4/28 フンボルトを辿って

Exif_JPEG_PICTURE

朝、Oさむさんの薦めで骨董市に行ってみるが、本当にゴミしか売っていなくて退散。昼にペルガモン博物館に行こうとするが既に長蛇の列で、博物館島を見捨てて自然史博物館 Museum für Naturkundeに向かう。ベルリンに来た理由の一つがこの博物館で、アレクサンダー・フォン・フンボルトの遺したものを拝見かなえば、という気持ちだった。あわよくばその先のヒントも。
途中、ウンター・デン・リンデンでフンボルト大学の前を通る。門の外には言語学者の兄フンボルトと弟フンボルト(言わずもがな博物学者・地理学者)の石像、前庭には物理学者ヘルムホルツの石像と、割と新しめのマックス・プランク(量子論)の石像がある。中に入れないのがもどかしいが、私にしてみれば残り香をかげるだけでありがたい。歩いていると別の研究棟があり、フンボルト兄弟の横顔をあしらった大学のシンボルマークが描かれていて、このバッジがあったら買う、という確信を得る。
数十分歩くと自然史博物館に到着。ガイドブックにはブラキオサウルスの化石で有名としか書いていないが、確かにブラキオサウルスは凄い。フランスの古生物館にも無かった巨大な骨の立像が天井を突き破らんかの勢いで立っているのは圧巻である。事実、このために天井を拡張したとか。しかしここの凄さはそれに止まらない。ここはやはりフンボルト大先生の『コスモス』の思想を充分に受け継いでおり、生物学だけでなくこの地球、引いては宇宙がどのように形成されているか、ということが地質学、プレートテクトニクス、天文学、進化論、種の分類、鉱物学の観点から様々に語られ、つまり一つの体型としての「コスモス」を形成する様々な科学的アプローチが博物館の構造そのものとなっているのだ。そしてそれらの根底にあるフィジカルな博物学的探険を思うと、これらを成し遂げてきた人達の器の大きさを尊敬して止まないのである。まさに立体博物図譜。オブジェ版コスモスである。事実、博物図譜のページを実物にして壁一面に展開したかのようなメイン・ディスプレイがそれを物語っているし、何しろここは剥製や模型が凄い。鳥なら鳥を単に剥製にするだけじゃなく、ちゃんと生態を再現するように巣の作り方や産卵の仕方、そして高度別に住み分けていることを同じ木の中で視覚化しているのである。あの鳥類図譜の描き方そのものが立体として表現されているのだ。しかもこれがいちいち格好良い。剥製の作り方やそのアーカイブの仕方までご丁寧に説明してくれて、教育にも熱心。日本だって美大生がこれほどいるのだからここまでやれてもいいはずなのだけれど、そもそも科学的視覚化という認識が美術の領域として認識されていない。というか、これほどに科学のために視覚化を工夫すれば、美術としても素晴らしいものになる、という到達点が認識されていないのではないか。これは本当は視覚伝達デザインの分野のはず。ハーバート・バイヤーの『WORLD GEOGRAPHIC ATLAS』はこういう科学的視覚化の系譜の末端として位置づけられて然るべきもので、ただ単に「これが世界で一番美しいデザインだ」と呪文のように繰り返しつぶやけばいいものではないと思う。はっきり言って、一般に出回っているグラフィックデザインの歴史には科学的視覚化の概念が全く抜けている。単なる格好良さとか目新しさとか、自分を作家として売り出すことよりも大事なことがここにはあると思う。ただしこれでも2階以上は改装中で、ほとんど見られず。ガラス戸からは大量の標本キャビネットが垣間見え、改装が終わる日が待ち遠しい。ここに自由に入れるのだったら人生捧げてもいい、とちょっと思った。
いつも思うのだけれど、周りにいる生き物好き女子や古代の謎好き男子、音楽好きの諸兄や、数学と電気と野菜が好きなおじさんと一緒に来たらもっと楽しいだろうなあ。

