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8月某日 休止の終わり

朝起きると、家中が雌牛に囲まれている。家の玄関口には水槽があり、設置された蛇口から常に湧水が流れているのだが、彼らはそこに溜まった水を飲んだり、牧草を食んだりしているようだ。牛たちは全て隣家から来ているらしく、30頭以上はいるらしい。スイスの酪農の実際を見た思いがする。
Haidenという町のマルシェに行き、coopに寄って、アンジェラと子供は隣人の昼食会に出かけた。我々はAlpenhofという峠にあるレジデンスに行き、Andreas Zustなるアーティスト・収集家の残した蔵書の図書室を見せてもらう。スイスのアーティストのものが多いが、クリスチャンからCasper Wolfという風景画家のことなどを聞く。私はジョットー、クレーの図録などをめくる。ジョットーはルネサンスの先駆けだと言われているが、どうにもピンと来ていなかったので、アッシジにジョットーを見に行くのはどうか。それに、動物にも説法をしたという聖フランチェスコのことがずっと気になっている。クリスチャンにそのことを告げると、「ジョットーの図録を見たからだろ」と笑われるが、アッシジは良いところだしパドヴァにもジョットーはあるよ、と言われる。とりあえず次の目的地のブレーシャに行ってから考えようと思う。
夕方は友人のファビアンも合流し、見晴らしの良い公園でピクニック。湖の向こうにドイツの街並みが見える。発酵時間が足りず失敗したというフォカッチャ、乾燥インゲン豆のサラダ。ファビアン作のケーキなどをいただく。そんなことをしている間に、貨物列車の事故でサン・ゴタールのトンネルが通行止めになったというニュースが入る。明日チューリヒからミラノに抜けるためにまさにそのトンネルを通るつもりだったので動揺するが、行けないということはなく、古いルートを通るので時間が1〜2時間余計にかかるということらしい。まあなんとかならないことはないだろう、と運命をSBBに任せて寝る。

8月某日 旅の小休止

起きると外からカウベルの音がする。100mぐらい先にある隣家は酪農家なのだが、そこからしているにしてはやけによく聞こえるな、と思ったら、すぐそばに牝牛が3頭来ていた。顔中ハエにたかられていて鬱陶しそうだ。
皆はミューズリーを食べていたが、私は昨日スーパーで買った出来合いの安クスクスがあったので、一人だけそれを食べる。わざとやっているとしか思えないほどまずく、苦笑いしながら食べていたら、子供が「ちょっとくれ」と言う。「まずいよ」と言いながらあげると喜んでいた。中に入っているコーンが好きらしい。
朝食後、昨日の宴会の片付けをするために車でザンクトガーレンに移動する。女性陣がマルシェまで買い物に行っている間、残ったビールなどを地下の倉庫に運んでいたのだが、エレベーターの室内にドアがなく壁が動くのが丸見えで、触ると挟まれて危険である。聞けば、フリブールには3面ドアがないエレベーターまであるらしい。
昼は裏の畑に置かれたテーブルで食事。昨日のイモの残りでガレット。ふかして一晩置いたイモで作るのが一番いいとのこと。トマトも非常に美味しかった。
夜は庭のきゅうりの入ったパスタ。パスタも4種類ぐらい入っていて、こういう祝祭的なパスタサラダもありかと思う。
何かしようと思っても子供に阻まれるので何もできない。かつては家の主人であった猫たちも、すっかり家に寄りつかなくなった。子供がいるというのは大変なことだ。
今後の旅程についてクリスチャンたちと話すが、彼らはイタリアを自転車旅したことがあるらしく、小都市を見て廻ると良いよ、と助言される。ただ、どの街も面白いと言われるので頭を悩ませる。ギリシャに行くのは諦めたのだが、かといってイタリアでどこに行くべきか。結論の出ないまま就寝する。

