スイス

原稿終わりのタイミングでスイスの友人Cの家へ。
途中乗り換えでチューリヒで降りたため、3時間の間に急いで見られるものを見る。中央図書館の展示室ではヨハネス・イッテンの展示。イッテンについては日本の国立近美の展示を見た以上に掘り下げて調べたことはなかったしそれも10年以上前のことで忘却の彼方だった。ここでは小さい展示ながらも彼の青年期からの色彩・構成の実験や彼が使った教科書の実物を見ることができる。女性に宛てた手紙の中でゴリゴリに装飾的なカリグラフィーをやっていて、こんなのもらったら戸惑うこと間違いなしである。また後半部からは彼が神秘主義的傾向にのめりこんでグロピウスと決裂し(シュタイナーの人智学にも満足しなかったそうだ)、この地に開いたテキスタイル学校やチューリヒ美術大学の教官時代の資料に焦点が当てられている。一昨年訪れた非ヨーロッパ芸術の宝庫リートベルグ美術館の初代ディレクターであったことは全く知らず、その創設にも関わっていたことは白眉であった。後でカタログを読んだ友人も、自分が学んだ美大のカリキュラムの基礎を作ったのはイッテンだったことを知り、自らの地域にとって重要な人物だったということを噛み締めていた。機能主義ブームが完全に去った現在において今イッテンを思想面を含めて見直す時に来ているのかもしれない(昨年が没後50年に当たり、今年は生誕130年でもある)。図書館を出た後はチューリヒ大学の自然史・古生物学博物館で恐竜の化石に見入った。これでは年中恐竜博ではないか。しかもこれら2つの展示は無料で見られてしまったし、イッテンの図録というか小冊子もタダでもらえてしまった。物価が高いので非常にありがたい。
Wald に住む友人Cは我々をサンティス山やアッペンツェルの地域博物館に連れて行ってくれたり、ザンクト・ガーレンでの図書館での調査を手配してくれた。非常に時間は限られていたがチヒョルトのアーカイブを再訪できたし(友人は彼の往復書簡を読みながらその辛辣というか皮肉というか攻撃的な書きっぷりに爆笑していた)、そのまた友人に頼んで美術図書館・造形素材アーカイブ・美術工場の複合施設を案内してくれたりした。いつも帰り際にまた来なくてはいけないという理由ができてしまう。むしろこれだけ手配してくれたのにすぐ帰ってしまって申し訳ないぐらいだ。じっくりと滞在できたらと思うのだが現実的にはしばらく厳しそうだ。しかし彼らには客人を神のようにもてなすべしという教えがあるらしく、油断するとすぐに高い食費や入場料などを払ってくれてしまったりするので、あまり厄介になるのも気が引ける。日本に来たらどこに連れて行くべきか今から考えあぐねている。
スイスでは日本車についての賛辞を聞くことが多い。車に乗っているとメルセデスやフォードに混じってスバルが走っている。トヨタも多いがそれよりもスバルが多い印象である。山道でも壊れずよく走ると評判だそうだ。決して日本ではシェアが高くないスバルがメルセデスらと競って走っているのを見るとなんとも誇らしいやらむず痒いやら複雑な気持ちだ。

無題

D’accord!

(「脱稿」とかけたフランスで今流行のダジャレ)