Exif_JPEG_PICTURE
でも一番驚いたのは館長のヒゲだったりする。

4/26 ベルリンへ移動

ライプツィヒからベルリンに移動。アーティスト(志望)のOさむさんが(留守番で)滞在しているレジデンスに、これから5日間居候することになる。マットレスを買いにIKEAに行こうとするが、Uバーンが工事中で一部区間ピストン輸送状態になっている。行き先を確認して乗っていたはずなのに、いつのまにか逆方向に走っていて、無理矢理降ろされたりする。降りて電光掲示板を見ると「◯◯行きは△△で乗り換えてくれ」と書いてある様子。こちとらドイツ語はほとんどわからないのだが、半年住んでるOさむさんのドイツ語は全く頼りにならないし(いやほんとに)、調べる気すらないらしくゲームをやっている。ひどい……。ベルリン中央駅でも右往左往してたし。もうアテにするのはやめて自分の考えで行動してみたら全部当たってた。IKEAへの道も全部当たってたし。そんないい加減でよくやっていけるな、この人……。

4/25 書物の一日

ライプツィヒ滞在は正味1日しかないのであるが、レクラム文庫があることでも有名な書物の街ということで、印刷博物館と国立図書館のギャラリーに行くことにする。印刷博物館「Museum für Druckkunst」の「Druck」は印刷なので、印刷芸術博物館ということになるだろうか。とても良い言葉である。中央駅からは白エルスター川というチェコから流れる水系の川を越えて行くのだが、河岸は公園になっていてとても雰囲気が良い。
ここの印刷博物館は今までと毛色がまた全然違って、活版印刷機からモノタイプや写植まで大小さまざまな実機が展示している部屋で常時何人かの職人さんがウロウロしており、声をかけるとあれやこれや実演してくれるのである。活版ぐらいならよく見かける風景だが、母型からの活字の鋳造、ライノタイプによる鋳造にモノタイプのパンチカードへのセッティングと鋳造機の実演、Diatype(ダイアタイプとお読みすればよろしいのか)やモノタイプの写植機(モノフォト)など、ここに展示してあるもの全部動くんかい!と突っ込みたくなるぐらい豊富な機械を動かしてくれるのである。いやはや、美術が束になったってこの印刷イノベーション1台に敵わないんじゃないかと思ってしまう。ライノタイプが動いてるところなんて感動しちゃうよね……。銅版で刷られたグーテンベルクの肖像に「ハイル・グーテンベルク」って書かれているのには笑ってしまったけど。職人さん達も気さくで素敵だった。ドイツ語わからなくてごめんなさい。
そのあとアーティスト(志望)のOさむさんのリクエストでSpinnerei(シュピネライ)という旧紡績工場が現代アートの芸術家村として生まれ変わったという場所に。作品よりその辺の印刷工場より広い印刷工房が気になった。

もう夕方近かったが、一応行っておこうぐらいの気持ちでドイツ国立図書館へ。ドイツの国立図書館と呼ばれる場所はライプツィヒ、フランクフルト、ベルリンの3カ所にあって、一般的な国立図書館と違ってそもそも書籍商組合が立ち上げたライプツィヒの図書館が国立図書館となり、1913年以降のドイツの書物を全て集める納品図書館として機能。東西ドイツ分断後にフランクフルトに西ドイツの図書館ができ、またベルリンにも東ドイツの音楽図書館が出来て、それがドイツ統一時に国立図書館として合併したらしい。利用者カードを取ろうかとも思ったけれど、経緯が複雑でどこに何があるかイマイチわからないし、ウェブページの利用方法の説明もあまり詳細ではないのでよくわからず、フランスの国立図書館でこと足りそうなのでギャラリーに寄ってみるだけにした。
しかしこのギャラリーがまたなかなか凄い。Deutsches Buch- und Schriftmuseumはドイツ書物・文字博物館といったところなのだが、そこまでクリティカルではないもののちゃんとライティングスペースの歴史になっていて、マニュスクリプトからインキュナブラ、それにウィリアム・モリスやコブデン=サンダースン、ライプツィヒのDruck der Janus-Presse、ミュンヘンのBremer Presseなどのプライベート・プレスの数々、リシツキーやチヒョルト。嫌だなあ、こういうのを実物でさらっと常設展示しちゃうんだもんなあ。ユニークなのは第三帝国によって回収された図書のリストがあったり、アルファベット教育や図像教育の歴史のコーナーがあってそこにちゃんとノイラートの『社会と経済』が展示されていたり(偉い!)。特別展は1914年のライプツィヒ国際書籍業・印刷博覧会(Internationale Ausstellung für Buchgewerbe und Graphik どこかに訳の通例があるはずだが見あたらず)の100周年展示。出品物は今や目新しいものでもなくなっているけれど、どこもが第一次世界大戦の100年特集をやっている中でこれをやっているのはやはり意識が高い。