8月某日 スイスのジミ・ヘンドリクス

フリブールの朝。6時には起き出し、身支度をしてホテルをチェックアウトする。地図を見ていると少し歩けば渓谷が見られる気がするが、そんな余裕もなくスーツケースを引きずりながら駅へと真っ直ぐに歩く。
電車はものの15分でベルンの駅に着く。コインロッカーの追加料金を避けるため、ピックアップが6時間ギリギリになるように待ってから借りる。ミュージアムカードと市内交通の一日乗車券を買い、ツェントルム・パウル・クレーへ。クレーと自然をテーマにした展示。子供の頃から自然観察に興味を持ち、青年期には既に植物を分析できるようになっていたクレー。芸術は自然から生まれる、それを忘れたらどのような技術も無意味だ、と思わされる展示。「雨が降るだろう」と題された、鉛筆でさらっと書かれたドローイングが秀逸だった。絵とタイトルの関係も考えさせられる。
トラムに乗ってスイス山岳博物館を訪ねる。以前地形レリーフを調べていて知った場所で、その時はメールをしても全く応答がなかったためスルーしていたのだが、今回来てみるとやはりレリーフは展示されておらず、現代美術に影響を受けたブリコラージュ的な展示が行われていた。内容は戦時期に弾薬庫の爆発で死者のあった山村Mitholzについてと、「山の女性たち」と題された女性登山史についての二本立て。登山家が使っていたギアの実物にRFIDタグがついていて、それを持っていってスキャナにかざすとインタビュー映像が流れるという代物。放置されたような展示空間とハイテクさが同居する。
ミュージアム・ショップにあった、過去の展示風景を写した黒白写真のポストカードに「撮影:フランツ・ロー」とあり、あのフランツ・ローの写真かと思い興奮したが、よく見ると「Franz Roh」ではなく「Franz Rohr」だった。同一人物だったりしないだろうか。思えば、「批評家」とか「写真家」とか肩書きがつけられ、デザイン史の重要な結節点で登場するフランツ・ローが一体どのような人物であるかを私はほとんど知らない。
午前中で美術館2軒という詰め詰めのスケジュールだったにもかかわらず、思いのほか時間が余ったので中央駅まで散歩。以前来た時は浮き輪をつけて川を流される人々をよく目にしたものだが、今回はほとんど見なかった。マルクトにあったサイコロ屋に再訪したかったがそれも叶わず。
夕方、電車でザンクトガーレンに移動。駅で落ち合う予定だった友人のクリスチャン達は渋滞で遅れるとのことで、ディナー会場のギャラリーに向けて寄り道しながら歩くことに。ドイツ語圏になると売ってるものが違うなと思いながら、妻のペットボトルのフタ集めに貢献する。
ギャラリーに着くと既にクリスチャン達も着いていた。コロナ禍の直前にパリで会った以来だから、ちょうど3年半ぶりである。あの時妊娠していたアンジェラだが、わんぱく盛りの3歳の息子を連れていた。彼らは地元のアーティストの組合みたいなものに参加していて、タティアナという人がシルクで刷ったデジタル写真を展示していた。ジェノヴァの都市のレリーフと、ジェノヴァの建物から採取した石を積み上げたものをモチーフとしていて、話を聞くとジェノヴァの博物館の倉庫に捨て置かれるように置いてあったものらしい。建物を壊す時にその一部を取っておく文化があるそうで、興味深かった。
子供と遊んでいるうちにディナーが始まり、皆が持ち寄った惣菜を少しずつ盛りながら回して、ジャガイモと食べる。この組合はお互いに協力したり教えあったりするらしく、至極スイス的な仕組みだと思う。
車に乗って家に帰ると3歳の子供がいきなりレコードでジミヘンをかけ始めて、エアギターをかき鳴らす。なかなか様になっていて、将来が楽しみである。

