「世界に道しるべを示すために」

代官山蔦屋書店で行われたトークイベントのリポートが雑誌「アイデア」3月号に掲載されました。


「アイデア」No.397(誠文堂新光社)2022/3/10発売

『世界を一枚の紙の上に』刊行記念鼎談リポート
世界に道しるべを示すために

鼎談:大田暁雄,三中信宏,中野豪雄
協力:蔦屋書店 オーム社
構成:瀬下翔太
デザイン:山田和寛(nipponia)


リポートという形なので内容は一部割愛されておりますが、8ページにわたって紹介されておりますので、是非ご高覧いただければと思います。

『世界を一枚の紙の上に』

初めての単著『世界を一枚の紙の上に 歴史を変えたダイアグラムと主題地図の誕生』(オーム社)が刊行されました。人間を含めた動植物と地球環境とのつながりを「絵」によって表そうとした人々の軌跡を追うものです。前書きにも書きましたが、これまでデザイン史であまり語られることのなかった科学的な「視覚化」の試みに焦点を当て、世界を理解するための手段としてダイアグラム・地図を捉え直そうとする本です。雑誌「アイデア」(誠文堂新光社)での連載を基にしていますが、通読して読みやすいように構成を変え、全面的にリライトを施した増補改訂版となります。

(カバーは意外なところに箔押しが施されています!)

書名:『世界を一枚の紙の上に 世界を変えたダイアグラムと主題地図の誕生』
著者:大田 暁雄
判型:B5判
頁:272頁
発売日:2021/12/17
発行元:オーム社
ブックデザイン:鈴木成一デザイン室
本文デザイン:谷田幸
価格:4,950円(税込)

詳細・ご購入は以下から:
版元の書籍紹介
Amazon
honto
Rakuten ブックス
紀伊国屋書店
ヨドバシカメラ


イベント
1/22(土)には代官山 蔦屋書店主催のトークイベントがあります(オンライン配信のみ)。本の帯に推薦文も寄せていただいた三中信宏・中野豪雄両先生とお話しさせていただきます。
三中先生は科学、特に生物分類と進化論の視点からダイアグラムを研究しておられる方で、『分類思考の世界』『思考の体系学:分類と系統から見たダイアグラム論』など多数の著書を発表しておられます。
中野先生は言わずと知れた日本を代表するグラフィックデザイナーのお一人ですが、ダイアグラム的表現を使った作品を多数制作しておられ、また武蔵野美術大学でも視覚化を中心とした授業を展開しておられます。
科学とデザインの両方から「世界の視覚化」について考える貴重な機会となりますので、ご興味ある方は奮ってご参加ください。
イベントはZoom配信という形で行われますが、参加券か、お得な書籍と参加券のセットをご購入いただければご参加いただけます。お時間が合わない方もアーカイブ配信という形でご視聴いただけますので、ぜひご参加いただければと思います。

タイトル:
【オンライン配信(ZOOM)】『世界を一枚の紙の上に』刊行記念 大田暁雄×三中信宏×中野豪雄トークイベント「《世界の視覚化》への誘い」

出演:
大田暁雄(デザイン研究家、デザイナー、プログラマー。武蔵野美術大学非常勤講師)
三中信宏(農業・食品産業技術総合研究機構専門員、東京農業大学客員教授)
中野豪雄(グラフィックデザイナー、アートディレクター、武蔵野美術大学教授)

【対象商品】
・イベント参加券 1,200円(税込)
・書籍『世界を一枚の紙の上に』(オーム社・4,950円/税込)+イベント参加券(800円/税込)+送料(0円/税込) セット 5,750円(税込)

詳細・お申し込みはこちら(代官山 蔦屋書店ウェブサイト)


メディア
2022-01-08
朝日新聞書評欄(2022年1月8日付朝刊)にて取り上げていただきました(評者:生井英考先生)。本文は以下のリンクからお読みいただけます。
「世界を一枚の紙の上に」書評 科学と芸術が交差する「可視化」

2022-01-22
山本貴光さんと吉川浩満さんの配信動画「人文的、あまりに人文的#093 注目の新刊」にて取り上げていただきました(該当箇所は9:47頃〜)。連載の頃から読んでいただいたということで大変ありがたいです。

