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10/19-23 ギメ、アール・エ・メチエ、植物園

10/19(月)
昼からミュゼ・ギメ(Musée national des arts asiatiques Guimet)へ。ギメの集めたコレクションで、戦利品ではなく、戦火からの保護などを求めて売られたものが多いという。確かに器、日中韓の絵画(主に水墨画)などアジアですら見られない特別なコレクションで、なぜ日本にも、中国にも、(韓国に行ったことはないが)こうした比較文化的な並べ方でアジア各国の美術を見せる空間がほとんどないのかと思わされる。我々の文化は思ったより似ているし影響し合っているにもかかわらずだ。東京なら東博の東洋館と根津ぐらいか。その名前を並べても欠けている確かな部分がある。
しかし、玄関正面のホールに展示されている東南アジアの仏像がこうしたフランス式の邸宅の中で、本来あるべき寺院建築から一部だけ切り離されて展示されていることにどうしても違和感を覚えるというか、寂しく思えてしまう。まだ日本の仏像ならもう少しムーバブルに出来ているので建築から切り離されて展示されても良いかもしれないが、しかし例えば中国の寺院ですら、むせ返るほどの線香の匂いと絢爛たる他の装飾に囲まれ、あるいは音楽にすら囲まれた空間として体験されるものなのに、ましてや完全に建築の一部になっている東南アジアの寺院なら尚更だろう。本来の空間から切り離されて、網膜的に鑑賞するだけではほとんど何もわからないのではないか。造形云々以前に、「美術」という概念が違いすぎる。美術館というものの限界を考えさせられた。いや、コレクションはとても良いのだが。
晩飯は日清の袋焼きそば。夜食ににゅうめん。揖保の糸、最高。Iシイさんありがとう。自腹では買えません。

10/20(火)
昼、フラ語。昨日感じた違和感を話す。
クリュニーでは寂しさは感じないが、ギメでは感じる。クリュニーはまず建物が本物のゴシック建築で、邸宅のギメとは環境が違うこと。また、そもそも東南アジアとヨーロッパでは偶像の扱われ方が違う。そんなことを話し、同意を得たが、ヨーロッパ人がどう感じるのかはいまいちわからなかった。
帰って仕事して App Store に投げる。iOS 9、変わりすぎ。
終わって夜中まで調べ物。

10/21(水)
夜遅かったせいか疲れが溜まっているからか起き上がれず、遅めの朝食を食べてからまた夕方近くまで寝てしまった。先に行った妻を追いかけてミュゼ・デ・ザール・エ・メチエ(Musée des Arts et Métiers)へ。1年半ぶり3回目となる訪問だが、見るたびに発想をくれるところだ。さながらアイデアの宮殿である。こちらも少しフランス語を読むのにストレスを感じなくなってきたので、主要なキャプションは読めたし、建設技術の変化を説明するモデルのところではどこの建築のことを指しているのかが身をもって理解できた。
再び夜中まで調べ物。

10/22(木)
昼、フラ語。
昼過ぎから読書と調べ物。なんだかフランスにいるのに日本語の本を読んでると(しかも家にこもって)勿体ない気がしてくるが、手っ取り早い副読本としては至便。フランス語の本をすらすらと読めるようになるにはもう少し(まだかなり?)時間がかかるなあ。しかしフランス語の日本語訳で「アンピール様式」だとか「パスイオン」とか書かれても原語が想像できない。原語を併記してくれないと。

10/23(金)
昼から植物園へ行き、庭園と蟹の展示、それに植物学のギャラリーを見る。植物学のギャラリーは植物標本がずらっと入った棚が並ぶ壮観なビブリオテークがあった。入ってみたい。

10/12-18 アヴニュー・フォシュ、ヴァンセンヌの森

10/12(月)
昼間、クリュニー近くでペキンパー『わらの犬』をフィルムで。ちょっとショッキングすぎてしばし呆然。よくもこんな嫌な状況作り出すよね……。
夜、初めてパエリア作る。うちのキッチンではカラッと焼けないのだが、それでもうまし。サフランはこちらでも高価。

10/13(火)
昼、フラ語。
帰ると仕事のメールが来ていたのでまとめてやっつける。
夜、映画版『ダ・ヴィンチ・コード』を見る。本読むのは面倒だから映画にしたのだけど、ロン・ハワードの映画は好きでもこれはちょっと……。でも真面目なのは伝わる。オドレイ・トトゥの英語の演技が酷いのは母国語じゃないから大目に見るとして、ジャン・レノは母国語で話しているのになんであんなに下手なの。

10/14(水)
昼、バスティーユからシャトルバスでIKEAに行き、掛け布団購入。なんで布団よりシーツが高いの。
夕方、Aちゃん夫妻宅にお呼ばれ。肉じゃが、〆鯖にシャンパンなどご馳走になる。すっかり千鳥足で帰宅。