8月某日 地名の喚起力

朝、ホテルをチェックアウトして駅に荷物を預けに行く。2人分の大きさのロッカーで12フラン(2千円)も取られる(しかもピックアップの時に6時間経過の追加料金で+6フラン取られた)。
今日もとりあえずプランパレに移動すると、蚤の市がやっている。服やらガラクタやらにはあまり興味が湧かないので、置き物や皿、ピンバッジなどを漁る。tgp(ジュネーヴ公共交通局)、モナコ水族博物館、モトローラのピンバッジを買う。
昨日と同じパン屋で朝食をとった後、ジュネーヴ民族博物館(MEG)に行く。日本の民博と同じような場所で、アフリカ、中南米、オセアニアの仮面や人形、カナダのトーテムなどと一緒に仏像や曼荼羅が置かれている。長さ20mはあろうかというスクリーンに波の映像が投影されていて、民族音楽が流されているのは意味がわからなかったが、その前に置かれた椅子で休むのにちょうどよかった。ジュネーブは常設展に無料で入れるところが多く、今回もその恩恵に授かったが、企画展は有料。人間と自然との共存をテーマにしたものらしく、興味は惹かれるけれども具体的な展示物が全く不明だし、常設展で満足したのでスルーした。
昼も食べず、キャベツ太郎みたいなスナック菓子で空腹を誤魔化して、ジュネーヴ歴史・美術博物館へ。展示デザイナーが現代美術かぶれで辟易したが、ジュネーブ派の山岳風景画、ホドラー、ジャコメッティが見られたのはよかった。しかし腰痛が酷く、椅子で休み休み見ないとやっていられない。今後の旅程が不安になり、この後会う予定の友人に相談する。マックス・エルンストとIliazdの印刷作品が良かった。
それにしてもジュネーヴの地名は興味深いものが多い。「美しい」という形容詞がついたBel-air(美しい空/空気)、Belle terre(美しい土地)、Belle-Idée(美しいアイデア)。思えばジュネーブ人は「Bonne journée(良い一日を)」の代わりに「Belle journée(美しい一日を)」と言ったり、「Beau séjour(美しい滞在を)」と言ったりする。フランス人が同じように言ったら「気取ってる」と言われるところだが、確かにこんなに美しいところに住んでいたらそう言いたくもなるだろう。他にもEaux-vives(清流、湧水)、Les Acacias(アカシア)、Bout du monde(世界の涯)など、想像力が働く地名に出くわすことが多い。美しい町だと思う理由は地名の掻き立てる光景にもあるだろう。
夕方、電車でフリブールに移動する。本当はベルンに用事があるのだが、何かイベントがあるのか知らないけれども宿が最低3万円レベルなので、そのひと駅前にあるフリブールに泊まることとした。フランス語圏とドイツ語圏の境目らしいが、まだフランス語は通じるだろうか。ジュネーヴはフランス語が通じて本当に助かったが。車窓からはローザンヌまでずっとレマン湖が見え、その向こうにアルプスの山々が見えた。何千メートルもあろうかという山頂から湖に急に落ち込んでいるところもあり、自然の不思議を思う。レマン湖の北岸斜面はずっと葡萄の畑が広がっていて、確かに最適な傾斜だろうなと思う。
夜は屋外でビールを飲んで盛り上がる人たちを尻目に、持ち帰りのファラフェルのドネルを半分ずつ食べる。トルコ系なのかはわからないが、異常に人当たりがいいおじさんだった。フランスのケバブ屋ではあまりこういう人の良さは感じないが、住む場所でこんなに変わるものか、と思う。

ジュネーヴ民族学博物館(MEG)

宇賀神

ヒンドゥー教の「乳海攪拌」から生まれる「宇宙の牛」カーマデーヌ

「Kammavaca」。仏僧の叙階式で使われる。

カメルーンのBamum王国の地図

以下、ジュネーヴ歴史・美術博物館

エロス

少女漫画に与えた影響は計り知れないのだなと思う

唐突にロダン

Edgar Brandt

Adam–Wolfgang Tœpffer

マックス・エルンスト(イメージ)とIliazd(文字)