Exif_JPEG_PICTURE
ドイツのお姉ちゃんと一緒にライノタイプ他の実演を見せてもらった。ダンケシェーン。

4/24 ライプツィヒヘ

ライプツィヒへ移動する。ドイツでの最終目的地はベルリンなので、ついでと言っては悪いが途中で寄った形になる。明日1日しかないが、主に印刷、書籍関係を回るつもり。ふと気付けば東ドイツ。宿の周りが妙に寂れていて廃墟とスーパーしかない。そんな風景が皮肉なことにアメリカっぽい。

Exif_JPEG_PICTURE

カレーは我々を裏切らない。

4/23 シュトゥットガルト

フランクフルトまで来てみてヴァイセンホーフ・ジードルンクがどうしても気になったので、延泊して日帰りで来てみた。朝着いてまだ時間があったので州立絵画館 Staatsgalerie に行ってみたが、ここも良い美術館で、ドイツの中世キリスト教美術からフランドル、オランダ、ルネッサンス、バロック、ロココなどの中近世絵画が充実している上に、印象派やドイツ分離派、バーン・ジョーンズの部屋があったり、マティスの4点ものの彫刻、ピカソの家具を使った6人の女性の彫刻。それにそこまで数は多くないものの、シュレンマーのバウハウス以前の絵画と『トリアディック・バレエ』の衣装(!)。バウハウス講師陣の中ではちょっと奇人扱いされがちだけれど、シュレンマー見直した。カンディンスキーやグロッス、ファイニンガーにシーレのリトグラフなどもあり、複雑なモダニズムの地勢図がまさにここに。
中央駅のフードコートでグリーンカレーを食べて(割とうまい)、バスでKunstacademieまで行き、ヴァイセンホーフ・ジードルンクへ。ノイラートが関わったウィーンのジードルンク運動を調べていた時に、ウィーン工作連盟が中心となったウィーンのジードルンク(労働者向けの住宅)やカール・マルクス・ホーフ、ベルリンのブルーノ・タウトのブリッツ・ジードルンクやデッサウのグロピウスの実験住宅なんかを見て回ったが、一番有名なここには来なかった。それは色々な理由があってのことなのだけれど、やはり見ておかないといけないような気がしたので今回は来ることに。
コルビュジエ設計の家がミュージアムになっていて、中を見て回れるが、なんだかコルビュジエにしては造形的要素が何も無いというか、中を見てもあまり発見は無い。住宅不足を埋めることが目的であるので安価で量産できる工法がまずありきで、そこにそれぞれの新しい近代的「生活」の思想が組み込まれるはずであるが、しかしここまで何も無いのは、この規格化された純粋な住宅モデルの提示が全てであったのだろう。そのぶん家具の設計には工夫が見られたが。コルビュジエは3回しか足を運ばなかったというが(そもそも第一次大戦後のドイツで敵国建築家を呼ぶのに様々な苦労があったらしいが)、これをどう見るかは読み込みを必要とするので何も言えないけれども。その後、J.J.P.アウト、ミース、シャウロン、スタム、ベーレンス、ヨーゼフ・フランク、ヴィクトル・ブルジョワなどを外から見て回る。ウィーンのジードルンクにも出品しているフランクは、高層化に反対し庭付き平屋に固執した人物であり、ここの住戸もその思想に違わぬものであった。ジードルンク運動には、人口が増加した都市の中で我々ひとりひとりの生活がどうあるべきかという現代に通じるテーマが強く現れているので好きなのだ。