ムードン

1月初頭、友人M夫妻とパリ近郊のムードンを一日歩く機会があった。既にジャン・プルーヴェの工業化住宅のプロトタイプと、ジャン・アルプとその妻ゾフィー・トイバーの住宅兼アトリエを訪ねたことがあったが、今回は幸運にもデ・スティルのテオ・ファン・ドゥースブルフと妻ネリーのアトリエ兼住居の訪問ができた。正確に言えばその辺りはムードンとクラマールの境に当たるところで、テオが妻とパリに移住した後、さらに移転してきたところである。彼らの移住はストラスブールの「オーベット」で協働するアルプ=トイバー夫妻が引っ越してくるきっかけともなった。テオはやがてこの家を設計するが竣工前に死んでしまい、彼の彫刻を置くはずだった白無垢のソックルは前庭にそのまま残された。ドゥースブルフの作品は好きだがどちらかといえば理論家だと思っていたし、通りから見える正面ファサードも青赤黄の3つの扉が作り出すリズムと、そのうちの一つである青い扉が日本式の2階に宙に浮いているように見えて何か謎かけのように感じる以外は単なる白い箱に見えて無愛想に感じていた。しかし入ってみれば印象は大きく変わった。簡潔に言えば頭でっかちではなく「よくできている」のだ。アトリエ、居間、パーティールームを兼ねた主要居室は2階分の高さを持ち、劇場ともなるよう階段とコンクリート造りの机(舞台)が設けられている。壁は藁を圧縮して束ねた当時の新素材でできており、換気が必要になるために方々に穴が開けられている。階段の薄さも伴って若干不安になるほどの脆弱さを感じるが、今まで保っているのだから実験としては十分である。アトリエ=劇場=居室に入るまで通ってきた回廊は、両側の壁を押せば扉のように回転し、アトリエに入る入口を塞げば空間が閉じてそこが副室に変わる。作り付けというかコンクリート打ち付けのサイドテーブル、壁と床が接する角の部分の面取り、要素主義的構成の天窓のステンドグラスなど細部のこだわりを見るのも楽しいが、その片隅にある冗談のように小さい暖炉は使われた形跡がなく、真意は謎だという。1階のキッチンに降りると今まで2階にいたのが嘘のように感じ、それは2階があたかも1階のようであり、1階があたかも地下のようであるからだが、しかしそこは確かに1階で庭と直結しており、キッチンの窓を開ければ内外の空間が一体化し、まるでカウンターキッチンのように庭ないし2階の下のピロティ空間と物の出し入れや会話が可能になっている。要するに外で食事をしたり寛ぎながらキッチンとやりとりができるようになっているのである。やはり理論家では片付けきれない人だと確認させられた。家具や空間に複数の機能を与えることを楽しみ、それが押し付けがましいアイデアの展覧会になることなく、単調な無機能空間になることもなく、また単なる実用性と経済性に堕することもない軽快な遊戯的建築となっている点でバウハウスやコルビュジエの建築と一線を画している。ちなみに今はオランダのアーティスト・イン・レジデンスになっており、財団から美術関係者が送り込まれてくるようになっているらしい。案内してくれたおばさんも元レジデントだった模様。しかし「私はオランダ人だけどもう長いことパリジェンヌ」と言った時のフランス人達の殺気を見逃すことはできなかった。語義的に言えばパリに住んでいればパリジェンヌだが、20年住んだぐらいで京都人と言い張るようなものである。
ここは坂の中腹にあるが駅の辺りは谷になっていて、ずっと上り坂になっており、さらに登ってアルプの家を超えて行けば森があり(その手前にある現代建築群がなかなかぶっとんでいるのだが)、天文台や採石場跡などもあって美しくも興味深い地形を持った場所である。坂の上から町全体を見下ろすように建っているまるでシャトーのようなサン=フィリップ孤児院も美しかった。
ところで「ドゥースブルフ」っていう表記はこれでいいのだろうか。「ドゥーシュベリ」「ドゥーシュベーリヒ」に聞こえたりするのだけど地域差があるのか?