Alexandre Calame

アルプ

アルベルト・ジャコメッティ

ホドラー

8月某日 見知らぬ町の景色

朝方、プランパレのマルシェへ行く。バカンスだからか数軒しかテントが建っていない。 ピカピカに磨いたような均一の野菜が並ぶ店がほとんどだったが、一軒だけ明らかに違う店があった。香りを放つバジルの山と、トマト、茄子、ズッキーニ、じゃがいもが並び、店のもう半分には花がわんさかと並んでいる。旅行中なので沢山は買えないが、種類の異なるトマトを一つずつと、生でも食べられるであろう茄子だけを買った。バジルが2、3枚あればなあ、と思っていたら、「これつけるわね」と言ってバジルをつけてくれた。これだけで素晴らしい生産者だとわかる。
4年かぶりのジュネーヴ自然史博物館。以前は地形レリーフを見にきただけなので、まともに展示を見るのは初めて。今回は特にアポ無しだが学芸員の人は元気だろうか。
剥製の倫理。生きた生き物と死んだ生き物の圧倒的な違い。les animaux empaillés=藁の詰められた動物。実物の直接的展示と表象(模型)の展示による頭の働きの違い。気が滅入る。
比喩的な名付けの美しさ。Punaise nébuleuse(星雲カメムシ/ヨーロッパ原産)とPunaise diabolique(悪魔カメムシ/アジア)。Poisson crapaud(ヒキガエル魚)。Poisson lumineux(光る魚). Requin taureau(雄牛鮫). Requin tigre(虎鮫). Scarabée tunnelier(トンネル掘りスカラベ). 科に属する種の数に従って、その代表的生物(提喩)の模型サイズを大小させる優れた展示。三中さんが見せていた生態系視覚化の立体版だ。我らが哺乳類代表である象の模型は、なんと転げていた。ペロン作の地形レリーフ(のコピー)が展示されている部屋は4年前と変わらず閉まっていて残念。Blashkaというポーランド風の名前の人物が作ったガラス製のクラゲ模型のコレクションも見られなかった。向こう4年以内に新館が建つらしい。ブティックも閉まっていて、少し物悲しかった。
バスに乗ると、整理されているであろうスイスの交通体系をもってしても非常に複雑なルートを通っていくのを感じる。氷河や川の働きでできたのであろうなだらかなスロープや唐突に切り立つ崖がこの街を形作っていることがわかる。そして、そのような複雑な地形の上に石を積んで高層建築を作り、積雪にも耐えうるような屋根の勾配と低層部の処理を施しつつ、美しさをも追求しようというジュネーヴ人の、知恵の成果を見ることができる。例えるなら綺麗なフランス。しかしながらあくまでもスイス。
湖の反対側にあるジュネーヴ植物園へ。個人的に、花の咲いている季節に植物園に来られることは滅多にない。いつも荒地と化した花壇を見て回るのが常なので、旅行はこういう季節にするものなのだな、と思う。野生植物、有毒植物、フィトテラピーや薬用の植物、織物になる植物、染色できる植物など様々なカテゴリーに分けられて植物が植えられている。植物の名前と実体とその利用方法が結びつく展示こそが良い展示なのかはわからないが、少なくとも教育的ではあった。むせかえるような匂いを放つペパーミントとフェンネルに虫が集まっていたのが印象的だった。スイス人の植物愛と山岳愛を感じる。
バスで旧市街に移動し、昨日休みだった古書店、Julienを再訪するが、なぜかまた休みだった。夏季休暇だろうか。歩いてホテルの方まで戻り、坂を登ってアナーキズムの本屋に行く。レジのある主室までは一般的な文学や科学分野の本が並ぶが、レジの後ろにある後室にはアナーキズムの本がずらりと並ぶ。ルクリュのコレクションもあり、しばしチェックする。これだけアナーキズム関連の本が出ている(しかもその中の思想は細かく分類されている)ということは、アナーキズムがヨーロッパ人社会に深く根付いているということだろう。日本では最近少し流行り始めているけれども、それでも数えられるほどの本しかない。過去の弾圧の影響もあるだろうが、意識の違いを感じる。
Coopで夕飯の買い物をし、ケバブ屋でファラフェルサンドも買ってホテルで食べる。ファラフェルはひもじくも二等分するしかなかったが、朝買ったトマトは非常に美味しくて、心が洗われる。
夜中に起きてしまったので、窓の外をしばし見つめる。レマン湖から流れ出すローヌ川の流れ。街灯が浮かび上がらせる街並み。橋の上を無人のトラムが走っていく。眠った車。時折徒歩や自転車で走っていく人々。風にたなびく樹々。私は知らない街の窓の外で人々が働くのを見るのが好きである。初めてヨーロッパに来た時、ウィーンのホテルの窓の外から見た、看板の言葉もわからない夜の街の雰囲気を思い出す。知らない街に引っ越した時の最初の夜もそうである。慣れるうちにいつしかこの感覚は無くなってしまうが、もう少し大切にしていきたい。