2022-02-20
読売新聞書評欄「本よみうり堂」(2022年2月20日付)にて取り上げていただきました(評者:柴崎友香先生)。ありがとうございます!本文は以下のリンクからお読みいただけます。
本よみうり堂『世界を一枚の紙の上に 歴史を変えたダイアグラムと主題地図の誕生』

2021年を振り返り

もうすぐ今年が終わるらしい。今年の思い出といえば、夏に蟻に追われて全速力で走る毛虫を見て、「毛虫も本気出せばあんなに速く進めるんだな」と思ったことぐらいだ。いや、本当は色々あったんだろうが、同じ街での生活ルーチンを繰り返すと、経験は「思い出」にまで消化されないようだ。まあそんなことはどうでもよい。

多分、学生と関わることがなければ最近の流行など追ってみようとは考えもしなかったと思うが、『鬼滅の刃』など読んでみながら、理解はするけれども魂としては理解しえず、どこかで聞いた「流行っているものをその時代の代表として理解しようとし始めたらおじさんである」というような言葉(超・意訳)を妙に納得したりした。仮に「流行っているもの」が時代の代表だとしたら、自分が若かった頃の代表は小室哲哉だということになるが、本当に「好きだ」と言っているやつなど今まで見たことはない。ただし、今流行っているものの中にも「面白い」と思えるものがあるのも事実である。しかし一方で、自分の若い時にあった文化だけを繰り返し味わうこともおじさん的症状だろう。若者に迎合するでもなく、自分の些細な少年期を反芻するでもなく「おじさん化」から免れるためには、現代を超えた歴史的観点を培い、そこから現在を逆照射することこそが必要なのだ、などと正論をぶっても始まるまい。おじさんはおじさんである(ゴダール風トートロジー)。まあ、こちとら子供の頃から「おじさんくさい」「老けている」と言われ続けているので、ようやく年齢相応に見られるのだなと思っていたのだけれど、最近はそれを通り越して「じいさん」と呼ばれるようになってしまった。はて、どうしてこんなことを書き連ねてしまったのか。

今年何をやっていたかというと、ほぼずっと書籍の執筆に費やしていた。家だと部屋もなく集中できないので、毎日喫茶店などに行って原稿と睨めっこする日々。子供の頃、地元のドムドムバーガーでいつも同じ席に座っているおじさん(多分近くの大手予備校の浪人生ではないかと思うが、子供にはおじさんに見えていた)がいて、その長髪の風貌から「宅八郎」「宅さん」と渾名されていたのだが、すっかり私も「宅さん」化してしまった。近所で噂されているかもしれないが、こちらものっぴきならないのでやめられない。元気しているかなあ、宅さん。これも何の話だ。

霜月

目標をセンターに入れてスイッチ…。

目標をセンターに入れてスイッチ…。

夏休み

執筆、デザイン、事務、執筆、デザイン、事務。自分で立てたスケジュールの目処についていけない。これが歳というものなのか、単に疲れているだけなのか。これが終わったらゆっくりしたいなァ、と思っているうちに後期は容赦なくやってくるのだった。

ついにオリンピックというものが遂行される。遠いところでソファに腰掛けてTVを見ているやつと、その中間でポケットに金を入れるやつのためだけに、この一年半全てがうやむやにされ続けた。そもそも、同門だから、同郷だから、同国人だからという理由で赤の他人を応援する気持ちになんかならない。国が一緒だからという理由だけでチームを組む必要性も、現代には最早ない。H氏が「私はスポーツが好きだから、オリンピックは好きではない。」と言ったのにも肯ける。社会というものはかくも簡単に人を殺しうるという教訓だけが私には残った。ばかばかしい、と呟いてやりすごすべきものなのかもしれないが。

少しだけ映画を見始めた。

7月
ペキンパー『ダンディー少佐』。最初は南北戦争版『ダーティー・ダズン』か?と思わったが、規律正しい軍人がやがて狂気を孕み、自由意志に基づいて行動する人間へと変化していく様が、『地獄の黙示録』を思わせる、と言えば失礼か。やはりオリジナルの編集で見たかった。あと、南北戦争の戦闘ってあんなにクラシックなのね。