Exif_JPEG_PICTURE
新しい生活

4/22 グーテンベルク博物館

ネット環境が悪いので、軽いメモ。
乾燥からなのか、硬水が合わないのか、体にブツブツがいっぱいできてて、顔も耳も腫れている。とりあえず薬局で保湿クリームと非ステロイドの塗り薬をもらったけれども(「ここが痒い」とか「乾燥してる」とか言っただけで、お姉さんも判断材料が無さ過ぎて困ってた。ごめん)、根本的なことがわからないので色々試してみるしかない。

朝からマインツへ電車で向かい、グーテンベルク博物館へ。プランタン=モレトゥスとはかなり毛色が違い、そもそも多くの書物がドイツ語なので書体がまるっきり違うのはそれだけで面白いのだけれど、展示の主眼は活版印刷がいかに諸科学に貢献したか、引いては人類の知識の伝播や世界観の形成に果たした役割に重点を置いていて、かなり幅広い。もちろんグーテンベルクとアントン・コーベルガーやピーター・シェーファーの書物に主軸を置いているけれど、それ以外の工房の書物もあって、その辺は違うところか。グーテンベルクの42行聖書が最初からあんなクオリティを出してたとは知らず、書物を作るのにここまで頭をひねり、手間と時間を惜しまずに全力を注ぎ込むものなのかと頭が下がる思い。また調べなきゃいけないことが増えたので、またこちらが追いついたら折に触れて来てみたい場所だ。勝手ながら飯田橋のあそこがどうなるべきなのかと考えたり。母校に印刷と造本の歴史がわかる常設展があってもいいよな、とも。グーテンベルク印のビール、飲んでみたい。
ローマ時代の城壁(?)だった高台に登って街を一望したり、ライン川のほとりで佇んでみたりしてフランクフルトに帰る。ローマ時代のドイツについての博物館があったのだけれど、時間が合わなくて行けず。このあたりはローマ時代の面影が色濃く残っているらしい。昼食で食べたホワイトアスパラガスのスープが美味しかった。英語で「アスパラガス」が全く通じなくて「白くて細長いやつ」って言ったら「ソーセージね!」と言われて、困った。

Exif_JPEG_PICTURE
いい街だった。

4/21 フランクフルト3日目

今日は月曜日、かつイースター。美術館もデパートもスーパーもほとんど開いておらず、レストランも一部しか開いていない。しょうがなく、というか開いているところから選んで考古学博物館、シルン美術館、それと大聖堂にゲーテ博物館と回る。考古学博物館は、石器時代から始まるが主に古代ローマが中心で、かなり小ぢんまりとした展示だった。建物が昔の修道院で中庭式のロの字型なので空間としては外見程広くないらしい。写真は撮れなかったのだが、石器時代の集落が長屋みたいなもので、日本とかなり違うことに驚いたのと、古代ローマの柱などに刻まれた文字とほとんど変わらぬ書体を我々は未だに使っていることは凄いな、と実感する。日本人がヤマト王権、あるいは古代中国を顧みることと置き換えて類推してみるが、全く感覚が違うので無理だった。文字から見えてくることが思いのほか多くて、少ないながらもタイポグラフィーの知識があって良かった。もちろん帰ったら調べ直さなければならないことばかりだけど。
シルン美術館はなんだかよくわからないポップアート的な現代美術(素通り)と、モンマルトルの最も華やかだった時代を特集した絵画展。ロートレックやピカソ、ローランサンなんかが踊り子や娼婦をモチーフとした絵が並ぶ。ゲーテ博物館は、彼がローマへの強い執心を持っていたことが強く感じられた。帰ったら色々と読んでみよう。
帰り道、トラムでとある大学の前を通ったとき、大学を「大学」と言うのと「Univeristy」と言うのでは、全く知の総体に対する感覚が違うのだということをしみじみ思う(もとはラテン語だろうが)。今何も調べることが出来ないが、「University」という概念が出来た時から、知というのは確固とした一大建造物のようなものとして捉えられていたのだろうな。日本人としては曖昧模糊とした雲のようなものでしかない。それはそれで違いとして良いことなのだと思うけれども。
それにしても日焼けか乾燥かはたまた何かの花粉かわからないけれど顔がヒリヒリして腫れている。んー、外国に住むのは無理だなあ。昔はなんともなかったのにな!それとももう少ししたら細胞が入れ替わって順応するのだろうか。

