8月某日 アッシジへ

旅の最後の目的地であるアッシジに、朝も7時台の電車で移動する。イタリア国鉄のシステムもすっかり電子化されていて、スマホで切符を買ったりチェックインしたりできるようになっている。それもそれでややこしくて、「ようやく慣れたかなあ」と思っていた頃だったのに、車中で妻がEチケットを見ながら「最後の乗り換えは電車じゃなくてバスではないか」と言い始める。「そんなバカな」と思ったが、確かにそこにはバスと書いてある。はるか昔、ラ・トゥーレットに行く際にリヨン駅でTさん夫妻と構内を疾走し、バスに飛び乗った苦い思い出が蘇る。スマホで調べると、イタリアの特急に乗った人専用の接続用バス(名前はフレッチャ「リンク」)で、フィレンツェ駅周辺の「どこか」から発車するらしい。その「どこか」は着いてみないとわからず、直前まで不安だったものの、フィレンツェ駅に着いたら看板を持った職員が立っていて、出口を出てすぐのロータリーに発着することを教えてくれた。無事にバスに乗り込み、アッシジまで揺られることとなった。
途中、海のようなものが見えて、「え、そんなに海に近いはずは…?」と思ったら、ラーゴとのこと。中部イタリアにもこんなに大きな湖があったのですね。
昼過ぎにアッシジ駅に到着する。だいぶ南下したこともあり、やはり暑い。炎天下の中、ホテルまで20分は歩く。宿に着いてみると団体客や合宿生が泊まりそうなところだったが、まだ部屋の準備ができてないので2時まで時間を潰してくれと言う。早く到着した我々が悪いので、近くのカフェバーで茶をすることにする。店員のおじさんは英語を話さないが、色々気配りをしてくれて嬉しかった。ホテルに戻って案内された部屋は狭く、かなり質素なものだった。外の音は丸聞こえで、思わず、聖フランチェスコの気持ちになれるな、と呟く。
アッシジの中心は山手の方で、ホテルからは離れているが、バスで一本でたどり着ける。外から見ると大聖堂下の基壇部(おそらく修道院)がまるで砦のようで、チベットはラサの写真を想起させる。宗教の大本山とはかくあるものか。
到着したバス停はサンフランチェスコ大聖堂の近くなので、途上の気分の盛り上がりもなく、一直線に大聖堂に向かうこととなった。アッシジはもう少し静かなところだと思っていたが、それなりに観光客だか巡礼客だかでごった返し、お土産屋がズラーっと並んでいる。まあ高野山や比叡山みたいなものか、と思いながら大聖堂に出る。大聖堂前の広場は傾斜がついていて、左右のポルティコ状の回廊が遠近効果を引き立て、大聖堂へのヴィスタを構成している。
大聖堂は下堂と上堂の二層に別れていて、ジョットーによる聖フランチェスコの生涯を描いたフレスコ画があるのは主に上堂とのことだが、下堂の壁画・天井画もすでに相当なものである。私のアッシジへの興味はまず聖フランチェスコにあり、彼が動物を愛し、動物に説法をしたという逸話に惹かれていたということにあったので、ここに来て壁画を見たことには大きな価値があったと思う。ジョットーについてはここだけ見たところでたいそうなことは言えないが、思うに、まず聖フランチェスコという対象そのものがそれまでの中世キリスト教絵画にない主題を切り拓き、ジョットーも彼に向き合う中で新しい描き方を開拓しなければならなかったのだろう。明日もう少し静かな時間帯に再訪することにする。
なんとかと煙は高いところに登りたがるので、アッシジの町を高い方へ高い方へと登っていきながら、眼下の田園地帯の風景と、オレンジ色の瓦屋根を楽しむ。聖フランチェスコに師事した聖クララを祀った教会まで歩き、バスでホテル方面に帰る。