9月某日

9月末、久しぶりに風邪を引く。熱にうなされながら、ナリタブライアンとマヤノトップガンの一騎討ちははたして本当に「名勝負」だったのかとか、波田陽区と堺すすむの圧倒的な違いについて考えたりとかした。
先日再見した『エドワード・ヤンの恋愛時代』のパンフレットを読むうちに、推薦文を書かれている温又柔という方のことが気になり著書を買ってあったので、寝ながらページを手繰る。幼少期に台湾から日本に移住し、日本語を母語とする方だが、中国語を流暢に話せないことで被る様々な躓きをきっかけに「国語」とは何かを問うたり、国籍や国民というアイデンティティに対するジレンマを綴ったエッセイである。台湾が日本の植民地であったことを忘れられることが本当の「日本人」である条件なのかもしれない、といったような一文を読んで思い起こされるのは、最近、台湾に行った知人たちが口を揃えて「日本語が使えてよかったです」と無邪気に言うことへの違和感である。「外国で日本語が使えること」に対して何かしらの罪悪感を感じないのだろうか、と最初は思った。私が10年ほど前に台湾に旅行した時はそこまで日本語で話しかけられなかったし、日本統治時代の遺構などを見るにつれて否が応でも加害意識が募っていったから、そもそも日本語を積極的に話そうなんて思いもしなかった。しかし知人らも日本統治時代を知らないわけではないだろうから、かの国における日本語感覚に何か変化が起きているのかもしれない、と思うことにした。
ところで来月私は台湾に行くことにした。10年前以来3度目である。エドワード・ヤンの回顧展なるものが未亡人の監修で行われており、スケジュールを見たところどうやら最終日に滑りこむのが不可能ではないということがわかったので、勢いでチケットを取ったのである。しかしチケットを取った瞬間からブルーになってきた。なぜなら前回私はかなり絶望して帰ってきて、言葉が話せない限り、これ以上この国の上辺だけ見ていても何もわからない、次に来る時にはもっと語学的知識と目的意識を持って来なければいけないと思ったからである。台湾の人々が日本に対してどう考えているか知りたいという思いもあるのだろう(大して気にしていないかもしれないが)。しかし私の語学的知識は10年前と1mmも変わっていないので、志半ばでまた台湾に来てしまうことになる。情けないながらも、きっかけをくれたエドワード・ヤンに感謝して、三たびお邪魔することにした。
ところで温さんは呉念眞が監督した『多桑 ToSan』を最近見たという。私はこれが見られるものなら台湾まで行くほどの意気込みなのだが、少なくとも日本で上映される機会はまだない。温さんはどのように見たのだろうか。なにしろ呉念眞は私の理想の大人なのである。こういうことを書くと「YouTubeにありますよ」とかいうやつが出てくるだろうけど、そういうことではないのだ。これは神聖な儀式なのだ。暗闇の中で『多桑』の光を浴びる日はいつだろうか。できることならば、フィルムで上映してほしいものである。