Exif_JPEG_PICTURE

ゲーテの家にあった時計。

4/20 シュテーデル美術館

フランクフルト2日目。実は昨日からイースターというやつで、店が悉く休み。博物館系もそれがあるので日程調整が大変なのだが、とりあえず今日はカンを頼りにシュテーデル美術館に行くことにする。
ところが、これが本当に凄かった。僕の見てきた美術館の中で、収蔵品の購入と選別、そして展示の編集としては最高の場所ではないだろうか(そんなに誇れる程見ているわけではないが)。特に、これまで僕はアントワープからユトレヒトを通ってフランクフルトにやってきたわけだが、ここのコレクションは主にオランダ、ベルギー、そしてここドイツの絵画の地域的連関に主軸を置いているようで、まさに西洋美術史の数世紀が主題、媒体、技法、描き方、社会的状況などの観点から体感的にかつ地勢的に知ることができるのだ。
図像学的な意味で恐ろしく過剰に記号が密集した14世紀オランダの祭壇画が15世紀後半にドイツに入ってきた経緯、それが16世紀にホルバイン、クラナッハ、デューラー達の肖像画や風景画となり、アントワープの経済的繁栄の恩恵を得て起こったルーベンス、ヨルダーンス、ブリューゲル親子達を中心としたフランドル絵画の隆盛、レンブラントによるスペクタクルの導入とフェルメールを代表とした民衆的な風景画と室内画の発生、などなど。そうした編集がかなり綿密にキャプションから空間的配置に至るまで行き届いている。昔は祭壇画やキリスト教美術なんかまったくわからなかったけど、数を見てると段々面白くなってくるのが不思議。
そしてこれは単なるツーリストのロマンチシズムだけれど、パリで、そしてアントワープでずっと地理学の文献を見てきた後に、ここにあるフェルメール作品の題名はまさに『地理学者』。たまには運命論者になってもいい気がしてくる。気になるところというのは必ず無意識下でつながっていて、気軽に赴くべきなのだ。
18世紀までで既に4時間近く経っていたが、階下の近代美術のフロア、これもかなり良い並べ方と作品購入のチョイス。教科書に載らないような有名ではない作品がほとんどであるが、それでもこれが重要だと思わせるものを持っている。ただ集めているだけじゃなくて、そこにちゃんと選択眼がある。そしてさらりとアウグスト・ザンダーの写真を滑り込ませるセンス。企画展のエミール・ノルデ展も出品点数、編集共に非常に力が入っていて、刮目させられる。難癖をつけるならば動線が時系列ではないことだが、建物の性質上しょうがないことなのだろう。地下が現代美術っぽかったけれども、ちょっとこれ以上見られそうにないので失敬する。

