8月某日 一番長い日

朝早くザンクトガーレン駅でクリスチャンたちと別れた後、ローカル線でチューリヒ駅に着いて乗り換えようとすると、電光掲示板にはMilano Centrale行きの表示がなく、同じ時間にあるのはChiassoという見知らぬ都市行きの列車のみ。きっとミラノより先にある街なのだろうと列車に乗ってみると、自分たちの席には別の家族が陣取っている。「あの、そこの席なんですけど」と聞くと、イタリア系のお父さんが、この電車はミラノまで行かないことになったから席の指定は無効になり、Chiasso(キアッソ)駅でイタリアの列車に乗り換えなければならないのだ、と言う。礼を言ってその辺の空いている席に座るが、スピーカーにされた電話で何かを捲し立てる若い女性、咳き込む老人、暴れる子供といった風情で既にイタリアのカオスを感じる。とはいえ何駅か過ぎると人も減ってきて、アルプスを超えてイタリア側まで抜けるのはそんなに多くないようだ。渓谷を走る列車の車窓に喜ぶのも束の間で、疲れからか眠りに落ちる。
目が覚めるとルガノの手前で、湖にはヨットが浮かび、岸辺では日光浴を楽しむ人々が見える。建物も高地ドイツ風からイタリア風に様変わりし、植生も荒々しくなる。フランスに親しんだ者にとってはこちらの美学の方が肌に合う。
終点のキアッソは国境駅で、コントロールを素通りしてイタリア側の列車に乗り換える。車内のドアも西部劇のような手押し式の両開きのものに変わり、気温が暑くなったからか冷房が効いている。トイレに行ってみた妻によると「レベルが低い」とのこと。以前ファシズム建築を訪ねたキアッソの隣のコモ駅では、労働者風の移民が4人で乗ってきたが、途中で蓮舫と相原勇を足して2で割ったような短髪の女性車掌に捕まり、あえなく切符代を払わされていた。
この電車はミラノ中央駅ではなくミラノ・ポルタ・ガリバルディという駅までしか行かないのでそこからはメトロに乗り換えなければならず、中央駅に着いたのはもう17時だった。
今日の宿泊地であるブレーシャ(Brescia)行きの電車まで2時間あるので、ドゥオーモに行く。メトロの出口を出ると、眩い大伽藍と共に、強烈な日差しと、ストリートミュージシャンの爆音カンツォーネが聞こえてくる。ファサードの装飾を眺めているうちに曲は「ゴッドファーザー 愛のテーマ」に変わり、それはアメリカ映画だろ、まあモリコーネだけど、と苦笑する。オンラインでチケットを買うことを勧められるので試してみると、中途半端に翻訳されたサイト上に、無数の種類のチケットが並んでいる。一番安い、屋上まで登らないチケットを買おうとするが、これまた怪しいカード決済画面に誘導される。手数料まで覚悟して決済を試したところが、待てど暮らせど何も起きない。結局チケットオフィスまで行って買う羽目になった。ようこそイタリアへ、だ。
ようやくドゥオーモに入るとミサ中で、日曜日だったことを思い出す。月並な感想だが、これだけ巨大な建築を石で建ててしまうヨーロッパ人の技術に脱帽する。また、これだけの彫刻を無名の人々が作り上げてきたことに驚嘆する。現代人にどれほどの能力が受け継がれているというのだろうか。エセ大理石の作り方をスイスで教わったからか、妻は床の石材に夢中だった。
ブレーシャ駅で降りたのは10人ほどで、中には楽器を背負ったアジア人もいた。何か音楽に縁のある場所なのだろうか。駅の裏側にあるホテルから食料を求めて旧市街に繰り出すと、華美ではないが最小限で非常に美しい街並みを通る。イタリアの街路は非常に狭く感じるが、ふと階段を登ると泉のある小さい広場に出て、一気に空間が広がる。そこからスーパーの見える方に向かうと、さらに広い広場に出て、噴水から地面に流れ出した水で遊ぶ親子が見える。既に20:30で夕暮れ時だが、最も美しい時間帯かもしれない。とはいえゆっくり楽しむ暇もなく、Italomarkという大型スーパーで水と食料を買い込み、近くのジェラート屋で今回初ジェラートを食べる。1日の疲労が報われた瞬間だった。

以下、ドゥオーモ付属の博物館。意外にも広く、修復で取り外された彫刻などが所狭しと置かれていた。

ブレーシャ駅。