8月某日 見知らぬ町の景色

朝方、プランパレのマルシェへ行く。バカンスだからか数軒しかテントが建っていない。 ピカピカに磨いたような均一の野菜が並ぶ店がほとんどだったが、一軒だけ明らかに違う店があった。香りを放つバジルの山と、トマト、茄子、ズッキーニ、じゃがいもが並び、店のもう半分には花がわんさかと並んでいる。旅行中なので沢山は買えないが、種類の異なるトマトを一つずつと、生でも食べられるであろう茄子だけを買った。バジルが2、3枚あればなあ、と思っていたら、「これつけるわね」と言ってバジルをつけてくれた。これだけで素晴らしい生産者だとわかる。
4年かぶりのジュネーヴ自然史博物館。以前は地形レリーフを見にきただけなので、まともに展示を見るのは初めて。今回は特にアポ無しだが学芸員の人は元気だろうか。
剥製の倫理。生きた生き物と死んだ生き物の圧倒的な違い。les animaux empaillés=藁の詰められた動物。実物の直接的展示と表象(模型)の展示による頭の働きの違い。気が滅入る。
比喩的な名付けの美しさ。Punaise nébuleuse(星雲カメムシ/ヨーロッパ原産)とPunaise diabolique(悪魔カメムシ/アジア)。Poisson crapaud(ヒキガエル魚)。Poisson lumineux(光る魚). Requin taureau(雄牛鮫). Requin tigre(虎鮫). Scarabée tunnelier(トンネル掘りスカラベ). 科に属する種の数に従って、その代表的生物(提喩)の模型サイズを大小させる優れた展示。三中さんが見せていた生態系視覚化の立体版だ。我らが哺乳類代表である象の模型は、なんと転げていた。ペロン作の地形レリーフ(のコピー)が展示されている部屋は4年前と変わらず閉まっていて残念。Blashkaというポーランド風の名前の人物が作ったガラス製のクラゲ模型のコレクションも見られなかった。向こう4年以内に新館が建つらしい。ブティックも閉まっていて、少し物悲しかった。
バスに乗ると、整理されているであろうスイスの交通体系をもってしても非常に複雑なルートを通っていくのを感じる。氷河や川の働きでできたのであろうなだらかなスロープや唐突に切り立つ崖がこの街を形作っていることがわかる。そして、そのような複雑な地形の上に石を積んで高層建築を作り、積雪にも耐えうるような屋根の勾配と低層部の処理を施しつつ、美しさをも追求しようというジュネーヴ人の、知恵の成果を見ることができる。例えるなら綺麗なフランス。しかしながらあくまでもスイス。
湖の反対側にあるジュネーヴ植物園へ。個人的に、花の咲いている季節に植物園に来られることは滅多にない。いつも荒地と化した花壇を見て回るのが常なので、旅行はこういう季節にするものなのだな、と思う。野生植物、有毒植物、フィトテラピーや薬用の植物、織物になる植物、染色できる植物など様々なカテゴリーに分けられて植物が植えられている。植物の名前と実体とその利用方法が結びつく展示こそが良い展示なのかはわからないが、少なくとも教育的ではあった。むせかえるような匂いを放つペパーミントとフェンネルに虫が集まっていたのが印象的だった。スイス人の植物愛と山岳愛を感じる。
バスで旧市街に移動し、昨日休みだった古書店、Julienを再訪するが、なぜかまた休みだった。夏季休暇だろうか。歩いてホテルの方まで戻り、坂を登ってアナーキズムの本屋に行く。レジのある主室までは一般的な文学や科学分野の本が並ぶが、レジの後ろにある後室にはアナーキズムの本がずらりと並ぶ。ルクリュのコレクションもあり、しばしチェックする。これだけアナーキズム関連の本が出ている(しかもその中の思想は細かく分類されている)ということは、アナーキズムがヨーロッパ人社会に深く根付いているということだろう。日本では最近少し流行り始めているけれども、それでも数えられるほどの本しかない。過去の弾圧の影響もあるだろうが、意識の違いを感じる。
Coopで夕飯の買い物をし、ケバブ屋でファラフェルサンドも買ってホテルで食べる。ファラフェルはひもじくも二等分するしかなかったが、朝買ったトマトは非常に美味しくて、心が洗われる。
夜中に起きてしまったので、窓の外をしばし見つめる。レマン湖から流れ出すローヌ川の流れ。街灯が浮かび上がらせる街並み。橋の上を無人のトラムが走っていく。眠った車。時折徒歩や自転車で走っていく人々。風にたなびく樹々。私は知らない街の窓の外で人々が働くのを見るのが好きである。初めてヨーロッパに来た時、ウィーンのホテルの窓の外から見た、看板の言葉もわからない夜の街の雰囲気を思い出す。知らない街に引っ越した時の最初の夜もそうである。慣れるうちにいつしかこの感覚は無くなってしまうが、もう少し大切にしていきたい。