8月某日 不在のジュネーヴ

朝5時のRERに乗ってGare de Lyonに行き、6時発のTGV Lyriaでジュネーヴに向かう。Cité universitaireの駅が開く瞬間を初めて見た。
本当はリヨン経由でそこからローヌ川沿いに渓谷を進む路線が好きなのだが、今回はBourg en Bresse経由の路線で、あまり川は見えない。代わりに別の段丘を見ることができた。向かいに座っている猫と一緒に旅行をしている女性はBourg en Bresseで降り、その後にやたらとうるさいスイス・アルマンドの家族が乗ってきて、顔を顰めているうちにジュネーヴに着いた。
ダメ元でホテルに行ってみるともうチェックインできるとのことで、決して広くはないが川の見える綺麗な部屋に通してくれた。相場からすれば安いホテルだが、トラムも見えるし人に勧めたいところである。フロントには友人が最近出したニコラ・ブーヴィエについての本が届いていて、ありがたく拝受する。私にとってジュネーヴは特別な街だ。
スイスの物価は毎回高いと思ってはいても、月日が経つうちにその印象は少しずつ弱まっていつしか良い思い出となり、再びスイスに足を踏み入れた途端に現実が想像を打ち壊す。早くこの国を出ないと破産する、という焦燥感が向こう一週間ついて回ることとなる。
ジュネーヴに来るのはこれで三度目だが、毎回朝から晩まで研究に明け暮れるので、これまで碌に街を歩く余裕がなかった。今回も調査をしたり友人に会うのが目的だったが、司書はバカンスでいないし、友人もアルプスの方に行ってしまったりで、はっきりいうと無駄足である。しかし開き直れば初めて余裕を持ってジュネーヴを楽しむことができるということなので、頭を切り替えて羽根を伸ばすこととする。観光といっても、デザイン科の人間にとって最たる観光は本屋巡りにほかならない。以下、備忘録的に書いておく。

– Librairie Fahrenheit 451(定休日)
アナーキズムの本を中心とした本屋らしい。明日にでも来てみよう。

– Librairie l’exemplaire
美術系の古書店。nrfの特装本、ブルトンの毎ページ判型が変わる本や、ブーヴィエの『Comment va l’écriture ce matin?』という肉筆の原稿を抜粋した本、ミショー、ミロ/シャガールの雑誌「Verve」など。オラス=ベネディクト・ドゥ・ソシュールの『アルプス旅行記』があり興奮したが、9,500 CHF(160万円) だった。

– Illibrairie
以前訪ねたことのある旅行記の品揃えの良い本屋で、ルクリュの『新普遍地理学』やオネジム・ルクリュの『Géographie : La Terre à vol d’oiseau』のあったところだが、今回「アトラスはないですか」と聞いたら、いきなりオルテリウスの小型本(8,500 CHF=140万円)なんかを出されて面食らう。他にA. Vuilleminの絡んだ『Atlas-Migeon』(2巻本)を見せてくれたが買えず。なんでこういう店名なんだろう(フランス語で「本屋は」「librairie」なのだが、それに「il」がついている)と思っていたら、ショップカードにオーナーの名前が「Illi」さんだと書いてあった。

– Julien(定休日)
以前来た時は割と気軽に買える本屋だったが、休みだった。

– le Rameau d’Or(閉店)
以前訪問してhéros limiteの本を買い求めた場所だが、店内の棚という棚が空になっていた。ウェブサイトを訪ねると最後の挨拶が長々と書かれており、胸を突いた。

