20230602

若人の文章など読むに、よくもこのような日常のよしなしごとを、感情豊かに書けるものだと感心し、私のような感情死滅初老男性のブログなどもはや何の意味もあるまいと筆を折ろうかと思うのだが、ふと思い出されるのは私が学部のゼミ生だった時、Wikiという可塑性豊かなWebコンテンツ編集システムが現れて(いつしかWikipediaが「Wiki」と呼ばれるようになって、それを聞くたびに苛々させられるものだが)、試しにゼミで運用して使ってみようとなり、私がサーバ上にインストールして、我々ゼミ生もゼミ担当の教員もひとつずつブログを書くことになったのだが、多分一番書いていたのであろう私は怖いものもなく毎日のように好き勝手書き連ねていたところ、たまにしか更新しないゼミの先生は「君たちはいいね。大人には色々あって書けないことがいっぱいあるんだ。」と笑いながら呟くので、わかるようなわからないような気持ちであったのだが、そのことが今ふと思い出され、ああ、こういうことかと、寝ているうちに強くなった雨音の中で、一人静かに得心するのであった。
大学で1・2限をやっていると授業中にお腹が鳴ることが多々あり、できるだけ1限が始まる直前に腹に何かを入れておいてそれを防ぐ画期的な技術を生み出したのだが、時間の都合でそうできないこともあり、ある日授業前に朝飯を食い損ねた私は、通勤途中のコンビニで買った赤飯にぎりをポケットに2つ入れて授業に向かい、1限と2限の間の休み時間に教室で食べていたところ、「先生がおにぎり食べてる!」と一部の学生がざわめきだし、普段雑談など交わさない男子学生にも「お赤飯、好きなんですか、かわいいですね。」などと言われる始末。お前らだっていつも何かしら食べてるじゃねえか、何がおかしいんだ、と心の中で呟いていたが、家人に話したところ、「私が学生の時はS先生がサンドイッチ食べてただけで話題になったよ」と言われ、確かに普段クスリとも笑わないS先生がサンドイッチを食べていたら人に言いたくなるかも、とは思うものの、自分は無表情ながらももう少しだけ感情豊かだと思うので、あまり納得はいかないのであった。そういえば去年の今頃、個人研のある棟の1階で、とある清涼飲料水を出来心で買っていたところ、後日そのことを学生に問い詰められ、そのことをブログに綴ったことがあった。おとといその同じ自販機に行ったところ、私が疲労を覚えるたびに密かに買っていたその清涼飲料水はいつしか姿を消しており、その後親交を深めることとなった学生との思い出は、もう私の胸の中にしか存在しないのだな、と少しだけ感傷的な思いになった。きっと赤飯にぎりがコンビニから姿を消すことはないだろうが(そもそも季節によって姿を消したりはする)、これもいつかプチット・マドレーヌのように記憶の引き金になるのかもしれないと思う晩春の一夜であった。