四月

エドワード・ヤン『ヤンヤン 夏の想い出』35 mm上映とのことで渋谷に二度赴く。何度見たかわからないが歳を重ねるごとに味わいが増す。これまでは呉念眞みたいな大人になりたいと思っていたけれど(何の努力もしていないが)、ここでのNJという役は改めて見ると結構滑稽で、偶然再会したかつての彼女の前で「愛したのは君だけだ」なんて都合のいいことを言ってしまいながら、飄々と家庭に戻って妻に顛末を話してしまう。プラトニックな不倫劇でもあるのだけれど、なぜかNJを応援してしまうのは、呉念眞と元恋人役の俳優から滲み出る人柄だろうか。人生をやり直せるチャンスをもらったら人はどうするか。しかしNJの人生は、たとえうまくいかなくとも、娘や息子によって反復されていく。帰宅したNJはこう言う。

「青春をやり直すチャンスをもらったんだ。でも結果は同じだった。やり直す必要なんてないって気づいたんだ。」

過ぎた人生について悔やむよりも、今あるこの人生をより良いものとすべきだ。このNJの台詞にはヤンの現代を肯定する眼差しが集約されている。抑制の効いたロング主体の画面で展開する細部の連鎖の網の目が比類なきものであることは間違いないけれども、私にとってヤンの最も素晴らしいところは、その肯定の身振りである。この世は既に天国である。そう確信できない私は今日もエドワード・ヤンを見続ける。