10/15(木)
朝、寮中のシーツ全交換。
昼、フラ語。
夜、英語とフラ語のメールに追われる。
夜中、喜八『独立愚連隊』見る。鶴田浩二が馬賊の頭領だったり、塩沢ときが奇抜なメイクの慰安婦だったり。中丸忠雄っていつもこんな役なのかしら。愚連隊隊長がどこかで見たと思えば風車の弥七じゃないですか。

10/16(金)
もはや夜は一桁になる程寒く、防寒着を見にマレとテルヌを歩き、帰りにアヴニュー・フォシュを散歩。車道と同じぐらい歩道と緑地帯がある。並木道というよりは公園。こんな道は他の国にはない。
夜、作るのが面倒なのでベルヴィルでタイ料理。うまし。

10/17(土)
フラ語の友人Jの家へ。計算すると80近い歳の方だが、かなり若い。彼はドミニカの人だがアメリカに帰化し、10年間客船で働いたりしていた非凡な人生を歩んでいる。そして今老後でパリ。いろいろ貴重な話を聞かせてもらう。ドミニカ人らしく、野球大好き。下の階に昔ブリジット・バルドーが住んでいて、斜め前のアパルトマンにはスタルクが住んでるとのこと。

10/18(日)
昼、シャンティイを再訪しようと北駅まで行くが、夕方まで電車がないことに愕然とし、取りやめる。そのままプティ・パレに行って国芳を見ようとするが、日曜日で若干混んでいるようなのでやめ、パレ・ドゥ・ラ・デクーヴェルテに恐竜を観に行こうかとするが、子供連れの長蛇の列で断念。人がいないところに行くしかない、とヴァンセンヌの森へ。パゴッドという仏教寺院のエリアがあり、そこでスリランカの惣菜を食べる。
夜、自室にてアメリカのJに再会。彼はシカゴの人だが、今住んでいるヴァージニアはとても保守的なところでいまだに黒人差別が罷り通っているそう。彼女のテキスタイル作家Hと一緒に住んでいて、部屋はとても広いが開口部は天窓しかないらしい。それって違法だろ。日本のこと、彼らの南西仏旅行のことなど話す。今はレコーディングとライブのためにパリに来ていて、数ヶ月前に去るときは全然なんとも思わなかったが、今戻ってきてみるととてもかけがえなく思えるとのこと。私もそうなることは間違いない。パリには不思議な魔力がある。
晩飯はうどん。

10/10-10/11 ジャックマール=アンドレ、オートゥイユ競馬場

10/10(土)
昼、ジャックマール・アンドレ美術館(Musée Jacquemart-André)へ。その名の通りジャックマール=アンドレ夫妻が集めたイタリアを中心とした絵画コレクションを、彼らの邸宅(hôtel particulier)の中で見られる。パニーニ、ロベール、中でもティエポロのフレスコ画が良かった。そして特別展はブロンズィーニョを中心としたイタリア肖像画の展示。温室をはじめとしたインテリアも凄い。サロン・ド・テが良いとのことなのだが、並んでいたし金もないのでパス。
そのまま歩いてモンソー公園へ。どちらかというとイギリスっぽい自然派の庭園に、キッチュなフォリーがそこかしこに置かれていて、笑っていいのやらよくわからないが、笑う。当時のフランス貴族が訪問客を驚かせるために作った庭園で、ア・ラ・フランセーズではまるでない。その後建てられたルドゥーのロトンドすらフォリーに思える。現在は管理人の家兼公衆トイレなのだから、当初の目的を失っているという点ではフォリーかもしれないが。オスマンの改造で一部がバッサリ切られている。

10/11(日)
バスティーユのマルシェ。ムール貝を「半キロ(demi-kilo)くれ」と言ったら2キロ(deux kilo)出てきた。つい勢いで買う。
昼から、馬が見たいという某氏のリクエストにより、オートゥイユの競馬場へ。ここは障害レースしかない。競馬新聞の読み方も馬券の買い方もわからないが、とりあえず見ながら慣れる。フランスの馬の血統なんてわかんないしなあ。もちろん騎手もわからない。ルメールとかペリエとかしか知らんし、彼らは平地騎手だし。
・競馬新聞がざっくり。メインレース以外は馬柱だけ。そんな情報だけで賭けろというのか。
・マークシートを使わなくてもタッチパネルで馬番を押していくだけで馬券を買える。
・パドックが発走前ギリギリすぎて意味ない。そもそもパドックなのかあれは。
・障害レースなのに全て3千メートル超。
・もう無理だとわかると割と途中で諦める。
3レースだけやって、千円ぐらい損して帰る。馬文化の違いを体験した。
帰って1キロ分のムールを2人で瞬殺。うめえだよ。

10/8-10/9 ジヴェルニー、ルーアン

10/8(木)
午前中、フラ語。
そのままリュクサンブール公園を経由してパリ大考古学部門の建物を再見し、フンボルト兄弟の展示があるというレジデンスに行ってみるが、ただのパネル展だった。まあそんな予感はしていたが。

