前頭葉の機能低下についての断章

先日勉強会をやっている時、古代エジプトの星図についての発表をしていた私より10歳ぐらい下の後輩が、「本当にこんなに星が見えたんですかね?それとも目が良かったんでしょうか?」と言っていたので、「目が良かったのかもね。アフリカにもすごく目がいい人がいたりするから。ほら、オスマン・サンコンとか……。」と応えると、怪訝な顔をされた。サンコンさんはもう少し普遍的だと思っていたが、10の年齢差も超えられなかった。
去年、学生の作ってきたダイアグラムのタイトルが「雲と標高と都市」という3つの単語を繋げた構造だった。さすがに通じないだろうとは思ったが、一縷の望みを託して「これだと平松絵里の歌みたいじゃない?」と言ってしまった。1人だけ「クスッ」としていたが、あとの人は怪訝な顔をしていた。悪いのが私だということはわかる。逆に笑ったやつはどうして知っているのか問い詰めたいところである。
困るのは譬え話すら通じないことだ。私のマグカップには「スイスイスーダラダッタ」と書いてあるのだが、学生にそれを見咎められたので、「植木等だよ」と言うと、「誰ですか」と来る。「クレージーキャッツっていうのがいてさ、まあドリフの元祖みたいなもので」と言うと、「ドリフって何ですか」と。「志村けん、知らない?」と言ったら、「ああ、名前は知ってますけど…」と来た。他に喩えるものがないかと頭をフル回転したが、「モンティパイソン」は当然のごとく通じないし、不本意ながらも「ごっつ」や「笑う犬」やウッチャンがNHKでやってるコント番組などを挙げてみても全く響く気配がない。結局この問答は「ニセ明(星野源が布施明を演じてやるコント)」の喩えが一番よく通じた。忸怩たる思いである。
男性は歳をとると前頭葉が衰えてきて自分の制御が効かなくなり、駄洒落を連発してしまうという話を聞いた。私はあまり駄洒落を言わない方だと思うが(でも言っているらしい)、通じない話をしてしまうのもきっと前頭葉の衰えのせいだろう。
これを書いているうちに、「あれ、この話どこかで書いたっけ」という気がしてきた。一応過去の記事を読み直したが書いていなかったので多分大丈夫だ。その話で言うと、風呂に入っている時にシャンプーをし終わってさあ次はコンディショナーだぞ、というタイミングで「あれ、シャンプーしたっけ?」という疑念に駆られることがしばしばある。シャンプーした方に賭けてコンディショナーに移行しても良いのだが、万が一シャンプーしないまま出かけるのは嫌だから念の為もう一度シャンプーしてしまう。このまま行くと延々とシャンプーし続けることになりはしないかと、老後が不安である。

余談だが、同僚の1つ上の先輩に「先日こんな話があって、『目が良かった人もいるかもしれないね』って言っていて……」と話し始めたら、食い気味に「オスマン・サンコン」と返ってきた。その後はCDTVのモノマネで盛り上がった。同世代はいいな、と思った。