光の想い出

私の住むマンションの一室は、玄関の覗き穴から光が入って、ピンホールカメラよろしく、その向かい側の壁に小さく景色が映る。そんなに大きくないので「景色」とは言い過ぎなのだけれど、トイレに行く時などに通りかかると、なんともそれが美しく思える。うちには悲しいほど実用的なものしかなくて、光を美しいと感じる瞬間などほとんどないのだが、ふと思えば、子供の頃はマンション住まいだったにも関わらず夜中寝そべって天井に映る街灯の光などを眺めながら、その日にあったことや覚えたことを振り返ったものだった。あの時間の贅沢さは今の生活からは失われてしまっているが、パリの寮でもカーテンの隙間から差し込む光が妙に美しく思えたことがあって、少年の頃を思い出しながら眠りに落ちるまで見つめていた。
スイスの友達の住む伝統家屋風の家には、窓際に風鈴のような形状のオブジェが吊るしてあって、模様こそないものの、そこから差し込んだ光が机の上などに色のスペクトルを作り出して、心洗われる気持ちがする。パリの友人宅には、天井から手作りのモビールがぶら下がり、壁には同じく手作りのシェードがついた照明が取り付けられていて、至るところに光と影の楽しみがあった。こんなことを思い出したのも、『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』の趣味の物に溢れたインテリア・セットを見たからであろう。どうして我が家にはそのような楽しみがないのだろう。趣味より実用を優先してしまう私の性格が悪いのだろうか。何かを置きたくなるような家に住んでいないのがいけないのかもしれないが、いまだに「雑貨」なるカテゴリーが理解できない私がきっと悪いのだろう。光を楽しむ余裕がいつかできればよいなと思いながら、今日もパソコンに向かい続けるのであった。

EOの苦い涙

学務の合間に映画を見に行くと頗る調子がいい。
有楽町の商業施設の映画館にて、スコリモフスキ監督の『EO』を観る。ロバの一人称映画と聞いていたが、監督が唯一涙した映画だというブレッソンの『バルタザールどこへ行く(ちなみに原題のAu hasard Balthazarのほうが韻を踏んでて好きなのだがそのことはとりあえずどうでもよい)』とも違う。あれはどちらかといえば少女に災難が降りかかる田舎の悲しみ映画だったように思う(『少女ムシェット』とやや記憶が混濁しているかもしれないが、ヴィアゼムスキーがしょうもない輩に絡まれているのはなんとなく覚えている。いずれにせよ視線としてはブレッソン的なロリコン趣味だったように思える)。『EO』(ロバの名前になっている「イーオー」という言葉は、ディズニーくんだりに取り込まれてしまったクマのぬいぐるみの物語に出てくる「イーヨー/Eeyore」を想起させるが、これはロバの鳴き声に由来している・らしい)では、サーカスで団員の少女に愛されていたロバに、数々の災難が降りかかる。それはブレッソンよりももっと動物目線に近く、現代の様々な動物事情(サーカスからの解放運動、食肉・毛皮等のための家畜産業、それに伴う輸送従事者と移民問題等々)を反映しており、とりあえずの主人公である「EO」は野生動物(蛙、狐、狼)、家畜(馬、豚、牛、狐)とすれ違い、彼らと行動を共にしたりしつつも、何を考えているかは本人(本ロバ)しか知る由はない。彼の周りに現れては消えていく人間は押し並べて愚かに見えるが、そこに殊更の誇張はないように思える。EOはそれなりに生きているだけだが、様々な場所に運ばれ、時には奉られたと思いきや、その夜には立てなくなるほどの暴行を受け、その傷が癒えたと思った途端に毛皮農場に連れて行かれ、あわやというところで脱出したと思ったら、放蕩息子の随伴者に勝手に指名される。この映画に何らかの「メッセージ」があるのかはわからないし、本当にこの映画が動物を全く傷つけていない(No animals were harmed)のかもわからないが、ここで起きていることはどこにでも、人類の人口などを超えた動物の生命に起きていることだということは否が応でも伝わってくる。時折挿入される、「美しい」というほかはない自然の光景の中で、人間は勝手に歓喜し、落胆し、いがみ合い、奪い合う。動物たちからしてみればそれは愚かであるか少なくとも不思議なことであり、そのことだけは映画的事実として理解されうる。
何週間か後、ファスビンダーの『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』の4K修復版が上映されるとのことで、新宿まで見にいく。なぜ上映されるかというと、フランソワ・オゾンが『ピーター・フォン・カント』なる題名で翻案したからなのだが、オゾンくんだりがファスビンダーについて語る資格など全くないと思うので、そんな枠組みはどうでもよい。しかし、武蔵野館(に行くのも10年ぶりぐらいな気がする)に着くと客席はいっぱいで、皆がどのような関心を持って集まったのかはわからないが、ひとまず喜ばしいことだと思う。前に見た時は10年ぐらい前だったのだと思うが、DVD鑑賞だったせいか、あまりしっくりこなかった記憶がある。しかし、猫の佇む階段を正面から捉えたオープニングから最後のスーツケースのシーンまでほとんど憶えておらず、憶えていたのはカーリンとペトラのとても似合っているとは言い難い珍奇な趣味の服装と、あのアメリカかぶれの娘の髪型と服装ぐらいであった。富と名声、女性としての自由は手に入れたが「結婚」と搾取に悩むペトラ(マーギット・カーステンゼン)、若さと無知と素直さだけが取り柄の無学なプロレタリアートのカーリン(ハンナ・シグラ)、才能はあるが愛する人にこき使われることだけが生きがいの哀れなマレーネ(イルム・ヘルマン)の繰り広げる、資本主義社会下で「愛すること」の不可能性を巡った愛憎劇。こんなことを思うようになったのも、歳をとったせいか。戯曲がベースとなっているこの密室劇で、プッサンの宗教画が壁に描かれた一室だけを舞台に映画が成立できるのは、ひとえにファスビンダーのダイアローグの素晴らしさと、ミヒャエル・バルハウスの工夫を凝らしたキャメラワークのおかげなのだと思う。好いた惚れたの話しかしない凡庸な恋愛ドラマばかりが横行している現代において、恋愛の社会性を突きつける、大変刺激的な2時間であった。それにしても猫はどこに行ったのだろう。マレーネが出ていってしまったら真っ先に死んでしまうのではないか、ということだけが気がかりであった。

