2/11-2/14

2日かけてフォンテーヌブロー城、シャンティイ城を再訪。よりにもよって極寒の2日間。翌日には嘘のように暖かくなる。

ル・ノートルは素晴らしいというより狂っている。この規模で庭園を設計しようなどと誰が考えるのか。

シャンティイ城の図書室。小さな部屋だが珠玉の書物史の展示が行われている。これは前回特別展がやっていたため見られなかったものだ。ルリュールの名品が並ぶ。ファクシミリしか展示されていない『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』はしかるべき手続きを踏めば見られるのだろうか。ここの蔵書はもっと古い当主のものだと思っていたが、フランス最後の王ルイ=フィリップの息子、オマール公アンリのものであった。つまり19世紀のものである。

1/29-2/10

冬至がとうに過ぎたにもかかわらず、相変わらず寒くて暗く、根菜ばかりで鬱々とした日々が続く。思わず「春よ来い」と呟くが、それが童謡なのかはっぴいえんどなのかうろうろしているうちにニューミュージックの女性歌手の歌声が思い浮かんで、思考を遮断する。

イタリア系フランス人の友人Bがラザニアを作ってくれる。ベジタリアンなのでマッシュルームと乾燥セップ、それにトマトとチーズで旨味を出していて、肉よりうまいかもしれない。その後は別の友人Bの檸檬のタルトを食べて、別腹も別々腹も満腹になる。それに今まで一番うまい香菜(コリアンダー)を食べた。夏に格別のバジルやトマトを作るいつもの市場のおばさんのもの。イタリア人はあまり食べないらしいがフランス人はよく食べるとのこと。香菜嫌いな嫁は顔を歪めて軽蔑するような眼差しでこちらを見ていた。

2年ヨーロッパにいながらイタリアに行っていないこともあり、俄かにイタリアへの情熱が湧き上がってくる。フランスにいいものはたくさんあるが、やはりその根っこはイタリアにあるから見に行きたくなるのが人情である。しかし旅行をしようにも行きたい所だらけで絞り込めず、やるべきことも終わってないので3月までには行けそうにはない。唯一それを紛らわせるのは遂に訪れたまともなイタリア料理屋との出会いである。ラビオリもニョッキも簡潔かつ美味。そしてやはり珈琲はパリであってもイタリア料理屋のものは飲める。パリのコーヒーは昔は美味しかったというが、現在はある珈琲豆製造業者がパリのカフェへの卸をほとんど独占していて、その珈琲が砂糖を入れないと飲めないほど美味しくないのである。どこで飲んでもまずい。そこの豆を仕入れると機械やら食器やらがもらえるとか、店舗を開くのに補助金が出るとか、いろいろ聞く。真相は知らないが、とにかく競合相手は出てこないのか?まるでマフィアに牛耳られているようだ。

