8月某日 イタリア地図史博物館

イタリア旅行もついに最終日であるが、早朝からオンラインで面談と打ち合わせをこなす。そうしていると数日前に訪問の申し込みをしていたイタリア地図史博物館の方から返信があり、来ても良いとのこと。ただし閉館が13時なので、急いで向かう。しかし方々で工事がやっていて、近くに着くはずのバスがあらぬ方向に走り出し、途中で飛び降りる。工事で半分封鎖された道を延々と歩き、10時半に博物館に着く予定が、一時間も遅れてしまった。
博物館は軍の施設のようで、入り口で迷彩服を着た青年にIDをチェックされる。メールには「私を呼び出して」と書かれていたので、それを彼に伝えたが担当者女史の内線番号がわからないらしく、一悶着ある。結局、たまたま通りがかった同じ部署の人が彼女に直接伝えてくれて、わざわざ迎えに来てくれた。海外でのこのような悶着はよくあることで、嫌いではない。
博物館の入り口では、いきなりカッシーニ家のジョヴァンニ・マリア・カッシーニによる巨大なイタリア全土地図を見せられる(ちなみに彼はピラネージの弟子らしい)。「幾何学的にあまり正確ではない」と言っていたが、それでも非常に精密な地図である。1860年代の制作であるにもかかわらず、海に怪物がいるのが印象的であった。海上には船のデッサンがあり、マストの先からひたたれのようなものが垂れていて、「これは何?」と尋ねると、「私が思うには風の方向を示しているんじゃないかな」と言われる。
次に大判のフィレンツェ地図、ナポリの景観地図、パドヴァの巡礼地図を見て、「この博物館はとっても小さいんだけどね」などと謙遜されるが、その後、カッシーニ時代の測量器具や、空中写真から地図を興す器具、ローマ時代の測量器具などが置かれた廊下に通される。既に小さくも何ともない、と思いながらついていくと、その廊下の突き当たりで、ヴェネツィアはマルチャーナ図書館に実物のある「フラ・マウロ図」の精細な写しを見せられる。写しでもかなり興奮するのだから実物は相当なものであろう。さらに「フラ・マウロ図」の隣の扉から入る部屋には、壁面の本棚にずらっと本が並び、奥にはカッシニ家の作った地球儀と天球儀が置かれ、その間には銅版画地図とその原版が置かれている。地図の銅版画原版を見られることはほとんどないので、「えっ、こんな原版をコレクションしているのですか」と尋ねると、「そうね。でも原版の前で喋ったり、触ったり、息を吹きかけただけで錆びちゃうから、展示や保存が難しいの。」とのこと。いつかじっくりお目にかかりたいものである。
最後にはガラスキャビネットに貴重な地図学書がずらっと並んだ廊下を見て、「ここで終わりよ」と言われる。もっとじっくり見たかったが、時間も時間であるし、いずれ研究の名目で来られたらと思う。
女史の説明によれば、ここはイタリア統一時にそれまでトリノにあった地図学制作部門を首都であるフィレンツェに移設したもので、首都がローマに移った際もここに残すこととなったという。軍と民間の半々の施設らしく、彼女は民間から雇われているらしい。私のようなマニアックな人しかこなさそうな施設だが、「結構来るわよ。授業で学生さんがよく来るし」とのこと。世に地図の博物館はもっと増えてほしいと思うので、とても嬉しかった。
それにしても1時間で超濃密なものを見たという思いが残る。
地図史博物館が想定より早く終わり、14時閉館のStibbert博物館に滑り込みそうなので、炎天下の中ずんどこ歩く。最後の上り坂がきつく、最終入館時刻の10分前になんとか辿り着いたが、受付の婦人に「あと1時間で閉館よ。そして展示はものすごく広いわ」と冗談混じりに脅される。ここは武器・甲冑がずらっと並んでいる恐るべき博物館で、ヨーロッパだけではなくペルシャや日本の鎧兜までかなりの数が並んでいる。日本でもここまでの数が一堂に介している場所はそうそうないのではないだろうか。父が英国人のフレデリック・スティッベルトが、東インド会社の司令長官だった祖父から莫大な遺産を受け継ぎ、このコレクションを成したらしい。庭には小さなグロッタもあり、甲冑好きの友人のために来たが、なかなか興味深い場所であった。
もはやイタリアでやることもやり尽くしたので、昼飯を求めて街の中心を彷徨い歩き、教会のファサードだけ見たりして、前回の訪問を思い出そうとする。前回は一週間いたのに、記憶の彼方である。イタリア最後の日であるからレストランぐらい入ろうと思っていたが、目当ての場所は例の如くバカンスのためどこも閉まっており、巨大なスーパーに行ったが、もう出来合いのパスタなんか食べる気がせず、イタリア人までこんなものを食っているのかと怒りすら湧いてきて、何も買わずにホテルに帰る。こんな均一なものばかり見ていたら脳みそが腐るんじゃないか。

イタリア地図史博物館。「ここだけ撮っていいわよ」と言われた。