8月某日 ポルチウンコラ

今日は本格的にアッシジの街を見る日である。
ホテルの朝食は、甘いクロワッサンとケーキだった。やはりイタリア人は甘党なのだろうか。別に期待していなかったが、マシンで提供されるコーヒーはドブ水のような味だった。インテリアといい、朝食の提供方法といい、昭和のホテルを思い出す。
昨日と同じサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会横の停留所からバスに乗り、昨日と同じサン・フランチェスコ教会近くの停留所で降りる。朝だから上堂は静かなもので、静寂の中ジョットーを鑑賞する。他に誰もいないというのは最上の価値である。
以降は詳細を書くときりがないが、サン・ルフィーノ教会、新教会、サンタ・マリア・マッジョーレ教会などを巡る。
最後に下の町に降りて、サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会を拝観する。ポルチウンコラという小さな礼拝堂があり、それを覆うように聖堂が建っている。サン・ルフィーノ教会にはサン・フランチェスコの最期を描いた絵があり、そこでは洞穴のような場所で弟子に囲まれて横たわるサン・フランチェスコが、山の上の旧市街を指差していた。その洞穴のようなところがこのポルチウンコラなのだろう。本当に小さい空間だった。
予定を消化したのでホテルに戻り、ベッドに寝そべりながら調べ物をしていると、シモーヌ・ヴェイユがポルチウンコラで啓示のようなものを受けたということを知る。私には啓示は降りてこなかったが、何か感じるものがあるのもわかる静謐な空間であったと思う。
日記をつけながら、旅とはいったい何であるかを思う。旅で何かを完全に理解したという経験は実は少ない。旅とは、何かを考えるきっかけを得るためにするものではないだろうか。「見聞を広める」とはよく言うが、より正確に言えば、自分は新しいことを考えるぞ、という目的意識を持って旅先を決め、そこから得た気づきをもとに、新たなことを考えていくプロセスの一環なのである。その気づきが考察に変わるには数年ないし数十年かかることも珍しくない。仮説を確信に変えるための旅も必要だろう。だから、今の時点で無理に何かを日記に綴る必要はないのだ。何しろそろそろ疲労していて言葉を紡ぐのも億劫になる頃なので、あとからまとめる気力もないのである。
そういえば書き忘れていたが、私の中で「アッシジ」という地名は、手塚治虫の『ブッダ』に出てくる「アッサジ」という人物(ブッダの弟子)と重なっていて、音以外に何のつながりもないけれども、何か仏教的な価値観が聖フランチェスコに通じているのではないかと思ってしまう。「アッサジ」はわが幼少期の精神を形成した漫画の一つ『三つ目がとおる』の写楽保介と同じ造形をしており、すっとろくてブッダの足ばかり引っ張っているのだけれども、自分の死期を予知し、自己犠牲をもって罪を償うという人物である。同じ『ブッダ』には虫を踏み殺さないように四つん這いで歩く人物も登場し、私の中でそれらが混然となって聖フランチェスコ像が形成されてしまっている。とんでもない勘違いであるとしても、強ち間違ってはいないのではないかと思っている。