8月
ベネット・ミラー『マネーボール』。『カポーティ』も『フォックスキャッチャー』もそこまで好きではなかったけれど、請負い仕事で撮ったのであろう本作の方が私は好きだった。ありし日のフィリップ・シーモア・ホフマンが見られて嬉しい。

ヘルゲランド『42 世界を変えた男』。よくもまあこんなに憎たらしい白人俳優を集めたものだ。アメリカというところは恐ろしいところだな…。そういえば『ブラックパンサー』も『ジェームス・ブラウン 最高の魂を持つ男』も見たけど、チャドウィック・ボーズマンという人は、人に希望を与える顔をしているな、と思う。

ザイリアン『シビル・アクション』。ロバート・デュヴァル萌え。しかし、アメリカの裁判というものはこんなにもマネーが全てなのか。裁判の途中で出てくる小道具がやたらと凝っていたのが良かった。ザイリアンは年長者を出すのがうまい。

ザイリアン『オール・ザ・キングスメン』。南部というところは恐ろしいところだな…。

シェリダン『ローズの秘密の扉』。この邦題はないわ。

シェリダン『マイ・ブラザー』。疲れているときに見る映画じゃなかった…。

ジェイムズ・グレイ『アド・アストラ』。宇宙の果てまで親父を探しに行くだけ、というめちゃくちゃパーソナルな映画で、前作『ロストシティオブZ』でいなくなった親父を探しに行く息子の物語にも思える。アメリカ映画的には既に宇宙に住むことは当たり前で、そこでの生活や社会をどう描くかというフェーズなんだろうか。いやまあSFなんていくらでもあるのだけど、そこに凝っていた。年相応に見えるブラッド・ピットに初めて好感を持つ。意外とウィリアム・H・メイシーに似てるのね。

シャマラン『ヴィジット』。誰かシャマランにNOと言うやつはいないのか…。

イーストウッド『ハドソン川の奇跡』。イーストウッドを最後に見たのは多分『アメリカン・スナイパー』までで、やっぱり『インビクタス』ぐらいからもう自動運転モードに入っているというか、マルパソの職人たちが勝手に作っている感があったのだけれど、本作も、ああ、こんな画で大丈夫なのか、トム・ハンクスの顔もこんなので良いのか、と思っているうちに引き込まれてしまい、という手際は、なかなか真似できるものではないだろうな、と思う。原題は『サリー』というらしいが、最初の墜落シーンで「サリー」とつぶやいた副機長のさりげない言葉がだんだん生きてきて、それにつれてトム・ハンクスの顔もだんだん引き締まってほかでもない固有名詞になってくるところが、『父親たちの星条旗』と同様に、素晴らしい。流石に画面に力がなくなってきているとは思うけど、イーストウッドならではのものはあるな、と感じる。

六月

時間はないから短い映画でも、と思って見始めたマキノ正博の『血煙 高田の馬場』が堀部安兵衛の話で、昔から避けてきた『忠臣蔵』ものについに触れてしまった(タイトルからして明らかに忠臣蔵の話らしいが)。もちろん断片的な話は知っているし、パロディーならいくらでも見てきたけれども、時代劇好きにもかかわらず「日本人の心」とかそういうのが昔から苦手で、四十近くになるまで忠臣蔵に触れずに過ごしてしまった。とはいえ『血煙』は忠臣蔵以前の話なので単体で楽しめ、チャンバラはダンスとよく言うもののこれほど踊っているのもあるまいと思わされる素晴らしき阪妻の身のこなし。そして酔っぱらいの出てくる映画に駄作なし、という仮説が強固にされたのだが、間に『鞍馬天狗 角兵衛獅子』を挟んでついに本丸『忠臣蔵 天の巻・地の巻』。なんと1時間40分で松の廊下から吉良邸討ち入りまでやってしまうのだから相当な端折り方で、しかも千恵蔵やアラカンが二役で出てくるのだから忠臣蔵ビギナーには向いていないのかもしれないが、ところがこれが滅法面白くて、大石が江戸に下る道中で「立花左近」なる名を騙っていたのだが、なんと本物の立花左近と鉢合わせてしまい、どちらが本物かなどと問答する場面など非常に見ものであるし、何しろ浅野長矩の妻・瑤泉院演じる星玲子のこの世のものとも思えぬ美しさに恐れ入ったという次第。『忠臣蔵』として楽しんだかどうかはわからないが、何しろ30年代の日本映画、それもマキノで面白くないはずはない。それでもって調子に乗ってマキノ正博『弥次㐂夛道中記』。これがほとんど十返舎一九も関係ない無茶苦茶な換骨奪胎なのだけれども大傑作。いやはや、お見それいたしました。