黄金週間、その後。

「ジョン・フォード特集ぐらい行かせてほしい。」と書いたまま終わっていた黄金週間のブログだが、連休の最後に仕事を仕上げた私はその足で渋谷に向かい、フォードの『河上の別荘』なる作品にありつくことができ、素材の関係でところどころコマが飛んで感情が寸断されたりはするものの、囚人が友人の恋路を助けるためだけに脱走したり、刑務所で行われる野球の試合に勝つために所長が脱走を大目に見たり、いかにもフォード的な説話的展開が繰り広げられ、若きスペンサー・トレイシーとハンフリー・ボガードの姿もさることながら、多くの性格俳優たちの作り出す連帯に、心洗われる気持ちになった。社会的なルールとか、大人として生きていくのに考慮が必要なあれこれはあろうが、最終的に人間はそれらを無視してでも「人間らしくあること」を選ぶべきである。私が映画に学ぶのはそこであって、それを理解せずに「うまくやっていくこと」ばかり優先する人とはいつまで経っても馬が合わないのである。
その後、行き損ねていたイオセリアーニ特集にようやく追いつくため、下高井戸まで日参し、長編デビューでありながら傑作の『四月』を含むジョージア時代の作品群や、市井の人々に温かい眼差しを向けた小品ドキュメンタリーなどを見ることができ、自分の体調がみるみるよくなっていくのを感じるのだった。コーカサスの山々に囲まれた特異な環境や、文字やポリフォニーなどジョージアの豊かな文化を語る『唯一、ゲオルギア』では、後半、ソ連時代から冷戦後の内紛に至るまでの過程が丁寧に描かれていく。五カ年計画の数値目標を達成するためにワインを薄めて砂糖を添加するようになった話や(この話は『田園詩』にも出てくる)、元・反体制派だった男が当局に逮捕されたのちロシアの手先となり挙句に大統領になった話、ロシアによって少数民族の民族意識を煽られたことによって内紛が起きた話など、ソヴィエト時代からの「ロシアのやり口」が克明に物語られる。ここのところセルゲイ・ロズニツァのロシア関連のドキュメンタリーを見続けていたこともあり、今のウクライナでのやり方も、ソ連時代のスターリンのやり方も全く変わらないのだなと思わされた。このような周辺国の描くロシア像はこれからいくつも出てくるのだろう。後日、図書館で雑誌『U.S.S.R.』を再見したのだが、今までよりも複雑な気分にさせられた。