夕方ようやくシュテーデルを見終わり、ちょっと休憩した後に映画博物館へ。なんとここでやっていたのがファスビンダーの企画展で、思わず水を得た魚のようにテンションが上がったが、展覧会自体は「ファスビンダーをテーマにした作品を作ったアーティストの作品」を中心としていて、タイトルは「ファスビンダー・ナウ」。ごめん、そういうの、本気で、要らない。いや誠意を持ってアングルとか切り返しとか照明の検証映像を作ってる人もいるのだけれど、そこに「アーティストとしての私」を出してくる人は、あなたの個展でやってください、としか言いたくない。というか映画の博物館展示ってやっぱり無理があるよね。まあスクリプトとかスナップ写真とかは見れて良かったけれども。常設展は映画装置の発明に関する展示と映画編集技法に関する展示。リュミエールやパテェ、メリエス等の映画初期の多様性に関する上映が楽しかった。

Exif_JPEG_PICTURE

4/19 フランクフルト、マチルダの丘

昨日はホテルのWi-Fi環境が悪くて更新できず。50Mb以上は有料ってなんだよ。前近代的すぎる。目を疑った。
朝方、ユトレヒトを出発し、ICEでフランクフルトに移動する。中央駅にて昨年末からベルリン在住のOさむさんと合流。痩せてるけど髪が伸びてて蛾次郎というより莫山先生の域に達してる。
軽く休憩してからRBでダルムシュタットに移動。ウィーン分離派のヨーゼフ・マリア・オルブリヒが中心になって築いた芸術家コロニーを見に行く。昔工作連盟や労働者住宅(ジードルンク)について調べていたとき行ってみたかったところの一つだったのだけれど、9年前の訪欧時には旅程的に叶わず。しかしその後ひょっこりとT田さんが行ってしまうという事態に嫉妬(「ひょっこり」はイメージです)。というか、今や『地球の歩き方』にすら載っているのですね。そんなに有名なんだ、ここ。
ダルムシュタットに着いて西口からバスに載ると、15分ぐらいで到着。もっと人里離れた田園地帯にあるイメージだったので、中央駅から地続きの街中にあることに驚き。光悦村とは全く違うのだな。ゲーテアヌムもそういうイメージだけれど。
結婚記念塔に登り、記念館を見て、コロニーをぐるっとまわる。分離派や工作連盟には思うところがあるが、うまく言葉にならないので書けない。ただ、今回来てみて、父としてのオットー・ヴァーグナーの影響はやはり強いのだということを感じた。ウィーン分離派、工作連盟、ユーゲントシュティール、もちろんアーツ・アンド・クラフツや表現主義があって初めてバウハウスやデ・スティルを取り上げるべきなのであり、膨大な物を見なければそうした不可分で漸進的な変化を総体として掴めないのだな、と思う。これは日本にいては到底不可能なことで、そういう意味では来て良かったなと思う。
夜はホテルに移動。ドイツに入って思うのは、いままでフランス、ベルギー、オランダと、美術館からスーパー、コンビニまでほとんどクレジット払いでやってこれたのに、ドイツは全然使えないのが困る。デビッドカードなら使えるらしいのだけれど、そんなの作る暇無かったし。あと、そこらじゅう小便臭い。