五月

去年から聴き始めたradikoの音質への不満が募り、チューナーで受信して録音し、データとして録り貯めるにはどうしたらいいか真剣に考えたところ、もうエアチェックなんてする人は絶滅危惧種に近いらしく、適当な値段で揃えることができない模様。音質は落ちるが192kbpsのmp3でタイマー録音できるポータブルのラジオレコーダーを友人に教えてもらって導入する。電源をONして最初に飛び込んできたのが上白石萌歌さんの声。アナログの電波を受信するというのはなんといいものか。どこで誰が何回再生したって同じ音が出るデジタル音源とは全く情報の質が違う。以来ラジオに夢中で、古楽、ジャズ、オールディーズの番組、それにニュースなんかも楽しみに聴いている。

そんなこともあって音楽を積極的に聴く気持ちが復活し、引っ越して以来眠っていたプリメインアンプとCDプレイヤーをある日試みにつなぎ、音質の違いを確かめてみようとしたのだが、どうもアンプのほうが壊れているらしく左の音が出ない。一応ケースを開けて埃を吹き飛ばしたが改善されず。もともと安物だったししょうがないから新しいのを買うかと思ったのが沼の始まり。最近はUSBメモリのみならず、WiFi経由でストリーミングサービスやNAS上の音を聴いたりできるアンプ(ネットワーク・レシーバー)なんて代物が老舗オーディオ・メーカーから出ていて、そりゃあまあ音質的には純粋なアンプを買うのが一番いいだろうが、それぞれを単体で揃える資金などないし、さすがにこの利便性には争い難いものがある。数週間ウェブサイト上の仕様と睨めっこした挙句、購入。データを入れたUSBメモリを挿して聴いてみた結果、これだけの機能が詰まっていてこの音が出ればいいか、と思ったが、最近はCD音質を超えたハイレゾのデータを直接ストリーミングで配信するサービスなんぞががあって、試みに聴いてみる。これはいかん!仕事にならない!悪魔のサービスだ。しかしながらもうデータの直接配信が物理的な記録メディアを超えてくるとなると、本格的にディスクなんてものは無くなるかもなあ、と思わされる。でもジャケットがあって、ライナーがあって、それを読みながら聴くという楽しみはなくならないでほしい、という複雑な思い。

某日、鈴本演芸場の寄席の配信があるというので聞く。テレビしか落語を見たことなかった私にとって、20代で初めて行った寄席は信じられないぐらい暖かい笑いに満ちた空間だった。またその雰囲気が真打の番になると静謐さに様変わりし、空間全体が噺家の一挙手一投足に集中する。そんな寄席が開けないこと、あるいは今日のようにお客さんを入れられないということがどのように厳しいことなのか、想像すらできない。しかしながら演者の皆さんはそのことを逆に笑いに変え、筋に入れば無観客であることなど全く感じさせない。申し訳ないぐらいの3時間だった。

四月

エドワード・ヤン『ヤンヤン 夏の想い出』35 mm上映とのことで渋谷に二度赴く。何度見たかわからないが歳を重ねるごとに味わいが増す。これまでは呉念眞みたいな大人になりたいと思っていたけれど(何の努力もしていないが)、ここでのNJという役は改めて見ると結構滑稽で、偶然再会したかつての彼女の前で「愛したのは君だけだ」なんて都合のいいことを言ってしまいながら、飄々と家庭に戻って妻に顛末を話してしまう。プラトニックな不倫劇でもあるのだけれど、なぜかNJを応援してしまうのは、呉念眞と元恋人役の俳優から滲み出る人柄だろうか。人生をやり直せるチャンスをもらったら人はどうするか。しかしNJの人生は、たとえうまくいかなくとも、娘や息子によって反復されていく。帰宅したNJはこう言う。