1/26-28

フランスに帰ってくると「生活」が待っていて、思うようには進まない。図書館の使い勝手も違うし、この勢いでいけるんじゃないかという目論見は大きく下方修正されることとなる。
そうするとジョン・ハートが死んだとの報せが目に飛び込んできて、朝から思わず声を上げてしまった。私にとっては『エレファント・マン』でも『エイリアン』でもジム・ジャームッシュの映画でもなくて、チミノの『天国の門』でのアル中に堕ちていくかつてのハーバードの生徒代表、ペキンパーの『バイオレント・サタデー』の復讐鬼、ヒューストンの『華麗なる悪』の超楽観的怪盗役なのだ。シリアスな役よりはコメディアンとして演技をしていた方が生き生きとしていて好きだった。生きている最後のアイドルだった。
フランスの友人から「なぜかわからないがジョン・ル・カレの作品の脚色を初めて見てみようという気になった」というSMSが届いたため、今まで避けていた『裏切りのサーカス』を私も見てみることにした。ジョン・ハートも出ているためだ。最近の映画にしては絵作りに感心させられたものの、演出とシナリオと、あと髪型が全て台無しにしていた。説明的ではない作り方は良かったのだけれど、結局回収されない台詞と画面の細部が多くて、ただ思わせぶりなだけに終わった。友人は途中で放り投げたらしく、「スウェーデンは我々に謝罪するべきだ」と憤る。早々に死んでしまったジョン・ハートも空回りしていたし、ゲイリー・オールドマンはただ滑稽だった。
次の日、ようやく気が向いて成瀬の『山の音』を見に行った。階段と上映室の間に仕切りのない変な映画館で非常口ランプが上映中も煌々とついていたし、デジタル上映だったがそこまで気にならず、これは好きな映画であった。原作は川端康成で話はかなり辛いが、不倫の黙認、男の暴力と中絶、離婚願望と家庭維持との葛藤、不倫相手の妊娠とシングルマザー化など主題はかなり現代的で驚かされる。夫婦あるいは家族というもの確かさが揺さぶられる中で、嫁と舅の他人であるがゆえに深くある愛情を、多くを語らせない中で浮かび上がらせている。西洋的生活(会社やダンスホール)と日本的生活(家庭)を衣装・美術で対比させ、そのどちらにも対照的な女を配置したのもよく効いている。見ながらサタジット・レイの映画を思い出し、サリーと洋服で伝統的家庭と西洋化された資本主義的経済活動との葛藤を描いたインド映画に対し、日本人は和服からだぶだぶな背広を着て会社に向かい、いつしか洋服にも会社というものにも何も疑問を感じなくなるほど自ら進んで西洋化していき、当たり前にスーツを着て働いているのが非常に奇妙に映る。おそらく西洋人にはもっと奇妙に映るだろう。この国で見るとそういうことが嫌でも気になってしまう。
最後のヴィスタがどうのこうのという台詞のところで無意識に別のことを考えていて、思わずセリフを聞き逃してしまった。大事なセリフだったように思えるので非常に残念である。
夜は中華街に食事に行ったが、太陰暦の新年のため、獅子舞や龍舞の集団がタイ料理店の前でお祝いをしていたのに出くわす。中国かどこかから呼んでいるのだろうか、それともパリの中華街の有志で結成されているのだろうか。数十分やっていたが、最後は極太の爆竹を鳴らしてようやく終わった。皆嬉しそうで、普段見ない顔を見るのは良いものだった。