10/9(金)
早起きして遂にジヴェルニー(Giverny)へ。最寄駅のヴェルノン(Vernon)から朝焼けの町を一時間半ほど歩いてこれはとても綺麗だったのだけれど、ジヴェルニーの村に入ると右から左から観光客のグループが集まってきて、モネの家に着くとそこには長い列が。必ず通らなければならない巨大なお土産屋を通って入った庭園にはものすごい数の観光客が。ここは竹下通りかと思うぐらいごった返している。モネの家の中は下手なフェイクの印象派の絵とコピーっぽい浮世絵(網点は見えないのだけど、紙が明らかに洋紙で、継ぎ目も見えないから裏打ちではないと思う。なんというか、変。ルーペで見ればわかるだろうが。仮に本物にせよ状態が非常に悪い。)が壁にびっしり貼られていて、これなら飾らないほうがいい。「日本庭園」と呼ばれる睡蓮の庭も同様に竹下通り状態で、耳からは日本語、韓国語、中国語、英語ばかり聞こえる(フランス語は一言も聞こえない)。そして自撮り棒でポーズを決める人に、三脚まで立てて記念撮影する人も。この橋も偽物だろうし、土手も固められていて、全てが偽物だとしか思えない。植物には罪はないが。視野から風景に見える観光客を消し、耳から聞こえる喧騒をノイズキャンセリングしても、これは偽物だろう。ここにはマルモッタン・モネ美術館のモネの絵以上のものは何もない。
このまま帰ると一日気分が落ち込みそうなので、足を伸ばしてルーアン(Rouen)へ。大司教区であった街で、モネも描いたルーアン大聖堂をはじめとした多くの教会、カテドラルがある。大聖堂はもうえげつないというぐらいのゴシック装飾で、カルシウムっぽい質の石が溶けているせいか、まるで古生物学博物館の骨の展示のような印象だった。それにしても、でかい。ケルンはこれよりでかいというのだから信じられない。
ヴェルノンもルーアンも素朴な木組みの家が多く、ドイツっぽさを感じてしまうが、フランスも昔はこういう家が多かったのだろう。パリにいるとつい忘れてしまう。思えばうちの周りにもいくつかあるのだが。あと、リヨンや南仏のほうにはほとんどなかった気がする。
また、ジャンヌ・ダルクが火刑に処された街としても有名で、処刑された場所の後にはかなりグロテスクな現代建築の教会が建てられていて、周りは観光客向けの店が多い様子。歩いているとベルギーの象徴派詩人エミール・ヴェルハーレンの像を見つけ、何でかと思ったら彼はここで突然電車のホームに落ちて轢かれて死んだとのこと。やたらとベルギービールの看板が多い……のとは関係ないだろう。
ルーアン美術館には中世の宗教美術から『ボヴァリー夫人』の場面を描いた絵、ジャンヌ・ダルクの部屋(中世と19世紀の描かれ方の違いがよくわかる)、ドラクロワの歴史画にジョルジュ・クレラン(Georges Clairin)の超エグい歴史画、モネ、シスレー、メアリー・フェアチャイルド・マクモニーズ(Mary Fairchild MacMonnies)などの印象派系の画家、それにマルセル・デュシャンの兄であるところのジャック・ヴィヨン(Jacques Villon)とレイモン・デュシャン=ヴィヨン(Raymond Duchamp Villon)の絵画・彫刻作品などがあり、全く期待していなかったのに反して地元ながらの見どころ満点だった。
思いのほか終電が早く、ハンバーガーを食べて帰るが、とても一日のことだったとは思えないほどの小旅行だった。

 

10/7 ヴィジェ=ル・ブラン、アルベール・カーン、オートゥイユ温室

今日は気合を入れて出かける日。
朝からパリ・ノートルダム大聖堂。入るのは何年かぶりな気がする。年代ごとに建築プロセスを解説する展示パネルを読んでいたら「ちょっとすみません」と言われ、欧米人のおじさんが我々ふたりの間に割り入ってきてカメラでバナーの写真を撮って去っていった。おい、バナーを撮影するのはいいが、読んでいる人をどかしてまで撮るのはおかしいだろ。
そのままオテル・デュー(Hôtel-Dieu)。パリ最古の歴史がある公立病院だが、建築は19世紀とのこと。病院のことを「神の家」なんて言うのは独特だ。
その後、グラン・パレに行き、ヴィジェ=ル・ブラン展(Élisabeth Louise Vigée Le Brun)を見る。マリー・アントワネットの肖像を描いたことで知られる、フランスで最も有名な女性画家の一人。女性だからとは言いたくないが、それでもそう言わざるを得ないような繊細な服飾の描写、やわらかい表情の表出。妻は『ベルばら』にたった数ページ出てきた彼女のことを覚えていて、なんだか満足げだった。私は彼女がユベール・ロベールの肖像を描いていて、仲が良かったということに少し興奮した。それにしても混んでいた。
中華を食べた後、ミュゼ・アルベール・カーン(Musée Albert-Kahn)へ。彼はスイスのリートベルグ美術館で見たオートクローム写真の展覧会の中心人物。銀行家であり平和主義者。そこでここの存在を知ったので来てみたのだが、展示はイマイチ良くなかった。しかしオトレ関係で個人的に驚きの発見があり、腰を抜かす。で、このミュゼはもうひとつ日本庭園が有名で、彼が生存中に作ったそうなのだが(徳川家の末裔や日本の財界と関係もあったそう)、これがちょっと微笑ましいというか、惜しいところまで来てるけど何か根本的に違うというか。しかし外の人から見ると日本はこう見えるのか、という点で逆に興味深し。子供を連れた引率の先生が「これが本当の日本庭園だよ」と言っていて、心の中で「おい」と呟く。
もう夕方だったがそのまま少し歩いて、オートゥイユ温室(Serres d’Auteuil)へ。初夏以来久しぶりに来たが、紅葉してとても綺麗だった。人もいないしここの公園はとても良い。野ウサギを見かける。