20230602

若人の文章など読むに、よくもこのような日常のよしなしごとを、感情豊かに書けるものだと感心し、私のような感情死滅初老男性のブログなどもはや何の意味もあるまいと筆を折ろうかと思うのだが、ふと思い出されるのは私が学部のゼミ生だった時、Wikiという可塑性豊かなWebコンテンツ編集システムが現れて(いつしかWikipediaが「Wiki」と呼ばれるようになって、それを聞くたびに苛々させられるものだが)、試しにゼミで運用して使ってみようとなり、私がサーバ上にインストールして、我々ゼミ生もゼミ担当の教員もひとつずつブログを書くことになったのだが、多分一番書いていたのであろう私は怖いものもなく毎日のように好き勝手書き連ねていたところ、たまにしか更新しないゼミの先生は「君たちはいいね。大人には色々あって書けないことがいっぱいあるんだ。」と笑いながら呟くので、わかるようなわからないような気持ちであったのだが、そのことが今ふと思い出され、ああ、こういうことかと、寝ているうちに強くなった雨音の中で、一人静かに得心するのであった。
大学で1・2限をやっていると授業中にお腹が鳴ることが多々あり、できるだけ1限が始まる直前に腹に何かを入れておいてそれを防ぐ画期的な技術を生み出したのだが、時間の都合でそうできないこともあり、ある日授業前に朝飯を食い損ねた私は、通勤途中のコンビニで買った赤飯にぎりをポケットに2つ入れて授業に向かい、1限と2限の間の休み時間に教室で食べていたところ、「先生がおにぎり食べてる!」と一部の学生がざわめきだし、普段雑談など交わさない男子学生にも「お赤飯、好きなんですか、かわいいですね。」などと言われる始末。お前らだっていつも何かしら食べてるじゃねえか、何がおかしいんだ、と心の中で呟いていたが、家人に話したところ、「私が学生の時はS先生がサンドイッチ食べてただけで話題になったよ」と言われ、確かに普段クスリとも笑わないS先生がサンドイッチを食べていたら人に言いたくなるかも、とは思うものの、自分は無表情ながらももう少しだけ感情豊かだと思うので、あまり納得はいかないのであった。そういえば去年の今頃、個人研のある棟の1階で、とある清涼飲料水を出来心で買っていたところ、後日そのことを学生に問い詰められ、そのことをブログに綴ったことがあった。おとといその同じ自販機に行ったところ、私が疲労を覚えるたびに密かに買っていたその清涼飲料水はいつしか姿を消しており、その後親交を深めることとなった学生との思い出は、もう私の胸の中にしか存在しないのだな、と少しだけ感傷的な思いになった。きっと赤飯にぎりがコンビニから姿を消すことはないだろうが(そもそも季節によって姿を消したりはする)、これもいつかプチット・マドレーヌのように記憶の引き金になるのかもしれないと思う晩春の一夜であった。

