり優先する人とはいつまで経っても馬が合わないのである。
その後、行き損ねていたイオセリアーニ特集にようやく追いつくため、下高井戸まで日参し、長編デビューでありながら傑作の『四月』を含むジョージア時代の作品群や、市井の人々に温かい眼差しを向けた小品ドキュメンタリーなどを見ることができ、自分の体調がみるみるよくなっていくのを感じるのだった。コーカサスの山々に囲まれた特異な環境や、文字やポリフォニーなどジョージアの豊かな文化を語る『唯一、ゲオルギア』では、後半、ソ連時代から冷戦後の内紛に至るまでの過程が丁寧に描かれていく。五カ年計画の数値目標を達成するためにワインを薄めて砂糖を添加するようになった話や(この話は『田園詩』にも出てくる)、元・反体制派だった男が当局に逮捕されたのちロシアの手先となり挙句に大統領になった話、ロシアによって少数民族の民族意識を煽られたことによって内紛が起きた話など、ソヴィエト時代からの「ロシアのやり口」が克明に物語られる。ここのところセルゲイ・ロズニツァのロシア関連のドキュメンタリーを見続けていたこともあり、今のウクライナでのやり方も、ソ連時代のスターリンのやり方も全く変わらないのだなと思わされた。このような周辺国の描くロシア像はこれからいくつも出てくるのだろう。後日、図書館で雑誌『U.S.S.R.』を再見したのだが、今までよりも複雑な気分にさせられた。