10/1 初めてのパリと、サヴォア邸。

[10/22記]昨日発表が終わり、0時頃まで飲んで、先生とラーメンを食べ、帰って寝たが、暑苦しいのと「寝ているのがつまらない」という非常に希有な感情とともに4時頃目覚め、「10+1」の第1号や蓮實重彦のアジを読みながら時を過ごし、まだ社会が動き出すまでに数時間あるので旅行の日記を書いてしまおうという次第。(でかける時間になったので写真は夜アップする。)
もはやこれを書いている時点で、20日前の記憶となっているので、深い霧の中から思い出を探り当てなければならないのだが、その日は確かまだ暗い7時頃にブリュッセルはステファニー広場のホテルを出発した。ガラガラとスーツケースを引き摺りながらルイーズ駅まで行き、メトロで南駅へ。かの有名な高速鉄道タリスのチケットを買い、乗り込んだ。初めてスーツケースを車内の荷物置き場に置く機会だったので、盗まれないかと気が気ではなかったのだが、まわりの人たちも同様にしているのでまあ大丈夫なのだろうととりあえず安堵する。確かその日はボックス席で、となりにマダムと向かいに青年が座っていた記憶がある。1時間半ほどせせこましいボックス席で窓の外の豊かだが単調な田園風景を見ていると、パリ北駅に着く。H先生に「北駅は雰囲気が怖いよ」と脅されていたのだが、とりあえずホテルに行って荷物を預けるためにメトロに乗りたいのだが、北駅につながっているラ・シャペル駅への行き方が分からないし、そもそもパリの地下鉄の作法がわからない。「メトロ」と書いてある方向へ歩き、エスカレーターを降りるとそこにはGuichet(切符の窓口)があり、長蛇の列。思えばこれがフランス・長蛇の悲劇のはじまりだったが、まず並びたくないので、誰も並んでいない自動券売機がある。これで変えるか試してみようとやってみると、どうやら国鉄用のものらしく、メトロのものではないことがわかる。おそらく、窓口の隣にある、旅行者らしき人々が列をなしている別の種類の自動券売機がそうなのだろうと思って並ぼうとすると、イスラム系の女の子が「英語話せますか」と尋ねてくる。「少しは」と答えると、何やら小さな紙切れを僕に見せる。何かと思えば、「親が死んだからお金が欲しい」というような内容。要するに、物乞いのようだ。ふと周りを見れば、頭にスカーフをかぶった女性がそこここで人々に話しかけている。こういった人々に何か感じぬわけではないが、1人にあげると皆が群がってくるという体験談を聞いていたので、「ごめんなさい」と言うと、彼女は素っ気なく「何だよ、くれないなら時間を取らせるなよ」といった表情をしてまた、道行く旅行者に声をかけていた。気を取り直して列に並び、クレジットカードで10枚綴りの「カルネ」を買う。またガラガラと転がしながらメトロのホームに行く。改札のドアがものものしい。メトロのホームには「あと何分で来る」という表示板がある。数分待つとメトロがやってくる。僕は荷物が大きいので皆が乗り込んだ後に乗ろうと、最後に乗り込もうとすると、誰も僕が入るスペースを空けてくれず、おばさんの尻にはじかれてる間に、なんとドアが閉まってしまった。なんだよパリは冷たい街だなクソッと思い、虚しく次の電車を待ち、今度は先頭で乗り込む。おそらくこのエゴイズムに似た、グイグイと行く、というのがパリの生き方のようだ。
メトロを乗り換えると、目の前の席にひもがない靴を履いた足が見える。ふと見上げると、浮浪者風のおじさんがニターッとして不揃いに並んだ歯を見せながらその手のひらをこちらに差し出し、「くれ」という仕草をする。不意を突かれた僕は、反射的に歯を食いしばりブルブルッと首を横に振った。そうするとおじさんは立ち上がり、別の人にまたお金を求めながら歩いていった。
