10/6 ロンシャンのノートルダム・デュ・オー

まだ暗い5時頃に目覚め、シャワーも浴びること無く駅へ向かう。始発、確か6時40分ぐらいだったと思うが、それに該当する、照明もまだ点いていない電車に乗り込む。定時が来ると列車は発車し始める。車掌が改札に来る。僕の記憶では、彼は昨日の特急電車の車掌と同じだったような気がするのだが、彼は全く気にしていなかったので、違うのかもしれない。同じような口ひげを蓄えていた。9時頃にブザンソンに戻り、坂を降りる。昨日泥水を吐き出していた彫刻は、今日はおとなしい。ホテルに向かう途中、広場に市が立っていた。僕はひとまずホテルに戻り、何のおとがめも無く部屋の鍵を貰い、昨日のチェックイン時と何も変わっていない、片隅にスーツケースがただ佇んでいるだけの部屋に戻り、漸く荷物をほどき、風呂に入る。フリーインターネットらしく、なんとか無線でつながったので、日記を書き、すぐに荷造りしてチェックアウトを済ませる。先ほどの市に行き、チーズを売っているところがあったので、コンテチーズをくれ、と言うと、お兄さんがものものしい包丁を取り出して、産地の説明をしながら一部を削ぎ、味見をさせてくれる。何種類かくれたので、その中で一番おいしかったやつを頼むと、包丁をホールのチーズにあてがい、それに書かれた目盛りの上で、何目盛り分かを訊いて来る。これぞフランスと思いながら、一人なので一目盛り分を貰う。一目盛りでもかなり多いが、これで三百円とかだから、チーズ好きなら夢の国であろう。別の店でもうひとつジュラのチーズを買い、今度は酒屋でお土産のヴァン・ジョーヌ(vin jaune、サヴァニャン種という葡萄を使って6年以上熟成させた黄色いワイン)を探す。「ヴァン・ジョーヌはありますか?」と訊くと、おばさんが棚のひとつを指し、三種類あるがどれがいいかと訊いて来る。僕はよくわからないでその表示を読んでいたら、もうひとりのおじさんが来て、「こっちのほうがいいよ。この表示わかる?飲んだことある?初めてこっちのほうがいいな」と薦めてくれる。「これおいしい?」と訊くと、「もちろんだよ」と言うので、そっちにする。確かそっちの方が生産年が古かったと思う。
そのまま坂を登って駅に行き、切符売り場へ。「ブザンソンからリュール(Lure)までと、ロンシャンからパリまでをください」と言うと、「あなたはル・コルビュジエを見に行くのね」と。「そうそう」と談笑しながら切符を買い、列車に乗り込む。リュールへはベルフォールで乗り換えて行く。この辺りの山々の岩は白く、まさに恐竜が出てきそうな場所。「岩にアウラがある」(今回の口癖)と思いながら列車に揺られる。ブザンソンからは2時間ぐらい。列車はやたらと旅行客でごった返していた。しかしリュールに着くと、降りるのはほんの数名。
駅を出て、タクシーは無いかと探すと、駐車待ちをしているタクシーが近づいてくるので、まわりこんでそのおじさんに「ノートルダム・デュ・オーまで行きたいんですが」というと、「ちょっと待って」と駐車スペースの空きを待って、車を駐車する。荷物をトランクに入れてくれて、「ノートルダム・デュ・オーか?」と訊くのでそうだと言うと、「ノートルダム・デュ・オー!ル・コルビュジエー!」と言うので笑う。「いくらですか?」と訊くと、「21ユーロかな」と言うので、大体聞いていたような値段なのでボッタクリではないと思いOKし、乗せてもらう。5分ほど走ると運転手のおじさんが「あれだよ!」と山の上を指差す。「あの白いやつさ!」と言うので見てみると、山のてっぺんとは行かないまでも、ほぼ頭頂部に近いところに真っ白い建物がある。あんな高地にあるとは知らなかった。その後5分ほど山道を登ると、教会の入口に着く。おじさんは名刺をくれて、「ここにはタクシーは来ないから、帰るときは受付のおばさんにこれを渡しな。そうしたらおばさんが俺に電話をしてくれるから。」と言う。ありがとうと言い、おじさんと別れる。
受付に行ったが誰もいなくて、「すいませーん」と2回ぐらい叫ぶとおばさんが出てきた。入場料を払い、荷物をおばさんの控え室に置かせてもらって、いざ参拝。坂道を登るとすぐにあの屋根が垣越しに見える。さらに登ると、かの窓々が並ぶ面に。右に歩くと正面に出る。ふと後ろを振り返れば、別の棟の向こう、遥か遠くに町並みが。その小ささからここの高さがよくわかる。教会の右側に回り込むと、十字架や演説台?のある面に。知らなかったのだが、背後にはジッグラト風のものがある。建物の裏側に行くと、内部に入る入口がある。中に入ると、たくさんの蝋燭が灯った祭壇が左手にあり、正面には長椅子が並んでおり、その上には色とりどりの窓が。向かって右側に歩くと、一本の蝋燭が灯った台に、天窓から間接的に光が。後ろにはもう一つ。懺悔室のようなものも二つ。祭壇の左手の階段の後ろには同様に蝋燭が一本灯った台に、天窓から赤い窓を通った赤い光が。入って正面の窓々には「La Mer」や「Marie」などの文字や月などの絵が。ちなみに中は撮影禁止。しばらく堪能した後建物の外に出て、来た方と反対側に回り込むと、半分に割れた円錐や、斜めに切れた円筒状のものが。何かと思えば、上部に雨水などを落とす口が。その背後には三つの鐘があり、その近くには墓のようなものがひとつ。その後はもう1週建物を廻り、管理棟に戻る。中にはコルビュジエが再建する前の教会の写真や現教会の模型、コルビュジエの本などがあり、セルフサービスのショコラを飲みながらそれらをしばらく眺める。そろそろ帰ろうかと、タクシーを呼ぶ電話をしてもらうと、17時まではタクシー会社に人がいないらしい。歩いてロンシャン駅まで行けるかと聞くと、来た山道を歩いて降り、降りきったら右に曲がれば駅があるという。しょうがないので重たいスーツケースを転がしながら山道を降りる。途中には放棄された教会らしき建物と家が数件ある以外は何も無い。
