8月某日 岩絵地図

今日はいよいよカポ・ディ・ポンテという駅に岩絵地図を見に行く日である。
朝、ブレーシャの駅に行くと、我々の列車は「2西」というプラットフォームだと書いてある。2番線の西側のことだろうと思って律儀に待っていたが、発車時刻を過ぎても電車の来る気配がない。やがて電光掲示板から我々の電車の表示は消えてしまった。鉄道会社のウェブサイトを見ても、「定時に発車」したとのこと。怪しんでもう少し西側に歩いてみると、「1〜15」番線の並びとは全く別に、遠くに「1西〜3西」の並びのプラットフォームがあるのが見える。哀れにも我々は列車をみすみす逃してしまったのである。地元の人には当たり前なのだろうが、新参者にはこのぐらいの洗礼があって然るべきだというのがイタリアの暗黙のコードなのだろう。サモアリナン。
次の電車までは2時間。しょうがなく我々は2度目の駅カフェに行き(既に朝一度行った)、茶を飲みながら作戦を立てる。旅行にこういうハプニングはままあることだから、落ち着いたものである。幸い、旅のメインイベントである今日だけは余裕をとってある。
2時間待ってようやく乗れた電車は、キャンプや登山をするような格好の客がいっぱいで、意外にも混雑していた。電車はしばし湖のすぐそばを走り、渓谷をすり抜けていく。ルガノからイタリアに抜けるルートと同じような光景だが、途中温泉駅などを通り、そこにも岩絵の写真が使われていたので、岩絵が見られる場所は複数あるのだろう。車窓に見惚れながら1時間半ほど揺られると、カポ・ディ・ポンテ駅に着いた。
駅の外に出ると、並木道が作り出すパースペクティブが眼前にあり、その消失点の上方に、教会が見える。その教会は崖の上に立っていて、夢のようとしか言いようのない光景に、思わず歓声を上げる。こういう光景が稀にあることを、私は経験的に知っているようだった。
街には至る所に聖母マリアのイコノロジーがあり、北イタリアの信仰心の高さが窺える。中心地を抜けると橋があり、そこから川を見下ろすと、白濁した水が豊富に流れている。そこからしばらく石畳の道を歩いていくと、セラディナ=ベドリナ考古学公園の入り口に至った。
園内は山道になっていて、岩絵地図は一番上にある。例えるなら奥多摩の登山道を300mぐらい登ったところに目的地があるのだ。腰痛を抱え、真夏の陽射しを浴びながら登っていくと、途中で上からおじいさんに声をかけられる。地元の常連客かな、と思って話を聞くと(イタリア語はほとんどわからないからカタコトだが)、指を指してそこに妊婦の絵があることを教えてくれた。それを見ていると「こっちにおいで」と手招きするのでついていくと、普通は観られない区域の岩絵を見せてくれた。途中で奥さんらしき人も現れ、井戸水も汲ませてくれ、生き返る心地がする。小屋はあるし、畑で何かを育てているから彼らはそこに住んでいるように見えるが、そうではなく、近くの家から毎日通ってきているという。管理人みたいなものだろうか。大変ありがたかった。
お目当ての岩絵地図はそのすぐ先にあったのだが、書き出すと長くなるし、言葉にするのも野暮だと思うので、秘めておこうと思う。
地図を見終えてからは、取り残している岩絵を巡っていった。岩絵を見ているとタイムの香りがするので足元を見やると、野生のタイムがいっぱいであった。岩肌だからほとんど土なんてないのに、こんなところに自生するのか、とひとつ勉強になった。また、歩いているとスイス人らしき人たちが草むらから何かをつまんで食べているので、その先を見てみると、黒い野苺が生っていた。山道で汗をかいて疲れた身には非常にありがたく、自然というのはよくできているな、と思う。
岩絵公園には閉園時間ギリギリまでいて、その後、駅から見えた岸壁の教会を訪ね、カポ・ディ・ポンティ駅を後にする。あまりにも楽しかったので、明日別の公園に行ってみようということになった。