2018年2月1日

次回の連載の初稿を書き終わったのでサミュエル・フラーの『ストリート・オブ・ノー・リターン』を見に行った。最晩年にフランス=ポルトガル資本で撮られたとのことだが、始まってみればフランス語吹き替えだった…。告知には何も書いてなかったけどフランス語版オリジナルというのが存在するのか?そのせいもあるだろうがもうほとんどファスビンダー映画みたいなブリコラージュぶりで笑ってしまう。しかし暗闇で煙草の煙をくゆらせたり、時折ものすごいアングルから撮ったり、キメるところはやはりキメる。あの濡れ場の後に鏡に囲まれた部屋でほとんど何が起きているのかわからないぐらいぐるぐるカメラが回り、女が非常に醜くパンツを履いて見せるところは一体何だったんだ…。霧の中立ち尽くす絶望の淵にあるロックスターの男(誰かに似ていると思っていたのだが往時の清水◯キラか…)の前にTバッグ一丁の女が馬に乗って現れ、その馬が音楽に合わせたようにステップを踏むところではもう唖然とするしかなかった。『最前線物語』と同じ監督とは思えない。
ところで全く告知されてなかったが上映前に監督の娘が出てきて挨拶していた。全然知らなかったので「お父さん」って誰だよまさかサミュエルって名前じゃないよなと思って聞いていたが、どうやらそうらしい。会場には撮影に関わった人がちらほら来ていたようで、たまにこういう同窓会みたいなのに出くわす。何というか強烈なキャラの娘だったな…。

「神の使い」は私にやって来るか

フランスの正月はどうしたって正月感に欠けるので、大晦日の夜にYouTubeで適当にお笑いを見ただけで仕事を始めてしまった。年末からのひどい嵐で外にも出たくないし本読みをして過ごす。おかげでポテチが進んでしまった。2日にはフラ語の授業に顔を出してみたが、妻とセルビア人(正教徒だから正月はまだ)と私の3人だけしかいなかった。街は観光客だらけだし、市場もないし、図書館も開いてないし、なんというかもう、早く過ぎろとしか思わない。

年末、スイスの友達カップルがやってくる。イギリスに石灰の砂丘を見に行く途中でパリに寄ってくれた。またもや色々お土産を持ってきてくれて、私には地元の伝説的な古本屋さんについての本をくれた。彼女の働いてる事務所でデザインしたものだが、ずっと探していたので非常にありがたい。

何ヶ月かぶりに、そして年明け一発目に見に行った映画はモンテイロの『神の結婚』。トランクに札束を詰めた「神の使い」の出現によって一夜にして大富豪になった元アイスクリーム売りの老人のビュルレスク。セリフが古典の引用と淫語ばかりなので字幕が読めずに困ったが(あとで調べたら「陰毛」とかそんなのばっかり)、それでも美しすぎる光と滑稽な言動、惜しげもなく見せられる乳房とじいさんの裸体で、滅入りがちだった気分も一気に晴れる。ひょっとしたらモンテイロと一緒に映画は死んでしまったのかもしれないと思わされるほど美しかった。少なくともモンテイロは映画と一緒に心中したのだろう。やってることは高尚なバカ殿みたいなものなのだけれど。絶望から救うことができるのは諧謔精神だけである。

つぶやき

図書館に入るためには金属探知のゲートを通らなければならないのだが、「ポケットに何もないね?本当にないね?」「うん」と言って通るのに、半数以上の人が探知機を鳴らす。探知機が過敏な訳では全くなく、ポケットから電話やら小銭やら鍵やらじゃらじゃら出てくる。

このゲートを通るために朝は長蛇の列ができ、年間パスの保持者は優先レーンがあってそちらに並べるのだけど、全部で3つあるゲートのうち優先レーンの人が通されるのはそのうちの1つが空いた時しかなく、それも普通の入館者と共用のゲートなため、結果的に普通の列に並んだほうが早かった、という不条理なことがしばしば起きる。「すみません、これ、優先レーンじゃないんですか?」「そうだよ」「普通の列に並んだ方が早くないですか?優先されてませんよね?」「そうだよなハッハッハ」というやりとりもよく目にする。