1/11-1/25 ロンドン

正月の風邪がぶり返し、一週間近く引きこもる。しかしロンドンに行く前日にはちゃっかり治る。久方ぶりに外に出てみると-4度近くで、それから北に行くことに戦々恐々としたがロンドンはパリよりも若干暖かかった。
約一週間、ケンジントンにある宿から大英図書館への往復。唯一日曜日だけ大英博物館を見る。モリスもターナーも無し(モリスは図書館の展示で1品見たが)。果たして人生のためにはどちらが良いのか。終盤、地理学協会のアーカイブを使わせてもらうために滞在を伸ばそうかと思ったが帰りの切符を取り直すと恐ろしく高くなるし、協会のアーカイブも有料なため断念。地方への鉄道旅行やアイルランド・スコットランドへの旅情も募るがとりあえず帰ることにする。
この国の印象について何度書き直してもうまく書けないので軽く書くにとどめるが、自戒として、英語という言葉を一島国の言語(だったもの)としてきちんと認識しなおす必要があると感じた。当然ながら英語は単に共通語として話されるニュートラルな言語ではない(そんなものは存在しない)。それには特殊な言語的特性があり、言語的歴史から、ひいてはそれの作り出す思考と文化、それを使うことの政治まで含まれる。学校での英語教育と英会話プロパガンダのおかげであまりにも当たり前に英語を学んできたが(その教え方はかなり漂白されていたような気がする)、それは単に一地方の方言だったものであり、他の言語と比べればかなり特殊で、グロテスクなものである。そして、英語で書かれた文書は英語圏の国の人が書いたものだ(必ずしもそうではないが)ということをきちんと認識して批判し、英語を「共通語」として使うこと/使わされていることへの警戒感をしっかりと持つことが必要である。はっきり言って英語を学ぶことを拒否することも選択だろう。英語が話せるからといって英国を簡単に理解できるわけではないし、逆に英語圏の人が他国にずかずか入っていけるという幻想を抱くのも御免被る(そう実感すること多々)。
それから、以前から抱いていた英国に対する疑問が確信に近いものに変わり、美術、デザイン史に関してもちょっと一から見直したほうがいいと思い始めた。これは言語の問題とも関係するが、例えばモリスの本ひとつとってみても、それを東洋人が判断するのはそう簡単な話ではない。想像以上に多くのことを学ばないと難しい。産業革命と資本主義に対する反作用としての中世復興・職人主義と言うと何かわかった気になるが、しかしモリスは英国人である。単にブツだけを見て綺麗だのなんだの言うのは簡単だが、それを容易に受け入れてはならない。
最後の夜、書体制作会社のM社に入ってバリバリやっている後輩のO君と彼の卒業以来数年ぶりに会う。最近移転したという事務所を案内してもらい、貴重なタイポグラフィーの資料や彼の使っているGlyphsという数年前発表された書体制作ソフト、それに変態的な自作のルービックキューブまで紹介してもらう。その後近所のパブに連れて行ってもらってお互いの近況を話しながら楽しく飲んだ。パリとロンドン、近いが遠い。また来たいがパスポートコントロールが異常に意地悪で億劫になる。

12/11-1/10

粛々と作業。どうせ退屈なフランスの年末年始をいかに何事もなく無心でやり過ごすかを考えていたら、風邪を引いて寝正月になった。といっても所変われば風邪も変わるのか、喉が腫れて鼻水が出るので蜂蜜檸檬を作って飲んでいたら大して熱も咳も出ず回復。単に氷点下前後の寒さと空気の汚さが問題だったのだろうか。風邪と言うのも気がひける。しかし妻には伝染った。この国はハーブを元にしたフィトテラピー(植物療法)の薬が充実しており、冬用のエッセンスを友人Bに勧められる。ラベンダー、燕麦、ユーカリ、トウバナ、桂皮なんかが入っていて、冬の初めに気温が下がった頃に続けて飲むらしい。いつもタイムはじゃがいもと合うとか、生のセージやローズマリーを少しだけお湯に入れてお茶として飲むとか、ジャムを作るときにも果物だけじゃなくて少しのハーブを入れるとか、最初聞くと少し驚くが実際食べたり飲んだりしてみると単純な美味しさがある。パスタやピザに入れるぐらいしか使い道を知らない日本人にとっては毎度目から鱗である。いや日本だってハーブは紫蘇だけじゃないし、本草学や漢方のことを考えてみれば大いに発展した思想があるのだが、「ハーブ」というそれそのものが西洋的な概念として考えてみると、やはりこの国の考えは発展している。インドの香辛料と同じで、その国には理由のある植物の使い方があり、拡散される「レシピ」などというものとは全く別の次元の、土地特有の思想がある。さらには我々の体はかなり深くその土地と深く関わっており、そんなにすぐには新しい土地に適応されない。いつから我々は他国の文化を容易に理解できるなどという誇大妄想を持ちうるようになったのか。翻って見れば、外国人がそう簡単に寿司や日本料理のことを理解できるとは到底思えないではないか。この手の誇大妄想が世界に蔓延していることは、ここに来る世界の芸術家の話を聞いているとすぐにわかる。いやまあ日本人が自分たちのために作ったカレーを食おうが、フィンランド人がタンゴを国民的な文化としようが、誰もそれを「本物」だと勘違いしないかぎり問題はないのだが。