– Librairie Delphica
占星術やタロットのコーナーがある。

– La Trocante – Nicolas Barone(夏季休暇)
友人の勧めで訪問しようとした。スクワットみたいな建物に「← 古本」とだけ書いてある目印を頼りに入っていくと、ジャングルみたいなところにまた「← 古本」と書いてある。しかしそちらに行ってみてもキャンプファイヤーをするような施設だけがあり、本屋らしきものはない。電話をし続ける女の子の前を何周も通り過ぎながら探すが、全く見つからない。諦めた頃に見つけたのは、その施設の隣にあるグラフィティだらけの建物に貼られた、小さな名刺。近寄って見てみると「古本 Nicolas Barone」と書いてあった。しかし7日から14日まで夏季休暇とのこと。夏にヨーロッパに来るべきではない。

– Bouquinerie La Grotte aux Fées
全てを諦めてGoogle Mapsの示すままに向かった古本屋だが、古い子供向けのSFや推理小説などがずらっと揃った店で、白鬚のおじいさんが優しく説明してくれる。Maraboutというベルギーの出版社の本がよく揃っていて、冊子を作る際に端切れになる部分をもう一冊の本(「Marabout Flash」)にしてしまい、おまけとして売っていたそうだ。本当に妖精が出てきそうな、おじいさんの楽園だった。
それにしてもスイスは動植物や山についての本が多い。造本も美しく、自然愛が伝わってくる。色々後ろ髪を引かれたが、植物辞典を一冊買って店を後にする。

本屋の他にも街中を歩き回ったので、ホテルに戻る頃にはヘトヘトであった。街の中央に湖があり、至る所に泉が湧いて、縦横無尽にトラムが走る。美しい街である。物価さえ高くなければいつまでもいられるのであるが。

ポスターが街頭に貼ってあるところがスイスらしい。フランスの巨大な塔状のポスター貼りとはまた違う。

サン・ピエール大聖堂。右手にあるのはマキャベ礼拝堂。

15世紀の聖職者席。

座席下の浮き彫りが興味深い。

マキャベ礼拝堂。フランボワイヤン・ゴシックの走りだという。

ベルヴェデール

ここが古本屋らしい

旅行者用マヨネーズ

8月某日 ギメ博物館再訪 その2

パリ滞在も一旦最終日である。といっても昨夜遅かったので昼頃動き出し、適当な店でパン・オ・ショコラを買ってシェ・ヒザワでカフェを飲み、再びギメ博物館に向かう。先日買ったチケットでもう一度入れるからなのだが、今日は第一日曜日で国立系の博物館が全て無料になっていることに気づき、大して興味もない客でごった返す会場にわざわざ来たことになる。といっても常設展はそこまで混んでいないので、「ここには一日いられるなあ」と思いながら3時間ほどじっくり見たが、「アジアの医学」と題された特別展にはなんと行列ができていた。博士課程で中医学の図像を研究している学生がいるので非常にタイムリーな展示で、内景図や経絡図もいくつか展示されていた。面白かったのは、瞑想や占星術も医学に入れられていて、惑星を擬人化した日本の小さな像(「九曜」)がとても良かった。しかし本当にコロナにかかりそうなぐらい密だったので、飛ばした部分も多く、落ち着いて二周目を見ようかなと思ったら係員に止められて、「人が多すぎるのでもう閉館だ!」と言われる。
夕方、妻のコースター集めに付き合ってクラフトビール屋まで行き、宿に戻ってインスタントのクスクスを食べて早めに床に着く。明日は早い。