9/26-10/6 サクレ・クール寺院など

9/26(土)
旅行帰りからのドタバタで疲れていたし、調べごとが溜まっていたので一日ゆっくり過ごす。超観光地なので近所で人がいないところを探すのは本当に難しいのだが、ようやく一つ良い公園を見つけた。川も見えるし静かでちょうど良い。しばし読書、日記など。問題はもう既に寒いことだ。

9/27(日)
同じく調べごと、仕事など。

9/28(月)
Kさんのアトリエで打ち合わせ。ようやくほぼ納品まで辿り着く。またフランス関係について色々教えていただく。日本茶は美味しいなあ。

9/29(火)
仕事中の妻を置いて私だけ、フラ語。
夕方、一息ついたらしいのでプリンターの下見に行った後、サクレ・クール寺院へ。少しだけ様式の違いがわかるようになってきた。そのまま寮のモンマルトル館の方に降り、食事して帰る。丘の上の方は観光客と黒人系移民の物売りでごった返しているが、降りてくると本当に静かで良い。外食するがまたしても臭い肉(腐っているのではなくて臭い部位)でちょっと疲れ気味。

9/30(水)
調べごと、仕事など。夜、筑波方面の研究所に勤めるNさんが同じ寮に数日だけ滞在するとのことで、コンタクトしてくれた。母校で非常勤をやっていたので、寮の秘書課の方が紹介してくれたとのこと。深夜遅くまで話す。

10/1(木)
誕生日。
午前中、私だけフラ語。
午後、ル・ノートルまで歩いてケーキを買いに行き、帰って食べる。フランスで食べたケーキの中で一番うまし。
夜、サン・マルタン運河の店でアントルコート(リブロース)のステーキ。最近臭い肉ばかり食べていたので素直に美味い肉が食べられて幸せ。付け合わせのマッシュルームと芋も最高。

10/2(金)
朝、妻の歯が痛むらしく、朝一で歯医者に電話を入れる。もともと今日の夕方私の予約が入っていたので、頼んでみたら「もちろんいいわよ」と言われ、一緒に見てもらえることとなった。通常次の診療まで一ヶ月かかるくせに、こういうところの融通はきくらしい。
そして夕方、二人で歯医者。私はついに長かった治療が終わり、セラミックのクラウンを入れてもらった。治療代のことを考えると頭が痛いがひとまず安心。妻は歯髄炎だったそうで、少し通うことになるそうだ。
帰っておかずを作りたくないので中華の持ち帰りを買ったら軽く盛っただけで8ユーロ。全く日本の中華料理を見習ってほしい。作りたてで600円から、しかもご飯とスープ付きだぞ。

10/3(土)
ネットで発注したスキャナー&プリンターが届く。最近はスキャナとプリンターが別々に売っている場合のほうが少なくて、こういう複合機がほとんど。それにこの国ではA3プリンターは異常に高いので、当然ながらA4である。複合機ってすぐ壊れそうで嫌だったのだが、コピー機能が予想外に便利で、コンビニもなくコピーするだけのために遠くまで行かなければならないこの国では至便。それにネットワーク機能も便利で文明の恩恵というのは有難い。

10/4(日)
夕方、シネマテーク・フランセーズにてサム・ペキンパー『キラー・エリート』を観る。バイオレンス・コメディ?バイオレンス&コメディ?中国人が忍者になること以外は非常に面白い。数ヶ月前に買った30ユーロ分のカードがシステム変更につきもう使えなくなっていて、「6回券」という名前に変わっていた。ちゃんとアナウンスしろや。

10/5(月)
記憶にございません。

10/6(火)
午前中、フラ語。
そのまま散髪へ。海外で食べるインスタントラーメンのうまさについて美容師の人と語り合う。日本にいるときは健康に気を使って食べなかったのに、頻繁に食べてしまうこの味。健康ってなんだろう。

9/15-25 旅行の後始末、マルモッタン、文化財デー

9/15
ずっと寝ていたい気分だったがそうも言ってられず、朝目覚めてフラ語を休んでマルシェに行き、必要なものだけ買い揃えた後図書館に本を返しに行き、家賃を払い、後は終日仕事に追われる。