ビブリオテークの帰りにシネマテークに寄るという習慣が律動として悪くなく、単に橋を一つ渡るだけなので、周辺がいかに酷い景色だろうが、私的には楽園である。しかし上映技師がありえないほど酷く、以前書いたように上映するべき短編映画を飛ばして上映して全く気づかないわ、サタジット・レイの静謐な映画の最中に上映室でおしゃべりするわ、35mm上映で天井に上映の光が引っかかるほど上下左右をはみ出して上映するわ、とにかく職業倫理として理解不能。単に作品に対する侮辱でしかない。しかし私もいつも真ん中に座ってしまうので、人を押しのけて文句を言いに行くのも憚られ、誰か代わりに行ってくれと祈るものの観客もどうかしてるのか誰も言いに行く気配はない。ここは日本人らしく暗殺して帰国するのも悪くないが、思い直して文明人として呪いを込めた抗議文を送付することにする。私がタランティーノだったら世界の映画館の酷い上映技師を抹殺する脚本でも書くだろう。再び登場の友人Bに話したら、トロカデロのシャイヨー宮からこのフランク・ゲーリーの惨憺たる建物に移ってから運営も観客も全く変わってしまい、昔いた真のシネフィルたちはもういなくなってしまったと嘆いていた。B級映画のスタッフロール15番目の端役の名前を覚えている人や、映画を巡って喧嘩をしたり上映室に飛んで行って上映技師を引き摺り下ろす人もいなくなってしまったと。話を聞くと昔のシネフィルの凄さは本当に特別だが、とりあえず観客の質はいいから真っ当な上映だけはしてほしい。これが現代フランスの映画人のレベルだと思われていいのか?安売りスーパーの店員と同じレベルだぞ。

それでもちゃんと上映された映画には打ちのめされるばかり。現代フランス(パリ)にいくら幻滅させられようとも、ルノワールとデュヴィヴィエを見れば20世紀前半のフランスの芸術性、教養、人間性、そしてユーモアがいかに高いレベルにあったかを見せつけられる。これを見れば開きかけた批判の口も閉じるしかない。それにしてもフォードの遺作は私を殺し、2日に渡って生き返ることはできなかった。悲劇は日本の特産品だと思われているが、『楢山節考』なんかより全然きつい。私にもその辺のグラスで酒をグイッと飲んで投げ割る勇気が欲しい。

サタジット・レイ
・『Grande Ville(大都会/ビッグ・シティ)』
・『La Maison et le monde(家と世界)』
・『Charulata(チャルラータ)』
ロバート・アルドリッチ
・『El Perdido(ガン・ファイター)』
・『Faut-il tuer Sister George?(甘い抱擁)』
・『Le démon des femmes(女の香り)』
・『Qu’est-il arrivé à Baby Jane?(ジェーンに何が起ったか)』
ジョン・フォード『Frontière chinoise(荒野の女たち)』
ジャン・ルノワール『Tire-au-flanc(のらくら兵)』
フランク・キャプラ
・『La grande muraille(風雲のチャイナ)』
・『La blonde platinum(プラチナ・ブロンド)』
・『Amour défendu / Forbidden』
ジュリアン・デュヴィヴィエ『Un carnet de bal(舞踏会の手帖)』
フェデリコ・フェリーニ『Ginger et Fred(ジンジャーとフレッド)』

