10/8-10/9 ジヴェルニー、ルーアン

10/8(木)
午前中、フラ語。
そのままリュクサンブール公園を経由してパリ大考古学部門の建物を再見し、フンボルト兄弟の展示があるというレジデンスに行ってみるが、ただのパネル展だった。まあそんな予感はしていたが。

10/9(金)
早起きして遂にジヴェルニー(Giverny)へ。最寄駅のヴェルノン(Vernon)から朝焼けの町を一時間半ほど歩いてこれはとても綺麗だったのだけれど、ジヴェルニーの村に入ると右から左から観光客のグループが集まってきて、モネの家に着くとそこには長い列が。必ず通らなければならない巨大なお土産屋を通って入った庭園にはものすごい数の観光客が。ここは竹下通りかと思うぐらいごった返している。モネの家の中は下手なフェイクの印象派の絵とコピーっぽい浮世絵(網点は見えないのだけど、紙が明らかに洋紙で、継ぎ目も見えないから裏打ちではないと思う。なんというか、変。ルーペで見ればわかるだろうが。仮に本物にせよ状態が非常に悪い。)が壁にびっしり貼られていて、これなら飾らないほうがいい。「日本庭園」と呼ばれる睡蓮の庭も同様に竹下通り状態で、耳からは日本語、韓国語、中国語、英語ばかり聞こえる(フランス語は一言も聞こえない)。そして自撮り棒でポーズを決める人に、三脚まで立てて記念撮影する人も。この橋も偽物だろうし、土手も固められていて、全てが偽物だとしか思えない。植物には罪はないが。視野から風景に見える観光客を消し、耳から聞こえる喧騒をノイズキャンセリングしても、これは偽物だろう。ここにはマルモッタン・モネ美術館のモネの絵以上のものは何もない。
このまま帰ると一日気分が落ち込みそうなので、足を伸ばしてルーアン(Rouen)へ。大司教区であった街で、モネも描いたルーアン大聖堂をはじめとした多くの教会、カテドラルがある。大聖堂はもうえげつないというぐらいのゴシック装飾で、カルシウムっぽい質の石が溶けているせいか、まるで古生物学博物館の骨の展示のような印象だった。それにしても、でかい。ケルンはこれよりでかいというのだから信じられない。
ヴェルノンもルーアンも素朴な木組みの家が多く、ドイツっぽさを感じてしまうが、フランスも昔はこういう家が多かったのだろう。パリにいるとつい忘れてしまう。思えばうちの周りにもいくつかあるのだが。あと、リヨンや南仏のほうにはほとんどなかった気がする。
また、ジャンヌ・ダルクが火刑に処された街としても有名で、処刑された場所の後にはかなりグロテスクな現代建築の教会が建てられていて、周りは観光客向けの店が多い様子。歩いているとベルギーの象徴派詩人エミール・ヴェルハーレンの像を見つけ、何でかと思ったら彼はここで突然電車のホームに落ちて轢かれて死んだとのこと。やたらとベルギービールの看板が多い……のとは関係ないだろう。
ルーアン美術館には中世の宗教美術から『ボヴァリー夫人』の場面を描いた絵、ジャンヌ・ダルクの部屋(中世と19世紀の描かれ方の違いがよくわかる)、ドラクロワの歴史画にジョルジュ・クレラン(Georges Clairin)の超エグい歴史画、モネ、シスレー、メアリー・フェアチャイルド・マクモニーズ(Mary Fairchild MacMonnies)などの印象派系の画家、それにマルセル・デュシャンの兄であるところのジャック・ヴィヨン(Jacques Villon)とレイモン・デュシャン=ヴィヨン(Raymond Duchamp Villon)の絵画・彫刻作品などがあり、全く期待していなかったのに反して地元ながらの見どころ満点だった。
思いのほか終電が早く、ハンバーガーを食べて帰るが、とても一日のことだったとは思えないほどの小旅行だった。