9/16
終日仕事。

9/17
妻だけフランス語へ。終日仕事。

9/18
ようやく仕事の目処がついたので、マルモッタン・モネ美術館へ。スイスのヴィンタートゥールにある「Villa Flora」と呼ばれる邸宅に住んでいた Hahnloser-Bühler 夫妻が集めたコレクション。フランス初公開。彼らは直接芸術家に会い、彼らの勧めに従って購入をしたとのことで、ジョヴァンニ・ジャコメッティ、フェリックス・ヴァロットン、ホドラーらのスイスの作家、それにマティス、セザンヌ、ヴュイヤール、ゴッホなどのフランス人/在仏の作家たちの作品が中心だが、いかにもそれっぽい典型的な絵は少なく、画家たちのあまり知られていないような側面を開陳する、思わず唸ってしまうような作品が並ぶ。常設展の印象派の展示、特にモリゾに充てられた部屋で既に充実した内容なのに、それに加えてこの特別展。このヴォリュームだから今回はモネは無いのだろうな、と思っていたら地下がまるごとモネの部屋。ものすごい充実感であった。
夕方、アニメ映画化された『百日紅』を見にいく。期待していたのだが、徐々にげんなりし、大事なところで「三国無双」みたいな音楽が流れてきていい加減見放した。完全に蛇足な「その後」の説明と現代の隅田川、そこからエンドロールにあの歌が流れた時には恥ずかしくて死にたくなった。

9/19
午前中、マルシェ。パリのマルシェにちゃんと行くのは久しぶりだが、セップやジロール、トロンペットなどぶりぶりしたキノコが並び、すっかり秋っぽくなっている。ムール貝の季節が再来したため、購入。
午後、メゾン・ラフィットのシャトーへ。文化財デーのため無料。F. マンサールの傑作と言われ、教科書のようなファサード(階層ごとに柱のオーダーが違う)に仕掛けだらけの内部空間。観光客が少なくて嬉しい。メゾン・ラフィット駅近くの食材屋もなかなか楽しかった。
帰り道、クリュニーで降りて本屋ジベール・ジョセフにて語学の本購入。帰ってみたら答えがなくて、Amazonで発注する。
夜、セップをリゾットにして食べる。うまいがインスタントのブイヨンを使うべきではなかった。まだ水の方がよかったのでは……。

9/20
午前中、仕事。
午後、別のシャトーに行こうと思うが、行きがけに妙に人が並んでいる場所を発見。文化財デーの特別開館で普段は入れない建物が空いているようだ。我々もその先に何があるかも知らず列に参加し、Hôtel de Beauvais(Cours administrative d’appel de Paris)、Hôtel de Chalon-Luxembourg、Hôtel d’Aumont(Tribunal Administratif de Paris)の3件を回れた。全て寮の周りで、いつも「ここの中はどうなっているのだろう」と想像を膨らませていたのだが、ついに入れた。リノベされているところと全く廃虚のままのところがあったが、廃墟の方はもうアジェの写真の時代から時間が止まっているようで、時間というものが訴えるものは非常に大きい。貴重な経験であった。

9/21
仕事、洗濯。

9/22
約一ヶ月ぶりのフラ語。旅のことを聞かれ、フランスのケーキではなかなか深いところからの幸福感を得られない、ということを話す。フランス庭園も同じく、「知的には理解できるが、体の奥深くから来るものではない」と話す。しかしパリのケーキは先生にも甘すぎるとのこと。この話はまだ続きそうだ。
夕方、歯医者。歯の型を取り、仮のクラウンを入れる。ようやくあと一回で終わる。
女子美の部屋で飲み会。関西のフルーティストYさん、名古屋部屋のペインターAさんと西のノリで盛り上がる。

9/23
昼、武蔵美の後輩Aちゃんとその旦那さんNさんと4人で食事する。Aちゃんは妻の助手時代の担当学年だったので、積もる話もあり、つい夕方まで話す。旦那さんはフランス人の中で働いているので大変そうであった。
Aちゃん夫妻と別れた後、明日の夜、ロンドン留学中の韓国のS君も来てうちで5人で話すことになったので、モントルグイユで買い出しして帰る。
夜、サミュエル・フラーの『最前線物語 The Big Red One』をiTunesで見る。日本ではフラーのレトロスペクティブがやっているらしく、フラ語の先生Bが最近やたら名前を出すこともあり、iTunesで探したのだが1件しか見つからず。ただどんちゃんやるだけの戦争映画とは全く違う、人間の生き方を問うような深い映画。それでいて笑いを絶やさず、皮肉が効いている。永遠に続けられそうな話であった。