11/18-12/10

久しぶりに辞書片手に(実際はスマホ片手に)英語の文献に取り組む。書き物はやっぱり鉛筆と紙がやりやすい。幼少期、若干狂った私塾の先生の薦めにより三菱鉛筆の Hi-Uni でしか勉強してこなかった私はステッドラーじゃ全くしっくりこないのだけれど、この国にはそれしかないので甘んずるほかなし。それから来年度の計画の下準備もしなくてはならず、相変わらずこういうことを段取り良くやるのが苦手だとつくづく思いながら、ウンウン頭を捻って言葉を絞り出す。しかし思いついた主題は今までにないぐらい楽しいので(というか海外まで来てやりたくないことをやりたくないし)、国立図書館に通ってやや暴走気味に調査に耽る。その後、某図書館のコレクション担当者の方々と海外で初の形式的「打ち合わせ」。なんとか仏語で切り抜けられたが、計画を絞り込むつもりが逆に爆発するはめに。アリババの洞窟の呪文はわかったが、中が巨大すぎて何を選んだらいいかわからず。やり取りを続けながら明確にすることに。しかしこの国の図書館員の方々はあくまで教養高く、各コレクションとその裏側にある歴史についても精通していて、こちらが何か名前を出すとかならず返事が返ってきて、頭が下がる。
合間に友人の展示3本。ゼメキス『Alliés』は予想通りの大惨事だったが、顔面の全然動かないBPを横にするとあのMCさえまだ人間に見えるという成果が得られた。あらゆる点でシラけきったが、BPに(明らかな吹き替えで)フランス語を話させて、その訛りをMCが「ケベック人さん」と揶揄する(ケベックではフランス語由来のケベック語を話す)、というのが重要な台詞になっているのだが、これがまたフランスで見ると一層シラける。それを見たことを友人Bに伝えると「お前はなんてマゾヒストなんだ」と言われる。
大気汚染により4日間公共交通が無料に。「薪暖房のせい」とか書かれているが、パリではそもそも禁止だし、そんなもののせいじゃないことは誰の目にも明らか。セーヌ河畔の車道の歩道化とか、古い車の入市規制、ナンバーの偶数奇数で入市規制とか、表層的なエコ政策のおかげで実態はより悪くなっている。体感的にはオリンピック直前の北京より酷く、昼間でも100m先は真っ黄色。最近導入されたハイブリッド型のバスのデザインも酷くて、安い便座カバーを貼ったトイレみたいな座席、すれ違えないほど狭い通路、収容所に送られる列車のように鮨詰めにされる立ちスペース、そしてひどいサスペンション。もともとのバスも酷いけれど(特にメルセデスとMAN)、もう呆れて半笑いになるほど。何がCOP21だ。

10/31-11/17

2週間に渡る万聖節(Toussaint)休暇、ようやく終わる。私には関係なさそうで、割合関係があった。主に資料整理と書類書き、計画立ての作業に追われる。合間にドライヤー『La Passion de Jeanne d’Arc / 裁かるるジャンヌ』、『Pages arrachées au livre de Satan / サタンの書の数ページ』を見て、最後に同『Ordet / 奇跡』、サタジット・レイ『Le Salon de musique』を見て打ちのめされ、自然と2週間映画断ちする。その後フラ語の先生Bが病気になったこともあり、粛々と作業。そうするとまた終戦記念日がやってきて、色々と止まる。
2本仕事を終えたところで妻と小津『Herbes flottantes / 浮草』(35mm!)、稲垣浩『La Légende de Musashi / 宮本武蔵』(同)を見に行き、溜飲を下げる。仏蘭西国に鳴り響く鴈治郎の「あほんだら」。

10/15-10/30 ドルドーニュ以後

ようやく正式な滞在許可証をもらう。安堵と溜息。仮滞在許可証がA5サイズと大きかったため小さなバッグで出かけられなかったのが、今度はカードになりようやく身軽に外出できるようになった。あらゆる偽造防止技術のブリコラージュのようで、やたらとごちゃごちゃしたカードである。写真とは別の位置に亡霊のようにうっすらと自分の顔が印刷されていて怖い。
それから以前からのフランス語の先生であるBに個人授業をしてもらうことに。集団授業に少し退屈を感じ始めたので(語学レベルというよりも続々と来るアーティスト達が毎回同じようなところに行って同じようなことを言うため)思い切って頼んでみたらやってくれた。ずっとアングラにやっていてもいいのだが一応社会的な検定というものを受けることにして、以前より身も入る。しかしあの馬鹿げたロールプレイというやつだけはやりたくない。深刻な顔で応対するであろう審査官とどうやってごっこ遊びができるというのか。過去問を読んだら「あなたがよく授業に遅刻するので先生が怒っています。言い訳しなさい。」だって。うちの場合遅刻するのは先生なので、逆なら簡単です。
シネマテークでカール・Th・ドライヤー特集始まる。同時に日本映画特集と、その後にサタジット・レイ特集。ついに邂逅したいつも見かける日本人のおじさんと「仕事にならないですね」と苦笑する。今年はそんなこと言ってる場合ではないのだけれど、見ずに死ねるかという変な男気だけは持っているのでどうしようもない。年パス契約してしまったし。その後おじさんとは毎回のようにすれ違う。
以下、メモ。

