9/26 モンス・ムンダネウム初訪問

朝8時にY先生の泊まっているホテル前集合。今朝はグッと冷え込んだ。自分のホテルからは徒歩5分。レセプションから電話をしてもらうと、5分ほどで奥さんと降りてこられる。先生は30年前、大学院にいたときにヨーロッパをまわり、その時以来のブリュッセルだそう。ルイーズ広場からメトロで中央駅へ行き、僕と先生は二人でモンスへ。
車内で丹下さんとISOTYPEの新事実などを聞きながら、50分ほど乗っているとモンスへ着いた。ブリュッセルよりはまた5度ぐらいは寒かった。街は石畳で坂が多く、15世紀のゴシック式の巨大な教会があり、途中まで全く人がいなかったが、グラン・プラスでは店々が椅子という椅子を広場に並べていて、「こんなに人がいるのか?」と談笑しながら歩く。20分ほど歩くと道に「MUNDANEUM」の横断幕がかかっている。入口は閉まっていて、チャイムを押すと5分ほど中からカチャカチャカチャカチャやった末にようやく扉が開いた。5人ほどの女性スタッフが迎えてくれて、「マダム・マンフロワに会いたいんですが」と言うと、ミュージアムの奥に通される。マダムは中庭にいて、快く迎えてくれ、アルシーヴは中庭を抜けた建物にあるとのこと。
アルシーヴのある部屋に通されると、僕たちが今日来ることを忘れていたらしいのだが、10ほどの箱が用意されており、後から色々出してくるから、それから先に自由に見ていいとのこと。とりあえず片っ端から開けるか、ということになりひっぱりだすと、その箱たちは「Encyclopedia Universalis Mundaneum」という名前で、往復書簡やスケッチがプロジェクト別に入っており、ノイラートと別れた後にもオトレはノイラートのダイアグラムの模写を行っていたことが判明。また、十進分類法によるまさに円環知のダイアグラムや、コルビュジエとのジュネーヴの世界都市計画の後の、テルヴューレン区、アントワープなどの世界都市計画などの図面や組織図などが出てきてやたらと面白いのだが、肝心のコルビュジエの計画がない。で、どこにあるのかと訪ねるとその箱たちがしまわれていたらしき部屋に通されたが、その箱の量に驚愕したというか愕然としたというか、数百という箱がその部屋の棚には並んでいた。それらは「世界都市」「UAI」「国際博物館」といった分類で仕分けされて、その中で色々とサブ・カテゴリが並んでおり、とりあえず「世界都市」の「創始」と「ジュネーヴ」と「建築家の往復書簡」などを持ってきて、作業部屋で開ける。アンデルセン=エブラールの世界コミュニケーションの立地をアメリカやスイスなどに具体的に当てはめた企画書や、コルビュジエ直筆の往復書簡などが見つかる。しかしまあその物量や膨大で、しばし途方に暮れる。
昼食に外に出ると、裏にはなにやらリノベーション風のミュージアムかシアターのようなものがあり、日本では信じられない斜め下りの全面ガラスカーテンウォールの建物。昼食は軽めに済ませようとサンドイッチ屋でモンス風サンドイッチを買ったが、まわりにはいつの間にか学生風の人たちがたくさんいた。この街は謎だ。
マダムがコレクションを紹介してくれるらしく、ついていくと、世界中の絵はがきを収集した部屋(ブリュッケ関係)が一室、世界中の新聞を収集した部屋が一室、世界中のポスターを収集した部屋が一室、3階吹き抜けの壁という壁に書誌カードの棚が積まれたミュージアムなど、オトレの蒐集魔っぷりがまさにそこに。
そうこうしているとY先生は帰らなければならない時間になって先にお帰りになられ、僕はとりあえず箱に戻しながらそれらをデジカメで撮る。かの有名な『ドキュマンタシオン論』もオリジナルを見せてくれたので、全コピー。そんなこんなで一日目は終わった。
帰りにマダムと一緒に駅まで歩きながら、拙い英語でモンスのこと、ムンダネウムのこと、一緒に部屋にいた学生風の人たちのこと(フラマン人らしい)、今度出たフランソワ・レヴィの本のことなどを話す。マダムはここから50kmのトゥルネーという街に住んでいるらしく、そこも古い街らしい。マダムの電車の方が先に来たので別れ、僕は駅のワッフル屋で軽食をとろうと「Un Gaufre, s’il vous plaît」(ワッフルひとつください)と言うと、最初は「いくつ?」というので「Un」というと「Un じゃなくて Uneだ」と鼻ピアスしたお姉さんに言われ、ふたりで笑う。昨日もビールの男性と女性を間違えた。
ブリュッセルに戻り、近くのブラッスリーで夕食を食べて、写真を整理したりしながら寝る。復元作業は終わるが同じファイルがいくつもあり、どれが最新かをチェックする作業が始まる。これがまためんどくさい。

モンス駅前

聖ウォードリュ教会

石畳の坂