3月13日 コモ、記憶のマテリアル

この日は、ファシズム建築の本拠の一つであるコモへ向かう。イタリア北部の湖水地方でコモ湖がありリゾート地として有名である。
コモはコモでも駅がいくつかあって、ファシズム建築のことなど当然「地球の歩き方」には乗っていないので(癪に障っても「ヨーロッパ建築案内」買っとけば良かった)どの駅かわからず、とりあえず終点の「Como Lago」で降りれば何とかなるだろうと高をくくる。ホテルのあるBovisa駅からLeNORD線に乗る。電車が駅に近づくにつれ、徐々に合理主義っぽい建築物が目に入り始めると、あっけなくも「カサ・デル・ファッショ」が目の前に現れる。本物はそんなに緊張感が無い、と感じる。
とりあえず駅を降り、「カサ・デル・ファッショ」に行く。後ろを向けばドゥオーモが見え、そちらへ歩く。ドゥオーモは昼休みらしく入れなかったので、周りを歩いていると「i」がある。数年前にテラーニ生誕100周年が行われたのは聞いていたから、通じるだろうと思って「テラーニを見て回りたいんだけど」と言うと、「テッラーニー」と言っておばちゃんはテラーニ関連の地図をくれる。カサ・デル・ファッショは前日に予約しておけば入れたみたいだが、特にそんな気も起きなかったので、町にあるファシズム建築を見て回ることにする。
サンテリア=テラーニの「戦没者慰霊碑」を見にコモ湖岸に向かう。ヨットやボートなど、確かにリゾートらしき雰囲気が垣間見える。湖岸の緑地帯に入ると、情報に無いモニュメントが見える。一見、リベスキンドかカラヴァンのようである。見れば三つの階段が放射状に置かれ、その中心部には三枚の鋼板が組み合い、地面に向かって斜めに刺さっている。それぞれの鋼板には何か文字が書いてあるが最初は何かわからなかった。しかしその鋼板に向かう道の脇には各国語でナチやファシズムに抵抗した者達の「最期の言葉」が記されている。これはどうやら、慰霊碑らしい。サンテリア=テラーニのものとは別の、である。そして鋼板に向かう全部で3つあるうちの一つの道の脇には4本の鋼柱に挟まれたいくつかの石が縦に並び、その横にはどうやら強制収容所があった場所の名前らしきものが記されている。そして、後ろを振り返ると「HIROSHIMA」と書かれたモニュメントの中に広島のものらしき石が挟まれている。やはり、ファシズムと第二次大戦の記憶を持つマテリアルを使った慰霊碑なのだ。この「記憶を持った素材」と鋼板の使い方はカラヴァンに通ずるものを感じるし(どちらかと言えばカラヴァンは「記憶を持った場所」であるが)、派手さは無いもののリベスキンドに通ずるものも感じる。「i」でもらった地図にも何も無いしなあと諦めたが、帰国してから調べると「Gianni Colombo」というミラノの彫刻家の作品で、「ヨーロピアン・レジスタンス慰霊碑」と言うものらしい。先に言うのもなんだが、コモで見た他の建築よりも胸を打つものであった。
その後、一応テラーニを巡礼する。

ミラノに戻って美術館回りをつづけることに。
「レオナルド・ダ・ヴィンチ記念科学博物館」に閉館1時間前に滑り込む。いきなり入った部屋が各種印刷機械・製紙機器の歴史を展示した部屋で、「フェストスのディスク」(レプリカ)、「シュメールの板」「北エトルリア碑文」などレプリカであっても初めて目にするWriting Spaceの資料があった。
他の部屋には時計の歴史、音楽の歴史、通信の歴史などが実物をもって展示されており、やはり日本とは教養として見ているものが歴然としていることに茫然。いくら情報が国際化してると言ったって、それは依然として限られたものである。そして、加えてレオナルドが設計していたものを模型に起こしたものが廊下にはズラリと並ぶ。時間を取って見に来たら果てしなく面白いところだが、今回はコモに足が向いてしまったのでしょうがないのだ。
科学博物館の後は、夜までやっている王宮を再訪し、「マグリット 自然の神秘」展を見る。ベルギーのマグリット美術館から来ているもののようだが、ベルギーにあれだけいたのに一度も詣でなかった自分はやはりアホなのだ。
昨日の未来派展でも感じたが、平気で時間軸を混ぜ合わせる展示方法は、流行ってるのかもしれないがあんまり成功しているとは言えない。同じテーマやモチーフを異なる年代で扱っている物を横に比較するのは良いのだが、慎重にやらないと混乱をきたすのだ。とはいえマグリットそのものはすこぶる面白かったのだが。展示されていなかったと思うが、裸婦が瓶詰めになったボトルを手にするマグリットのセルフポートレイトがベストだった。あんなポートレイトを撮ってみたい。

ようやく見つけたスーパーで某フタ収集家のためにフタ基準でビールを買い込み、ケバブを買って晩餐。翌日はローマに向かわなければならない。