「青春をやり直すチャンスをもらったんだ。でも結果は同じだった。やり直す必要なんてないって気づいたんだ。」

過ぎた人生について悔やむよりも、今あるこの人生をより良いものとすべきだ。このNJの台詞にはヤンの現代を肯定する眼差しが集約されている。抑制の効いたロング主体の画面で展開する細部の連鎖の網の目が比類なきものであることは間違いないけれども、私にとってヤンの最も素晴らしいところは、その肯定の身振りである。この世は既に天国である。そう確信できない私は今日もエドワード・ヤンを見続ける。

三月

新年の誓いを立てようと思ってから早3ヶ月。このままなし崩しに今年も終わっていくのであろうが、タスクが満載である。正月に気づいた前厄という事実が、節目節目で気に掛かる。思う壺である(誰の?)。

フランスの友人より便り来る。私もあちらのニュースを追うのをやめてしまったので、何ができて何ができないのか、ちゃんと給付金が出ているのか、知らぬ間に感染して入院していたりはしないか等々考えると気軽にメールも書けない。送ってもいいかと思えるまでに三ヶ月かかったメールを正月に送信していたが、それに返事が来たことだけで胸を撫で下ろす思い。曰く、ここ一年で全てが変わってしまった。もうお前の知っているパリではないと。外に出るにも毎回書類を書かねばならず、元々お役所的な書類地獄なのに、今の煩雑さはカフカの小説のようだと(「カフカ的=kafkaïen」なる単語があることを初めて知った)。唯一の救いは通りから人間がいなくなって街や建築が美しさを取り戻し、鳥が自由に飛び回っていることだという。一日何万人という単位で新規感染者が出るという状況は想像すらできないが、せめてこのままやりすごしてほしいと思うばかり。

卒業制作展に赴く。今年の卒業生は私が非常勤になって初めての担当学生なので、見知った顔が多い。しばらく人に会っていないこともあって否が応にも話が盛り上がってしまう。満足げにしている者も自信なさげにしていた者もいるが、皆それぞれの持ち味を伸ばしていて、素質の途方もなさを感じさせる。自分が学生だった頃は「デザインとは」ということに対する答えを絞り込んで考えていたが、今こうして教員になってみるとデザインという形は一つではなく、どうあってもいいんだと目を開かされる思いがする。時間の許す限り見て回ったがそれでも多くの学生には不義理を果たしてしまい、今年は学外展という「次の機会」もないので申し訳ない限り。

立川で『シン・エヴァ』。やはり自分にとってのエヴァは「謎」でも精神的描写でもなく「アニメーション」であった。高校の頃はTV版から旧劇場版まで何度もVHSをコマ送りにして見直したけれど、今思いかえしてみても当時最高のクオリティだったと思う。今回『シン・エヴァ』を見ながら確認させられたのは、「新劇」はデジタル技術を使ったアニメーション制作への挑戦だったということ。今作でも3DCGとキャラクターを画面上で融合させるための試みや、デジタルでしかありえないアクション・シーンが展開していて、遠近感が欠落してよくわからない場面があったのが残念だけど、監督がいかに現代というものを肯定的に取り入れようとしているかが伝わってきた。次はもっとわかりやすいやつを撮ってほしいなと思う次第。
それにしても「新2号機」がガンパンツァーZZに見えたのは私だけではあるまい。

フランスにいたため未見だった『シン・ゴジラ』を流れで。これは政治コメディだよね、と思いながら見たが、火炎放射のシーンには溜飲が下がった。

『ニッキー・ラルソン』こと仏版『シティーハンター』は予想外に良く、最初はちょっと苦笑いしたが、途中のクレーンを使ったアクション・シーンなんか近年見ないようなアイディア溢れる演出だったし、随所にユーモアがあふれていて、最後は爆笑。『シティーハンター』らしさもしっかり受け継いでいて、すごく好感の持てる作品だった。

Listen like the animals do