ドライヤー『Vampyr / 吸血鬼』
傑作。茫洋とした湖畔に佇む大窯を持った男の後ろ姿。豹変する女の顔のクローズアップ。忘れられないイメージの連続。しかしなぜかラストで粉まみれになって死んでいく眼鏡の老人のシークエンスは知っている。どこかで見せられたのだろうか。

ドライヤー短編集
8本上映の予定がなんと上映技師が2本飛ばして上映。それに気づいたのはわずか数名であとは即帰宅。プログラムに載っていたメインビジュアルの作品が上映されていないのに気づかないのかよ。終了後残った数人で上映技師に詰め寄るが、全く気付いておらず、結局「他の観客みんな帰っちゃったからダメ」と言って残った2本を上映拒否。さすがのフランス人も怒っておりましたよ。ここの上映技師は字幕無しでかけたり、フィルム裏返しでかけたり、未然に防げそうなことをなんでやらかすかね。映画を愛しているとは思えない。

ドライヤー『Il était une fois / むかしむかし』
他愛ない王女王子の求婚話かと見せかけて、実は王様と従者の滑稽な身振りが見所の喜劇。ただ重要な部分が悉く欠落していたのが非常に残念。幻想的な風景もさることながら、王子に魔法のやかんを持ってくる謎の老人、ああいう人をどうやって見つけてくるのだろうか。ドライヤー映画の老人は皆素晴らしい。

ドライヤー『Le Maître du logis / あるじ』
「デンマーク最後の専制君主」である時計屋の一家の主が、その家族への暴虐ぶりが招いた種で、かつての乳母に躾け直されて全部自分でやれるようになるまでのコメディ。喜劇の才能もあったことを思い知らされる傑作。テーブルの傾きを直すのにその足の下に小さな木片を差し込む、それをやらせていたのが最後には自分でするようになる、というのが笑えた。

黒澤明『影武者』
甲冑映画。

フォード『La Dernière Fanfare / The Last Hurrah』
老市長最後の選挙戦。危なげない展開で9割がた押し切った後に落選。市民に愛される政治家というのがこの世界にいた、あるいはいたのかもしれないということを幻想させてくれるジョン・フォード映画。対立候補のインタビュー映像撮影シーンの皮肉っぷりに爆笑。しかし背景にアイソタイプが映っていたのに密かに興奮したのは私だけだろう。

溝口『Les Coquelicots / 虞美人草』
あまり出来が良くないという評判を目にしたが、少なくともイメージの点では戦後溝口より素晴らしいのではというぐらい厳格で作り込まれた絵。この時代の作品はほとんど見れていないなあ。

 