下の道に降り、右に曲がって5分ほど歩くと駅の標識を確認したので、山道の出口付近にあった店に戻って昼食をとることにする。さびれたホテルに付属したレストランで、入っておばさんに何か食べたいのだが、というと今はタルトしか無いと言う。周りには何も無いし、背に腹は代えられないのでタルトとカフェを注文する。しばらくすると持ってきてくれて、食べると結構うまかった。おばさんは何やら若い女の子とカウンターで喋っていて、たまに地元のお客さんが来ていた。何しろ電車の時間まで1時間半近くあるので、ガイドブックでも読みながら時を過ごしていると、おばさんがこっちに来て「あなた英語はわかる?」と(フランス語で)言う。まあ少しは、と言うと、こっちに来てと言うので行ってみると、どうやらさっきの若い女の子の英語の宿題を二人でやっていたらしい。プリントを見ると、英語で求人情報みたいなものが5件ほど並んでおり、職種、給金、場所、会社名などを答えるというものだった。簡単なので最初は彼女が何が分からないかが分からず、「何が分からないの?」とフランス語で言ってみるが通じなかったみたい。しばらく沈黙が続いたが、まず問題の意味がわかってないみたいだ。「これは職種を訊いているんだよ」とフランス語で言うと、「ああ、そうなの!」と二人は納得したらしく、「で、この文のどれが職種なの?」と言うので「これが職種で、フランス語で言ったらこれは某だ」と言うと、「そうなの!」とわかったみたい。そうすると彼女は答えを英語でノートに書き始めるが、すぐに「これでいい?」と訊いてくるので結局全部僕が答えを言う羽目になった。こんなところでフランス人に英語をフランス語で教えるなんて変だけど、まあいい暇つぶしだからいいかと思ってしばらくつきあう。面白かったのは、おばさんが「週に30ドルなんて安いわよ!おかしくない?」と言うので「これは夏期休暇にアメリカのリゾートでやる仕事で、食事と宿泊つきだからだよ」と言ったら「ああ、それならいいわね」と納得したことだ。そのプリントを仕上げると、「今度はマット!」と笑いながら言うのでマットって何かなと思い、彼女が取り出した別のプリントを見ると、数学だった。ああ、「マット」かと見ると、またかなり簡単な、正負の不等号をつけるとか(x,y)座標を座標平面に置き直すと言った問題なので「moins」だの「plus」だのを駆使しながらそれも結局全部答える。「ありがとう!あなたやさしいわ!」なんて言うが、お前自分でやらなきゃ意味ないだろと思いながら、まあいいかと思う。おばさんが言うにはこの辺りには英語ができる人は皆無らしく、女の子が言うには働きながら勉強をしに行っているらしい。高校生にしては老けていたので、道理で、と納得する。「あなたは建築家?」と訊かれ、「デザイナーです」とか話している間に電車の時間になり、お金を払おうとすると女の子がカフェ代を出してくれた。
店を出てゴロゴロ転がしながら駅に行くと、本当に何も無い駅で、掘建て小屋が向こうとこっちのホームに一つずつと歩道橋があるだけである。フランスの国鉄では基本的に乗る前に刻印機で切符に刻印しなければならないのだが、例の黄色い刻印機が見当たらない。掘建て小屋に教会でも見かけた日本人らしき男の人がいるので「すみません、日本の方ですか?」と訊いてみると、やっぱりそうだった。話をしてみると関西弁で、神戸芸工大で建築を学んだ後、今は施工管理をしているらしいのだが、休みを取って電車旅行をしに来ているらしい。刻印しなくてもまあいいんじゃないですか、とのこと。話しているうちに2両編成のへんてこな電車がやってきたので二人で乗り込む。彼はこの後バーゼルに抜けるらしく、次の駅で降りていった。僕はVesol駅で乗り換え、パリ行きの電車に乗る。また夕焼けが美しい。日本とは空気が違うのか、雲のレイヤーが3段階ぐらいあった。かれこれ4時間ぐらいでパリのリヨン駅に着いた。
今日からパリのホテルが変わり、新凱旋門「グランド・アルシュ」があるラ・デファンス駅で降りる。オフィス街だとは聞いていたが、着いたのが23時近かったこともあり、ホテルまでの道がほぼ無人。パリに人がいないなんて信じられない(正確にはパリではない)と思い、ろくにサインも無い中、心細いながらも15分ほど歩くとホテルに着いた。夕食がまだだったのでホテルを出て周辺を見るが、そもそも人気が無い。唯一開いていたケバブ屋に入ると「チキンとラムしかないよ!」とおじさんが言うので「じゃあチキン!」と言うと、また山盛りのフレンチフライと一緒につめてくれた。「この辺にスーパーはない?」と訊くと「あるけど明日だな〜」と言う。しょうがないのでペットボトルの水を一緒に買って、ホテルに帰る。ホテルの隣にはコインランドリーがあったので、次の日にまたやってみようと思う。部屋は予期せずキチネットだった。リヨンで買った悪臭を放つチーズとワインと共に、さっきのチキンサンドをたいらげて、寝た。長い2日間だった。