9/24
午前中、フラ語。夏から一緒だったアイルランドの音楽家Gが出席する最後の講座。やっと仲良くなってきたのに寂しい。彼からはたくさんのジョークと、ジェイムズ・ジョイスのアイルランド性などを教えて貰った。また一月に少しだけ戻ってくるそうなので再会が楽しみである。彼は武満の大ファンだそう。
昼から私は仕事。
夜、韓国のS君、それにAちゃん夫妻と5人で飲む。S君は徒歩5分のところにホテルを取っていてびっくりした。彼の兵役のことや、Nさんの農大での経験などを聞く。楽しい一夜。

9/25
昼、昨日の煮込み料理の残り汁でパスタ。
夕方、アール・エ・メチエのカフェで書き物。旅行で学んだ分を整理してまとめるのは骨が折れる。
夜、iTunesで『ジュラシック・パーク2』を見る。酷い。

9/14 ニース国立東洋美術館、ヴァンス

3週間強の旅の最終日である。この一年間の滞在の中で初めての長期旅行であったが、最近強く思うようにこれはローマ賞ではなくてパリ賞であり、フランスのことを内側から理解するのにとてもよい機会だと思う。であるからなるべく多くの都市を訪ねたいと思っているが、それと同時に、時折国外に出るとフランス的価値観に慣れすぎることの危険性も感じる。人間が(あるいは教育が、社会構造が)近代化についていけないまま現代を迎え、世界的な近代化の波の中で取り残されている。あるいはごく一部の人々のみが近代化し、それをメンテナンスする人々、利用する人々が近代化されないまま動いているねじれた状態がこの国の特徴でもあると思う。また、この国の美しい地方都市を訪ねると、いまだ色濃く残る地方性、独特の文化に目を見張る。しかし一方でどこも少なからず均一化、国際化の波を被り、ツーリズムへの迎合、安易なファーストフード/ファッションの受け入れが進むことでこの地方性もいつか消え行ってしまうかもしれないと思うと、いたたまれない気持ちになる。もちろん私もツーリストであるから(礼儀正しいツーリストでありたいとは思うが)、美しい「地方」を訪ねたいと思う一方で観光地化されて欲しくないという矛盾を抱えている。某アニメ映画監督が昔日本中を旅行し、今の人には申し訳ないと思うぐらい素晴らしい景色を見たと語っていたのを思い出す。フラ語の先生Bも「フランスの美しい街々が完全に変わってしまった事例をたくさん見てきたわ」と言っていた。街が死ぬのは簡単だ。無分別で暴力的な変化を避けてほしいと願う。

さておき、朝、部屋をチェックアウトして荷物をホテルに預け、空港行きのバスに乗る。ニース国立東洋美術館(Musée des Arts asiatiques de Nice)に行くためだが、このバスが高速を通るためか思いのほか高く、電車で行けばよかったと後悔する。着いたはいいもののまだ時間が早すぎ、空港でパンを食べたりしてから向かう。ここはBに勧められてきたのだが、丹下健三のヨーロッパ唯一の美術館建築で、巨大建築、メガストラクチャーのタンゲのイメージとは正反対のような、非常に小さな、純粋に意匠を楽しむような建築に見える。もちろん池の上に浮いているように見えるのだから構造的なチャレンジもあるのだろうが。Bに「彼はプラス・ディタリーのショッピングセンターを設計した人だ」と言ったら顔を歪めるようにしていた。フランス人にとってあの建築はラジカルすぎることは容易に想像できるし、あれの建築家とこれの建築家が頭の中で一致しない気持ちはよくわかる。私もこんなに小さな丹下作品は見たことがない。人工池の上に浮かぶ丸い大理石の建物。プラン中央を地階から地上階、1階へと螺旋状に貫く階段。地上階の4つに分けられた展示は非常にこじんまりとしていたが、物はよかった。池に張り出したテラスに向かうガラスのカーテンウォールはビシビシに割れていて、外に出ることはできなかった。これは構造的な欠陥なのか、フランス人がメンテナンスが苦手なだけなのか。

1時間近くバスを待って、ヴァンス(Vence)へ向かう。しばらく海沿いを走った後バスは山を登り始め、1時間ほどでヴァンスの町へ。最高で標高 1,000 m ぐらいになるらしい。もっとこじんまりした集落を想像していたが、思いのほか中心部は近代化していて商店も多い。とりあえず肉屋でサンドイッチを買って食べる。我々がここにきた目的はマティスが晩年に建築から衣装までのデザインに関わったロザリオ礼拝堂(Chapelle du Rosaire)を見るためである。礼拝堂に着いたのは開館40分前だったにもかかわらず、帰りのバスの時間から逆算すると、礼拝堂が見られるのはたったの10分足らず。強い日差しの中待っていると徐々に列が出来てきて、意外にもかなり人気の場所のようである。マティスの知名度を鑑みればさもありなんだが、それにしてもみんなそんなに芸術が好きなのだろうか?

