8月某日 スイスのジミ・ヘンドリクス

フリブールの朝。6時には起き出し、身支度をしてホテルをチェックアウトする。地図を見ていると少し歩けば渓谷が見られる気がするが、そんな余裕もなくスーツケースを引きずりながら駅へと真っ直ぐに歩く。
電車はものの15分でベルンの駅に着く。コインロッカーの追加料金を避けるため、ピックアップが6時間ギリギリになるように待ってから借りる。ミュージアムカードと市内交通の一日乗車券を買い、ツェントルム・パウル・クレーへ。クレーと自然をテーマにした展示。子供の頃から自然観察に興味を持ち、青年期には既に植物を分析できるようになっていたクレー。芸術は自然から生まれる、それを忘れたらどのような技術も無意味だ、と思わされる展示。「雨が降るだろう」と題された、鉛筆でさらっと書かれたドローイングが秀逸だった。絵とタイトルの関係も考えさせられる。
トラムに乗ってスイス山岳博物館を訪ねる。以前地形レリーフを調べていて知った場所で、その時はメールをしても全く応答がなかったためスルーしていたのだが、今回来てみるとやはりレリーフは展示されておらず、現代美術に影響を受けたブリコラージュ的な展示が行われていた。内容は戦時期に弾薬庫の爆発で死者のあった山村Mitholzについてと、「山の女性たち」と題された女性登山史についての二本立て。登山家が使っていたギアの実物にRFIDタグがついていて、それを持っていってスキャナにかざすとインタビュー映像が流れるという代物。放置されたような展示空間とハイテクさが同居する。
ミュージアム・ショップにあった、過去の展示風景を写した黒白写真のポストカードに「撮影:フランツ・ロー」とあり、あのフランツ・ローの写真かと思い興奮したが、よく見ると「Franz Roh」ではなく「Franz Rohr」だった。同一人物だったりしないだろうか。思えば、「批評家」とか「写真家」とか肩書きがつけられ、デザイン史の重要な結節点で登場するフランツ・ローが一体どのような人物であるかを私はほとんど知らない。
午前中で美術館2軒という詰め詰めのスケジュールだったにもかかわらず、思いのほか時間が余ったので中央駅まで散歩。以前来た時は浮き輪をつけて川を流される人々をよく目にしたものだが、今回はほとんど見なかった。マルクトにあったサイコロ屋に再訪したかったがそれも叶わず。
夕方、電車でザンクトガーレンに移動。駅で落ち合う予定だった友人のクリスチャン達は渋滞で遅れるとのことで、ディナー会場のギャラリーに向けて寄り道しながら歩くことに。ドイツ語圏になると売ってるものが違うなと思いながら、妻のペットボトルのフタ集めに貢献する。
ギャラリーに着くと既にクリスチャン達も着いていた。コロナ禍の直前にパリで会った以来だから、ちょうど3年半ぶりである。あの時妊娠していたアンジェラだが、わんぱく盛りの3歳の息子を連れていた。彼らは地元のアーティストの組合みたいなものに参加していて、タティアナという人がシルクで刷ったデジタル写真を展示していた。ジェノヴァの都市のレリーフと、ジェノヴァの建物から採取した石を積み上げたものをモチーフとしていて、話を聞くとジェノヴァの博物館の倉庫に捨て置かれるように置いてあったものらしい。建物を壊す時にその一部を取っておく文化があるそうで、興味深かった。
子供と遊んでいるうちにディナーが始まり、皆が持ち寄った惣菜を少しずつ盛りながら回して、ジャガイモと食べる。この組合はお互いに協力したり教えあったりするらしく、至極スイス的な仕組みだと思う。
車に乗って家に帰ると3歳の子供がいきなりレコードでジミヘンをかけ始めて、エアギターをかき鳴らす。なかなか様になっていて、将来が楽しみである。