Une semaine d’or

普段:急いで仕事。
黄金週間:ダラダラ仕事。

ジョン・フォード特集ぐらい行かせてほしい。

人はいつ「腐る」のか

思うところあって、大学院生の時(2006年)に初めて一人でヨーロッパに行った時のブログ記事を再公開した。この時書いていたブログエンジンはWordpressじゃなくてMovableTypeだったのだが、今のシステムに移植後、さすがに書いていることに責任が取れなくなったので、非公開にしていた。しかし今改めて読んでみると、この時は何も知らなかったけれども、見たこと感じたことに無理に結論を出そうとせず、ありのままに受け止めようとしていることに我ながら好感を抱き、この度再公開することとした(そんなにもったいぶるような内容では全くないが)。過去の記事に上がっている写真は今の標準からすれば非常にサイズの小さいものだったので、パソコンから掘り起こして手動でアップロードし直した。さすがに枚数が多すぎるだろうというところは削ったが、変なところを撮っているのも含めて、ほぼ同じものを使っている。
というのも、2月に珍しく風邪を引いて(コロナにはなったが風邪はここ数年ほとんど引かないのだ)寝ているのにも飽きたので、Macの「写真」アプリで昔の写真を見直してみたのだが、こういう個人的な写真を単なる体験として記述し、公開するメディアってほとんどないよなあ、と思ったからである。Instagram等に上げても全て「いいね」の対象となってしまい、あちら側に消費され消える運命にある。「俺、こんな写真撮ったんだぜ、見てくれよ!」っていうさもしい根性ではなくて、自分が自分のために写真をまとめて、見たい人だけ見てくれればいい(チラッ)、というささやかなメディアがブログ以外に無い。そしてそんなスタンスが私には心地よいのである。
17年近く前の自分の文章を読んでみると、自分が旅行先であるヨーロッパ世界をとても瑞々しいものとして感受していることにハッとさせられる。前年にも一度友人と渡欧しているのだが、世界には知らないものが無限にあるという感覚と、今その入口を開けようとしているという瞬間の気分の高揚が、拙い文章と写真から伝わってくる。写真のExifデータを見ると、往年のデジコン「Coolpix S8」なんぞで撮っている割には悪くない。それは当時のカメラ開発者の感覚がまだフィルム的なものだったのかもしれないし、撮影者の情動の動きがよく出ているからかもしれない。
それにしても、いつから人は世界に高を括るようになってしまうのか。あれこれの知識と結びつけて「大人」であろうとするよりも、目にしたものを「変わってるなあ」とだけ観察して、それに身を委ねるだけで本当は良いのではないのだろうか?この頃は当然怖いもの知らずだったし、実際こんなブログを誰も読んでいなかったわけだから、間違ったって気にすることはなかった(だってまだmixi現役の時代で、iPhoneすらなかった)。今ならネット上で何かを書いたらすぐに「それは違う」と飛んでくる。人は間違ったり道に迷ったりするきっかけを失ってしまっているのだ、と言えば大袈裟だろうか。もっと勝手に思ったことを言える自分に戻りたいものである。
それに、ヨーロッパ世界もこの頃は今よりもはるかに牧歌的だったのかもしれない。EU以前のことは体験していないが、今のように荒んではいなかった。EUに限らず、世界がこんなにガツガツしてはいなかった。しかしこのようなノスタルジックな物の見方もまた、老人的だろうか。今を積極的に享受しようという瑞々しい学生の眼差しに、嫉妬を覚える日々である。

『本が湧きだす』書評

杉浦康平著『本が湧きだす』(工作舎 2022)の書評を「週刊読書人」2月10日号に寄稿致しました。杉浦先生の本を四回りも下の私なんぞが評する能力があるのかと苦悶しながら書きました。

https://jinnet.dokushojin.com/products/3476-2023_02_10_pdf

字数が限られているのでやむなく端折りましたが、私は学生時代の一時期、杉浦先生の関わられた仕事を片っ端から調べて年表に書き起こし、図書館で見られるものは全て見る、という時間を過ごしました。しかしながら、杉浦先生の真似をしても先生のようにうまくはできないと悟り、影響下から離れようとすることからしか自分のデザインを始められませんでした。なのでここ最近の御著書は意識的に読まないようにしており、今回の話をいただいてようやく読む覚悟を決めたという次第です。ヨーロッパでフンボルトを研究してようやく自分なりの成果を出せたと思って帰ってきましたが、今改めて杉浦先生の著作群を拝読したところ、先生の共著者でもある岩田慶治氏の研究がまさにフンボルトから始まり、「フンボルトの試みはたいへんよいところまでいった」が不十分であった、という結論に至り、そこからアジアを見つめ直していったいう経緯を初めて知りました。杉浦先生はそのことを当然承知で、フンボルトから一足飛びにアジアの図像研究をされていたわけで、結局は先生の掌から一歩も飛び出していなかったのだな、と改めて思う次第です。

卒制やら入試やらが終わり、そういえば最近足の指が痛痒いな、と思いふと目をやると、親指の爪に近い部分が赤くなり、一部白くなっている。痛みは大したことないし放っておいたら治るんじゃないかと思ったが、家人に「皮膚科に行ったほうがいい」と言われたので一応行ってみる。土曜の午前で鮨詰め状態の待合室で、木製食器の製造会社がほとんどガラスと見紛うほどの樹脂プラスチック製品を開発した、というテレビ番組を特に見るというわけでもなく眺め続ける。診療室へと促すアナウンスが鳴り響く頃にはすっかり閑散となっていた。開口一番「ああ、これは切開するしかないですね。」と呟く医師の言葉に慄く暇もないまま、処置室に案内されて指の膿んだ部分をメスで切られる。青白い塗り薬をたっぷり塗られ、ガーゼと包帯で巻いて、毎食飲み薬を飲めとのこと。帰ってその話を半分笑いながら友達にしたら、「おれの兄貴は爪を全摘出されて、もう少しで指切断ものだった。」と言われた。バイキンというものを舐めてはいけないのだな。