10/10-10/14 ドルドーニュ

フランス南西部のドルドーニュへ。目的は洞窟。本来は去年の秋行くはずだったが、ちょうどその時やけに忙しく金銭的な不安もあったため延期にした。この地域は車がないと移動するのが厳しく、本数の少ない電車とバスを駆使する必要があったのだが、インターネットの情報と駅で入手できる時刻表の情報が食い違っていて、ネット上の情報が信用できないこの国では駅の開いている時間に直接駅に出向いて駅員に聞いてみるまでわからず、結局は出たとこ勝負で行動するしかなかった。主要な鉄道路線の工事で運休区間があり、代替バスに乗るなど。こういうのにはすっかり慣れたが、果たして慣れるのがいいのかどうか……。友人によるとTGVの開通以降フランスの地方路線はかなりズタズタになってしまったとか。それもそうだしとりあえずフランス国鉄のデザインがロゴから車両の形から配色から発車ベルまで大嫌いなのだが、それにもいつの間にか慣れてしまったな……。
レゼジーではアブリ・ド・クロマニヨン、アブリ・パトー、コンバレル、フォン・ド・ゴーム、先史博物館を。サルラに移動して参加したガイドつきツアーではルフィニャック洞窟、ル・ロック・サン=クリストフ、ラスコーIIなどを見て回った。ラスコーIIはラスコー洞窟の精巧なコピーで、「数分後にはレプリカであることを忘れる」と言われたが、他の洞窟で感じたような印象を受けなかったのはそれがコピーの出来の問題なのか、あくまでも生きた洞窟ではないからか、それともアウラというべきものなのかはわからない。ただしコピーの出来はかなり良い。当時の考古学のレベルと職人・技師のレベルの高さをうかがわせる。近郊にコンクリート造りの現代建築めいたものが建設中で、何かと思ったら「ラスコーIV」だとのこと。「ラスコーIII」は東京で展示予定の移動式の展示で、ラスコーIIはオリジナルのラスコー洞窟のすぐそばに建てられたため、車の振動の問題を引き起こしていて、ラスコーIV開館と同時に閉鎖されるらしい。そのうち世界各地にディズニーランド的にラスコーV、ラスコーVIができるんじゃないか。とりあえずパリ近郊あたりに。
コンバレルとフォン・ド・ゴームは数人のグループに分かれて洞窟に入り、ガイドが手持ちのライトで線刻、線描による壁画を照らして解説してくれるシステム。夏には早朝から並ばないと当日券が取れないという。正直この2つが一番生々しくて印象的だった。トロッコに乗って見学するルフィニャック洞窟は巨大な洞窟自体に興奮させられるのだが、ここの展示パネルの中にどこかで知っているような名前を発見。「Leroi-Gourhan…..るろわ・ぐらん…….あんどれ・るろわ・ぐらん…..知ってる気がするけど誰だっけ…..」と思っていたが、ふと『身振りと言語』の著者の名前だということに気づく。読んでみればそうとしか読めないのだが、これに限らず日本語表記の著者名と原語の綴りがなかなかつながらず、その綴りと日本語表記がつながったときにハッとさせられることは多い。バルト= Barthes とか、ソシュール= Saussure とか、アングル= Ingres とか、日本語からは想像できない。ここでは2匹だけ止まっていた就寝中の蝙蝠を間近で観察することができた。
レゼジーの国立先史博物館は石器の豊富なバリエーション、その用途、およびその作り方に至るまで詳細に説明している素晴らしい場所。中でも石器作成方法の再現ビデオが、DVDが欲しくなる程良い(売ってなかったが)。入り口のセキュリティ・コントロールはパリより厳しい。
全ての洞窟が全く違う壁画のスタイルで、洞窟自体も独特であるので、今回行けなかったところには次の機会を作って行ってみたい。サルラの街も中世からの建物がよく保存されていてそれを見て回るのは面白かったが、現代の街として活力があるとは言えず、観光客向けの店ばかりで辛かった。
帰りの乗り換えでボルドーをぐるっと散歩し、Intercitéでパリに帰る。