このペースで書くといつまでたっても本題が始まらないが、とりあえず荷物をPorte de Clichy駅のホテルのレセプスィオンに預け、まずはサヴォア邸を目指すことにして軽装で出発。RER(パリ近郊鉄道)のC線に乗り、2度ほど乗り換えてA線の終点Poissy駅へ。おなかがすいていたので駅前にあったケバブ系の店に行き、「Grec Frites」を頼む。パン生地に挟んだ山ほどの肉のサンドと、それと同量の体積を誇るフレンチフライ。恐ろしい量だ。駅前の地図でサヴォア邸の位置を確認し、歩き出す。古い教会の前を通り、ビュンビュン走る車達を横目に見ながら坂を上って15分ほど歩くとサヴォア邸と書いた入口の前に着く。チャイムを押してくれと書いてあるので押すと、扉が開いているので勝手に入っていいよとのこと。敷地内に入ると右手に管理者棟があり、左に樹木に囲まれた道がある。そこを歩いていくと斜め右前方に、かの有名な白い家がある。最初は思ったよりオモチャっぽいなという印象。写真を撮っていると日本人らしき男性が出てきた。彼の出てきた方(建物の裏正面)に回り込むと入口があり、入ると受付がある。なぜか受付の若い黒人女性は笑いながら受付をしてくれた。なぜ笑っていたのかは分からないが、日本人ばっかり連続して来るからじゃないだろうか。まずは正面のスロープを上がり、2階へ行くと、ガラス張りのリビング。ペリアンの椅子がこれ見よがしに。続いてキッチン、客用の寝室。青い廊下の天窓が美しい。そして浴室も。2階のベランダに出て、スロープを上ると、茂った木々に遮蔽され絶景とは言えないが彼方には家々が並んでいる展望が見渡せる屋上展望台(?)。2階にまたスロープで降りようとすると、屋上に柱が一本突き出ているのに気づく。これは何か。その後しばらく室内を歩き回り、かれこれ40分ぐらい見てから外に出る。敷地の外に出て隣の建物を見ると、リセ・ル・コルビュジエがある。
展望台から見えた場所が何やら海か河の近くの町並みのような雰囲気だったので、折角だから近くまで行ってみようと思い、来た道をまた下り、おばあさんと「ボンジュール」などと挨拶を交わしながら駅まで戻り、駅の裏側に回り込むとそこには大河が流れていた。取り壊された古い橋の跡があり、橋桁だけが3つ4つ残っている。支流化された川(駅側)にはアヒルやカモが。土手には数組のカップルや老夫婦が座っていて、川沿いに立つ建物も歴史がありそうで、いいところだなあと思いながらしばらく散策する。歩き疲れた頃に駅に戻り、窓口で切符を買ってRERに乗り、ホテルに戻る。チェックインして部屋に入り、そういえば今日は凱旋門賞だったと思ってテレビをつけるとまさにその中継番組がやっており、まもなく発走のよう。ディープインパクトの人気などは知らなかったが、リポーターの口から発せられる馬名の頻度と観客席に群がる日本人の多さからして結構な人気の様。結果は3着で、日本とは違い、勝った馬はしばらく騎手が乗ったまま周囲を凱旋していた。「武豊」の「タケ」がうまくいえないらしく、「タケ」「タカ」「タキ」などと騎手達がコメントしていた。
まだ夕方なのでサン・ジェルマン・デ・プレ駅周辺に行く。パリで映画を観る、というのがミーハーな夢だったが、犬も歩けば映画館にぶつかる状態。イオセリアーニの「jardins en automne(秋の庭)」がやっていたが、時間が合わなかったので、パリ滞在中に見る機会があるだろうと時間をメモり、近辺を散策。暗闇の中照らされる中世美術館(クリュニー)を見て、思わず「アウラがある」と思う。夕食に財団のTさんに教えてもらったおいしい唐揚げ屋に行こうと思い、ずんどこ歩いてパンテオン近くのムフタール通りに行き、唐揚げ屋に入ってみると満員らしい。しょうがないので近くの広場にあるカフェの外の席に腰を据えると、ギャルソンがやってきた。ベルギーやハーグでも困惑したが、言葉よりも一番分からないのがこういった飲食店での作法。まず入って座ればいいのか、カウンターまで行って注文をすればいいのかが隣の国になるだけで全く違ったりする。ブリュッセルではよくわからずテラスの席に座っていると「あなたがなぜここに座ってるかがわからないわ!何がしたいの!?食べたいの!?食べたいならここじゃだめよ、テントの下の席か屋内じゃないとだめよ!」と若い女の子の店員にまくしたてられたりもした。実はこのコミュニケーションが一番ことばの修行になったので、おもしろ半分で結構カフェに飛び込んでいた。パリの作法はガイドブックなどで読んでいたが、何か訊きに来たギャルソンに「Manger」(食べる)と言うと、オーケー、わかりましたといった感じ。メニューをくれたので、日替わりのメニューは何かと聞くと、今日は牛肉のワイン煮込みみたいなものらしいので、それを注文。かなり快い接客だった。パッと入った店にしてはかなりおいしかったし。
その後ムフタール通りを下って、メトロに乗り、ホテルに帰って寝る。