そんなことにも慣れ、普段何かあってもここは外国だし国民性もあるだろうと思ってなるべく怒らないように努めているのだけど(ここまでは怒ることでもなんでもないが)、先日、行ったことのあるチェーンのピザ屋でピザを頼むと、モチモチなタイプの生地でもないのにそこらじゅう火山のように膨らんで破れ、完全に焦げている上にオリーブ油まみれで池のようになっているやつが出てきた。まさか自分の頼んだやつじゃないだろうと思ったら自分のだった。膨らみをナイフで押さえつけてみたらプシューと言った末に割れた。前来たときはこうではなかったし、いくら安いとはいえあまりにもふざけていると思い、逡巡した後突き返して帰ることに決めた。一応切ってみたが口に運ぶ勇気が起きなかった。だいいちこんなの食べたら体を壊す。食べずに席を立つとそれに気づいた店員が寄ってきて「なんで帰るんだ」と言ってきた。しかし怒りと失望でもはや礼儀正しい言葉なんか全く出てこず、もう言ってしまえと思って「こんなの食えるか」と言ってしまった。店員はギョッとして「これマリナーラじゃん!ほら!」と言い返してきた。どこからどう見てもピザではなくて火山に囲まれたマグマの海である。脱出寸前のナメック星である。移民のやってるケバブ屋のピザでもこんなの出てこない。「焦げてるし穴だらけだし油ビチャビチャだろ。昔こんなんじゃなかったし。」と言っても「それオリーブオイルだよ!ほらバジルものってるし!これがマリナーラだよ!」と食い下がってきたので、ピザの定義を議論しているようで内心笑えてきたのだが、「いや、無理。」と言ったら去っていった。この辺りは本当に教育のレベルを疑いたくなる店員ばかりである。勉強のレベルも欧州最下位まで下がっているらしいが、それより人間教育の方が深刻である。しかし腹は立ったがブチ切れアジア人としてやっていくのも悪くないなと思った。店員もまさかアジア人にピザのことでキレられるとは思わなかっただろう。本当に誰かがキレないと世界が死んでいく気がする。キレられても意味がわからないのだろうけど。

近況

あまりブログを書かないと心配されるようなので少し書いてみよう。

夏以来映画を見ていない。今はそんなに見たくない。見始めたらリズムが崩れるのはわかっているのでそれも怖い。あのH實氏ですら博論の時はゴダールとジョン・フォードの新作以外見ていなかった、というのが思い起こされるが、単なる映画好きの自分と若き日の映画狂人を比べるほど傲慢ではない(しかし「ジョン・フォードの新作」という言葉の持つ特権的な響き!)。ジャック・ターナーとヴィスコンティのレトロスペクティヴを逃したことはわかっている。ジャン・ルーシュとクルーゾーのも終わってしまったし、マックス・オフュルスのそれも過ぎ去ろうとしている。次はサミュエル・フラーだ。しかし光を浴びたい欲求はあれども、シネマテークの上映技師にはたびたび殺意を覚えさせられるし、信頼できない上映環境のところに一か八かで出かけるのは非常に億劫だ。ピアノの調律されていないコンサートホールにどうやって出かけられるだろう。さらに絶望的なことにはそれに誰も腹を立てなくなっていることである。もう本当のシネフィルはここに来ていないのだろう。もしいたら上映技師をリンチにしているはずだ。フランスですらこうなのだから、日本の未来も近いうちこうなるのではと嘆息せざるをえない。

美術館にも行っていないし、家と図書館の往復以外ほとんどどこにも出かけたりしていないので本当に書くことがない。傍から見れば鬱だと思われてもしょうがないが本人は楽しい。そんな中、先日ジョニー・アリデイが死んだ。私にとっては香港のフィルム・ノワールに出てきた顔に含蓄のある謎の西洋人でしかなかったが、私が渡仏してから時折ゴシップ誌の広告に彼の病状が見出しで載せられていた。フランスでの知名度を全く知らなかった私は「そんなに有名なのか」と友人に聞いてみると(今思えばなんとも馬鹿げた質問だが)、最後の国民的なスターらしく、ミュージシャンとしては買えないが、俳優としてはスターでしかできないようなやり方で場の空気を掴んでしまう存在であり、人間としても素晴らしかったという。死んでから数日間はあらゆる新聞が彼の記事一色であり、シャンゼリゼ大通りで葬送のパレードが行われた。シルヴィ・ヴァルタンやナタリー・バイなどかつての妻や恋人が揃って参列したのもすごいが、青年時代からの友人だったジャック・デュトロンは「プロの泣き女たちとコンサートはしない」と言って出席しなかったというのも面白い(この話は伝聞で聞いただけなので情報源は知らないが)。