たったの10分ながら、昨日見た模型やエスキースと記憶の中で照らし合わせるようにして見た。南国を思わせる真っ白な空間に鮮烈なブルーとイエローのステンドグラス。内部は撮影禁止だったが、中でもよかったのがこれも彼によってデザインされた数々の祭服である。ピンク、赤、青、黄色、かなりビビッドな色使いでステンドグラス等と同じく彼の切り絵風の意匠が施されている。どのようにして式典を行うのだろうか。映像を見てみたいものである。

ニースに戻り、夕方17時、パリ行きのTGVに乗り込む。去りゆく南仏の風景を惜しみながら読書に耽り、5時間後パリ・リヨン駅に到着。降りてみれば皆コート姿。夏気分の我々が馬鹿みたいである。

9/13 マティス美術館、雨のカップ=マルタン

夜中からガラス瓶専用のゴミ箱を何度もひっくり返しているような雷雨になり、寝起きを繰り返す。海にも雷が落ちているのだろう。ニースに雷雨が来るなんて、人はなぜかと思うかもしれないが、私はそれほど不思議ではない。私が最恐の雨女の血を引いているからである。

昨日、アイリーン・グレイの E-1027 とコルビュジエのキャバノンの予約を入れていたのだが、朝起きてみるとメールが来ていて、「天候不順のため全てキャンセルになりました」と。ニースまで来た理由の半分ぐらいはそこの訪問だったため非常に残念だが、諦めきれないのでとりあえず行けるところまで行ってみることにした。

ただ、午前中はマティス美術館に行くことに。バスに乗ってみると街はまるで台風の後のように荒れていて、誰も歩いていない。本当にここはニースなのだろうか。バスは一旦海側まで出てからぐんぐん丘を登っていく。公園の前のバス停で降車して少し公園の中を歩く。するとまっ赤な壁にトロンプルイユのような窓がついている建物に着く。どうやらこれがマティス美術館らしいが、マティスというよりはマグリットのような外観である。

美術館内部は撮影禁止。特別展として、この夏のニースの美術館の連帯キャンペーンであるニースの海岸沿いに走る道「Promenade des Anglais=英国人の散歩道」関係の展示が(一応)されている。中にはニースに嵐が来た時の絵もあり、まるで今朝の天気のようである。マティスの作品をまとめて見るのは初めてだが、彼の絵は一見ヘタウマに見えるかもしれないがそこに確かな知的戦略があり、そしてその多くはセザンヌが理論化したものに多くを負っている、あるいはそれを出発点としているということを感じる。これは今しがたセザンヌを見てきたから尚更かもしれないが、確かにそうであろう。そしてかの偉人を模範として、先達として、越えるべきものとして見ながら何を生み出そうとしたのか。
ここでしか見られないものとして、ヴァンスの礼拝堂のスケッチやプロトタイプがある。これは明日訪問することにしているからそちらと併せて考えたいと思うが、これのために書いた横たわるキリストの絵は全くマティスっぽくないリアリスティックな描写であった。

美術館の後、隣のローマ遺跡を通って修道院へ。庭がとても綺麗で、高台からの眺めが素晴らしかった。その後、駅方面に坂を下りる途中、肉屋で焼き豚を買ったらおまけを付けてくれたのだがこれが非常に多くて困った。少し胸焼けしそうである。こんな綺麗な道で野蛮に肉を食らってすみません。シャガール美術館の前を素通りして駅まで歩いた。

電車に乗ってロクブリュン・カップ・マルタンの駅に向かう。途中、モナコを通った。何か見えるわけではなかったが。アイリーン・グレイのE-1027とコルビュジエのキャバノンはCap Moderneという名でガイドツアー化されていて、その受付が駅前にある。一応寄って聞いてみるが、バイトっぽい女の子たちに「今日は無理だし、私有地だから外から見れない」とあしらわれる。それでもまあ標識がある方に歩いてみる。ここは監視員がいないことを告げる看板を横目に長い砂浜に降りる。砂浜というよりは砂利浜であり、嵐のせいもあり人も数人しかいない。しかしその向こうにはE-1027とキャバノンらしき建物が見える。小雨降る中そちらの方に歩き、反対側の小道を登ると建物の裏側に回り込むことができた。かといってほとんど何も見えないが、その立地、風景、コルビュジエの死んだ海を体感することはできた。嵐の後で荒れていることもあり美しい海岸というよりは無骨な海岸であったが。

帰りがけ、雨合羽を着た一団に英語で道を聞かれる。彼女たちもどうしてもそれらを見たいらしい。私も同じことをした、遠くからなら見られるよ、と告げ、我々はカップ・マルタンを後にした。いつか再訪したい。

夜、ニース旧市街をぶらぶら歩いて時間を潰した後、旅一番の贅沢で日本人のやっているレストランへ。久しぶりの美味しい魚、繊細な調理。何を食べても美味しかった。明日パリに買えると思うと信じられないが、旅最後の夜を満喫したのであった。嗚呼、帰りたくない。

ところでパリ滞在の先輩である某M澤氏のブログを読み返すと、マルセイユとエクス、そしてニースでほとんど同じような場所に行っていて、知っている場所の写真を撮っていて笑えるが(お土産屋含む)、コルビュジエの休暇小屋など我々の行けなかったところに入っているではないか!許せん。我々も再訪してやる。