9/19-10/9

サントル・ポンピドゥーのマグリット展、ロシア現代美術展を見る。
マグリットは8年ほど前にミランでの回顧展に出くわしたのだが、それがとてもよく構成されていたことが印象に残っている。彼の方法論を分類してひとつひとつの方法ごとにセクションを区切り、そこに作品を組織して配置していた。初めてまとまった作品群を見たこともありとても刺激的だったのだが、ベルギーのマグリット美術館(王立美術館の一部)で見ても、今回の展示で見てもどうもしっくりこない。いつも通りここの展示は建物といい照明といい配置といい観客の多さといいよろしくないのだが、構成のせいなのか、環境のせいなのか、はたまた8年前の自分が若かったせいなのか、あまり琴線に触れるものがなかった。シュルレアリストの中では一番軽さがあって唯一好きだと思っている、あるいは思っていたのだが(アルプは除く)。なんだか偉大な画家として扱われる風潮も少し可哀想だと思うし、絵が上手い/下手みたいな観点で見られて批判されているのを目にすると、それもお門違いだなと思う。なぜかシュルレアリストはフランスでは過剰に持ち上げられていて、人気があるのか知らないが、古本屋や古本サロンでも特別扱いされている。しかし価値をちゃんと理解されているともあまり思えず(まあ本屋はビジネスなのだからしょうがないが)、誰かがちゃんと擁護するべきだと思うが私もそこまで熱狂的ではないので手は出さない。
ロシア現代美術展は「政治と芸術」というタイトルもしくは宣伝文句がつけられていて、説明書きを読むとロトチェンコやリシツキーの名前があったから覗いてみたのだが、いわゆる「現代美術」しかなかった。「政治的困難」がひとつの特産品、専売特許である現代の彼の国の美術は、中国のそれと同じように陳腐な常套句化してしまっており面白いものは見出せなかった。フランス人の友人はひとつだけ面白い作家がいたとは言っていたが。

シネマテーク病を治さなければと思いながらジョゼフ・フォン・スタンバーグの回顧上映に断続的に通ってしまう。彼の黒白の画面の作り方、とりわけ祝祭を撮るときの手腕は心洗われるものがあり、なかでも『上海ジェスチャー』はグリフィスばりの賭場の舞台美術、エキストラの動かし方、ウォルター・ヒューストンとオナ・マンソンへの演出など素晴らしかったのだが、その後に見たジョン・フォードの1本で完全に頬を殴られたかのように正気に戻る。川辺で釣りをする黒人とその横に佇む白人老人、その冒頭の1ショットから既にジョン・フォード。他の幾多の映画ももちろん素晴らしいのだがフォード、ルノワール、小津の3人の映画を繰り返し見ているだけで人生満ち足りるとふと口走りたい衝動に駆られる。
ジャック・ターナー『Griffe du passé(過去を逃れて)』
成瀬巳喜男『Frère et sœur(あにいもうと)』
フォン・スタンバーグ『La femme et le pantin(西班牙協奏曲)』
フォン・スタンバーグ『Le Calvaire de Lena』断片
フォン・スタンバーグ『The Salvation Hunters(救ひを求むる人々』
フォン・スタンバーグ『I Claudius』未完
フォン・スタンバーグ『Shanghai Gesture(上海ジェスチャー)』
ジョン・フォード『Le soleil brille pour tout le monde(太陽は光輝く)』

9日、マレ=ステヴァン(ス)設計の集合住宅(14区)の特別公開に参加する。本当は欧州文化財の日に見られるはずだったのだが、情報の不行き届きのためインターネット予約が必要なことが周知されず、見られないことを知った訪問客が半暴動状態になったため、仕方なく現在の住人の方が特別に再訪問の機会を作ってくれた。2部屋見せてもらったが、その一つは家具がかなり良い状態で残されていて、やはりラ・クロワのカヴロワ邸の修復は考古学的水準にあったと言えどもオリジナルとして見ることは不可能だったと悟る。マレ=ステヴァンス通りの彫刻家のアトリエは素晴らしかっただけに、残されている建物が少ないのは我々にとって残念だと言うほかない。おそらくル・コルビュジエ礼賛一辺倒の言説は少なからず覆されたと思えるのだが。