Exif_JPEG_PICTURE

4/18 リートフェルト

ユトレヒトに来た目的、それは9年前に来たとき見られなかったセントラール・ミュージアムのリートフェルト・コレクションを見ること。シュレーダー邸は見れたけど、移動の時間が迫っていたので後ろ髪引かれながら片手落ちにて失礼した記憶がある。思えば欧州は4回目で、それにしてもこんな可哀想な英語しかやりとりできない自分が哀れでならない。
折角だからということでシュレーダー邸も行くことにし、朝11時に予約。歩いて行けそうなので朝の散歩がてら早めに向かうことにする。いかにもオランダらしい建物が立ち並ぶ通りの真ん中に美しい並木道が走っていて、嫌みではない現代彫刻が点々と置いてあり、街に対する意識の高さを思い知らされる。30分ちょっと歩いてシュレーダー邸に着くと、まあ一種の楳◯かずお邸のような異質さがあるが、さすがにあれとこれとを一緒にしたくない。景観に対する意識の高さは一方で排他的で保守的な方向に走りがちで、周囲の冷ややかな目もあったかもしれないが、これを貫き通せたのはリートフェルト以上にシュレーダー夫人(未亡人)の理解と意志の賜物だろう(オーディオ・ガイドによれば、実際夫人の娘は幼少期に「私はあの風変わりな建物には住んでないよ」と友達に言っていたそうだ)。夫人の嫁ぎ先が名士だったなら尚更その意志は固かったのだろう。リートフェルトにとって初めての建築だったわけだし、名声でゴリ押しできたわけでもない。この家をこうさせたのはやはり夫人の意志が大きいのだ。エラスムス通りの土地が売りに出された時にそれを買ってリートフェルトに家を建てる機会を与えようとしたのも彼女だし、目の前に高速道路ができた時にリートフェルトが「この家はもはや意味をなさないから壊すべきだ」と言ったのに対し、それを残したのも彼女だ。施主だったこと以上に彼女の生き方に対する拘りを感じる。
9年前と変わっていたのは、まず隣の家がチケット・オフィスになっていたこと。そして内観が撮影禁止になり(昔は確か撮影できた)、確か前はミュージアムからのバスツアーになっていたが、今回は現地集合でオーディオ・ガイドつきの訪問になっていたことだ。そしてエラスムス通りのアパートにも入れない。門戸は広く開かれるようになったのだろうが、その分厳しくなった気がする。まあ私は9年前に見たからいいけど。ムッフッフ。値段はセントラール・ミュージアムとディック・ブルーナ・ハウス含めて € 14 なので良心的。
内観、もろもろ記憶を確認するように見たが、リートフェルトの工房にリシツキーとマルト・スタムと記念撮影した写真が置かれていたのが感動的だった。憎いことしますな。生活の要請を微笑ましいほどのデザイン・アイデアによって乗り越える。職人的知恵と空間思想を併せ持った「生きられた家」として非常に貴重な例だと思う(水木しげるが自宅改築マニアなのがなぜか思い起こされる)。本当は他の家も見られるべきだが、当然ながら所有者がいるので叶うべくも無い。
そして9年振りの雪辱を晴らすべく向かったセントラール・ミュージアム。別にリートフェルトが大々的に展示されていることを期待して行ったわけじゃないが(されていたら嬉しいけれど)、これが惨憺たる結果に。11世紀からマニエリスム、カラヴァッジオ主義者を経てモダニズムに至るまでのユトレヒト美術史の展示の床に、説明の為のポップなイラストを描くのはまだ許す。見ないから。しかしその中に突然21世紀のインスパイア作品を放り込むのは如何とも許し難いし、とにかくその他の展示部屋の大部分を占める企画展の現代アートが諸々酷すぎる。もうこれじゃあ現代アートなんか技術も見る目も無いくせに芸術作品ぶった観念論者の手慰みにしか思えない。あなたのちっぽけな霊感とやらを信じる前に、あるいはその直感が何なのかを突き詰める為にこそ、他人の作品や論考を研究したらどうですか?世の中にはそうじゃない真摯な作品もあるはずだが、もう気分的には最悪。お前なんか才能無いんじゃ。モダニズムばっかり展示するわけにはいかないかもしれないけどちゃんとリートフェルトとドゥースブルフを恒久的に展示せいや!と言いたくなる(たった6畳程度の一室でモダニズムおしまい)。ツーリストの我が儘かもしれんが、これがあのドゥースブルフの分厚いカタログやリートフェルトのモノグラフを作った組織とは思えない。ちょっと信じられない。
許し難い気分で美術館を出て、ミッフィーちゃんでも見て心を鎮めようと思ったが当然の如くがきんちょが騒いでたので早々に退散。ブルーナさん、そういう気分じゃないんだ、ごめん。
明日はフランクフルトに移動する。

Exif_JPEG_PICTURE
Gerrit Rietveld at CIAM I (La Sarraz)

41