ブログらしく食生活について書けば、お粗末な我が家の食事の中で、唯一実験に成功したと言えるのは炊き込みご飯だろうか。夏の食卓を熱狂させたトマト、バジル、ナス、ズッキーニなどがなくなって根菜中心になる冬には(何せ毎日パスタでも困らなかったから)、あまり深く考える必要もなしに米と一緒に鍋に放り込んで炊くだけなのでかなり助かる(これは日本が世界に誇るべき料理なのではないかとすら思う)。お気に入りなのは(全く大したアイデアではないが)シャテーヌご飯である。シャテーヌは日本語で言えば栗としか言いようがないが、マロンとは違う。後者の殻の中には1個しか実が入っていないが、前者は3つほど入っていて、平ぺったい。これを栗ご飯にすると香りが立って、塩気の効いたお米と控えめの甘さが良いコントラストになって非常に美味しい。しかし季節が秋の一時期に限られているのと、剥くのに時間がかかったり、新鮮なものを買わないと苦労して剥いたところで虫食いやカビが結構な割合で見つかるなどなかなか愛好家泣かせである。ちなみに粉にしたものも売っていて、クレープ状にして中にチーズを挟んで食べたりする(トスカーナではリコッタだったがフランスでは山羊のチーズらしい。苦手)。日本には栗粉という文化はないのだろうか。どら焼きにしたら美味しそうだが。
次に成功したのはトピナンブールご飯。日本ではキクイモと呼ばれるキク科の塊茎で、土に埋めておくとずっと保存がきくので冬の定番野菜らしい。スイスの友人は折に触れて畑から取り出して食べていた。生だとサクサクしていてサラダとして食べたり、バターと一緒に食べたりするのがよくある食べ方だが、食べすぎると腹にくる。たわしで土を落として皮ごと炊き込みご飯にするといい加減にやわらかくなって美味しい(少しだけ里芋ご飯のようだが香味があるしモチっとはしていない)。よく砂が混じるのが玉に瑕。
サツマイモご飯も試したが、芋の種類が全然違うので甘さが控えめである。買ったのはエジプト産だが、皮の色が浅く、切ると真っ白で、真っ白い蜜が出てくる。梅干しと一緒に炊き込んだインゲンのご飯も美味しいが、冬はいいインゲンが手に入りづらい。最近試したのはネギご飯。美味しいけれども問題はネギを食べすぎることである。あと試していないのはセロリ、セロリの根(『悪魔くん』の家獣を思い起こさせる)、ブロッコリー、シューラーブ(カブカンラン。カブのようなブロッコリーのような)、パネー(見た目は白い人参だが香りが異常に強い)あたりだがこれらはちょっと米と炊くには勇気がいる。

ご飯といえば最近もち米が大好きになってしまい、ベトナム料理屋で何度もおかわりしてしまう。今、無性に赤飯が食べたい。日本で一度もやってみようと思わなかったのに。あのアメリカ産の怪しいもち米を試すべきか…。

第3回

「アレクサンダー・フォン・フンボルトの『自然物理画』と植物地理学の黎明」

『アイデア』誌連載第3回です。フンボルトの『植物地理学試論』の絵をめぐり、生態学的発想の起源にあった世界観の図化の試みについて書いています。司書さんたち、毎日同じ席に座って地図を漁っている怪しいアジア人はこんなことをしています。

『アイデア No. 380』誠文堂新光社


[正誤表]
p. 148 経線方向→緯線方向

経度の進む方向と経線の方向を取り違えるという小学校の頃から繰り返しやってきた誤りが、満を辞してここで発揮されてしまった。あな恥ずかしや。