渋谷でのフランス映画特集ももう少しで終わりなので、ルノワールの『自由への闘い(この土地は私のもの)』に駆け込む。一見、ルノワールにしては非常にわかりやすい映画になっているが、ナチに占領される「ヨーロッパのどこか」の街で、尊厳を保とうとしてレジスタンス活動をする人々と、恭順する人々、保身のため密告せざるをえない人々、それに『海の沈黙 静かなる海』のドイツ人将校や『大いなる遺産』のフォン・シュトロハイムのような「話せそうなナチ」が、テロ活動の密告をめぐって推測を巡らせるという人間関係は非常に複雑である。臆病で子供達にも注意できない教師がなぜ主役で、しかもそこにチャールズ・ロートンを持ってくるのはなぜだろう、きっと最後に覚醒するに違いない、と思っていたらやはりラストに大演説が待っていた。監督作『狩人の夜』以来気になっているが、太っちょで頼りない子供っぽさと、知性や教養深さを併せ持った不思議な俳優である(「Professor Sorel!!」と絶叫するところの素晴らしさといったら!)。
ソレル教授の死によって吹っ切れたロートンの「処刑されようが反抗し続けることに意味があるのです!」という大演説によって一応のカタルシスは訪れるのだが、そうしたフランス的潔さの一方で、ナチに恭順せざるを得ない人々や恭順したふりをしても生きながらえた方が良い、という考えの人々もいたわけで、この映画を一種のプロパガンダと見ることは容易いけれども、同時にそのような状況の複雑さというのも描いた映画であるということは強調しておくべきだろう。戦後に公開されたフランスで総スカンを食ったというのはわからないではないが、ルノワールは複雑さをかなり丁寧に描いている。
子どもたちが防空壕で爆撃機のモーター音を聞きながら「これはイギリス軍だ」とか「いやアメリカ軍だ」と言うところはやたらとリアルで、足音などが非常に耳に残る映画であった(自伝『Ma vies et mes films』によると、足音をきちんと撮るために相当もめたらしいが)。

後日また渋谷に出かけ、もうすぐ終わってしまいそうな三宅唱監督『ケイコ 目を澄ませて』に駆け込む。静かで、物音だけが聞こえてきて、クライマックスを告げる決定的なセリフもないまま、音だけで物語が通り過ぎていく。映画館を出たら、言葉の野暮ったさに嫌気がさすような映画であった。
どうやったら役者にあんな目をさせられるのだろう。お人形さんであることを求められる今の日本で女性のボクシング映画を撮ることは非常に難しいのだろうと想像されるが、全身全霊で役柄になりきった岸井ゆきのが、聴覚障害のあるボクサーの心情変化を繊細に描き出している。らくだ色の分厚いコートとマフラーを着せるだけで自活する妙齢の女性を表出しているところも素晴らしい。
ふと笑いを誘われるのは、トレーニングの途中で涙ぐんで奥に引っ込んだトレーナーが、再び現れた時にテーピングと間違えて鼻を拭いたティッシュを渡そうとするシーン。その絶妙の「間」に、この監督はサイレント映画も撮れるのだろうな、と思わされる。日本映画を積極的に観なければなるまいと反省させられる映画だった。

夏に書いた記事

インスタントに身につけた知識はやはりインスタントにしか役に立たないな、と思う昨今。DeepLに突っ込んだ訳文がいかに本物に近かったとしても、自分の頭を使って訳した訳文の方が、たとえ間違っていたとしても価値があると思う。偽物の文章とか、偽物の絵にこのまま慣れていったとしたら、偽物の裁判とか偽物の政治にも慣れていって、偽物の処刑が待っている。
それにしても、一昔前の「面倒臭いことはコンピュータにやらせて、人間はもっと高度な仕事を」というスローガンはどこかに行ってしまい、人間は怠けてコンピュータに仕事を譲って頭を使うことをやめた。自分で自分の地獄を作り出しているだけなのに。
「情報化時代」という言葉が正しいとしたら、外から来る情報ばかりに頼りすぎて自分の頭で考えない時代のことだろう。自分が考えるよりも前に知識がやってきてしまい、それの答え合わせしかしない。少なくとも美術関係者がそれをやってしまったらおしまいである。

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