9/12 ユニテ・ダビタシオン、ニース

朝、ホストのAに駅まで送ってもらう。安い宿代なのにここまでしてもらって本当に恐縮。

今日は旅の最終地点であるニースに移動するのだが、昼過ぎにマルセイユのユニテ・ダビタシオンのツアーを申し込んでいたので朝から移動。懸念事項はスーツケースで、まさかガラガラ引きずりながらツアーに参加することはできないだろうと思うので、どこか預けるところが必要なのだが、フランスの駅はほとんどコインロッカーが無い。スイスには日本のようにたくさんのロッカーがあったが、テロ対策もあってかこの国には無いのが普通である。ただ、SNCFのサイトで調べたところマルセイユの駅には有人ロッカーがあるらしいのでそこが頼みの綱で行ってみた。無事に駅でロッカーの入口を発見し、さあ預けようと入ったところ、X線検査のコンベアーのところで係員に止められ、「C’est complet !(満員!)」と突き返されてしまった。だったら増設しようとか考えないのかよ。だからお前の国は◯◯なんだ。と思いながら路頭に迷う。

ひょっとして預かってくれるかもしれない、と思ってメトロに乗り数日前泊まったホテルに寄ってみるが、なんとフロントが閉まっている。そういえば週末の昼はフロントが閉まるのだった。アパートホテルの難点。でもひょっとしたら近くの別のホテルが有料で預かってくれるかもしれない!と思って当たってみるが、「非常に申し訳ないけど宿泊客じゃない方の荷物は預かれません」と丁重に断られる。まあ至極当然である。タクシーに預けて待たせておくか?いやそんな金は無い。しかしひょっとしたらガイドツアー用の倉庫ぐらいあるかもしれない。一縷の望みを託し、ユニテまでバスで向かう。玄関ホールで点呼を取っているガイドのおばさんに、「あなたたち、スーツケース持ってるの?そうね、じゃあちょっとこっちに来て。」と言われてガーディアンのところまで連れて行ってもらい、交渉してなんと預かってもらうことができた。「テロ以降警戒レベルが上がってて普通は預かってくれないんだけど、彼は特別に預かってくれるみたい」と好意で預かってもらえた。これで無事に訪問できると胸をなでおろす気持ちだった。

ようやく訪問できたユニテ・ダビタシオンは、原寸大模型を森美のコルビュジエ展とパリの建築・文化財博物館で見ていて大体の寸法感覚は知っていたが、割と広いと思っていた。しかし実際の部屋に入ってみると、メゾネットにより2分割された天井は思ったより低く感じる。船室をモチーフにしているためかなりファンクショナルにできているとはいえ、それぞれの室空間もフランス人にとってはかなり圧迫感を感じるのではなかろうか。細長い部屋ユニットの両側に開けられた窓からはそれぞれ海と山が見え、山側の吹き抜けになっている空間(居間?)は開放感があるが、それでも必要最低限より少し窮屈な感じだ。これはあくまで主観であるが、私の身長はモジュロールとほぼ同じなので、建築家の意図とそれほど外れてはいないだろう。共用の廊下は「rue(通り)」と呼ばれていて、ここが単なるアパルトマンではなくて垂直に積み上げられた都市であるというコンセプトを表しているが、そのために通りの幅はかなり広く取ってあって、部屋の狭さを鑑みるともう少し部屋を広くしたらいいんじゃないかと思ってしまう。空間のエコノミズムを売りにしながら、そうした理想に身を委ねるのは彼の矛盾の一つである。何か業の塊のようであり、それはある種の魅力でもあるだろう。
彼がよく建築に添えた書物/説明書には、その立地が歴史的に持つ神話性、アプローチから動線、日々の生活、1日の時間の推移までが物語のように語られている。それはある種の自己弁護でもあるが、この建物もそれぞれの場所を通過するごとにコルビュジエの綴る物語が聞こえてくるようだ。それが住人に共有されるロマンチシズムかどうかは別にして。

ツアー後、せっかくなのでユニテの一室をホテルにしているところのロビーでコーヒーを飲んだが、テラスに座っていると彼がコンクリートの建築家だったのだということが改めて思い出された。そういえば彼はオーギュスト・ペレの弟子だった。建築家諸氏ならこういうところに勘が働いてすぐ気がつくのだろうが、このコンクリート的造形感覚とでもいうべきものは、彼の数多の建築的キャッチフレーズ以上に、彼の性質を体現しているように感じられる。私は専門家ではないからこれが技術的にいいのかどうかはわからないが、とにかくこれはユニークだと思う。

夜、TGVにてニースへ向かう。途中から車窓はずっと海と別荘風の家ばかり。まるで伊豆だな、と言うと妻に怒られる。しかしこれだけ美しい風景がずっと続くのだから、ヨーロッパ中、あるいは世界中のバカンス地になっていることが納得出来る。コート・ダジュール、さもありなんである。深夜ニースに着き、ケバブで夕食を取って寝る。