8月某日 ギメ博物館再訪 その1

朝起きて、昔住んでいた界隈を散策する。夜半に嵐があったが、起きてみるとよく晴れていて、気温も20度ぐらいと涼しい。
毎日のように通っていた通りを歩き、毎日のように通っていた界隈に出る。街を見る限り、思ったよりも変わっていない。といってもそもそもが酷い界隈だから、変わっていたとしてもたかが知れているのだが。
印刷の講義を担当されていたヒザワ先生に似た人物がいつも客にいることから我々が勝手に「シェ・ヒザワ」と呼んでいたカフェで、軽い朝食を取る。見覚えのある男性がカウンターに立ち、見覚えのあるオーナーらしき高齢の女性が客席に座り、新聞を読みながら店員に指示を出している。このカフェは若い外国人女性がセルヴーズ(給仕)をやるのが常で、今日もどこかの訛りのある白人女性がオーダーを取りに来た。長くいると不味く感じるRichardのエスプレッソも、久しぶりだと悪くない。
昨日ピザ屋がバカンスで休みだったのと同じく、馴染みのパン屋、通称「おじパン」も休みだった。そのままポール・ロワイヤルからソルボンヌ大を通り、ノートルダム大聖堂まで北上する。数年前火事で尖塔を焼失したノートルダムの周辺では「ベトンの女王」イダルゴの主導する再開発が始まっていて、大聖堂前広場に新設された、トマソンとしか思えない階段の上に観光客たちが腰を下ろしていた。ジャック・タチ的な戯画の世界である。大聖堂に張り巡らされた工事用仮囲いには、この再建工事がいかに優れたものであるかが図説されていたが、そもそも焼失させたことに対する謝罪の念などどこにもない。聞けば、教会の裏にあった小さな公園も潰して、駐車場に変えてしまったらしい。ノートルダムはテーマパークのアトラクションではない。
マレ地区を歩けば、3車線道路のうち2車線が自転車専用道に変えられていて、渡るのが非常に困難である。歩けば自転車屋がいくつも新設されており、これもイダルゴのエコ・ファシズムの成果なのだろう。本人は車で通勤しているそうだが。
サントル・ポンピドゥーの脇を通り、レ・アルを横目に北上して、モントルグイユ、ボン・ヌーヴェル、ギャルリー・ラファイエットまで歩く。ハワイの「ポケ(ポキ)」の店と肉まんの店がやたらと目に入ったので、きっと新しい流行なのだろう。
地下鉄でイエナに移動し、ギメ博物館を見る。ここは19世紀以降、ギメ他の人々がアジアに行って収集したコレクションによって形成された、国立の東洋美術館だ。7年ぶりの再訪となるが、この間アジア美術への興味が募り、仏像や宗教的図像を積極的に見に行ったり、院生と図像の勉強会をしたこともあり、昔よりも楽しめるようになった。ここの美術館は、うまく言語化できないが、日本と提示の仕方が少し違うというか、ライティングや置き方が異なっていて、同じ仏像があっても違った見方をさせられる。しかも、これだけアジアを横断して仏像や図像を比較できる場所はアジアにもそうそうない。夢中になってインド、ネパール、チベット、アフガニスタンの部屋を見ていると、閉館のアナウンスが聞こえてきてしまった。ここなら気軽に見られるだろうと見積もったのが間違いだった。まだ5フロア中2フロアしか見られていない。後日再訪することにする。
その後、散歩がてら宿まで歩こうとしたが、途中で雨に降られて地下鉄とバスを乗り継ぎ、変なルートで戻ってきた。夕飯は昔よく行っていたタイ料理屋に向かう。我々とほぼ同世代の、異常に人懐っこいタイ人女性が一人でフロアを回しているのだが、近くに住んでいた時にはよくお世話になった。コロナの時も妻と一緒に潰れていないか心配していたので、今回一番再訪したかったのは実はここかもしれない。お姉さんは我々のことをすぐに認識し、お互いの近況を話した。カカユエットが盛り盛りのパッタイ・ヴェジェタリアンと、ネム(春巻きのようなもの)を頼んで平らげた。前は「今これを食べているのよー!」と行って、お徳用のどら焼きの袋を見せてくれたが、今回はスーパーのレジ横に売っているような栗羊羹を見せてくれた。タイの人は甘いものが好きなのだろうか。お土産でも持ってくればよかったと後悔する。

デジカメを持っていくのを忘れ、iPhoneで写真を撮ったのだが、印象とあまりにも違うので、わざわざアップするのはやめる。