後厄の始まり

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4日から仕事なのであまり新年の感慨もなし。
新聞に目を通すと「タイパ」なる見慣れない単語が目に飛び込む。何の略語かと一通り頭に候補を浮かべてみるがピンと来ないので読み進めてみると、「タイムパフォーマンス」の略で、「コストパフォーマンス」すなわち「コスパ」からの派生らしい。いかにも頭が悪そうな造語だが、そんな英語が成り立つのかどうかはともかく、これからは「タイパ」の時代らしく、なんでもかんでも時間の効率性が求められるようになるらしい。そういう聞き慣れない単語を持ち出して人々を煽る人間にはひと儲けしようという意思が働いているのが常なので、私は心底軽蔑するけれども、世の中が時間対効果ばかり気にするのであれば、私はもっと非効率的な時間の過ごし方に身を委ねたい。時間のかかる行為には、どうしても時間がかかるのである。4時間の映画には4時間かけるなりの意味があり、10年かかる研究には10年かける意味がある。人生のほとんどを無駄に生きているような人間としては、そう思わざるをえない。
新聞はさておき、朝から近所の神社に初詣に行った後、昼過ぎに義理の兄の家族がやってきたので飲み始める。姪と甥が毎年楽しみにしている『相棒』がそのうちに始まったので一緒になって見てはいたが、話が全くわからない。私が酔っ払っているからかと思っていたが、姪と甥もわからないらしい。どうにも退屈なので田舎のおじさんみたいな質問を子供たちに振り、加齢を感じながら床に就く。

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起き抜けにスマホを見ていると、いくつか記憶のないメッセージを送っていることに気づく。飲んでスマホを弄っても良いことはない。今年の誓いは「飲んでメッセージを送らない」ことに決める。
佐倉まで行って2回目の初詣。ラッキーカラーを教えてくれるおみくじを試みに引いた結果、「ベージュ」だと伝えられる。ハードルが高い。おみくじは小吉だったが、神社の帰りにふっとバスのナンバーに目をやると「6 66」。そして帰って時計を見ると「4:44」。なんとも幸先の良い後厄である。
夕方東京に戻るが、店がどこもやっていないのでカレー初めをする。

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松の内から仕事ばかりするのもなんなので、アマプラでイーストウッド『リチャード・ジュエル』を見る。アメリカだと太っていて独身というだけで爆弾魔扱いされ、同性の友人も共犯者で恋人ということに仕立てあげられるらしい。FBI職員と新聞記者が懇ろの仲で、FBIは自分の立場を守るためならどんなでっち上げも厭わない、という単純化もアメリカ映画でだけ許される。相変わらず最初は不安な画面が続くが、徐々に顔が顔として機能し始めるから、流石はイーストウッドというほかない(マカレナのシーンはラジー賞ものだが)。夜のシーンで逆光のナイター照明で人物の輪郭だけを光らせたり、バシャバシャストロボが焚かれたりするのもお家芸。それにしてもキャシー・ベイツが中尾ミエにしか見えないのは私だけ?

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深大寺初詣。おみくじは二年連続の「凶」。神は見ている。
帰ってイーストウッド『15時17分、パリ行き』を見て、よくも素人俳優でここまで撮れるものだと感心し(女の趣味は至極イーストウッド的だ)、続けて『運び屋』まで見てやはり感心する。厄介ごとに巻き込まれ苦虫を噛み潰したような顔をさせたらイーストウッドの右に出るものはいない。『グラン・トリノ』に続く贖罪第二弾で、本当にイーストウッド本人が人生の懺悔をしているかどうかはともかく、時代遅れの差別用語を吐きまくる白人ジジイが、「運び屋」稼業に手を染めながら家族との時間の大切さに気づき、最後は身の危険を顧みずに許しを請う(それにしてもダイアン・ウィースト演じる妻はなかなかのウザ妻じゃないか…?)。どこかケヴィン・コスナーの姿が重なるブラッドリー・クーパーに人生を説くイーストウッドの姿には、映画を超えた含蓄があった。仲良くなったマフィアたちの顔がとても良い。