日本ではあまりお目にかかることがない北斎のエスキース。

唐三彩

百鹿図

橋口五葉

チベットの立体曼荼羅。曼荼羅は無数にあってとてもここには載せられない。

北インドの九曜図

日本の九曜像

また会いに来ます

8月某日 国立図書館の「ミュゼ」

パリもあと2日なのだが、全く観光的なエンジンがかからない。長く住んでいると、なかなか「次はここ、次はここ」とならない。実家に帰った状態である。
国立図書館の旧館の方まで行って、スープとパンの昼食をとり、旧館に入ってみる。ずっと工事用のプレハブがあった前庭には花壇ができていて、植物園のように小分けして花が植えられていた。新しくできた「ミュゼ」を見に来たのだが、どうやらそれ以外にも展示スペースがあるらしく、「白と黒のドガ」という展覧会がやっている。セット券を買ってまずミュゼを見てみると、グレコローマンの陶器や彫刻(小さめの)、メダイユ、エトルリアのブロンズ甲冑などが飾られており、思ったよりも広い。面白いのは展示の什器で、かなり古いキャビネを使っているのだろう。これを見るだけでも来る価値がある。ギリシャ美術を見るうちに、ギリシャに呼ばれている気がしてくる。オリエントが先にあるとしても、あの時代にここまで洗練された線描や彫刻が完成したのは驚くべきことだ。何を今更だろうが、改めて敬服する。やはり行くべきなのだろうか。
展示会場を出るともう一つ会場があり、遠くにグローブが見える。ここはどうやら世界の記述と印刷についての展示らしく、書物や楽譜、地図、天球儀などが置かれていて、本気でやればライティングスペースの歴史が全て展示できるんだぞ、という凄みを感じる。
「白と黒のドガ」を見なければならないが、夕方に待ち合わせをしているため、残り10分ほどしかない。しかしチケットの有効期限は今日限りなので、かなり急ぎ足で見る。「もう一度人生をやり直せるなら、白と黒だけで作品を作るだろう」という言葉で始まるこの展覧会は、その名の通り、白黒のドローイングと版画だけで構成されている。ドガといえば否が応でも踊り子の絵を思い浮かべるが、ここには風景画も多く、エッチング(eau-forte)やモノタイプ(1回限りの絵画転写)で様々な白黒のニュアンスを出している。もちろん踊り子を描いた習作も多く、いずれも目の覚めるような作品ばかりである。時間があればもう一度来たいところだ。
サントル・ポンピドゥーで友人と待ち合わせし、ノーマン・フォスター展に入れてもらう。ロンドンのどんぐりみたいなビルや香港の建物以外ほとんど知らなかったのだが、バックミンスター・フラーと協働したりもしていて、かなり未来志向が強いというか、発明的発想をするのが好きなようだ。コルビュジエ味もあるし、プルーヴェ味もある。時代のせいか「durable(フランス語でサステナブルをこう言うらしい)」を前面に押し出していた。大量のスケッチと建築的ドローイングが敷き詰められた第一会場を抜けると、模型が鮨詰めになった第二会場に至る。この模型、百万じゃきかないよな、と呟きながら、模型のクオリティばかりに感心する私。昔、自分が建築家だったら空港のデザインを一番やってみたいな、思っていたが、考えてみると制限ばかりで意外とやりようがなさそうで、まあアプローチに気を衒うか、搭乗口を棒状に並べるか円状に並べるかぐらいしかないのかな、と思った。
夜、友人宅での食事によばれる。ロックダウン中にレバノン惣菜屋で段ボールに隠れてお菓子を食べた話とか、キュレーターがアホばっかりになったという話とか。終電がなくなるまで話し込んで、小雨が降る中帰宅する。

アンリ・ラブルーストによるエトルリア遺跡のスケッチ。オトレ関係でエルネスト・エブラールのことをかじったおかげで、この時代のローマ賞受賞者の仕事には弱い。ちなみにラブルーストは国立図書館の閲覧室の設計者。

左足に文字が彫られている。

ヴィンツェンゾ・コロネリによる天球儀。彼は新館にある巨大な「ルイ14世の天球儀・地球儀」の作者として有名。

ノーマン・フォスター展

アップル本社

8月某日 地図と皿

せっかくだからフランスらしいものをと思い、フォンテーヌブローへ。3度目ぐらいだと思うが、馬蹄型の階段が高圧洗浄機で綺麗になってしまっていて風情も何もない。時間の厚みをなぜ消したがるのか。新品みたいな街に住むよりも圧倒的な豊かさを与えてくれると考えないのだろうか。ケルヒャー症候群。
今まで気に留めなかったが、宮殿併設のナポレオン博物館には地図の描かれた皿やテーブルがあったり、また彼が地図上の距離を測っている肖像彫刻がある。彼がいかに地図的イメージを政治的に利用していたか、また地勢をよく研究していたであろうことが推測される。アンリ4世が建設した長い廊下にもナポレオン所有と言われる地球儀が置かれていて、それが単に彼の政治的視野の遠大さを示しているのか、それとも彼の地理学的知見を物語っているのかはわからないが、象徴的である。
それにしても、皿に風景画を描く風習は奇妙である。それで食事を摂るわけでもあるまいに(摂るのか?)。領地の風景や建物、あるいは歴史的出来事の情景を、皿を通じて語り、教育することの意義とは何なのだろうか。
外に出て庭園を見ようとしたら、真っ黒な雲。フランス式庭園を見始めた途端に降り始め、小一時間雨宿りする羽目になった。雨女の遺伝子が私の中で目覚めている。小降りになった頃に外に出て、雨の上がりかけた風景を眺める。地面は川のようだが、パースペクティブの向こうは日が差していて、これはこれで悪くない。グロッタ風の装飾と、森の入口だけ見て街に戻る。
夜は工デ卒の友人と中華料理屋で飲むが、途中で寒くなって帰る。

アウステルリッツの戦いを描いたソーサー

ナポレオン像の手元

これはちょっと欲しい。

近くで見られないが、この地球儀もナポレオンの持ち物らしい。

グロッタ風で私の好きなダンスホール。

8月某日 3年前の後始末

まだテキパキと動く感覚がないが、考えてみればもう木曜日で、休館日のことを考えると今のうちに一度図書館に行っておかなければならない。旧市壁沿いを走るトラムで図書館に向かうが、途中で「終点だ」といって降ろされる。どうやら工事中でポルト・ディタリーからアヴニュー・ドゥ・フランスまでは振替輸送のバスに乗らなければいけないらしい。あたりをうろついているRATPの職員にバスの場所を聞いて乗り込んだはいいが、車内で調べ物をしていたらうっかり乗り過ごして工業地帯まで来てしまった。逆向きのバスに乗ってようやくアヴニュー・ドゥ・フランスに到着し、イギリス系のチェーン店「プレ・タ・マンジェ」でコーヒーとサンドイッチを買うが、飲めないほど渋く、残してしまう。しかしWi-Fiが使えるだけありがたい。
図書館の手前には、旧館に「ミュゼ(博物館)」ができたという広告がかかっていた。どうやら長年のリノベーションが終わったらしく、後日行ってみようと思う。新館で臨時営業をしていた地図部門も、ようやく古巣に戻ったらしい。閉架フロアでフンボルト関係のファクシミリ本の書誌を確認し、諸々雑多な作業を済ませ、図書館を出る。ついこの間まで印刷についての展覧会がやっていたそうで、逃したのが悔やまれる。どうせ来れなかったが。
その足で古巣のシテ・デザールを訪問する。コロナ騒動でフランスを脱出した時に預けておいた荷物を処分するためだ。パリ賞で来ている大学のレジデントの方に連絡を取って、倉庫の段ボール箱を出してもらう。何か大事なものが入っているだろうと思って箱を開けたが、結果的に必要なものはタオルと箸と包丁ぐらいで、あとはサバイバルに必要だった安物の鍋やら水筒やらだった。ここの住人はなんでも欲しがるので、「Take Free」と書いて外に置いてもらった。きっとすぐに捌けるだろう。
その後、フランス人の友人2人と喫茶店で久々の再会。とりあえずあまり深いことは聞かず、お互いの近況報告に終始する。最愛の犬ウメは少し色が白くなっていた。
部屋に戻ってインスタントのクスクスを作って食べる。テレビではナチュリスト(ヌーディスト)がバカンスでキャンプをするのを追ったドキュメンタリー番組がやっていた。体じゃなくて顔にぼかしがかかっているのが新鮮である。虫に刺されないのかね、と思いながら眠りについた。